8月12日なんでや劇場レポート3回目(最終回)です。
まずは
8月12日なんでや劇場レポート
8月12日なんでや劇場レポート(2)
からポイントを整理してみたいと思います。
①日本の最古の民族は・・・
約3~3.5万年前にスンダランドから黒潮にのって流れ着いた南方モンゴロイド(旧モンゴロイド)と、約1.5~1万年前に陸続きだったシベリア~北海道経由の北周りルートで移動して来た北方モンゴロイド(新モンゴロイド)が融合・混血して形成された縄文人だったと言うこと。(ただし、 南方モンゴロイドの性質が優性であった可能性が高い。)
②私達日本人の原型は・・・
約2400年前(紀元前4世紀頃)からアジア大陸(中国諸国)での争いに伴って、流入してきた難民(弥生人)を第一波として、2世紀頃、朝鮮半島から戦乱で追いやられた亡命部族(侵略部族)の流入(=第二波)や6~7世紀頃の朝鮮半島新羅制覇に伴う百済、任那からの大量流入(=第三波)と常に流入民を受け入れ融和し混血を繰り返しながら形成されてきたと言うこと。
③そして日本の歴史は・・・
朝鮮半島の政治情勢をモロに反映して、朝鮮半島の略奪部族による部族間の支配⇔被支配や合体、連合が繰り返されており、実は近代まで一貫して続いていたと言うこと。
です。
日本人を知るには、まずはこのような史実を知る必要があるんですね。皆さんは知っていました?私なんかは日本がこんなにも他国によって侵略されていた歴史があったなんて知らなかったですよ!ひょっとして私も略奪部族の末裔か?なんて考えてしまいますね!
話しは戻って、上記の①~③ですが、ちょっと俯瞰してみると“支配者層の歴史”だってことに気が付くと思います。(ま~、世にある歴史書(教科書を含む)も殆どがそのような視点で書かれているのですが…。)ただし、支配者と言うのは必然的に必ず少数となる訳で、その影では圧倒的多数の被支配者が存在するのです。なので捉え方の視点をちょっと変えれば、その時被支配者は支配者をどのように受け入れてきた(又は強制されてきた)かをみることができます。
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しかし南方モンゴロイドに起源を持つ縄文的な受入れ体質や本源性は、異なる精神性を持つ民族の流入を友好的に受け入れながらも連綿と受け継がれて行ったようです。
8月12日なんでや劇場レポート
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そうして、大陸で戦争して殺し合いをしていた様々な部族が日本にやってきて、国を作っていくのですが、面白いのは、日本にやってくると、そのような元々戦争していた部族同士が、やがては合体したり、連合したりしていくことです。もともとの縄文人の受け入れ体質、和合体質に感化されていったのでしょうか。
8月12日なんでや劇場レポート(2)
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がそのような視点からです。
また、るいネットにも以下のような投稿がありました。
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日本初期の歴史はどのように形成されたのか?
この中でも興味深いのが、ある特定の部族が日本国を支配し、序列統合するのではなく、いくつかの部族が連合したり、あるいは支配するにしても、縄文風土に同化した支配を行い統合したということです。
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このように日本においては、被支配者は支配者を受け入れ、巻き込み、融合し、時には被支配者が支配者の同化対象となり、支配者そのものの体質を変えてしまう・・・と言った、被支配者にはそのような体質があったことが見えてきます。たぶんそれが“縄文体質”なのでしょう!
そして、それが「私達日本人の縄文人的精神基盤」。来るべき破局を突破する上で、ここに一つの可能性があるのだと思います。
ちなみに実現論:序文 には次のようにあります。
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西洋人は皆殺しの掠奪闘争によって警戒心と自我の塊となっていったが、東洋の方は、皆殺しではなく概ね服属の形をとったので、氏族集団の色彩が強く残っている。中でも掠奪闘争が始まる前に日本に漂着した縄文人≒日本人は、2千年前まで掠奪闘争を知らずに人類本来の本源集団を維持していた、先進国には稀有な本源性の強い民族である。
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皆殺しにならなかったのは、被支配者側の縄文人(縄文体質)に理由(秘密)があったのかもしれません。
※今後はその辺りも追求していきたいですね!劇場会議後のサロンでは母系集団の“女”に魅力があったから・・・なんて話しも出ていましたよっ!
By MASA
まずは
8月12日なんでや劇場レポート
8月12日なんでや劇場レポート(2)
からポイントを整理してみたいと思います。
①日本の最古の民族は・・・
約3~3.5万年前にスンダランドから黒潮にのって流れ着いた南方モンゴロイド(旧モンゴロイド)と、約1.5~1万年前に陸続きだったシベリア~北海道経由の北周りルートで移動して来た北方モンゴロイド(新モンゴロイド)が融合・混血して形成された縄文人だったと言うこと。(ただし、 南方モンゴロイドの性質が優性であった可能性が高い。)
②私達日本人の原型は・・・
約2400年前(紀元前4世紀頃)からアジア大陸(中国諸国)での争いに伴って、流入してきた難民(弥生人)を第一波として、2世紀頃、朝鮮半島から戦乱で追いやられた亡命部族(侵略部族)の流入(=第二波)や6~7世紀頃の朝鮮半島新羅制覇に伴う百済、任那からの大量流入(=第三波)と常に流入民を受け入れ融和し混血を繰り返しながら形成されてきたと言うこと。
③そして日本の歴史は・・・
朝鮮半島の政治情勢をモロに反映して、朝鮮半島の略奪部族による部族間の支配⇔被支配や合体、連合が繰り返されており、実は近代まで一貫して続いていたと言うこと。
です。
日本人を知るには、まずはこのような史実を知る必要があるんですね。皆さんは知っていました?私なんかは日本がこんなにも他国によって侵略されていた歴史があったなんて知らなかったですよ!ひょっとして私も略奪部族の末裔か?なんて考えてしまいますね!
話しは戻って、上記の①~③ですが、ちょっと俯瞰してみると“支配者層の歴史”だってことに気が付くと思います。(ま~、世にある歴史書(教科書を含む)も殆どがそのような視点で書かれているのですが…。)ただし、支配者と言うのは必然的に必ず少数となる訳で、その影では圧倒的多数の被支配者が存在するのです。なので捉え方の視点をちょっと変えれば、その時被支配者は支配者をどのように受け入れてきた(又は強制されてきた)かをみることができます。
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しかし南方モンゴロイドに起源を持つ縄文的な受入れ体質や本源性は、異なる精神性を持つ民族の流入を友好的に受け入れながらも連綿と受け継がれて行ったようです。
8月12日なんでや劇場レポート
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そうして、大陸で戦争して殺し合いをしていた様々な部族が日本にやってきて、国を作っていくのですが、面白いのは、日本にやってくると、そのような元々戦争していた部族同士が、やがては合体したり、連合したりしていくことです。もともとの縄文人の受け入れ体質、和合体質に感化されていったのでしょうか。
8月12日なんでや劇場レポート(2)
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がそのような視点からです。
また、るいネットにも以下のような投稿がありました。
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日本初期の歴史はどのように形成されたのか?
この中でも興味深いのが、ある特定の部族が日本国を支配し、序列統合するのではなく、いくつかの部族が連合したり、あるいは支配するにしても、縄文風土に同化した支配を行い統合したということです。
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このように日本においては、被支配者は支配者を受け入れ、巻き込み、融合し、時には被支配者が支配者の同化対象となり、支配者そのものの体質を変えてしまう・・・と言った、被支配者にはそのような体質があったことが見えてきます。たぶんそれが“縄文体質”なのでしょう!
そして、それが「私達日本人の縄文人的精神基盤」。来るべき破局を突破する上で、ここに一つの可能性があるのだと思います。
ちなみに実現論:序文 には次のようにあります。
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西洋人は皆殺しの掠奪闘争によって警戒心と自我の塊となっていったが、東洋の方は、皆殺しではなく概ね服属の形をとったので、氏族集団の色彩が強く残っている。中でも掠奪闘争が始まる前に日本に漂着した縄文人≒日本人は、2千年前まで掠奪闘争を知らずに人類本来の本源集団を維持していた、先進国には稀有な本源性の強い民族である。
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皆殺しにならなかったのは、被支配者側の縄文人(縄文体質)に理由(秘密)があったのかもしれません。
※今後はその辺りも追求していきたいですね!劇場会議後のサロンでは母系集団の“女”に魅力があったから・・・なんて話しも出ていましたよっ!
By MASA
>込み、融合し、時には被支配者が支配者の同化対象と
>なり、支配者そのものの体質を変えてしまう・・・
私も同感です。
るいネットで「外国人から見た日本人」という内容の
投稿や紹介されたサイトを見ていると、支配者(外国
人)に残っている本源性を触発し、日本人に好意を持つ
ようになったのではないかと考えます。