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『ハゲタカ』から“株式会社”という組織について考えてみる。実質的奴隷から脱する新組織のヒント。

2017年07月05日 | 雅無乱日記

NHKのドラマ「ハゲタカ」。このドラマはなかなかに考えさせてくれるドラマであった。

NHK ドラマ『ハゲタカ』のファンサイト

以前、このブログでも、『ハゲタカ』から「資本主義システム」について考えてみるというエントリーで扱った。

今回は、このドラマ「ハゲタカ」の後半3話を題材に考えてみたい。

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「会社は誰のものか」という問いがある。

その問いに対してこのサイトは、あまりにもあっさりと答えてくれちゃってるので紹介する。

http://www.venture.nict.go.jp/node_2672/node_2730/IT
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<会社は株主のもの>

結論から言う。会社は株主のものである。会社という概念自体に、アメリカ的なもの、イギリス的なもの、オランダ的なもの、日本的なものというので差異はあるかもしれないが、資本主義経済の中に生きている以上、誰が何と言おうとも会社は株主のものである。そもそも会社の目的は、利益を生み、資金を拠出してくれた株主の利益を最大化することにある。これは「東インド会社」の時代から変わらない摂理であろう。

古くは、株主利益の最大化は配当金を上げることであったが、資本市場が発達してきた今日では、将来的に大きなキャッシュフローを生み出すだろうという期待感から株価が高騰することから、株式売却益によって利益の最大化を図る手法が多く見られるようになった。会社の存在目的が株主の為なのだから、最終決定権は株主にあり、会社は株主の持ち物なのである。

<ステークホルダーの利益相反>

普通に割り切ればいいのだが、どうしても人間の考えることなので感情が入り、やれ「従業員の努力なしには語れない。」とか「会社はやはり社会に貢献してはじめて存在意義がある。」といった議論が横行し、これをうまくまとめるために「会社は株主・経営陣・従業員・取引先・顧客・社会などのステークホルダーのものである。」という上手な説が出てくる。

この至極あいまいな説は、とっても日本的で、なんとなく皆が気持ちよく聞くことが出来る説だが、大きな矛盾を持っている。そもそも、これらの「ステークホルダー達」は様々な利益相反を抱えている。会社の業績がうまく行っている時は良いが、業績が悪いと経営陣は従業員をクビにせざるを得ない事態も出てくるし、信用不安を起こして取引先が与信枠を小さくするかもしれないし、顧客も足元をみて買い叩いてくるかもしれない。そんなステークホルダー全員が幸せになるケースは稀と考えても良いかも知れない。

こんなベクトルの違う関係者が一緒にされてしまうというのは、別の見方をすれば、株主・創業者・経営者・従業員の役割分担がハッキリしていない事の裏返しだと思う。これは、日本にある一般的な組織の特徴に原因がある。


このサイト「情報通信ベンチャー支援センター」では、この後、日本的経営批判が続いて、最後の結論はだいたいこんなふうになる。

“そもそも取締役が社内におったんでは、社員に同情して“株主の最大利益のための経営”ができにくい。だからそういう感情に惑わされないプロの社外取締役が必要なんである”

へー!すごいねそりゃあ。現在の株式会社制度の下では、これが模範的な解答なんでしょうよ。

…で、ドラマ「ハゲタカ」は、その資本主義の原則とやらの通り「身も蓋もない話」がすすんでいく。

傾きかけた大手家電メーカー「大空電機」の株の争奪戦。

外資(ホライズン)は、株の大半を握った暁には、大幅リストラを敢行し、カメラレンズ部門をアメリカの軍事産業に売却する、ということを目的に策動する。


「会社は株主のものです。だから大株主の私が、リストラしようが幻想価値を適当に膨らまして第三者に転売しようが私の勝手です」なんて言われたら、経営者は「何を言ってるんだ。オレが経営して苦労して大きくしてきたんだぞ。ジョーダンじゃねえ」と思うかもしれないし、社員は「オレだって意志を持った一人の人間だぞ!あんた(株主)のモノなんかじゃねえよ」と思うかもしれない。

しかし残念ながら、現在の法律では、会社は株主のもので、経営者・取締役は株主に委託されて経営をやってるに過ぎず、その下に位置する社員などは単なる雇われ人(法的に「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。つまり実質的には賃金奴隷)であって、調子が悪くなったら取り替える部品の一つに過ぎないというのが現実である。(過去、あまりにも使用者による労働者の扱い方が荒すぎたので、「労働法」なる“労働者の人権を守る”という名目の法律ができているが、それは結局は「ご主人様(使用者、経営者)は、奴隷(使用人、労働者)をもうちょっと大切に使いましょうね。一応人間なんですから」と言っているに過ぎず、「使用者」と「奴隷」という根本構造は何も変わっていない。経営者でさえ簡単に首を挿げ替えられるのはご存知の通り)。

その意味では、上に紹介した「情報通信ベンチャー支援センター」さんのありがたいお言葉はまったく正しい。

経営者や労働者は、出資者である株主様の御為に利益を上げる目的で、その企業に一時的にいさせていただいているだけ
なのである。そして株主様は昼寝をしてるだけで丸儲け。

たしかに資本主義の世の中では法的にはそれが正しく、実際もそれが現実なんだが、「どうも釈然としない」というのが普通の人々の感覚なのではないだろうか(「はい、私はご主人様に使用される人間でございます。ここでご奉仕をさせていただけるだけで幸せでございます」なんて、大多数のサラリーマンが受け入れてるとは到底思えない)。

普通のサラリーマン(労働者)はそんな見たくもない現実には蓋をして、「自分は会社という共同体の一員なんだ。会社の人は仲間なんだ」とかなんとか無理矢理思い込んで日々労働にいそしんでいることと思う(どこかで分かっていても、「自分が実は使用される人間(=奴隷)である」なんていう認識を日々持つち続けることは耐え難い)。

日本もアメリカもヨーロッパも、一応「民主主義」の世の中と言われているが、こんな企業組織でそれがほんとに実現されてると言えるのだろうか?これは完全な「身分社会」である。
労働法とかなんとかでちょっとだけ守ってもらってるだけで、実際は賃金奴隷ではないか。

…というわけで、会社法に従って「大空電機」の社員は、新しい株主に「もう君達は要りません」「優秀な人たちだけアメリカの軍需産業の所有物になってください」と言われてしまう。

ここでドラマ終わってしまったら、何の救いもない悲劇なのだが、最後に大どんでん返しがある。



彼ら従業員は、EBO(エンプロイー・バイアウト)という手段で立ち上がり、大株主に叛旗を翻すのであった!
詳しくは24日放送のドラマの最終回を見てちょーだい。

 見逃してしまった人はここへhttp://www.showtime.jp/tv/nhk/hagetaka/?ot45010=200905


労働者自身が株主になって会社の所有者になる。現状の法制度の中では、このアクロバティックな方法が、実質的奴隷状態を超える唯一の方法なのではないかという気がする。

「民主主義」なんていうのは実はまったくの欺瞞で、現状、企業というものは、資本で支配するごく一部の「ご主人様」(本国)とその他大勢の「奴隷」(原住民)と、その奴隷たちを働かせる「奴隷の監視役」(植民地総督)で構成されている。

この企業自体の有り方を変えない限りは、人々は永遠に誰か(株主)の所有物であり、少なくとも「人間としての尊厳」(あまり好きな言葉ではないが)など持ちようが無いだろう。現在の様々な労働問題も無くならないし、人々にとってしっくりくる社会などはつくりようが無いのではないかと思われる。

「会社は株主の所有物」という企業の在り方の根本を変える必要があるのではないだろうか。

ちなみに、知人が勤めている企業に、全員で株を持ち、全員が取締役で、かつ全員が労働者であるという会社が存在する。既に実現している企業もあるのだ。

このブログ⇒http://www.kigyonw.net/blog/cat25/index.php

 に、その特異な企業の歩みの一端が紹介されているので、興味のある人はぜひ見てほしい。


そもそも人類がこの世に生まれて以来ずっと「株式会社」が存在していたわけではない。

もともと「企業」などという生産体の在り方そのものも、既得権がある一部の人間によって作られた単なる一形態に過ぎない。

状況や人々の意識に合わなくなったらさっさと人間の手で変えてしまえばよいのである。

それを実現している人々は既にいるわけで、やろうと思えば今すぐでも可能なのである。

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