即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

名人戦の文章力・その2

2008年06月21日 01時22分05秒 | 将棋
以前書いた、《名人戦の文章力》という記事。
ものぐさ将棋観戦ブログのshogitygooさんの類まれな文章力を絶賛しました。

当然、今回の歴史に残る名人戦第六局について、書くであろうと思っていたら、前日は肩透かしで、A級順位戦、佐藤鈴木戦のことを書いてました。

しかし、絶対にこのことを書かないわけはない、それもかなりの文章量で、と確信していたところ、やっぱり出ました。

ものぐさ将棋観戦ブログ
名人戦第六局 羽生善治が名人位を奪回し第19世永世名人の資格を取得

相変わらず、
表現力、文章力、語彙力、描写力、比喩力、伝達力、分析力、直観力、察知力、批評力、構成力、説得力、+妄想力、
感服してしまいます。

これだけ内容の濃い文章、一気に読ませる力を持つ文章には、多くのプロ棋士も、そして、梅田望夫さんも含めて、ものぐさ将棋観戦ブログファンはどんどん広がっているものと推測されます。

ザ・たっちの片割れとか、お笑い路線、とか言っていた僕が恥ずかしいです。

お笑いから、文芸路線に行っている、劇団ひとり、のようですね。
(あっ、そんなのと一緒にするな、って怒ってますか?太宰かドストエフスキーの線を狙ってるのに・・・、と。)

いきなり出だしでひとかまし、いや、失礼、こう↓来るわけですね。
序盤で自分のペースに引きずり込みます。
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羽生には二つの顔がある。恬淡とした盤上の真理追求者、将棋という専門分野における超一流のエンジニア、世俗のことには一切関わらず研究に没頭する科学者、将棋の神に禁欲的に仕える聖職者、将棋を他ジャンルとのことと交錯させて考え、独特の比喩能力を駆使して表現する一流の批評家。
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9割方の読者は、ここでもう完全に冷静さを失ってますね。

ほー、ほー、そうそう、すごい、なかなか、それで、どうなる?次は?
何を言おうとするの?
とすでにしっかり引き込まれてます。

高等序盤戦術ですね。

このあたり、ほんとうにうまいです。

そして、
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そういう超俗的で理知的で冷静な羽生とともに、実は人間的な勝負師としての顔もあわせ持つ。特に、近年はそういう勝負師的な側面は表面には出ていなかったのだが、今回の名人戦では、羽生らしくごく自然な形で表に出てきていた。
但し、勝負師といっても、自らそのことを自覚して、相手との駆け引きを意識して仕掛けるというタイプではない。むしろ、ほとんど生まれながらに無意識に、羽生の中に勝負師の塊のような生き物が棲息していて、ここぞという時に本人の意思とは関係なく、ひょっこり顔を出してくるという感じがする。だから、「つくった」勝負師よりも、もっと本質的で自然な凄みがあるのだ。
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勝負師としての羽生の顔、側面、をこう描写している。

「体内に生き物がいて、自分の意思と関係なくひょっこり顔を出す。」

というこの表現。

つくづく感心しちゃいます。

ほんと、表現の引き出しの豊富な方です。

羽生の行動の中に垣間見られる、
人間っぽさ、人間臭さ、僕らと同じ普通の人間としての感覚。喜怒哀楽。

安心感や親近感。

超一流棋士と言えども普通の人間。

決して、我々とまったく違う人種、とか、頭の構造が異なっている人間が戦っているわけでない。

ここが将棋の面白さであり、不思議さでもある。

ボナンザや激指が決して介在できない、人間と人間のどろどろした営みの世界。

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対局直後の動画を見ると、さすがの羽生も感極まっているように見える。我々将棋ファンは、対プロ棋士を神話化するゲームに夢中になりがちだ。(オマエは特にひど過ぎるというツッコミは謹んで甘受します。)将棋の技術で一般人と隔絶して超人的なのはともかくとして、勝負に対しても神のような意志と強い心であたっていると考えてしまいがちだ。特に、私は羽生や渡辺を、自分にないものを全て兼ね備えた精神的ヒーローとしてつい理想化しすぎてしまう。しかし、当たり前だが、彼らだって生身の人間なのだ。
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shogitygooさんの言わんとしていること、よくわかりますね。

こんな風に、将棋と言うものをいろんな角度からスライスしていくと、今まで気づかなかった新たな切り口や視点が見えてくるはず。

将棋というものを通して、人間を見る、探求する、という視点。

将棋も奥深いものだけど、人間ってものは、さらに奥が深い。

将棋と言う深遠な文化に触れ、啓発され、
人間がどのように成長したり、進化したりしていくのか。

棋士の素晴らしい対局、棋譜、そしてそれを伝えようとするメディアや観戦記やブログの数々。

こういうことが積み重なって、群集の叡智となり、将棋文化にとって、かけがえのない財産になっていくのでしょう。

まあ、shogitygooさんのようにはいかないけど、

気軽に楽しみながら、思いつくままの将棋関連ネタ、

今後とも書いて行こうと思います。
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