松本元大臣の暴言、恫喝について、先日書いた記事二つ。
マウンティング体質
ジャーナリズムの本質
大臣のことよりも、書いたら終わりだよ、という言葉をそのままほっておくマスメディアの姿勢について、問題視しました。
『この国は当たり前のように言論統制がまかり通っている国なんでしょうか?』
この記事について、コメントいただいたこてくんさんは、
『オフレコは容認できないし、それ以前に書かない会社が終わっているのに・・・・・。』
と同意してくれています。
多分、大多数の方はそう思っているのではないかと思います。
もうひとつコメントをいただきました。
じいさん(?)という方からです。遅くなりましたが、ありがとうございます。
初めての方でしょうか?ずっと見ていただいてる方でしょうか?
いろいろ考えさせられたので再度ここに紹介させてもらいます。
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オフレコ発言の真意は、あそこに同席していた普通の感覚をもっている取材陣なら、悪意あってのことではないと理解できていたはずです。だから報道しなかったと見る方が常識的な見方です。東北放送は子供じみたミステイクをしたと思っています。彼らが編集した切り貼りの映像ではなく、あの席で交わされた全てのコトバ。また震災以降に開かれている松本大臣の記者会見や知事側が進めている特区の問題点を理解していれば、騒ぐべき性質のものではない「蛇足」だと判断する方が常識的なスタンスです。第一、オフレコ発言よりだいぶ前に、ここからはマスコミは退室してください、という場面にさしかかったにもかかわらず、いやいやこのまま取材してもいいよ、とオッケーを出して取材を続行させてくれたのは、大臣その人なんです。
あのオフレコうんぬんは村井知事が叱責されている様子を映してしまうと知事のイメージが悪くなるからという、ただそれだけのことから出たコトバでした。脅迫的表現も、ある種の「お遊び」です。この後の騒動の中、したり顔のテレビコメンテーターや司会者などは、知事が遅れて入って来たのはマナー違反ではないというもっともらしい意見を言っていましたが、あれは間違いです。通常とおりの正しい姿勢より、重大事における自分の気持ちを見せる方が、あの場面では大切だったんです。ケースバイケース、何を優先させるのか。それが外交センスなんです。知事も痛い思いをして勉強をしたのでしょう。後任の平野大臣が1週間後に、それも遅刻して来た時は、カタチ通りの「マナー」などを重視せず、自ら出迎えていました。恩師にいわれたか、親父さんに叱られたか。忘れていた大切なことに気付いたのではないでしょうか。
あの時の本当のミステイク。実は村井知事がしてしまったのであり、情況を冷静に判断できなかった東北放送だったのだと感じています。もちろん、あれはジャーナリズムでもなんでもなく、ただの週刊誌的ゴシップをお茶の間に提供しただけです。あのフライデーのような市民ウケする安直な映像により特区構想の不備というジャーナリズムが伝えるべき本質が隠されてしまいました。
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このコメント、このように論理的に説明されてしまうと、とてもわかりやすいし、ああ、そうなのか、実はそういうことだったのか、と納得してしまいます。
大臣は親分肌だけど、本当は優しい人で、知事のことを思っての言動だ、そういう空気も読めない知事の方が問題だ、などという話もネット上ではいくつか目にしていました。
しかし、(統計を取ったわけではないからよくわからないけど)大部分の人には上記のようなことが伝わってはおらず、僕が上記2つの記事で書いたような理解しかしてないと思われます。
もし、じいさんのご指摘が事実であるなら、取材したメディアはなぜそのように伝えてくれなかったのでしょうか。
東北放送が安直な報道の仕方をしたのであれば、他のメディアは、そうではなく、事実はこういうことだ、となぜ言わないのでしょうか?
誰が悪いということではなく、大人だから冷静に騒がず、ということでなく、うまく誤解を与えないようにうまく説明してほしかったです。
我々の捉え方が、いわゆる子供じみていて馬鹿げたものであるのなら、なおさらメディアはことの本質や大人の判断を伝えてくれてもいいのではと思ってしまいます。
そこにメディアの価値があるでしょうし、そういう報道をすることこそメディアの役割ではないかと思うのです。
《震災以降に開かれている松本大臣の記者会見や知事側が進めている特区の問題点を理解していれば、騒ぐべき性質のものではない「蛇足」だと判断する方が常識的なスタンスです。》
大人のメディアの常識としてはそうなのかもしれませんが、我々は(僕だけかな?)騒ぐべき性質かどうかも何もわかりません。
想定外とはいえ、あれだけ騒ぎになったのだから、ことの本質はこうでした、だから騒ぎませんでした、と言ってほしかったです。
じいさん、すみません。
ここで反論しようなどというつもりは毛頭なく、あの事件(?)に対する僕の理解は前回の記事に書いたことなので、そうではない事実があればぜひ知りたいなあ、というのが本音です。
そして、そういう知りたい(裏の)(本質の)事実がもしあるのであれば、ぜひ伝えてほしかったと思うわけです。
そんなこと、たいした問題じゃないのでバリューがない、伝える意味はない、テレビ局としてメリットがない、ということになると、これは、テレビの公共性の問題になってきます。
このことについて書かれているブログをご紹介します。
テレビ局は営利企業か、それとも公共性があるのか
難しいですね。公共性ということ。
いろんな人がいていろんな意見があるので、今回の原発保障問題とか、義捐金の分け方とか、公共性に基づき、できる限り公平に、というのは簡単だけど、実際にやるとなるととてつもなく難しいので、何かしらの考え方、指標を設定してそれに沿ってやるしかない。
この問題を知りたがってる人が何%いるか、バラエティを見たがってる人が何%いるか、すべてがデータや多数決で決めればいいというわけでもないし、そんなこともいちいちできやしない。
松本元大臣は今頃どうしていて、あのことをどう思っているのでしょうか?
もし今、このことを白日の下に晒すことがいろいろまずいことがあるのであれば、少し時間経ってからでもいいので、あの時の言動の真意や事実を知りたいと思っています。
マウンティング体質
ジャーナリズムの本質
大臣のことよりも、書いたら終わりだよ、という言葉をそのままほっておくマスメディアの姿勢について、問題視しました。
『この国は当たり前のように言論統制がまかり通っている国なんでしょうか?』
この記事について、コメントいただいたこてくんさんは、
『オフレコは容認できないし、それ以前に書かない会社が終わっているのに・・・・・。』
と同意してくれています。
多分、大多数の方はそう思っているのではないかと思います。
もうひとつコメントをいただきました。
じいさん(?)という方からです。遅くなりましたが、ありがとうございます。
初めての方でしょうか?ずっと見ていただいてる方でしょうか?
いろいろ考えさせられたので再度ここに紹介させてもらいます。
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オフレコ発言の真意は、あそこに同席していた普通の感覚をもっている取材陣なら、悪意あってのことではないと理解できていたはずです。だから報道しなかったと見る方が常識的な見方です。東北放送は子供じみたミステイクをしたと思っています。彼らが編集した切り貼りの映像ではなく、あの席で交わされた全てのコトバ。また震災以降に開かれている松本大臣の記者会見や知事側が進めている特区の問題点を理解していれば、騒ぐべき性質のものではない「蛇足」だと判断する方が常識的なスタンスです。第一、オフレコ発言よりだいぶ前に、ここからはマスコミは退室してください、という場面にさしかかったにもかかわらず、いやいやこのまま取材してもいいよ、とオッケーを出して取材を続行させてくれたのは、大臣その人なんです。
あのオフレコうんぬんは村井知事が叱責されている様子を映してしまうと知事のイメージが悪くなるからという、ただそれだけのことから出たコトバでした。脅迫的表現も、ある種の「お遊び」です。この後の騒動の中、したり顔のテレビコメンテーターや司会者などは、知事が遅れて入って来たのはマナー違反ではないというもっともらしい意見を言っていましたが、あれは間違いです。通常とおりの正しい姿勢より、重大事における自分の気持ちを見せる方が、あの場面では大切だったんです。ケースバイケース、何を優先させるのか。それが外交センスなんです。知事も痛い思いをして勉強をしたのでしょう。後任の平野大臣が1週間後に、それも遅刻して来た時は、カタチ通りの「マナー」などを重視せず、自ら出迎えていました。恩師にいわれたか、親父さんに叱られたか。忘れていた大切なことに気付いたのではないでしょうか。
あの時の本当のミステイク。実は村井知事がしてしまったのであり、情況を冷静に判断できなかった東北放送だったのだと感じています。もちろん、あれはジャーナリズムでもなんでもなく、ただの週刊誌的ゴシップをお茶の間に提供しただけです。あのフライデーのような市民ウケする安直な映像により特区構想の不備というジャーナリズムが伝えるべき本質が隠されてしまいました。
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このコメント、このように論理的に説明されてしまうと、とてもわかりやすいし、ああ、そうなのか、実はそういうことだったのか、と納得してしまいます。
大臣は親分肌だけど、本当は優しい人で、知事のことを思っての言動だ、そういう空気も読めない知事の方が問題だ、などという話もネット上ではいくつか目にしていました。
しかし、(統計を取ったわけではないからよくわからないけど)大部分の人には上記のようなことが伝わってはおらず、僕が上記2つの記事で書いたような理解しかしてないと思われます。
もし、じいさんのご指摘が事実であるなら、取材したメディアはなぜそのように伝えてくれなかったのでしょうか。
東北放送が安直な報道の仕方をしたのであれば、他のメディアは、そうではなく、事実はこういうことだ、となぜ言わないのでしょうか?
誰が悪いということではなく、大人だから冷静に騒がず、ということでなく、うまく誤解を与えないようにうまく説明してほしかったです。
我々の捉え方が、いわゆる子供じみていて馬鹿げたものであるのなら、なおさらメディアはことの本質や大人の判断を伝えてくれてもいいのではと思ってしまいます。
そこにメディアの価値があるでしょうし、そういう報道をすることこそメディアの役割ではないかと思うのです。
《震災以降に開かれている松本大臣の記者会見や知事側が進めている特区の問題点を理解していれば、騒ぐべき性質のものではない「蛇足」だと判断する方が常識的なスタンスです。》
大人のメディアの常識としてはそうなのかもしれませんが、我々は(僕だけかな?)騒ぐべき性質かどうかも何もわかりません。
想定外とはいえ、あれだけ騒ぎになったのだから、ことの本質はこうでした、だから騒ぎませんでした、と言ってほしかったです。
じいさん、すみません。
ここで反論しようなどというつもりは毛頭なく、あの事件(?)に対する僕の理解は前回の記事に書いたことなので、そうではない事実があればぜひ知りたいなあ、というのが本音です。
そして、そういう知りたい(裏の)(本質の)事実がもしあるのであれば、ぜひ伝えてほしかったと思うわけです。
そんなこと、たいした問題じゃないのでバリューがない、伝える意味はない、テレビ局としてメリットがない、ということになると、これは、テレビの公共性の問題になってきます。
このことについて書かれているブログをご紹介します。
テレビ局は営利企業か、それとも公共性があるのか
難しいですね。公共性ということ。
いろんな人がいていろんな意見があるので、今回の原発保障問題とか、義捐金の分け方とか、公共性に基づき、できる限り公平に、というのは簡単だけど、実際にやるとなるととてつもなく難しいので、何かしらの考え方、指標を設定してそれに沿ってやるしかない。
この問題を知りたがってる人が何%いるか、バラエティを見たがってる人が何%いるか、すべてがデータや多数決で決めればいいというわけでもないし、そんなこともいちいちできやしない。
松本元大臣は今頃どうしていて、あのことをどう思っているのでしょうか?
もし今、このことを白日の下に晒すことがいろいろまずいことがあるのであれば、少し時間経ってからでもいいので、あの時の言動の真意や事実を知りたいと思っています。
テレビは視聴者に逆らえません。視聴者が離れたらスポンサーも離れます。だから、視聴率が何よりも大切です。あの流れのなかでオフレコ発言に触れずに通していたとしたら、世論からやり玉に上げられるのは必至です。特にユーチューブなどは目を覆うばかりの表現で攻撃をします。まさに火を焚き付けるかのような印象です。そんな情況だからバラエティの司会者もコメンテータも世論ウケするコトバを発信します。世論とテレビはまるで一心同体になるかのような、誠に奇妙な共同体を形成してゆきます。このような時、視聴者側として注意をしておかなければいけないことは、テレビやネットにでてくる評論家や知識人は、視聴者を絶対に批判しないということです。たとえ視聴者にその責任や原因があっても、視聴者に対して世論が少しおかしくなっている、などの意見は、伝えません。彼らにとって、視聴者は絶対なのです。マスコミにとって崇めるべき王様は、視聴者なんです。だからテレビの前でパソコンの前で、裸になっても王様を気取っている視聴者に、あなた、裸ですよ、それでは恥ずかしいですよ、とは口がさけても言わない。これは視聴者にとって、とても恐いことなのであり、だからこそ視聴者は足元を見つめ、冷静にメディアと付合って行く姿勢が必要になってきます。
わたしは世論のひとりです。わたしは今回の映像を見て、大変な疑問を感じました。そしてネットで資料を調べました。大臣の仕事についての資料。知事の進める特区についての資料。わたしは特別なことはしていません。パソコンを使えば誰もがアクセスできる資料を閲覧しただけです。情報を得てひとつひとつの事柄を咀嚼すれば、真実に近づくのは自然の結果です。何が正しく、間違っているのかは、テレビやマスコミは、わざわざ教えてくれません。逆に彼らはわたしたちを見ているのです。わたしたちが何を望んでいるかを注意してウォッチしている。そして今回、ネタを提供してくれた。知識や情報がなくても見た目や雰囲気で大臣批判ができる。世論にとって代議士は安心して批判できる格好の獲物です。わたしたちは喜んで批判を集中した。
鏡の中の自分。それがテレビが提供してくれる喜びのコンテンツ。テレビが伝える事柄は、視聴者の中のひとりの自分が欲しているもの、と考えるべきだと思います。今回は、復興に関する真実を知りたい自分より、大臣の態度を批判したい自分がいた。絵づら的にムカつく代議士がそこにいた。難しい復興ネタを考えるより胸のすく大臣批判を選択した。そんな世論の感情をテレビは敏感に察知し、迎合して報道した。いやいや視聴者のみなさん本当はこうなんですよ、などというのはリスクが高く、至難の技です。世論の「熱」というのはそうゆうもの。海の向こうでは暴動にまで発展するし国内ではテレビコンテンツを批判するデモにまで発展する「熱のチカラ」があるんです。
なぜメディアがそれをしなかったのか。それは視聴者がそれを望まなかったからと考えるのが、正しい回答だと思います。わたしたちはメディアにとって、とても大切なお客様であることを認識すべきだと思います。メディアの公共性とおっしゃられますが、NHKは当初、公共性を発揮したと思っています。しかし、視聴者がその公共性を批判し、大臣批判の東北放送を正しい姿勢だと誉め讃えた。物事のディティールを知るチャンスはいつだって視聴者側にあります。その気になれば、すぐに調べられる。公共性や世の中の正義は、メディアから与えられるのもではなく、視聴者、世論が作り上げて行くものです。大臣批判を正義とするひとりひとりがこの現実を見つめ考えなければメディアを含めた公共性のクオリティは変わりません。
確かに、テレビやマスコミは視聴者(大衆)の意向に逆らうようなことはできません。
権威者の落ち度を突いて叩けば、大衆受けを狙うのが常套です。
さて、今回の件ですが、確かにNHKの報道は東北放送の報道の前後では、その内容や方向性が大きく変化しました。
NHKの当初の報道が、恫喝云々が報道に不必要と考えてのことなのか、権威の圧力を考慮したのかは私にはわかりません。
また、NHKの報道が変化したのは、大衆の意向に迎合したのか、恫喝が明らかになったのを報道しないと、「隠した」と判断されるのを恐れたためかも、よくわかりません。
それはともかく、マスコミは大衆に逆らえないという制限はあるものの、世論をコントロールする力があります。テレビで報道されたことは、絶対的な事実と受け取られます。
マスコミが流す映像や音声は当然、事実ですが、編集(取捨選択)によって、そこから受けるイメージやメッセージは大きく異なってしまいます。問題発言の部分だけ報道されるのと、その前後の流れを知っているのとでは、その言葉の印象や解釈は、かなり差があると思います。
視聴者はその辺を判断できる材料をほとんど持っておらず、マスコミから提供される事実?から判断せざるを得ません。(ネットで情報を得られますが、そこまでしない視聴者は多いと思います)
なので、マスコミは大衆に逆らえないという制限がありますが、初期の報道はできるだけ主張をはさまず、できるだけ情報のみを知らせていただきたいです。
また、視聴者は受ける情報に偏りがあります。通常の視聴者は、同時に多方面からテレビの情報を得ようとはしません。なので、最初に受けた情報によって、先入観が形成される可能性が大きいです。なので、当然、先走った報道はあってはなりません。
かと言って、最初の報道が視聴者の観念を固定するかというとそうではなく、気になる報道なら、続報を待ち、より詳細な情報を得ようと考えます。また、マスコミも当然、ニュースの価値高めるため、より多くの情報を得、報道します。視聴者も新しい報道のほうが信憑性が高い考え、事件を判断します。
確かに、大臣(権威)叩きですっきりしたい。そういう欲求を持つ視聴者も多いでしょう。ただ、そういう欲求に応えるのみがマスコミに求められるものではないと思います。真相はどうなのか知りたい。そういう視聴者だって多いはずです。
今回、私は大臣の横暴さの映像を見て、憤慨し、更迭は当然だと思いました。大臣のあの発言に至る背景がいかなるものであっても、あの発言や態度には批判を捨てることはないと思いますが、それでも、世間に媚を売った「大臣叩いてすっきりしよう」という報道ではなく、細かい経緯、事情を知りたいです。
卵(大衆)が先か、ニワトリ(マスコミ)が先かという問題に似ていますね。大衆に逆らえとは言いませんが、公平な目での報道を求めます。
何もなければ、中央から金をせしめてくる程度の人間じゃないか。
その程度の人間が、何を大口叩いているんだろうか。
すっかりレスが滞っていて申し訳ないです。
お盆ということもあり、いろいろ仕事が忙しいということもあり、またまた(軽い)ぎっくり腰ということもあり、なかなか筆が進みません。
というか、この問題については特にじいさん、英さんからしっかりとした長文の意見をいただいたこともあり、気軽にサクっとなんかレスできず、毎日毎晩どのように考えてどのように書こうか、長考中という状況です。もうしばしお時間ください。
申し訳ありません。