前々から教会の青年からもらっていた宣教師物語を、
今日通勤バスの中で見た。
目の疲れが一気に取れそうな、アマゾンの緑を見るだけで、
はじめからこの映画に引き込まれる。
ノンフィクションであることが、さらに感動を大きくする。
宣教師が血を流した地には、必ず神が働かれ、
その血が無駄にならないよう奇跡を起こしてくださることを、
改めて感じた貴重な映画だった。
映画に出てくるセリフの中で、特に胸を打たれたセリフを紹介する。
父(Nate Saint)と息子(Steve)が、最後のお別れになる父の飛行直前に交わした会話。
「お父さん、ワオラニ族が攻撃したらどうするの?鉄砲は撃つよね。」
「Steve、僕たちはワオラニ族に鉄砲は撃てないよ。なぜなら、彼らは天国に入る準備がまだされていないから。僕たちは準備されてるけど。」
最後に、ワオラニ族が成人したSteveに、父を殺した犯人は自分だ。この槍で自分を殺せと、叫んだとき、
「父は誰からもいのちを奪われたのではない。自分でいのちを捧げたのだ!」
と放つセリフ。
本当に名セリフでした。
次は、映画のあらまし。
(http://japanese.hcjb.org/Messages/Archives/20060128.html より)
うっそうと繁るエクアドル東部ジャングル。そこには蛮族のなかで最もどう猛 といわれるワオラニ族が住んでいます。彼らに「神の愛のメッセージ」を伝え ようと5人の青年宣教師が立ち上がりました。最初は小型機で空から呼びかけ ながら物資を投下するなどして友好関係を結んだのですが、クラライ川沿いに 砂地をみつけて着陸してまもなく、ジャングルの茂みから突如襲ってきたワオ ラニ族の毒槍に5人とも倒れます。今から50年前、1956年1月8日の出 来事でした。この衝撃的なニュースはただちにHCJB放送局から短波にのせて全 世界に伝えられ、もうだれの目にもワオラニ伝道作戦は失敗に終わったとしか 映りませんでした。あれから半世紀、殉教した宣教師物語が後日談をふくめて 映画化され、アメリカ全土の映画館で上映されることになりました。(日本公 開は未定。原題:End of the Spear)
この映画は、小型機のパイロットNate Saintの長男で当時8歳だったSteve の 回想ナレーションでストーリーで展開します。宣教師たちが毒槍で殺されたあ と、Nateの実姉Rachelや宣教師未亡人のElizabeth ElliotとMarj Saintが子供 たちを連れてワオラニに入り、夫を殺した本人やその家族といっしょに住 みはじめます。ワオラニ族は宣教師家族と寝食をともにすることで、自分たち の「殺さなければ殺される」報復の生き方ではなく、「ゆるし」による愛と喜 びの生活があることに気づくのです。彼らの目には、あの日、毒槍に囲まれな がらピストルを上に向けて発射した宣教師たちの最期の姿がしっかりとやきつ いていました。ポリオ(小児麻痺)がジャングルを襲ったとき、ワオラニ族が 仇敵に救いの手を差しのべたことから、部族間の冷えきっていた関係が氷解、 毒をぬられた長い槍は彼ら自らの手で折られます。
映画のラストは、Steveが父親を殺したワオラニ族とクラライ川で再会する劇 的シーンです。「父親を殺した張本人の俺を殺したいだろ。さあ、この槍で突 け! 俺がいのちを奪ったのだ!」そのときSteveは、その槍をかまえて相手 に突きつけながらこう叫びます。「父は誰からもいのちを奪われたのではな い。自分でいのちを捧げたのだ!」殉教者の血で染まったクラライ川の水は、 ワオラニ族に洗礼をさずける水となり、さらに、父親を殺された子供たちも、 同じ川の水で、ワオラニ族から洗礼をうけるのです。HCJB番組に出演した Elizabethさんはこう語りました。「神は、無限で、測り知れない方で、その 方のなさることを私たちは頭で理解することなど出来ません。私たちにできる ことは、その方を信頼することだけです。神が私たちになさることは、神ご自 身がすべてをご存知だからです。」クラライ川は、悲しみも喜びも川面にたた えながら静かに流れていきます。秘境に散った5人のいのちは、憎しみを愛 に、争いを平和に変えました。神の愛を知った今、熱帯雨林には無謀な殺し合 いの恐れから解放されたワオラニ族の明るい賛美がこだまし、草葺きの家から は感謝の祈りやあどけない孫たちの元気な笑い声がきかれるようになったのです。
今日通勤バスの中で見た。
目の疲れが一気に取れそうな、アマゾンの緑を見るだけで、
はじめからこの映画に引き込まれる。
ノンフィクションであることが、さらに感動を大きくする。
宣教師が血を流した地には、必ず神が働かれ、
その血が無駄にならないよう奇跡を起こしてくださることを、
改めて感じた貴重な映画だった。
映画に出てくるセリフの中で、特に胸を打たれたセリフを紹介する。
父(Nate Saint)と息子(Steve)が、最後のお別れになる父の飛行直前に交わした会話。
「お父さん、ワオラニ族が攻撃したらどうするの?鉄砲は撃つよね。」
「Steve、僕たちはワオラニ族に鉄砲は撃てないよ。なぜなら、彼らは天国に入る準備がまだされていないから。僕たちは準備されてるけど。」
最後に、ワオラニ族が成人したSteveに、父を殺した犯人は自分だ。この槍で自分を殺せと、叫んだとき、
「父は誰からもいのちを奪われたのではない。自分でいのちを捧げたのだ!」
と放つセリフ。
本当に名セリフでした。
次は、映画のあらまし。
(http://japanese.hcjb.org/Messages/Archives/20060128.html より)
うっそうと繁るエクアドル東部ジャングル。そこには蛮族のなかで最もどう猛 といわれるワオラニ族が住んでいます。彼らに「神の愛のメッセージ」を伝え ようと5人の青年宣教師が立ち上がりました。最初は小型機で空から呼びかけ ながら物資を投下するなどして友好関係を結んだのですが、クラライ川沿いに 砂地をみつけて着陸してまもなく、ジャングルの茂みから突如襲ってきたワオ ラニ族の毒槍に5人とも倒れます。今から50年前、1956年1月8日の出 来事でした。この衝撃的なニュースはただちにHCJB放送局から短波にのせて全 世界に伝えられ、もうだれの目にもワオラニ伝道作戦は失敗に終わったとしか 映りませんでした。あれから半世紀、殉教した宣教師物語が後日談をふくめて 映画化され、アメリカ全土の映画館で上映されることになりました。(日本公 開は未定。原題:End of the Spear)
この映画は、小型機のパイロットNate Saintの長男で当時8歳だったSteve の 回想ナレーションでストーリーで展開します。宣教師たちが毒槍で殺されたあ と、Nateの実姉Rachelや宣教師未亡人のElizabeth ElliotとMarj Saintが子供 たちを連れてワオラニに入り、夫を殺した本人やその家族といっしょに住 みはじめます。ワオラニ族は宣教師家族と寝食をともにすることで、自分たち の「殺さなければ殺される」報復の生き方ではなく、「ゆるし」による愛と喜 びの生活があることに気づくのです。彼らの目には、あの日、毒槍に囲まれな がらピストルを上に向けて発射した宣教師たちの最期の姿がしっかりとやきつ いていました。ポリオ(小児麻痺)がジャングルを襲ったとき、ワオラニ族が 仇敵に救いの手を差しのべたことから、部族間の冷えきっていた関係が氷解、 毒をぬられた長い槍は彼ら自らの手で折られます。
映画のラストは、Steveが父親を殺したワオラニ族とクラライ川で再会する劇 的シーンです。「父親を殺した張本人の俺を殺したいだろ。さあ、この槍で突 け! 俺がいのちを奪ったのだ!」そのときSteveは、その槍をかまえて相手 に突きつけながらこう叫びます。「父は誰からもいのちを奪われたのではな い。自分でいのちを捧げたのだ!」殉教者の血で染まったクラライ川の水は、 ワオラニ族に洗礼をさずける水となり、さらに、父親を殺された子供たちも、 同じ川の水で、ワオラニ族から洗礼をうけるのです。HCJB番組に出演した Elizabethさんはこう語りました。「神は、無限で、測り知れない方で、その 方のなさることを私たちは頭で理解することなど出来ません。私たちにできる ことは、その方を信頼することだけです。神が私たちになさることは、神ご自 身がすべてをご存知だからです。」クラライ川は、悲しみも喜びも川面にたた えながら静かに流れていきます。秘境に散った5人のいのちは、憎しみを愛 に、争いを平和に変えました。神の愛を知った今、熱帯雨林には無謀な殺し合 いの恐れから解放されたワオラニ族の明るい賛美がこだまし、草葺きの家から は感謝の祈りやあどけない孫たちの元気な笑い声がきかれるようになったのです。
すてきな映画ですね。
ぜひみてみたいですー。