五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

玄奘さんの御仕事 其の四拾弐

2006-05-03 14:39:51 | 玄奘さんのお仕事
■寿命が尽きて鳩摩羅什に会えなかった道安さんでしたが、その弟子達が立派に師匠の意志を継いで見事な業績を残しましたが、もう1人鳩摩羅什さんに会えなかった同時代人が居ます。それが法顕さんです。旅に出たばかりの法顕さんと鳩摩羅什さんは、河西回廊の武威という城塞都市の外と中で擦れ違った事は前に書きましたが、この二人が間接的ながら接触する事になるのです。その縁結び役を果たしたのがブッダバドラ(仏陀跋陀羅)という釈迦族の末裔と言われる北インド出身の僧です。359年生まれで429年に入寂していますが、17歳の時に出家して西北インドでブッダセーナの指導を受けて、戒律と座禅に優れた僧として有名になっています。そこへ智厳という中国僧がやって来たそうです。ブッダセーナが運営する教団の様子にすっかり感動した智厳さんは、指導者を推挙して貰って中国に本格的な仏教を広めて欲しいと懇願しますと、それならブッダバドラ以外に適任者は居ないという事に決したそうです。

■智厳さんに案内されたブッダバドラは、海路を取って法顕さんより一足先に山東に到着します。既に鳩摩羅什さんの高名はその地にまで響いていたので、直ぐに長安に向ったブッダバドラは鳩摩羅什さんと意気投合して大いに仏教の真髄を語り合ったそうです。15歳年上だったにもかかわらず、厳格な修行者であったブッダバドラに指導を仰ぐ事も有った鳩摩羅什さんでしたが、これが後に二人の間に距離を生み出してしまいます。呂光の愚かな悪戯で破戒・還俗した鳩摩羅什さんは、戒律厳守の寺院生活は続けられないので、王が用意した住居で暮らしていたのですが、国王の姚興は尊敬する余り、鳩摩羅什さんのDNAを沢山保存しようと考えて、無理矢理娶わせた妻だけでは足りないとばかりに、10人の美妓を側室として送り込んでいたのだそうです。既に破戒した身分で経典の翻訳と講義を続けていた鳩摩羅什さんにとって、寺院は単なる仕事場でしかなかったのです。

■ところが、戒律と座禅の専門家として日々厳格な修行生活を続けているブッダバドラさんは、調子に乗って戒律に抵触するような便宜を図ってくれる姚興が提供する宴席や食事も拒否して、戒律通りに鉄鉢を持って市中を乞食托鉢して歩く毎日だったようです。世俗の大学教授のような暮らしをしている鳩摩羅什さんの評判が非常に高かった事と比較すると、ブッダバドラさんの姿は何だか鳩摩羅什さんや国王に対する意地の悪い、当て付けのポーズのような印象が強かったようです。3000人と言われた道安さんが残した弟子達の中に派閥が生まれて、最後はブッダバドラ支持派の弟子達は生命の危険を感じるほどになってしまったので、ブッダバドラは40人ほどの弟子を伴って長安を去る事になります。

■盧山で厳格に戒律を守って修行していた慧遠さんの元に滞在して『達摩多羅禅経』を翻訳したりして慧遠さんと意気投合していたそうですが、東晋を倒して宋を建国したばかりの武帝劉裕に招かれたので、都建康(南京)に移ります。そこに用意された座禅道場で弟子の指導に当たっている間に法顕さんが帰国するのです。『摩訶僧祇律』などの戒律関連の書物を翻訳するのに、ブッダバドラは適任でした。法顕さんはインドに行った甲斐が有ったと満足して生涯を閉じたことでしょう。一方のブッダバドラの方は中央アジアのホウタンから支法領という僧が運んで来た『華厳経』60巻を翻訳して漢訳仏典の歴史にその名を刻みました。3年以上の時を要したと言われるこの訳業は、法顕さんが持ち帰った仏典の翻訳と同時に進められたようで、421年に完成しています。

■法顕さんは高齢であった事と、このブッダバドラとの出会いによって、長安まで出掛けて鳩摩羅什さんと会う必要は無かったのかも知れません。中国が南北朝時代に入る頃の話です。北は鮮卑系の北魏、南は宋から斉・梁・陳と変遷して行く南北朝の入り口で、北朝の都と南朝の都とに、鳩摩羅什と法顕が生き、その間をブッダバドラが結んだという御話でした。この壮大な擦れ違いと出会いの物語と玄奘さんとの間には、真諦という巨大な存在が挟まっています。この困難と挫折に満ちた生涯を送ったインド僧は、まるで玄奘さんの姿を鏡に映した像のように思えます。100年という時を間に置いて、一方は膨大な経典を海路を使って中国南部に運び込みながら動乱の中で訳業を完成させられず、もう一方は陸路を取ってインドに経典を求めて往復して安定期に膨大な経典を翻訳したのでした。

■この二人の巨人を結び付ける面白い王様が居ました。南朝の梁に君臨した武帝です。その御話は次回に……。


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2 コメント

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含蓄が深いですね (ののすけ)
2006-05-17 17:06:47
「玄奘」でサーチしながらここにたどり

着きました。すばらしい含蓄ですね…

これからじっくり読ませていただきます
ののすけさんへ (旅限無)
2006-05-19 06:36:05
いらっしゃいませ。なかなか先に進めず、読者の皆様には大変に御迷惑をおかけしているのですが、こうして新たな読者の来訪は大歓迎でございます。まだまだ、お話は続いて行きますので、末永くお付き合い下さいませ。