旅限無(りょげむ)

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北京五輪の内と外 その弐百参拾八

2008-05-21 11:25:17 | チベットもの
■次は医療チームが現地に向かうそうですが、こちらの方は時期よりも規模が問題となりそうです。つまり、レスキュー隊は遅過ぎて残念ながら失敗、医療チームは小規模過ぎて納得の行く救護活動が出来ずに失敗する可能性が高いようです。報道によりますと「20人」規模のチームが送られるとのことですが、相手は数百万人の被災者ですぞ!今の段階なら「3分間の黙祷」で済ませられるのかも知れませんが、五輪大会の本番となれば、参加選手はどんな形でお見舞いと追悼の意を表せば良いのでしょう?

■日本の某高校で、生徒指導に熱心なあまり遅刻した生徒を鉄製門扉に挟み込んで圧死させてしまうという痛ましい事件が起こったことがありました。その時、ちょうど定期テストの期間に当たっていたとかで、その高校の校長先生が、死亡した生徒の分も「よい点数を取りましょう」と全校生徒を集めて訓示したのが大問題になったのを思い出します。北京政府のことですから、五輪大会で「たくさんのメダルを獲得することが、何よりも被災者を元気付ける」ぐらいの事は言いそうですなあ。メダルより水と食糧と医薬品、そして住宅が必要なのですが……。

■槍が降ろうと地面が割れようと、断固として強行される聖火リレーに関して、ちょっと気になる報道がありましたぞ。


中国南部・広東省の地元紙「南方都市報」(電子版)は9日、同省広州市で7日に北京五輪聖火リレーが行われた際、沿道の草木が踏み倒され、ゴミが散乱……。中国国内の聖火リレーは、チベット暴動鎮圧に抗議して妨害行為が相次いだ海外と異なり、管理された「愛国主義」による祝賀ムード一色の中で展開されているが、マナーの悪さまでは完全に統制できないようだ。……観衆の中には、鉄柵を曲げて植え込みに入り、草を踏み倒し、沿道の木に登る者が相次いだ。リレー終了後は、辺り一面に、折れた苗木の小枝や、声援を送る際に使った無数の紙製の中国国旗、ゴミなどが散乱。翌日、わずか100メートルの距離で集めたゴミは車2台分になった。
5月10日 読売新聞

■日本で聖火リレーが行われた長野市でも、外の海外諸都市でも、抗議活動の一環として雪山獅子のチベット国旗を振った人達の中で、その場に旗を捨てて帰った人は居なかったのではないでしょうか?日本国内でも、賓客を迎える時に紙製の日の丸を振りますが、歓迎式典が終わったらその辺に放り投げたりせず、記念に持ち帰るか回収の担当者に渡すのではないでしょうか?長野市やソウル市で、立派な武器に変じて大活躍?した巨大な五星紅旗は「配給主」の元に返却されたのかも知れませんが、宣伝用に動員されて沿道で紙製の五星紅旗を振らされる人達の心情が、ゴミとして地面に捨てられ踏みつけられている国旗に如実に現われているようですなあ。

■「加油、中国!」の掛け声も、単なる騒音なのかも知れませんなあ。五輪大会が始まったら、北京市内の競技会場周辺は、同じ様に紙製五星紅旗が大量に投げ捨てられ、せっかく急造した飾りや一見清潔な設備もあっと言う間にぼろぼろになるのでしょうなあ。巨大な設備の群が、全部、大きなゴミにならない事を祈りましょう。

■聖火リレーもチベット問題も、パンダ大震災が発生して以来、すっかり忘れ去られている感がありますが、胡錦濤主席の来日前に始まった「対話」の行方をしっかりと見据えておかねばなりません。まあ、五輪大会前に劇的な展開などは望めないにしても……。


ドイツのウィチョレクツォイル経済協力開発相は19日、欧州歴訪中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世とベルリン市内のホテルで会談した。会談には在ベルリン中国大使館が先週、独外務省に遺憾の意を伝えていたが、反対をあえて押し切った。中国政府にチベット問題で軟化を求める狙いとみられる。……会談後、「私は政府の代表としてダライ・ラマと会談した。人権問題の当事者と対話することは、ドイツ開発政策の本来的な課題だ」と語った。中国政府に配慮する慎重派の批判には「策をろうすることは、チベットの人々やダライ・ラマに失礼だ」と反論した。

■何処かの政治家やマスコミ関係者に聞いて欲しい発言ですなあ。何度も来日しているのに首相も大臣も会わないし、今回のチベット騒乱が始まっていた時期に来日されても成田空港に缶詰にして、忘れられたようま前総理の奥さんしか会見しないなんて、本当に「失礼!」です。


会談実現は、昨年9月に首相府にダライ・ラマを迎え、中国の反発を買ったメルケル首相の意向とみられる。昨秋以降、中国政府は中独の閣僚級会談を繰り返し拒否する事実上の報復措置を取ったが、メルケル首相はダライ・ラマとの対話を将来も続けると明言していた。

■日本の歴代内閣は「対話を将来も行わない」ことを暗黙のうちに決定しているようなものですが、この奇妙な暗黙の外交方針を、いつまで継続して行こうと思っているのか?変更する可能性の有無さえ分からないというのは情けない話です。そもそも、日中国交正常化の交渉を始めた田中内閣が、北京政府も驚くほどあっさりと台湾との国交を断絶して「一つのチャイナ」を手放しで承認してしまってから、日本のアジア外交は急旋回して失速?したようなものです。田中角栄さんが訪中したのは、チベット亡命政府が置かれてから10年以上が経過していたのに人権問題には一切触れず、福田パパ首相が条約を結んだ時にも交渉は北京政府のペースで進められたのでしたなあ。
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