旅限無(りょげむ)

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ダライ・ラマ法王が訪米 其の七

2010-02-13 15:46:22 | チベットもの
■米中関係が怪しい雲行きになっているというのに、日本では上野動物園にパンダがやって来る!という話が大ニュースになっているとか……。「パンダなんか要らんぞ」と啖呵を切っていた石原都知事が、五輪誘致運動の一環なのか、はたまた新政権を牛耳っている不起訴幹事長からの要請があったのかは分かりませんが、レンタル料を値切って繁殖目的でパンダのつがいを借りることにしたそうですが、ダライ・ラマ法王が来日する予定が明らかになった時にも、マスコミは同じくらいの扱いをして欲しいものです。

ダライ・ラマは2003年以降、チベット独立を希求する従来の方針を転換し、中国指導部との対話による問題の平和解決を目指す中道路線に転じた。しかし、直接対話は実現せず、「特使による予備協議でも成果も進展もない」(チベット亡命政権筋)。このため、ダライ・ラマは会見で、「国際社会はチベットへ、そしてウイグル(新疆ウイグル自治区)に行き、真実を見極めてほしい」と話し、国際社会がチベット問題に対する関与を強めるよう強く訴えた。

■ウイグル騒乱が起って間もない来日でしたから、このような発言も出ましたが、日本の多くのマスコミはこの切実な提案に同調した様子は見えなかったらしく、情報管制の厚い壁を破って「真実」を伝えてくれたテレビ番組や新聞記事は無かったようです。まあ、純粋に学問的な共同研究を日中両国の歴史学者が行なっても、現代史を扱った部分は非公開にしてしまうような国ですから、「真実」が明るみに出るには気が遠くなるほど長い時間が過ぎるか、お家芸になっている血生臭い政権交代でも起らない限り無理なのでしょうが……。

■さて、お話は訪米が本決まりになる前に起っていたダライ・ラマ法王のインド訪問の話の続きです。


ダライ・ラマの訪日は今回で13回目。(11月)7日に離日してインド・ニューデリーに戻った後、中国が領有権を主張し、中印間の火薬庫となるインド北東部の国境地帯に入る。亡命政権筋によると、訪問目的はアルナチャルプラデシュ州タワンで行う「支持者向けの法話」で、現地入りは10日前後となる見通しという。
2009年10月31日 産経新聞

■このインド北東部に足を踏み入れることに関しても北京政府は盛んに文句をつけて騒いでおりました。歴史を掘り返せば現代に中東問題を残した大英帝国がインドを支配していた1914年に開かれたシムラ会議で決まった一本の国境線が紛争の発端になっているのですが、インドとチャイナにはこのアルナチャルプラデシュ州と北部のカシミール地方アクサイチンという領土問題が残っています。アクサイチンの方はほぼ無人の山岳地帯で鉱物資源も見付かっていない3万8千平方キロの土地ですが、1962年に中印紛争が勃発した記念すべき?場所でもあります。

■一方のアルナチャルプラデシュ州はブータンの東隣で中東問題のタネを撒いたマクマホン卿が秘密裏にチベット(チャナイではありません)とインドとの境界線を押し付けてインドの州になった歴史的な経緯があります。国民幸福度とか何とか、味気ないGNPに替わる国力を測る尺度が少しばかり話題になったことがありまして、ブータンは世界で一番幸福度が高いというので、テレビ番組でも熱心に取り上げていましたが、あまりブータンがチベット仏教文化圏に入ることには触れたがらなかったようでした。

■ブータンの人たちが幸福感に満たされて暮らせるのは、宗教に根ざす独特の死生観を持っているからでしょうし、日本も仏教と言われているはずなのに、どこが違うのだろう?と考える大切な材料になる話なのですが……。

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