旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

どちらもお気の毒様 其の参

2005-09-06 12:38:01 | 社会問題・事件
其の弐の続き

■9月2日になって、ハリケーン禍の傷跡の深さが明らかとなり、それと同時にこれからますます状況が悪化する可能性が高まっている事と、この大災害は起こるべくして起こった過去の問題までが浮上して来たようです。イラクと米国を並べてお見舞い申し上げる趣旨に従うと、イラクのユーフラテス川流域で昔ながらの湿地帯が復元されたという目出度いニュースを知ったのは8月のことでした。スンニ・トライアングルの南側に位置する大湿地帯は、シーア派の人々が漁労と農業で暮らしていた場所でしたが、クウェート侵攻事件に乗じて反フセイン運動に立ち上がったとして、報復として湿地帯の上流を堰き止めて生活を根こそぎ干上がらせるというフセインさんらしい暴挙に出ていたということです。これを海外の援助で復元したというわけです。

■米国のミシシッピ川は巨大な古代文明を生み出しはしませんでしたが、統一国家を作って行く時に物流の大動脈となっていたのでした。地図を見ればミシシッピ州とルイジアナ州は呆れるほど巨大な三角州だということが分かります。実際にあの辺りをグレイハウンド・バスで走って見ると、どこまでも真っ平なだけで山などまったく見えないので大河が作った地形であることが良く分かりませんが、今回水没したニューオリンズに辿り付くと、そこがまるでオランダの低地と同じように水に取り巻かれた都市である事が分かります。有名なバーボン・ストリートから3ブロックほど歩けばそこは、ミシシッピ川の岸辺で、そこに立つと、大きな川船が引っ切り無しに行き交っているのが見えます。川の港町の風景です。船の動きで起こる三角波が間断なく堤防を叩いています。川岸に立って、視線を後の町並みに移すと、確かに水面よりも低い土地であることが分かります。

■観光客が歩く川岸周辺のフレンチ・クウォーター地区は、少しばかり高くなっていてホテルや博物館などの公的建築物が集まっていますが、川から北に向えば土地は低くなって貧しい人達が暮らす地区が広がっているようです。今回の化け物ハリケーンがフロリダ半島を越えて接近して来た時に、夏休みでボケ気味にも見えたブッシュ大統領は、気楽に「すぐに避難して下さい」と呼び掛けたのですが、これはフランス革命直前に「パンを寄越せ!」という市民の怒りに対して「パンが無いのならケーキを食べれば良いのに……」とマリー・アントワネットが言ったとか言わないとか、何はともあれそんなトボケた助言に良く似た避難勧告だったようです。日本人の中にも、占領軍以来の刷り込みで、アメリカンと聞くと自動的に大きな家と大きな自動車、広いキッチンにでっかい冷蔵庫……と連想してしまう人が多いのではないでしょうか?

■石油産業が成長するために鉄道網を密にする政策を中断して、全土を自動車道路で覆った米国ですから、経済的な理由や健康上の理由で自動車を所有していない人々は今回のような緊急移動が必要な場合には身動きが取れないのは当然でしょう。この問題は、強引かつ中途半端に自動車社会を作ってしまった日本はもっと大変です。東京都内が最たるものですが、軽自動車も入れないような住宅街の道が沢山あるのですから、緊急自動車も入れないし近所の協力で自動車を利用する事も不可能なのですから、地震や大火などで緊急避難が必要となったら絶望的な状況に置かれるでしょう。米国は自動車が入れない道は無いので、水没したニューオリンズも車高の高い軍用車や小型のボートが集められれば救助作業も進むでしょう。

■水没したのは街路と家屋だけでなく、どうやら沢山の死体が濁った水の底に沈んでいるようです。最初は数十人の犠牲者という報道でしたが、だんだん増えて数千人規模になるだろうとの予測も出ています。行方不明者の数がなかなか確認出来ないというのは奇妙ですが、水・食料・医薬品の搬入が大幅に遅れているのはもっと不思議です。予算も人員もイラクに集中しているのが原因だろう、との意見も出ているようです。イラクでは砂漠に囲まれた廃墟の中で世界の救援を待っている人々がいるのですが、一切そうした人々の姿は報道されません。そして、ミシシッピ川流域では泥水に囲まれて多くの人が世界からの救援を求めている姿が頻繁に報道されています。何だか不平等ですなあ。イラクをぶっ壊し続けている米国が、水で破壊されたというのは因縁話めいています。

■今回、多くの日本人が眼を疑ったのは略奪と銃の撃ち合いの風景だったでしょうが、外に国民共通の敵を決めて団結する時とは逆に、国内に致命的な打撃を受けた時の弱点が露呈しただけのことです。一見、平穏無事に暮らしているように見えても、仲良くなると人種差別や宗教的な対立の話が、隣近所から周辺都市の地名まで広がって行くものです。差別される側は、危機的状況になれば一種の復讐心に火が点いて当然のように略奪を始めますし、優位に立っている側は防御体制を取って攻撃準備に入ります。銃器に関する法律が西部開拓以来、変わっていないのですから、日本で言えば豊臣秀吉の刀狩り以前の状態がずっと続いているわけです。余りの略奪の激しさと、警備陣に対する発砲事件の続発で、9月2日には州知事命令で「略奪犯は見つけ次第射殺せよ」ということになったそうです。何だか、ファルージャのテロリスト狩りがそのまま本国に戻って来たような話です。

■日本政府(のお役人は)は被災の3日後に、テントや毛布など50万ドル分の援助物資を送ろうかと考えているようです。東京直下型大地震の訓練には丁度良い援助活動なのですから、備蓄している物を実際に送って見れば良いと思いますなあ。神戸の震災でも結構いろいろと学んだ日本政府が準備した装備やシステムが大災害に対して有効かどうか判断するのに役立つでしょう。余り大きく報道されませんでしたが、実際には神戸の震災直後から怪しげな人影が瓦礫の中を徘徊していたという噂はあちこちで聞かれました。国民を不安にすると誰かが考えて報道規制をしたのかも知れませんが、地域社会が崩壊している上にいろいろな国からいろいろな人が入り込んでいるのですから、東京で何事かが起こった時には、神戸や今のニューオリンズで起こっている略奪と同じような事が起こるかも知れません。

■今回のニューオリンズで逃げなかった人々には、移動手段が無かっただけでなく、行き先が無かったという話も有ります。日本の関東大震災が起こった大正時代には、東京は今よりもずっと小さい町だった上に、頑張って歩いて行ける場所に広大な農村地帯が広がっていて、東京都民の多くは地方から出て来た第一世代でしたから、町が崩壊した直後からさっさと「実家」に避難して飢えなくても済んだという話も有ります。何もかもが大きく変わってしまった東京が大災害をどうやって乗り切るのか、それを考える時に参考となる資料が無いのですなあ。ですから、今回のニューオリンズを他山の石とすべきなのです。東京都下でも想像を絶する振動に襲われれば堤防が決壊して水没する地域が有るのですから……。

おしまい。

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