■残留孤児の裁判の話が続きます。これは単なる老人問題でもないし、移民受け容れ問題とも違います。これさえも解決出来ないのが今の日本だとしたら、何から手を付けて学び直さねばならないのか、呆然とする思いがします。
国側は、原告が中国人と結婚して生活していたことなどから「自ら中国に残った」とも主張したが、判決は「中国人の保護を受けるか、生命を落とすかという運命の分岐点に立たされ、自らの意思によらずに取り残された」と認定した。
■今になって、「勝手に残った」という解釈が本音として飛び出して来るのは驚きです。
…旧満州などに取り残された日本人のうち、政府はおおむね13歳未満を残留孤児、それ以外は残留婦人等と規定。残留婦人は自分の意思で残留したとみなされ、以前は定着促進センターでの日本語教育を受けられなかったり、配偶者の帰国費用が認められなかったりした。94年に残留婦人や孤児のための帰国者支援法が制定された。厚生労働省によると、今年1月末までに永住帰国した孤児は2503人、婦人は3810人。……「なぜ国は早期帰国に手を出してくれなかったのか。判決は残念と言うよりも無念です」。東京地裁判決を受け、原告の鈴木則子さん(77)は記者会見で憤った。
■70年代末に沸き起こった同情と感動の騒ぎは何だったのかと、今更ながら不思議に思えます。「帰国」「祖国」「肉親」そんな大きな活字が氾濫していた時、言葉や仕事をどうするのか?当面の衣食住の問題を想像し、養父母に対する礼金や仕送りをどうするのか、短期の訓練と一時金で万事解決すると誰かが判断したのでしょうが、その人の名前は分かりません。
…判決が「政治的怠慢」を指摘したことについて、原告代理人の石井小夜子弁護士は「行政や立法府に『何とかしろ』という裁判所のメッセージとも受け取れる」と話し、国による永住帰国者への支援拡充を訴えた。鈴木さんは「中国大陸でどんな思いで生きてきたか理解されていない。私たちは日本の国民です。私たちを何者と思っているんでしょうか」と語気を強めた。「最後の最後まで日本の国に認めてもらえるようにがんばっていきたい」と話し、控訴審に望みを託した。藤井武子さん(73)も「悔しい」とだけ話し、うなだれた。厚生労働省によると、永住帰国した残留孤児らの平均年齢は04年3月末で66歳。就労者の平均月収は18万円弱。生活保護を受けている人は58%に及んでいる。毎日新聞 - 2月16日
■40代50代で、中華思想と社会主義思想の国から帰って来た人達が、当時の日本でどんな暮らしを始めるのか?それを詳細にイメージしなかったのは迂闊でした。生活保護を受けて静かに祖国の土になる時を過ごすために帰って来た人は居ないはずですし、受け入れた日本政府もそんな計算はしていなかったでしょう。では、何が欠けていたのか?と反省する事も無いまま、農村の嫁不足を外国からの嫁取りで凌ごうとする所が増えて行き、それは地方都市にも広がっている実態が、今回の滋賀県の無残な事件が教えてくれました。
■それとは別の役所が所管する外国人労働者をどっさり入れようとする動きも有るようです。職業の専門性を保証する資格や日本語能力を条件にしたら良い、という考えも有るでしょうが、戦前から日本に(無理やりかどうかは議論が分かれますが)移り住んでいる移住者の子孫が、アイデンティティの問題で心が揺れるのに上手に対処出来なかった経験も含めて考えないと、欧米がイスラムとの付き合い方に苦悩している姿は、正に明日は我が身という事になるでしょう。国を開くには、それに相応しい覚悟と準備が無ければ、後になって、かつて欧州の帝国主義を見習って頑張った揚げ句に大失敗に終わってしまった二の舞を演じる可能性が有ります。
■問題は、抽象的な夢見がちの理想論や、時代錯誤の鎖国主義では対応できない、極めて具体的で日常的です。それを旗振り役の国が大雑把な法律論で無理に対処しようとする所に摩擦と障害が生まれます。何が同じで、何が違うのか、それは食べ物の味であり、冗談の仕来りであり、死生観です。それらを下支えしているのが、言語文化だと日本が気が付いても良い頃だと思います。確かに「言葉」は人類が発明した道具です。しかし、人間はその不思議な道具に振り回される存在でもあるのですなあ。まだまだ勉強不足です。
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国側は、原告が中国人と結婚して生活していたことなどから「自ら中国に残った」とも主張したが、判決は「中国人の保護を受けるか、生命を落とすかという運命の分岐点に立たされ、自らの意思によらずに取り残された」と認定した。
■今になって、「勝手に残った」という解釈が本音として飛び出して来るのは驚きです。
…旧満州などに取り残された日本人のうち、政府はおおむね13歳未満を残留孤児、それ以外は残留婦人等と規定。残留婦人は自分の意思で残留したとみなされ、以前は定着促進センターでの日本語教育を受けられなかったり、配偶者の帰国費用が認められなかったりした。94年に残留婦人や孤児のための帰国者支援法が制定された。厚生労働省によると、今年1月末までに永住帰国した孤児は2503人、婦人は3810人。……「なぜ国は早期帰国に手を出してくれなかったのか。判決は残念と言うよりも無念です」。東京地裁判決を受け、原告の鈴木則子さん(77)は記者会見で憤った。
■70年代末に沸き起こった同情と感動の騒ぎは何だったのかと、今更ながら不思議に思えます。「帰国」「祖国」「肉親」そんな大きな活字が氾濫していた時、言葉や仕事をどうするのか?当面の衣食住の問題を想像し、養父母に対する礼金や仕送りをどうするのか、短期の訓練と一時金で万事解決すると誰かが判断したのでしょうが、その人の名前は分かりません。
…判決が「政治的怠慢」を指摘したことについて、原告代理人の石井小夜子弁護士は「行政や立法府に『何とかしろ』という裁判所のメッセージとも受け取れる」と話し、国による永住帰国者への支援拡充を訴えた。鈴木さんは「中国大陸でどんな思いで生きてきたか理解されていない。私たちは日本の国民です。私たちを何者と思っているんでしょうか」と語気を強めた。「最後の最後まで日本の国に認めてもらえるようにがんばっていきたい」と話し、控訴審に望みを託した。藤井武子さん(73)も「悔しい」とだけ話し、うなだれた。厚生労働省によると、永住帰国した残留孤児らの平均年齢は04年3月末で66歳。就労者の平均月収は18万円弱。生活保護を受けている人は58%に及んでいる。毎日新聞 - 2月16日
■40代50代で、中華思想と社会主義思想の国から帰って来た人達が、当時の日本でどんな暮らしを始めるのか?それを詳細にイメージしなかったのは迂闊でした。生活保護を受けて静かに祖国の土になる時を過ごすために帰って来た人は居ないはずですし、受け入れた日本政府もそんな計算はしていなかったでしょう。では、何が欠けていたのか?と反省する事も無いまま、農村の嫁不足を外国からの嫁取りで凌ごうとする所が増えて行き、それは地方都市にも広がっている実態が、今回の滋賀県の無残な事件が教えてくれました。
■それとは別の役所が所管する外国人労働者をどっさり入れようとする動きも有るようです。職業の専門性を保証する資格や日本語能力を条件にしたら良い、という考えも有るでしょうが、戦前から日本に(無理やりかどうかは議論が分かれますが)移り住んでいる移住者の子孫が、アイデンティティの問題で心が揺れるのに上手に対処出来なかった経験も含めて考えないと、欧米がイスラムとの付き合い方に苦悩している姿は、正に明日は我が身という事になるでしょう。国を開くには、それに相応しい覚悟と準備が無ければ、後になって、かつて欧州の帝国主義を見習って頑張った揚げ句に大失敗に終わってしまった二の舞を演じる可能性が有ります。
■問題は、抽象的な夢見がちの理想論や、時代錯誤の鎖国主義では対応できない、極めて具体的で日常的です。それを旗振り役の国が大雑把な法律論で無理に対処しようとする所に摩擦と障害が生まれます。何が同じで、何が違うのか、それは食べ物の味であり、冗談の仕来りであり、死生観です。それらを下支えしているのが、言語文化だと日本が気が付いても良い頃だと思います。確かに「言葉」は人類が発明した道具です。しかし、人間はその不思議な道具に振り回される存在でもあるのですなあ。まだまだ勉強不足です。
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