旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

親の背を見て子は育つ

2006-02-02 11:36:43 | 社会問題・事件
■「少子高齢化」と便利に一括りにしてしまいますが、「少子化」と「高齢化」は原因も対処法もまったく違う別個の社会現象です。どちらも厚生労働省が管轄している仕事に含まれるから、こんな乱暴な扱い方になるのでしょうが、一般の国民も同調するのはイカガナものか、と最近考えます。人口動態予測を3回連続して外しておいて、いよいよ追い詰められてから後手に回った政策は予算の無駄に終わっているのは、この問題の扱い方、担当部署の不適格さを証明しているのではないでしょうか?既にこの問題は、実質的には財務省の管轄に移されているようにも見えますなあ。つまり「少子化」は単純に税収の減少を意味し、「高齢化」は社会保障予算の増加を意味するので、どちらも「増税」を正当化する有力な材料となるので一括りにした方が便利なのでしょう。

■本当は社会構造の大変化を事前に予測して国家のグランドデザインを策定してからでなければ始まらないような大問題を、年度限りの予算案が組めるか組めないかの議論に矮小化するから訳の分からない話になってしまうのではないでしょうか?変な話ですが、瀬戸内海に三本も吊り橋を架けたり、無闇やたらに飛行場を建設したり、高規格の高速道路と新幹線網を意地になって完成させようとしたり、これらは全部、人口動態予測を意図的に外し続けている間に着手されたものです。「少子高齢化」が現実となれば、こうして濫造されたインフラを使う人が居なくなるのは当たり前の話ですし、立派な国家財産だと開き直る元気な人も見受けられますが、立派な物を作った瞬間からメンテナンスが必要になるというコスト意識が欠落した暴論です。

■「規制緩和」や「小泉改革」が少子高齢化の問題を解決するのに役立つのかどうか、誰も考えていないようですが、同じ時間軸上で互いに影響し合って進行する近未来の現象なのですから、真面目な予測が必要でしょう。少なくとも、ライブドア事件やヒューザー事件などが頻発したら、少子化は加速はしても解決はしないでしょうし、ホリエモンほどではないにしろ、「急成長するビジネスホテル」として持て囃された東横インが、社会的弱者を露骨に邪魔者扱いしていた事件や未解決の幼女誘拐殺人事件の続発なども、少子化を止めるよりは加速させると思われます。何をどう考えれば良いのか手掛かりが無くて困ってしまいますが、少なくとも思い付きの対策を拙速に実施したところで税金の無駄遣いか、最悪の場合は逆効果になる事を戒めるような事件が並びました。


インターネットの掲示板への犯行依頼により、長野県松本市島立の無職、野本力さん(76)が昨年末に殺害された事件で、松本署捜査本部は一日、殺人の疑いで同市里山辺に住む野本さんの孫で、無職、野本享孝容疑者(25)を逮捕した。事件をめぐっては、これまで力さんの長男の無職、富貴容疑者(49)と茨城県土浦市、派遣会社社員、片山直哉容疑者(36)が逮捕されている。享孝容疑者は富貴容疑者の長男。…三人は共謀のうえ、昨年12月30日午後0時25五分ごろから約5時間の間に、片山容疑者が実行犯となり、力さんの頭や顔を鈍器のようなもので殴り、殺害した疑い。享孝容疑者は、富貴容疑者から犯行を持ちかけられて同意。力さんは享孝容疑者に老後の面倒を見てもらおうと、多額の現金を渡しており、この中から、片山容疑者に対する殺害依頼の報酬の200万円を出していたとみられる。産経新聞 - 2月2日

■年末に老いた肉親を殺害したのは見ず知らずの「派遣社員」で、依頼していたのが無職の実の親子だったという事件です。逮捕された無職の父は、24歳で父親になっていることになります。何でも良いから子供を産ませようとするような政策は取るべきでない事が分かりますし、殺人はインターネットを使って依頼されたというのですから、IT革命には恐ろしい闇を産み落とした事も分かります。


埼玉県熊谷市のショッピングセンターに3歳の長男を置き去りにしたとして熊谷署は1日、保護責任者遺棄の疑いで、母親の無職桜庭美雪容疑者(25)と、同居の無職湯本一樹容疑者(28)=同県行田市佐間=を逮捕した。…桜庭容疑者は静岡県で夫、長男と暮らしていたが、昨年10月にインターネットのチャットで湯本容疑者と知り合い、長男を連れて家出。桜庭容疑者は「子どもの面倒を見たくなかった」と供述しているという。…2人は1月14日午後8時40分ごろ、JR熊谷駅に併設されたショッピングセンターに、桜庭容疑者の長男を置き去りにした疑い。共同通信 - 2月1日

■別の報道によれば、ネット・ゲームに熱中して現実生活を送る能力を失った果ての事件だったようです。このインターネット中毒の女性は22歳で母親になっています。小学校時代からIT技術を必須科目として教え込もうと張り切っている人も多いようですが、ホリエモン君も中学時代に通ったコンピュータ英語塾で決定的な体験をしている事も考えると、刃物を渡す前にその使い方と注意点をしっかりと教えるのと同じ教育方法が必要なのだと思い知らされますなあ。マッチやライターなど身近な「火」の扱い方を幼児に教える時に、「家の燃やし方」を教える愚か者は居ないはずです。最初に、火傷しない程度に指先に小さな火を近づけたりして、「危険」を実感させるのが親なのではないでしょうか?


新華社電によると、中国河南省林州市で1月29日に爆竹を保管した倉庫が爆発し、36人が死亡した事故で、事故調査チームは1日、男児が投げ付けた爆竹が倉庫に引火したことが原因だったことを明らかにした。男児3人が爆竹倉庫付近の寺の縁日で遊んでいた際、そのうちの1人が点火した爆竹を倉庫に投げ付けたという。同チームは、爆竹を保管した倉庫側の安全対策に問題があったとみて捜査している。時事通信 - 2月2日

■今の日本が羨むような「人口増加」に苦しんでいる隣国では、漢族夫婦は1人、少数民族なら2人の子供しか許さない政策を続けています。「小皇帝」などとも呼ばれる過保護が問題になっていますが、「火」の扱い方も教えない子育てが横行している事を窺がわせる事件です。こういうガキンチョが、コンピュータやら自動車やらを手に入れて、その内パスポートやら移民許可証なども手に入れるのですから、ご用心、ご用心。

■昔、竹下総理大臣の時代に、今では信じられない事ですが、国家予算が余ってしまったので「ふるさと創生」資金と称して全地方自治体に一律1億円の「お小遣い」がばら播かれた事が有りました。あの暴挙こそ、竹下総理大臣が実施した唯一の輝かしい業績だったのではないか?と今でも思いますなあ。何故かと言うと、地方自治体の「頭の悪さ」を余すところ無く証明して歴史に刻み付けてくれたからです!宝くじに全額を投入した町、金塊を購入した市、馬鹿みたいに長い滑り台を建設した村なども有ったようです。見事なアイデアで1億円を活用した例をとうとう聞けませんでしたなあ。


大阪市は1日までに、在籍10年以上の市議に“永年勤続”の記念として5年ごとに贈っている宝石付きのバッジを2006年度から廃止することを決めた。宝石バッジには市民団体から「議員厚遇」との批判が上がっていた。市秘書課は「市民からみて理解が得られるかどうかという視点で(廃止を)判断した」としている。市によると、宝石バッジは10、15年目がトパーズ、20年目がルビーなどと続き、1個平均約2万5000円相当。銀杯や花瓶など3万円相当の記念品や表彰状と一緒に贈呈している。2005年度は14人に贈った。宝石バッジは全廃するが「市政に協力してもらっているので、表彰そのものはあってもいい」(秘書課)として、10年と20年の2回に改め、記念品の贈呈を継続する。共同通信 - 2月1日

■「廃止」がニュースなのではなくて、こんな馬鹿馬鹿しい事をずっと続けていた事が大ニュースですなあ。旧ソ連のノーメンクラツーラでもあるまいし、宝石バッジを定期的に授与しているとは笑ってしまいます。何もせずに「10年」市議をやってれば、褒められる大阪市というのは実にユニークです。100歳の長寿を祝う制度を持っている自治体は有りますが、「長生きの市議」を表彰している所は珍しいでしょうなあ。送る方も送る方ですが、どんな顔して受け取っていたのでしょうか?こういう場所では、少年犯罪が日本一多く発生しているのだそうですぞ。日本中の笑いものになるような税金の無駄遣いをし続けて、お手盛りの勲章ごっこなどをしている議会が、少年の健全育成を考えて条例を作って下さったのだそうです。


カラオケボックスやボウリング場など夜間営業施設について16歳未満の出入りを原則午後7時までとする大阪府の改正青少年健全育成条例が1日、施行された。府によると、同様の条例を持つ43都道府県は午後10時-11時以降の出入りを禁止しており「全国で最も厳しい内容」という。違反した場合、出入りを認めた施設経営者に30万円以下の罰金が科せられる。ただし、保護者同伴ならゲームセンターを除いて午後10時までは立ち入り自由。府は当初、保護者同伴でも午後7時以降の出入りを認めないとする案を検討したが、府民に意見を公募したところ「厳しすぎる」「家族のだんらんを奪うのか」などと反対意見が殺到したため、撤回した。
共同通信 - 2月1日

■実際には、もっと微に入り細を穿った条項が目白押しらしいのですが、やはり「午後7時」と門限を区切って見せたところが大阪らしいと思えますなあ。始めから破られる事を前提としていなければ、こんな立派な条例は思いつくものではありませんぞ!大阪の2重3重の駐車違反は有名ですし、道頓堀に飛び込むな!と言われても飛び込むし、議会は無駄遣いを止めないし……。子供は親(大人)の背中と悪行を見て育つのです。子供を増やす事よりも、「良い子」を増やす工夫を考えた方が、「良い議員」や「良い教師」、もしかしたら「良い役人」まで生み出す結果を得られるかも知れませんなあ。

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60年も経てば、何でも忘れる 其の壱拾七

2006-02-02 01:17:58 | 歴史
■ドイツに振り回されていたようで、本当は米国に振り回されていたのが当時の日本、否、ペリーが来てからずっと同じなのかも知れません。

日本は、アメリカとどういう関係を結ぶのか、終始揺れて答えを出せなかった。大正期はまだ、幣原外交のように単純に対米協調していれば大丈夫と思っていた。ところが昭和に入って満洲問題、中国問題が起きてくると、アメリカも大陸利権を狙っていますから対米協調だけでは対応のしようがない。

■満洲は消えて中国東北部になってしまいましたが、日本の外交問題は当時とほとんど変わっていないようです。親米路線を堅持するのか、日中友好ムードに酔い痴れてアジアを丸抱えして善隣外交を進めるのか、両方大事だと今の総理大臣は言っているのですが、国民は誰もその発言の意味を理解してはいないでしょうし、信じてもいないでしょうなあ。要するに、「出たとこ勝負」の先送りが外交の基本なのでしょうか?


1922(大正11)年に、日英同盟を破棄してワシントン軍縮条約が調印される。……1930(昭和5)年にはロンドン海軍軍縮条約で、また日本はばっさり減らされて、アメリカの野郎、もう許せない、という感情的対立になってくる。……このロンドン軍縮会議で、東郷平八郎元帥が怒ります。欧米の流儀に従い夫人を伴っていた財部彪(たからべたけし)海相・全権代表に「軍縮交渉は戦場なんだ。カカアを戦場へ連れてゆくとは何事か」と。……東郷は、中国を念頭においていて「日本の武力が畏敬すべきものでなくなったら、東洋の平和はたちまち乱れる」といって軍縮に反対していますね。……中国問題が国際問題となり、中国がそれを自国で処理できず日英米三国をまきこむので、ここに危険があると、東郷は加藤寛治軍令部長に話してますね。

■日清・日露戦争の体験者でもあり指導者でもあったのですから、アジアの海は実感として東郷さんの中に生きていたのでしょうなあ。米国はハワイとフィリピン近海まで、イギリスはシンガポールまで、それ以上日本列島に近付くな!と東郷さんは言いたかったのでしょうが、その戦略の基本になっていた日英同盟が消滅したのですから、本当に困っていたでしょうなあ。


海軍の現場にとっては、アメリカとの戦力格差は圧倒的なんです。合理的に考えたらかなうわけないのに、なおかつ対米戦への準備を具体的に進めろといわれる。海軍の修身現役である東郷さんとしては、怒るでしょうね。

戦争に限らず、妙にビッグ・ネームになってしまった人を「終身○○」に祭り上げるのは、ずっと重い責任を押し付けるのですから、残酷な話です。あの人も解放してあげていれば、良かったのに……


イギリスは、アメリカのものすごい興隆を見て、あるときにはっきりと「対米戦争絶対不可」を国策とします。そうなると、日英同盟はもう廃棄するしかなかったわけですよ。……学者で外交官のジェームス・ブライスなどは、日本人と見れば誰にでも「君達の国策で一番大事なのは、アメリカとは戦争しないと決める事だ」と説いて回る。

■外交というのは、とても分かり難いメッセージを投げ合うものですから、気が付かない方が悪いのです。単純な御用聞きのような仕事だと思っている外交官が増えると、国は危なくなります。


アメリカの側も事情は同じで、米海軍大学校長だったマハンは露骨に「日英同盟はとんでもない話だ」と書きまくっている。日米が対決した時、英国は日本に付くのか、と。英米日の艦隊比率5・5・3が、5・8になってしまうから、アメリカは嫌がるんですね。

日本は海軍国なのか陸軍国なのか、これを明治政府が決めていなかったばかりに、総力戦時代になって何をすれば良いのか分からなくなってしまったのです。ソ連と戦うなら巨大な陸軍を準備して日本海を自由に往復する海上輸送力が必要でしたし、本当に米国と一戦交えるのなら陸軍を最小限度に縮小して海兵隊組織に変えねばなりませんでした。どちらかが「下請け」か「付け足し」扱いされるのは我慢ならず、それが大艦隊など要らない大陸に入り込み、米国が待ち構える太平洋に引きずり出される悲劇を避けられませんでした。