波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

物語の顛末Ⅰ

2014年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_3  別人が作った曲を自分が作ったという嘘。耳が聞こえないという悲劇も、嘘がばれてから実は聞こえ始めてましたというのも何だかなあ…。昨年3月、最近はすっかり国営放送みたいな公共放送が現代のベートーベンとして紹介したもんだから、新しもの好きの立男は「すごい奴がいるものだ、CD買わなくちゃ」と本気で思った。ママヨさんは「この話、どこか変」とつぶやいた。どこが?と聞いたら「変なものは変!」と断言した。ふーん、と思ったが前から、ママヨさんのここらの嗅覚は意外に鋭いから黙っていた。立男が絶賛した人物が数年後に底が割れた、ということが今まで何度もあったが「今度は確かだべ」と思った。いや、思いたかった。

                

 そのわけは、つまりまんまと騙された理由になるのだが、一般庶民には想像も出来ない①困難な環境での壮絶な努力と天才性、②極めてまれな栄光、それを裏付けるような言動の神秘性、③庶民の立男とも連帯してくれそうなヒロシマや3.11、そして障がいに対する温かなメッセージ性…ここらに悲劇の天才を見たからだ。庶民は叙情的「物語」に弱いのだ。昔、「一杯のかけそば」で何度も涙した立男も実に弱いのだ。【次回に続く…本編は3部作です】

「こころ」を半分読んだ。定年退職したら漱石を読むと前から決めていた。百年前の物語なのに古くない。イラストは昨年から帚木蓬生を読んでいるママヨさん。

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