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正見.2

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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(;-人-)(;-人-)(;-人-)(;-人-) ナムナムナムナム…

( ̄д ̄ ) 『皆さん、突然どうされたのです?』

(;゜ ー゜) 「はい。私達も早く悟りを開きたいので、ブッダを拝んでおります。」

( ̄д ̄;) 『はぁ?』

(;゜ ゝ゜) 「さっき、リーダーが、王子は“ブッダ”になられたと言っていたので拝んでみました。」

ハッ! Σ(;゜ ∀゜) 「っていうか、リーダーも悟り開いたんだよね。じゃ、リーダーも拝まなきゃ!」

(-人-;)(-人-;)(-人-;)(-人-;) ナムナムナムナム…

(゜д ゜;) 「やめてくれよ。気持ち悪い…。俺やブッダを拝んでどうなると思っているんだよ。そんなことしたって何も起こりゃしないよ。」

(;゜ ω゜) 「え? だって、ブッダ(目覚めた者)なんでしょ?」

(゜д ゜ ) 「王子はブッダだけど、俺は違う。俺は“目覚めた者”じゃなくて、せいぜい“気づいた者”だ。それに、いくらブッダだとはいえ、王子を拝んだってしょうがないだろ。」

(;゜ ー゜) 「え? そういうもんじゃないの?」

(゜д ゜ ) 「さっきブッダが説明してくれたばかりじゃないか。物事を正しく見なきゃだめだ。誰かの話を鵜呑みにして、偏見や先入観をもって物事を捉えちゃダメだよ。」

(;゜ ゝ゜) 「話を鵜呑みにするなって…。じゃあ、リーダーは、王子がブッダになったと嘘をついたとでも言うのかよ。」

(゜д ゜ ) 「いや、そういうことを言ってるんじゃないよ。きちんと自分で客観的に観察して確認しなきゃダメだよって話をしてるんです。それに、誰かや何かをワケもわからず拝むってのも非科学的だよね。そんなの、ただの妄信だ。」

(;゜ ∀゜) 「じゃあ、ブッダの話も、リーダーの話も信じるなと?ブッダがさきほど説明してくれた、諸行無常や諸法無我の教えも信じるなと?」

(゜д ゜;) 「いや、だからそういうことじゃなくてさ…。ブッダ、なんて伝えればいいんでしょう?」

( ̄д ̄ ) 『皆さんがそうしたいのなら、信じなくていいですよ。いえ、むしろ信じないでください。』

Σ(;゜ д゜) 「ええ!?」

( ̄д ̄ ) 『諸行無常も、諸法無我も、ただ情報として知っているだけでは何の意味もありません。ですから、私が説明しているからと言って、それを鵜呑みにし、知ったつもりになるぐらいなら、信じないほうがいいです。信じるのではなく、ご自身の体験として理解してください。』

(;゜ ∀゜) 「体験して理解しろと言われても…。諸行無常も、諸法無我も、どうやって体験すればいいんです?」

( ̄д ̄ ) 『ですから、それを体験するための道が、先ほど話した「八正道」なんですよ。「八正道」なんて言うと、難しく聞こえちゃうかもしれないけど、平たく言えば、「アハ!体験」を迎え入れやすくするための方法、ひらめきや気づきを生む環境作りみたいなものなんです。』

(;゜ ω゜) 「続きを聞かせてください。」

( ̄д ̄ ) 『最初にお話した「正見」は、コンダンニャさんがお話してくれたとおり、物事をいろんな角度から観察する目を持つってことが大切です。諸行無常も、諸法無我も、「真理」という答えを示しているんです。「アハ!体験」の例で言うところの、「ダルメシアン」「イエス」と同じように「答え」なんです。で、その答えを示されても、実際はそれに気づいていない。』

(;゜ ー゜) 「はい。」

( ̄д ̄ ) 『ですから、まずは、自分が「気づいていない」ということに気づく必要があるんです。』

(;゜ ゝ゜) 「気づいていないということに気づく…。」

( ̄д ̄ ) 『そこに「ダルメシアンが見えるんだ」という前提がなければ、あの絵もただの意味のない模様として見逃してしまうということです。そこに答えがあるのにもかかわらず、それに気づかず通り過ぎてしまっては、いつまでたっても答えにはたどり着けません。答えが目の前にあることを信じ、対象をじっと観察することで、初めて答えに出会えるんです。真理についても同じです。答えは必ず、いつでも自分の目の前にあります。ここにもない、あそこにもないと、探し回っていたのでは、いつまでたっても答えにたどり着けません。目の前にある森羅万象をじっと観察することで、初めて答えに出会えます。自分の今までの見方、解釈の仕方に執着していては、そこに新たな発見は生まれません。物事を正しく見る。それは、自分がそれまで持っていた偏見、先入観、記憶、そういったものを一旦捨て、「今」を忠実に捉えるということです。ニュートラルな目線で、「今」から逃げずに、「今」をしっかり受け止めることです。今が苦しいのであれば、その苦しみから逃げるのではなく、その苦しみをじっと観察することです。その苦しみの構造を理解することです。何が苦しいのか、なぜ苦しいのか、その苦しみの源はなんなのか。それを明確に見つけ出すことです。』



←さあ。偏見、先入観、記憶、そういったものを一旦捨て、今の状況を見てみよう。

コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
« 体験 正念 »
 
コメント
 
 
 
Unknown (ヘンゼルとグレーテル)
2008-08-06 16:47:08
苦しみの構造を理解かぁ

ありのままに見つめてみると
怖いような落ち着くような
 
 
 
Unknown (みら)
2008-08-06 17:29:28
赤ん坊のような目で見るということですか?
 
 
 
笑える人生 (神ng now)
2008-08-06 18:31:42
最近つくずく思いますね。

次から次へと目の前に現れる

とんでもない出来事や人物。

苦労に悲劇。

自分を主人公にして脚本・監督・キャスティグ・・・

映画を撮影してる様なのが人生なら

全てにオチをつけて、笑い飛ばしたいね。

完成した時にホラー・サスペンス・バイオレンス

アクションなどの棚じゃなく

ヒューマンコメディの棚に並べれるように

したいですね。

 
 
 
Unknown ()
2008-08-06 19:00:18
 いろいろな事をしてみても結局、「答えは何時も
 自分の目の前にある」
  青い鳥みたいだなぁ~

 そして、今から逃げずに受け止めて観察をする。

 すると原因はすべて「自分」で在る事が分かるのだ

 ただただ実行あるのみです。

 ご教授ありがとうございました。
 
 
 
何かの本に (ミリチャン☆♪)
2008-08-07 01:14:07
「自分を第三者の目でただ観察する」って書いてあったのを思い出しました(@^^)/~~~
怒ってる自分、悲しんでいる自分を空の上から見ている神様みたいな存在で見てみるといいって書いてありました。
ムカッときた時に実践してますが・・・
なかなかしっかり受け止めるのが大変ですぅ(>_<)

全然話がズレていたらすみません;
 
 
 
背伸びせずに (kame)
2008-08-08 15:05:59
辛い時に辛いと思わない振りをするのではなく。

辛い時になんで辛いかを考えてみようと思う。

それも考えたくないときは何も考えず、ただ、目の前の用事をすまそうと思う。

 
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