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自由訳 大智度論.4

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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さて、気を抜いたら挫けてしまいそうになるので、この勢いのままダバダバーっと最後までいっちゃいますよぅ。


(  ̄Д ̄) 『さて、話を続けましょうナンディカさん。』

( ̄ε ̄;|||・・・ 「ま、まだ続くんですか…」

(  ̄Д ̄) 『続けますよ。』

(-公-;) 「容赦ねぇなぁ…この人…」

(  ̄Д ̄) 『人から「もうちょっとお酒控えたら?」なんて言葉を掛けられるようになったら要注意ですよ。すでに自分を見失っていますからね。(それすら気付けなくなっているのがほとんどなのですが。)そうなるともう、自分の意志じゃないんです。脳がエラーを起こしている状態です。思考回路が「アルコール摂取中心」に再構築されてしまいます。』

( ̄д ̄;) 「それ、どういう意味ですか?」

(  ̄Д ̄) 『簡単に言うと、「お酒の摂取を正当化しよう」という思考です。例えば、そうですね、「お酒が呑める人はいい人。呑めない人はダメな人。」とか、「お酒も呑めないようじゃ一人前じゃない。」とか、「お酒が強い人、呑みっぷりのいい人は格好いい。」とか、人を見定める基準に「お酒」というフィルターが掛かってしまったり。』

( ̄д ̄;) 「あ…それ…あるかも…」

(  ̄Д ̄) 『なんの根拠もないんですよ。「お酒好きな人はいい人。」っていうロジックには。それなのにね、お酒好きな人は、「お酒=良いもの」の回路が出来てしまっているから、人にお酒を勧める様になるんです。「お前も呑めよ。」って。しまいには「なんだ?俺の酒が呑めないっていうのか?」なんて高圧的な態度で迫ってきますからね。』

( ̄д ̄;) 「…」

(  ̄Д ̄) 『そうするとね、酒飲みは酒飲みとつるむようになるんです、自然と。呑めない人と一緒にいてもつまらないからね。一緒に酔える人と親交を深めようとするんです。』

( ̄д ̄;) 「類は友を呼ぶってのは、ホントですね…」

(  ̄Д ̄) 『そうですね。そして、さらに依存がエスカレートすると、今度は自分からお酒を呑まない人と距離を置くようになっていくんです。』

( ̄д ̄;) 「なんでですか?」

(  ̄Д ̄) 『何かを楽しむと言うことが、お酒を通してでしか感じられなくなってくるからです。だから、呑まない人と一緒に居ても満たされなくなってしまう。それに、「ちょっと呑みすぎじゃない?」なんて言われることがイヤですから、それを避けるために距離を置きたくなるんです。でもね、呑みすぎを注意してくれる人は、その人の事を想ってくれている人なんです。それなのに、その想いよりも、飲酒を優先して選択してしまう。ね?思考回路が「アルコール摂取中心」になっちゃってますでしょ?』

( ̄д ̄;) 「たしかに…」

(  ̄Д ̄) 『お酒がまわるとホントに自分を見失ってしまいやすいから、トラブルが絶えません。心身をコントロール出来なくなっちゃったり、性欲に歯止めが利かなくなっちゃたり、大切なことを忘れちゃったり、法律なんてお構いなしになっちゃったり、悪いことを悪いと思えなくなっちゃったり、良いことを良いことと思えなくなっちゃったり…とにかく、自分に対しても他人に対しても「恥じる」ということがなくなってしまいます。』

( ̄д ̄;) 「…」

(  ̄Д ̄) 『「人に迷惑を掛けなきゃ問題ないでしょ?」なんて言う人もいるけども、どうだろね。ホントに迷惑を掛けていないだろうか?呑まない人はきっとこう言うだろうね。「いや、充分迷惑かけてるよ。」って。だからね、徐々に賢人賢者たちから見捨てられ、智慧があり行いの正しい人たちからの信用を失い、依存症克服からは遠のきます。涅槃は遠いですよ。これじゃあ死後は地獄行き。まぁ、「悪いこと」を「よし」としてるのだから、ある意味「のぞみ通り」なのだけど。』

Σ( ̄д ̄; )!? 「じ、地獄行きっすか!?」

(  ̄Д ̄) 『だってそうでしょ?ナンディカさん、これまでの話を聞いていかがです?飲酒はあなたにとって「良いこと」ですか?それとも「悪いこと」ですか?』

( ̄д ̄;) 「悪いこと…だと思います。」

(  ̄Д ̄) 『でも、その「悪いこと」を「よし」として、現にあなたはお酒を呑んでいるじゃないですか。「善悪」すら混同しているんですから、来世、キチガイとして生まれ関わっても不思議はないですよ。ね。だからお酒は呑まない方がいいんです。』

( ̄д ̄;) 「…」

(  ̄Д ̄) 『さて、ここでこれまでのお話を整理してみますか。』

( ̄д ̄;) 「はい…」

(  ̄Д ̄) 『飲酒は、悟りから遠ざかる行為です。身体を鈍らせ、健康も害します。智慧は揺らぎ、散乱し、「ありのまま」を捉えることが出来なくなります。「ありのまま」を見失った心は、自他を恥じることも無くなります。自由と自分勝手の違いも見分けられず、心を制する事がなくなって、怒りを増し、喜びを失います。そんな状態では家庭崩壊を招きます。』

( ̄д ̄;) 「…」

(  ̄Д ̄) 『お酒を呑むということは、毒をあおるのと同じことです。怒ることではないことに怒り、笑うことではないことに笑い、悲しむことではないことに悲しみ、ふるってはならない暴力をふるい、話してはならないことを話すのは、キチガイと変わりないじゃないですか。そんな事じゃ、様々な徳も消し去ってしまいます。だからね、恥を知る者は、はじめから呑まないんです。』



と、まぁ、長々と書いて参りましたが、以上が『大智度論(尸羅波羅蜜義 第二十一)』に書かれている内容です。(もちろん、中身はかなり現代風にアレンジして脚色しましたが。)


お酒好きの方には、少々しんどかったかな。w

でもね、このお話はお酒の事だけじゃなく、あらゆる依存・執着でも置き換え可能な話なんです。

このお話を通じて、お釈迦様が本当に説きたかったのは、「輪廻転生中毒」からの脱却なんです。


だからね、お酒呑まない人にとっても、同じ話なんですよ。実は。



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