コメント
誤記訂正
(
ほう、そうか!
)
2017-05-18 12:35:07
仮性でもいい、たくましく育って欲しい。(丸大ハム)
更新ありがとうございます。
(
林ゆみ子
)
2017-05-18 13:01:17
仮想現実の動画拝見しました。難しかったー。
Unknown
(
おさむし
)
2017-05-18 13:23:41
これらの動画は証明と銘打っていますが、本当に証明になっているのでしょうか。言っていることは現実を仮想現実と仮定して説明しても矛盾が生じないというところまです。仮説として成り立つと言っているだけで、証明というには何らかの検証が必要じゃないでしょうか。動画について異議を感じているだけで、この世が仮想現実かどうかについては、と異議を唱えるつもりはありません。
Unknown
(
moa
)
2017-05-18 14:05:19
すごい子供ですね(笑)
私も最近幼少期の不思議に思ったことをふと思い出しましたー
眠ろうかな?と目を閉じると 沢山の光の粒みたいなものが見えて、かつ立体的にうねりがあって。
何これ?と思いながら、皆んなそうなんだろうって思っていた気がします。
それくらいです。
黒斎さんは徳を積む ってどう解釈してますか?
あの世にこの世から影響するものってあるんでしょうか?
謎
(
みっつー
)
2017-05-18 14:35:55
この動画…スピ系の動画は全く見ていないのに視覚に入って来ました。そういう人たくさんいるのかな?
私は動画を見た後に幼い頃よく考えていたことを思い出しました。謎です。AIも謎です。
Unknown
(
あるとき551
)
2017-05-18 20:19:48
「自分は、なんで他の誰かでもなく、自分なんだろう。」と、鬼ごっこで逃げている最中に思いました。
あと、自分が寝ている間に、地球が動く説を持っていました。
製作者は?
(
アマート
)
2017-05-18 22:11:05
黒斎さんの著書で、ゲーム製作者が本当の私で、ゲームの中のキャラクターではありませんよ、といった内容と同じことですね。
神の戯れで創世した一週間の仕事の結果が、仮想現実。
なので、ゲームキャラクター(自分)は何も出来ない。
出来るのは、製作者の神(本当のわたし)のみ。これが腑に落ちれば、なんてことはない。
腑に落ちれば、の話ですが。
時間についての疑問
(
sikkha
)
2017-05-19 00:11:06
興味深く読ませていただいてます、sikkhaと申します。
時間の非実在について疑問があるのですが、もしよろしければ、黒斎さんや他の読者さんの方からご返答、ご意見、反論、ツッコミ等いただければと思います。
また、この疑問自体はスピリチュアルというよりはむしろ、哲学や物理学に近いかもしれません。ですので、必ずしも精神的な成長ですとか、そういったスピリチュアルの本筋とはおそらく関係が薄いであろうことを、予めお詫びいたします。
まず、黒斎さんは時間の非実在について論じておられますが、細かい点はさておき、個人的には大いに賛成しております。
その理由として、我々が時を考える上では、まず時計や天体などを基準とします。
しかしながら時計や天体は明らかに時そのものではないでしょう。もし時そのものであるならば、時計を止めたら時間自体も止まってしまいます。
とすれば、時計や天体はただ厳密には動きを示しているに過ぎないでしょう。
以上から言えば、我々は少なくとも物体の運動、より詳しくはエネルギーの変位を通じて時を観測していることになります。これは科学的な時(一秒)の定義がセシウム133の振動回数から定義され、物理学における意味を有する最小単位としてのプランク時間が光がプランク長を移動するまでの間から導出されていることからも窺えます。
要するに我々はエネルギーの動きを見ているだけで、少なくとも時間そのものを見たことがあるわけではないはずです。
この前提から、エネルギーの変位さえあれば我々にとっての「時間」は成立すると言えます。
そこで疑問です。
我々が普段言うような「時間」は明らかに非実在です。しかしそれは、我々は実際の「時」を観測できていない、ということを論証しているだけはないでしょうか?
例えば「火星人がいたとしてもタコの姿はしていないない」ということを論証しても、まだ火星人の実在・非実在は論証できていないことに似ています。
では時の実相はいかなる有様なのでしょうか?
というのは、
・時は非存在であり、ただ単に存在しない。エネルギーの変位があるだけである。
・実際に「時」が存在し、しかしそれは我々が考えるような様相ではない。
・実際に「時」が存在し、その様相も我々が考えるものとほぼ同様である。しかし我々にとってはただ「今ここ」があるだけであり、「時」は考慮するに値しない。
・ぶっちゃけそれがわかったところで実用的ではない。現に苦痛を免れれば当面は十分である。(仏教で言う「無記」の疑問である。)
・それ以外
におおよそまとめられると思います。
もし黒斎さんや読者さんがお答えするならば、これらのいずれが近いでしょうか?
それとも「時間」の非実在を見破るだけで十分なのでしょうか?
以上が疑問とその前提です。ご返答、ご意見、反論、ツッコミ等、参考にさせていただきたいと存じます。
長々と乱文失礼いたしましたm(_ _)m
Unknown
(
Unknown
)
2017-05-19 00:46:01
動画見ました。
難しくてぜんぜんわかりませんでした。
黒斎さん、訳してくれませんか?
なんか最近、宣伝とか引用とか、そんなんばっかりだし。
>先日、TwitterとFacebookでご紹介しましたところ、反響が大きかったものですから
どんな反響だったんでしょうか。
多くの人はなんとなく雰囲気でウェーイ!って言ってるだけじゃないでしょうか。
みんな動画の中身をきちんと理解できたのでしょうか。
私がこの動画を見てわかったことは、意識を向けるとプログラムが作動するらしい、ということだけです。
だからなんなのさ。
sikkhaさん へ
(
おさむし
)
2017-05-19 14:08:52
面白そうなのでコメントさせていただきます。
時間は我々の認識の仕組みがそうなっているという事だと思っています。
私達の意識では経験を一瞬一瞬の今こことして順番に認識することでしか理解できません。時間はその意識の仕組みに合わせて作った物差しだと言えるのではないでしょうか。ワンネス側からすれば我々が一つ一つと思っている今ここは全て一塊で、というかその今ここ自体がワンネスそのものに他ならない、という感じでしょうか。もちろんワンネス側などという表現は分離前提です。分離した私からだけの視点では理解も説明も限界があると感じます。物理学的な表現をすれば、4次元時空間に意識を限定しなければ過去も未来も無くなる、とも言えるかな。
私も思っていました。
(
ほら
)
2017-05-19 15:36:00
小学生の頃、絵の具を見ていて
私が青色だと思っている色が
他の人には私が見えている黄色かもしれない。
他の色も違くて
じゃあ、私が赤と青を混ぜたら紫だけど
他の人は、混ぜた色も違うってことだよなぁ。
私が、『きれいな海〜』って言っても
隣の友達は、黄色い海を観ているってことかも。
とか 考えていました。
何の関係もない記事にそんな様なコメントをしたら みつろうさんも『僕も子どもの頃そう考えていた』と返ってきました。他にも数名いらっしゃいました。
あ、プチっとなったらごめんなさーい(^.^)
昨日の『ダベリバ』楽しかったです♪
色々ありがとうございました。
ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
付け足し
(
ほら
)
2017-05-20 22:12:06
色についてです。
『見えている色が人によって違うのでは?』
からの
『好きな色は、実は皆同じ色のことを言っているのではないのか』にたどり着きました。
ただの空想の世界ですが…
黒斎さんと逆で、説明が苦手ですσ^_^;
絵を描いたり ぼーっとしているのが好きな子どもでした。
久しぶりに絵を描いてみようかなと思いました。
子供のころから……
(
たいのえ
)
2017-05-21 09:02:20
ずっといまだに「自分の名前に違和感」を持っています。
「この名前じゃない」ではなく、
名前自体に違和感があります。
うまく説明できないけど( ̄∇ ̄*)ゞ
それと、物心ついた頃から
「なんのために人間は生まれてくるんだろう」「早く歳をとって死にたい」と思ってたり、
この世界はとても大きな丸底フラスコの中にすっぽり入っていて
とてもとても大きな、神様か何かよく分からない生き物が
自分達を観察しているんじゃないかと思ったりもしてました。
大人から見ると随分変わった子供だったようです(笑)
子供の頃から「みんな『遊んでる』だけ~♪」と思ってました
(
ただの「自分」
)
2017-05-22 03:11:36
今でも、その直感は正しいと思ってて、
「『この世』ゲームで『遊んでる』だけ~♪」
と思っとくのが、一番いい落とし所だと思ってて、
そしたら、こうして、科学的にもそんな感じに『証明』されつつある訳ですねぇ~。
これからの『ゲーム』が、更に楽しみになりました。
「いま」がいい。
(
みねこ
)
2017-05-22 09:21:37
みなさん、「いま」が嫌いなんでずね。
「いま」が嫌いだから、様々のことを試みている。
逆ですよ。
「いま」に安住することに気が付いてほしいです。
「いま」というこれは、
これしかなくて、完全無欠なのですから。
今日の月イチ!
(
ブログ内容についてじゃないですが
)
2017-05-22 22:13:33
黒斎さん、今日の月イチめっっちゃ楽しかったです!(*≧∀≦*)
通いだして1年半強ですが、1番良かったかも。
事前質問制、いいですね!d(*´∇`*)
私は、書かなかったけど、聞きたかった話が流れのなかでどんどん出てきて、びっくりしつつ、ニヤリとしてしまいました( ̄▽ ̄)
そしてあのエクササイズ!
何ですかあの解放感。。最高に気持ち良かったです(*´ω`*)
手の痺れと、あと未だにカッカ熱いです。
ジャンプはアパートなので難しいですが、会社のトイレとかで出来るかな( ̄ー ̄)
あと、味わう話。味わうと消える。
そっか、ちゃんと味わわないで蓋をしてきたから、いつまで経っても、忘れないし、思い出してはイラッとくるのか。
とことん味わってみます。
ペットボトルのもやります。
今日本当良かったです!
今までが良くなかったっていうわけじゃないですからね!(笑)
来月も、行きますね!
ありがとうございました☆
無思考
(
みねこ
)
2017-05-23 09:52:55
ゼロ・ポイント・フィールド、即ち、空。
無思考状態で繋がれます。
恐れや思考、疑いというゴミで
凝り固まっているから、ゴミを除去じましょう。
これが、無思考であり信頼よ!
このブログは面白くて学びになります!
ありがとうございます。感謝します。
自意識と自我の違い
(
葵
)
2017-05-25 14:13:03
はじめまして(*^ー^)ノ
最近このブログや本を読ませていただいて
疑問に思ったのですが
深い眠りについてるとき誰もが悟っている
自我も消えているしかしそれに気づかないのは
自意識も消えているからとおっしゃってました
自意識と自我の違いはなんなんでしょうか?
意見をお聞かせください。
Unknown
(
Unknown
)
2017-05-25 20:53:16
この世界が仮想世界かも?
なんてことは小学生の頃から考えてたよ。
「阿雲の呼吸」に是非行きたいのですが…
(
広島東洋哲学
)
2017-05-26 05:08:33
なんか敷居が高い感じがして、これまでずっと参加しそびれています。
イメージ的には、40〜50代の女性がお友達と一緒に参加されて「阿部さ〜ん、黒澤さ〜ん」って感じのファンクラブ的な空気になっているような感じがして(年齢は余計か)。
1人で申し込んで参加しようと思っている男にとってはフラッと参加しにくいというか。
今度、雲黒斎さんがお好きな(私も好きですが)福山雅治よろしく「男だけの阿雲の呼吸ライブ」ってやって頂けないですか?スピリチュアルに懐疑的な普仁さん交えれば、なお参加しやすいかも知れませんし。もしかしたらダベリバがそういう役割も兼ねているのかも知れませんが。
何度も家の近くの両国で定期開催されていますが、野郎1人での参加、いつも躊躇ってしまいます。
体験あるのみですよ
(
アマート
)
2017-05-26 08:51:19
広島東洋哲学さん こんにちは
敷居が高い…それは、イメージですよね?
イメージと実体が、かなり違うことは、よくあります。
参加して分かったことと、イメージで想像していることは、違うと思いますよ。
確かに、イメージされている光景に近いことは、あると思います。
でも、歌謡ショーではないので、黒斎さんのお話中に、キャーキャー騒がないと思いますが。
私も参加したことがないので、全て想像で語っています。
けれど、騒がしいと話が聞こえないので、お話中は静かに拝聴すると思います。
お話の前と後で、黒斎さんのファンクラブ状態になるかもしれませんが、肝心の、お話だけに集中し、後は、ご自分の好きなようにしていればいいのではないかと思います。
むしろ、行きたくても行けない私からしたら、もったいないことで、羨ましい限りです。
躊躇せず、ぜひ参加してください。
きっと、行ってよかった、と感じるのではないでしょうか。
お昼休みはウキウキウォッチング(古っ)
(
さむらい
)
2017-05-26 12:42:28
広島東洋哲学さんアマートさん
はじめまして。
阿雲の呼吸は過去にDVDが出ていますよね。
検索したらYoutubeの宣伝用?動画がまだありましたので参考になるかと思います。
とはいえ自分も参加した事無いので実際のところは判りませんが…。
アマートさん、宜しければもう少し詳しいレポートお願いします。
ううむ、今年こそは自分も行きたいですね。
広島東洋哲学さま
(
ほら
)
2017-05-26 13:33:06
阿雲の呼吸には多分2回、ここラジにも2回ほど参加しましたが、男女半々くらいで40〜70代が多いのかなぁと思いました。
私も1人参加でしたが、1人でいらっしゃる方がほとんどっぽい感じです。
お話し中も休憩中も静かです。
安心してお申込みされてみては
いかがでしょうか(^ ^)
と 勧めておいて私は今回は不参加です。
全体って?
(
ユウ
)
2017-05-26 22:01:04
コクサイさんなら「全体」をどのように文にしますか?
あるがまま とか いまこことか…
全ての「何か」…エネルギーなんでしょうね
解散を読んで「何か」を感じてはいます
エネルギーのあっち向きとこっち向き
(
アヲハチ
)
2017-05-27 06:30:53
Youtubeの動画を見ました。
粒子の動きの事を説明してますが、これはスピリチュアルの話でよくあげられるエネルギーとか波動とか言うものと一緒なんですよね。
ということは、僕らがスピリチュアルな世界を知ろうとすると、同時にどこかで知らないようにする僕らがいるってことですよね。
ってことは、物的なものも精神的なものも粒子であって、常に同時に反対なものが存在するということなんでしょうけど、それが宇宙の法則ってこと?
よく中庸とか言われますが、それらの間?それら両方含むもの?それら両方ともないもの?それらとはまた違った次元?
ただ思ったことを書いただけなんで、答えはなんでもいいんですけど、どうせ答えを知っても知っただけで解釈はできませんから^^;
なんかこれを書いてるのが、自動で起こってるような気もしますが・・・
追伸
ここ半年くらいスピリチュアルなことから離れてたんですけど、少しばかり悩みを持ち出して、なんとなく以前少しばかり見てたこのブログを今回読んだので投稿してみました。
うん、これもエネルギーの作用反作用だな ^^
sikkhaさんへのコメント
(
サム
)
2017-05-27 10:18:44
はじめまして。読者の意見です。
sikkhaさんが観察したこと、ご意見、全体的にすごく面白いと思いました。
>時の実相とはいかなる有様なのか?
僕の結論は文中の選択肢だと「それ以外」です。(「無記」にも少し関わりがあります。)
具体的に言うと、哲学においても日常生活においても「時」とは人の観念の中にだけ存在しており、sikkhaさんの言う「時の実相」という捉え方自体も言わば人間の思考がよく作り出す幻想だ、との立場です。
突き詰めるなら話は時の実相のことに留まりません。
まず問うべきは、「我々の精神、認識力」とは果たして幻想を排し物事の本質をあるがままに知覚し得るのか? という点だろうと思います。
(如何でしょうか。見事に「それ以外」でしょうか?笑)
しかし、その根本的な問いに対する僕の答えは「否」です。
ゆえに、我々の精神は時の実相も正しく理解し得ないでしょう。
だから、
>それとも「時間」の非実在を見破るだけで十分なのでしょうか?
との問いを抱くなら、その問いを抱く我々の自身の認識力についてこそ先ず実在、非実在を見極めなくてはならない。
そのように僕は考え至ります。
自らの認識力の根拠が定まらない限り、あらゆることに是非を問うてもそれらは何の基盤も持たないのだと。
ここら辺に少し「無記」の要素があるような無いような。sikkhaさんが関心を抱いた「時」の話も、宇宙の果ての話も、興味の尽きぬテーマではありますけれどもね。^^
しかし人はそうやって外側の世界へと探求に出掛けて行きます。
そして単に外側を求めるのみならず、人は思考の中にも外側世界(バーチャルな世界)を作り出し延々と戯れ続けることが出来ます。また眠り中においてすら夢という外側世界を創出します。
僕は無記の話も仏教の話もほとんど知りません。でも僕の経験が告げるのは、「あるがままの真実の知覚を得るには、外側の世界に目を向けることから離れなければならない」ということです。
外側の世界の探求は専門家に任せ、我々は我々自身を深く深く探究すべきだということを改めて思う今日です。
悩めるスピリチュアルジプシーにとっても、スピリチュアル世界という外側の探求はスピリチュアル業者にすっかり任せ、ご本人はその眼を自身の内奥にのみ向けられることを願って止みません。
それではsikkhaさん、どうも失礼しました。長文になりましたが通りすがりの一意見として軽く聞き流してやって下さい。ご返信には及びません。どうぞ宜しくお願い致します。
アマートさん、さむらいさん、ほらさん
(
広島東洋哲学
)
2017-05-27 20:29:51
初めまして。ご返信ありがとうございますm(_ _)m
つい何気なく書いてしまった記事とは無関係のコメントでしたが、皆さまからの温かいご返信のおかげで気持ちがスッとしました〜。そして参考になりました。
今回の「阿雲の呼吸」には参加できませんが、次回からはぜひ気兼ねなく参加させて頂きたいと思います。
ありがとうございました〜!
懐かしいですね~
(
tomotomo
)
2017-05-28 01:20:13
小学生の4~5年生の頃だったかな。
「自分の見ている世界は、実は別の世界なのかも?本当は見えてる世界と全く違う世界なのかも?」と想像していた事がありますよ~。勝手に怖くなったりしてね(笑)
懐かしいなぁ~。
映画マトリックスの公開から10年以上経ちましたね。早いなぁ。。。
当時はスピリチャルとか全く意識していませんでしたが、劇場で映画を見終わった後、「そっかー!この世では何をしてもイイんだ!思い通りだ!」
・・・と、何故だか妙~に明るく元気になった記憶があります。何でか理屈無しに。
未だにどういった心境でそうなったのか分からないのですが、心の奥底で腑に落ちたんでしょうかね~。
Unknown
(
ちぃ
)
2017-05-29 19:13:35
昨日は楽しいお話ありがとうございました。
こくさいさんのお話、もっと聞きたかったです。日曜日の日中のお話会があったらな~
Unknown
(
めい
)
2017-05-29 21:51:20
こくさいさん
大阪お話会
ありがとうございました。
また 会いにいけるように
がんばります。
おやすみなさい。
**
Unknown
(
まみ
)
2017-06-09 04:01:01
確かに小さい頃少しスピってたかな
なんで念じただけで元に戻れないんだろうかとか
自分て不思議で体があるけど中の意識とは同じ形してないし目とうい窓で覗いてる感じとか 体の切れ目って突き詰めると分からないとか
周りの人達は自分で作り出してるとか(誰かに言われたことかも夢?)
今思えばそういうことだと納得してる(’-’*)♪
その他にも変な考えもしてたね魂が一回キリだったとしたら死んだときあの世は魂で溢れかえるのかなぁとか(笑)
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私も最近幼少期の不思議に思ったことをふと思い出しましたー
眠ろうかな?と目を閉じると 沢山の光の粒みたいなものが見えて、かつ立体的にうねりがあって。
何これ?と思いながら、皆んなそうなんだろうって思っていた気がします。
それくらいです。
黒斎さんは徳を積む ってどう解釈してますか?
あの世にこの世から影響するものってあるんでしょうか?
私は動画を見た後に幼い頃よく考えていたことを思い出しました。謎です。AIも謎です。
あと、自分が寝ている間に、地球が動く説を持っていました。
神の戯れで創世した一週間の仕事の結果が、仮想現実。
なので、ゲームキャラクター(自分)は何も出来ない。
出来るのは、製作者の神(本当のわたし)のみ。これが腑に落ちれば、なんてことはない。
腑に落ちれば、の話ですが。
時間の非実在について疑問があるのですが、もしよろしければ、黒斎さんや他の読者さんの方からご返答、ご意見、反論、ツッコミ等いただければと思います。
また、この疑問自体はスピリチュアルというよりはむしろ、哲学や物理学に近いかもしれません。ですので、必ずしも精神的な成長ですとか、そういったスピリチュアルの本筋とはおそらく関係が薄いであろうことを、予めお詫びいたします。
まず、黒斎さんは時間の非実在について論じておられますが、細かい点はさておき、個人的には大いに賛成しております。
その理由として、我々が時を考える上では、まず時計や天体などを基準とします。
しかしながら時計や天体は明らかに時そのものではないでしょう。もし時そのものであるならば、時計を止めたら時間自体も止まってしまいます。
とすれば、時計や天体はただ厳密には動きを示しているに過ぎないでしょう。
以上から言えば、我々は少なくとも物体の運動、より詳しくはエネルギーの変位を通じて時を観測していることになります。これは科学的な時(一秒)の定義がセシウム133の振動回数から定義され、物理学における意味を有する最小単位としてのプランク時間が光がプランク長を移動するまでの間から導出されていることからも窺えます。
要するに我々はエネルギーの動きを見ているだけで、少なくとも時間そのものを見たことがあるわけではないはずです。
この前提から、エネルギーの変位さえあれば我々にとっての「時間」は成立すると言えます。
そこで疑問です。
我々が普段言うような「時間」は明らかに非実在です。しかしそれは、我々は実際の「時」を観測できていない、ということを論証しているだけはないでしょうか?
例えば「火星人がいたとしてもタコの姿はしていないない」ということを論証しても、まだ火星人の実在・非実在は論証できていないことに似ています。
では時の実相はいかなる有様なのでしょうか?
というのは、
・時は非存在であり、ただ単に存在しない。エネルギーの変位があるだけである。
・実際に「時」が存在し、しかしそれは我々が考えるような様相ではない。
・実際に「時」が存在し、その様相も我々が考えるものとほぼ同様である。しかし我々にとってはただ「今ここ」があるだけであり、「時」は考慮するに値しない。
・ぶっちゃけそれがわかったところで実用的ではない。現に苦痛を免れれば当面は十分である。(仏教で言う「無記」の疑問である。)
・それ以外
におおよそまとめられると思います。
もし黒斎さんや読者さんがお答えするならば、これらのいずれが近いでしょうか?
それとも「時間」の非実在を見破るだけで十分なのでしょうか?
以上が疑問とその前提です。ご返答、ご意見、反論、ツッコミ等、参考にさせていただきたいと存じます。
長々と乱文失礼いたしましたm(_ _)m
難しくてぜんぜんわかりませんでした。
黒斎さん、訳してくれませんか?
なんか最近、宣伝とか引用とか、そんなんばっかりだし。
>先日、TwitterとFacebookでご紹介しましたところ、反響が大きかったものですから
どんな反響だったんでしょうか。
多くの人はなんとなく雰囲気でウェーイ!って言ってるだけじゃないでしょうか。
みんな動画の中身をきちんと理解できたのでしょうか。
私がこの動画を見てわかったことは、意識を向けるとプログラムが作動するらしい、ということだけです。
だからなんなのさ。
時間は我々の認識の仕組みがそうなっているという事だと思っています。
私達の意識では経験を一瞬一瞬の今こことして順番に認識することでしか理解できません。時間はその意識の仕組みに合わせて作った物差しだと言えるのではないでしょうか。ワンネス側からすれば我々が一つ一つと思っている今ここは全て一塊で、というかその今ここ自体がワンネスそのものに他ならない、という感じでしょうか。もちろんワンネス側などという表現は分離前提です。分離した私からだけの視点では理解も説明も限界があると感じます。物理学的な表現をすれば、4次元時空間に意識を限定しなければ過去も未来も無くなる、とも言えるかな。
私が青色だと思っている色が
他の人には私が見えている黄色かもしれない。
他の色も違くて
じゃあ、私が赤と青を混ぜたら紫だけど
他の人は、混ぜた色も違うってことだよなぁ。
私が、『きれいな海〜』って言っても
隣の友達は、黄色い海を観ているってことかも。
とか 考えていました。
何の関係もない記事にそんな様なコメントをしたら みつろうさんも『僕も子どもの頃そう考えていた』と返ってきました。他にも数名いらっしゃいました。
あ、プチっとなったらごめんなさーい(^.^)
昨日の『ダベリバ』楽しかったです♪
色々ありがとうございました。
ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
『見えている色が人によって違うのでは?』
からの
『好きな色は、実は皆同じ色のことを言っているのではないのか』にたどり着きました。
ただの空想の世界ですが…
黒斎さんと逆で、説明が苦手ですσ^_^;
絵を描いたり ぼーっとしているのが好きな子どもでした。
久しぶりに絵を描いてみようかなと思いました。
「この名前じゃない」ではなく、
名前自体に違和感があります。
うまく説明できないけど( ̄∇ ̄*)ゞ
それと、物心ついた頃から
「なんのために人間は生まれてくるんだろう」「早く歳をとって死にたい」と思ってたり、
この世界はとても大きな丸底フラスコの中にすっぽり入っていて
とてもとても大きな、神様か何かよく分からない生き物が
自分達を観察しているんじゃないかと思ったりもしてました。
大人から見ると随分変わった子供だったようです(笑)
「『この世』ゲームで『遊んでる』だけ~♪」
と思っとくのが、一番いい落とし所だと思ってて、
そしたら、こうして、科学的にもそんな感じに『証明』されつつある訳ですねぇ~。
これからの『ゲーム』が、更に楽しみになりました。
「いま」が嫌いだから、様々のことを試みている。
逆ですよ。
「いま」に安住することに気が付いてほしいです。
「いま」というこれは、
これしかなくて、完全無欠なのですから。
通いだして1年半強ですが、1番良かったかも。
事前質問制、いいですね!d(*´∇`*)
私は、書かなかったけど、聞きたかった話が流れのなかでどんどん出てきて、びっくりしつつ、ニヤリとしてしまいました( ̄▽ ̄)
そしてあのエクササイズ!
何ですかあの解放感。。最高に気持ち良かったです(*´ω`*)
手の痺れと、あと未だにカッカ熱いです。
ジャンプはアパートなので難しいですが、会社のトイレとかで出来るかな( ̄ー ̄)
あと、味わう話。味わうと消える。
そっか、ちゃんと味わわないで蓋をしてきたから、いつまで経っても、忘れないし、思い出してはイラッとくるのか。
とことん味わってみます。
ペットボトルのもやります。
今日本当良かったです!
今までが良くなかったっていうわけじゃないですからね!(笑)
来月も、行きますね!
ありがとうございました☆
無思考状態で繋がれます。
恐れや思考、疑いというゴミで
凝り固まっているから、ゴミを除去じましょう。
これが、無思考であり信頼よ!
このブログは面白くて学びになります!
ありがとうございます。感謝します。
最近このブログや本を読ませていただいて
疑問に思ったのですが
深い眠りについてるとき誰もが悟っている
自我も消えているしかしそれに気づかないのは
自意識も消えているからとおっしゃってました
自意識と自我の違いはなんなんでしょうか?
意見をお聞かせください。
なんてことは小学生の頃から考えてたよ。
イメージ的には、40〜50代の女性がお友達と一緒に参加されて「阿部さ〜ん、黒澤さ〜ん」って感じのファンクラブ的な空気になっているような感じがして(年齢は余計か)。
1人で申し込んで参加しようと思っている男にとってはフラッと参加しにくいというか。
今度、雲黒斎さんがお好きな(私も好きですが)福山雅治よろしく「男だけの阿雲の呼吸ライブ」ってやって頂けないですか?スピリチュアルに懐疑的な普仁さん交えれば、なお参加しやすいかも知れませんし。もしかしたらダベリバがそういう役割も兼ねているのかも知れませんが。
何度も家の近くの両国で定期開催されていますが、野郎1人での参加、いつも躊躇ってしまいます。
敷居が高い…それは、イメージですよね?
イメージと実体が、かなり違うことは、よくあります。
参加して分かったことと、イメージで想像していることは、違うと思いますよ。
確かに、イメージされている光景に近いことは、あると思います。
でも、歌謡ショーではないので、黒斎さんのお話中に、キャーキャー騒がないと思いますが。
私も参加したことがないので、全て想像で語っています。
けれど、騒がしいと話が聞こえないので、お話中は静かに拝聴すると思います。
お話の前と後で、黒斎さんのファンクラブ状態になるかもしれませんが、肝心の、お話だけに集中し、後は、ご自分の好きなようにしていればいいのではないかと思います。
むしろ、行きたくても行けない私からしたら、もったいないことで、羨ましい限りです。
躊躇せず、ぜひ参加してください。
きっと、行ってよかった、と感じるのではないでしょうか。
はじめまして。
阿雲の呼吸は過去にDVDが出ていますよね。
検索したらYoutubeの宣伝用?動画がまだありましたので参考になるかと思います。
とはいえ自分も参加した事無いので実際のところは判りませんが…。
アマートさん、宜しければもう少し詳しいレポートお願いします。
ううむ、今年こそは自分も行きたいですね。
私も1人参加でしたが、1人でいらっしゃる方がほとんどっぽい感じです。
お話し中も休憩中も静かです。
安心してお申込みされてみては
いかがでしょうか(^ ^)
と 勧めておいて私は今回は不参加です。
あるがまま とか いまこことか…
全ての「何か」…エネルギーなんでしょうね
解散を読んで「何か」を感じてはいます
粒子の動きの事を説明してますが、これはスピリチュアルの話でよくあげられるエネルギーとか波動とか言うものと一緒なんですよね。
ということは、僕らがスピリチュアルな世界を知ろうとすると、同時にどこかで知らないようにする僕らがいるってことですよね。
ってことは、物的なものも精神的なものも粒子であって、常に同時に反対なものが存在するということなんでしょうけど、それが宇宙の法則ってこと?
よく中庸とか言われますが、それらの間?それら両方含むもの?それら両方ともないもの?それらとはまた違った次元?
ただ思ったことを書いただけなんで、答えはなんでもいいんですけど、どうせ答えを知っても知っただけで解釈はできませんから^^;
なんかこれを書いてるのが、自動で起こってるような気もしますが・・・
追伸
ここ半年くらいスピリチュアルなことから離れてたんですけど、少しばかり悩みを持ち出して、なんとなく以前少しばかり見てたこのブログを今回読んだので投稿してみました。
うん、これもエネルギーの作用反作用だな ^^
sikkhaさんが観察したこと、ご意見、全体的にすごく面白いと思いました。
>時の実相とはいかなる有様なのか?
僕の結論は文中の選択肢だと「それ以外」です。(「無記」にも少し関わりがあります。)
具体的に言うと、哲学においても日常生活においても「時」とは人の観念の中にだけ存在しており、sikkhaさんの言う「時の実相」という捉え方自体も言わば人間の思考がよく作り出す幻想だ、との立場です。
突き詰めるなら話は時の実相のことに留まりません。
まず問うべきは、「我々の精神、認識力」とは果たして幻想を排し物事の本質をあるがままに知覚し得るのか? という点だろうと思います。
(如何でしょうか。見事に「それ以外」でしょうか?笑)
しかし、その根本的な問いに対する僕の答えは「否」です。
ゆえに、我々の精神は時の実相も正しく理解し得ないでしょう。
だから、
>それとも「時間」の非実在を見破るだけで十分なのでしょうか?
との問いを抱くなら、その問いを抱く我々の自身の認識力についてこそ先ず実在、非実在を見極めなくてはならない。
そのように僕は考え至ります。
自らの認識力の根拠が定まらない限り、あらゆることに是非を問うてもそれらは何の基盤も持たないのだと。
ここら辺に少し「無記」の要素があるような無いような。sikkhaさんが関心を抱いた「時」の話も、宇宙の果ての話も、興味の尽きぬテーマではありますけれどもね。^^
しかし人はそうやって外側の世界へと探求に出掛けて行きます。
そして単に外側を求めるのみならず、人は思考の中にも外側世界(バーチャルな世界)を作り出し延々と戯れ続けることが出来ます。また眠り中においてすら夢という外側世界を創出します。
僕は無記の話も仏教の話もほとんど知りません。でも僕の経験が告げるのは、「あるがままの真実の知覚を得るには、外側の世界に目を向けることから離れなければならない」ということです。
外側の世界の探求は専門家に任せ、我々は我々自身を深く深く探究すべきだということを改めて思う今日です。
悩めるスピリチュアルジプシーにとっても、スピリチュアル世界という外側の探求はスピリチュアル業者にすっかり任せ、ご本人はその眼を自身の内奥にのみ向けられることを願って止みません。
それではsikkhaさん、どうも失礼しました。長文になりましたが通りすがりの一意見として軽く聞き流してやって下さい。ご返信には及びません。どうぞ宜しくお願い致します。
つい何気なく書いてしまった記事とは無関係のコメントでしたが、皆さまからの温かいご返信のおかげで気持ちがスッとしました〜。そして参考になりました。
今回の「阿雲の呼吸」には参加できませんが、次回からはぜひ気兼ねなく参加させて頂きたいと思います。
ありがとうございました〜!
「自分の見ている世界は、実は別の世界なのかも?本当は見えてる世界と全く違う世界なのかも?」と想像していた事がありますよ~。勝手に怖くなったりしてね(笑)
懐かしいなぁ~。
映画マトリックスの公開から10年以上経ちましたね。早いなぁ。。。
当時はスピリチャルとか全く意識していませんでしたが、劇場で映画を見終わった後、「そっかー!この世では何をしてもイイんだ!思い通りだ!」
・・・と、何故だか妙~に明るく元気になった記憶があります。何でか理屈無しに。
未だにどういった心境でそうなったのか分からないのですが、心の奥底で腑に落ちたんでしょうかね~。
こくさいさんのお話、もっと聞きたかったです。日曜日の日中のお話会があったらな~
大阪お話会
ありがとうございました。
また 会いにいけるように
がんばります。
おやすみなさい。
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なんで念じただけで元に戻れないんだろうかとか
自分て不思議で体があるけど中の意識とは同じ形してないし目とうい窓で覗いてる感じとか 体の切れ目って突き詰めると分からないとか
周りの人達は自分で作り出してるとか(誰かに言われたことかも夢?)
今思えばそういうことだと納得してる(’-’*)♪
その他にも変な考えもしてたね魂が一回キリだったとしたら死んだときあの世は魂で溢れかえるのかなぁとか(笑)