コメント
 
 
 
私も。 (はる)
2017-07-12 18:01:35
同じタイプの人間です。。小さい頃から母親に甘えられなかったのもあって何でも自分でやるのが当然でした。大人になっても人に頼る事、甘える事を知らずに過ごしてきました。自分の力でやらなければいけないという観念の強さは強力で…。それでもいろんな事があり、頼らなければならない事が増えてきて、ようやく人に頼れるようになりました。頼りすぎるのは甘えになるけど頼るのも一つの勇気だなって思います。
 
 
 
こくさいさん (めい)
2017-07-12 18:31:52
やさしいお話 ありがとうございます。

お話会 会いにいけるといいです。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2017-07-12 22:38:22
できないことを「できない」と言うのはけっこう勇気がいるんだよね。
そんなダサいことを言うくらいなら自分でなんとかしようとしてしまう。
そのせいでどれだけ無駄に苦労を重ねてきたことか。
そこに気づいてからはできないことは「できない」と言うし、できることも気が向いたときにしかやらなくなった。
今はすんげえ楽だわ。
 
 
 
素直な気持ちに (ちゃむ)
2017-07-12 23:25:04
素直な気持ちになれるお話でした。私もこの記事のような人でした。今でも油断すると一人でやってしまいそうになります。頼まれるのはいいのに自分は頼めない。本当に恐れと驕りですね。素直になりたいと思います。それが心をひらく第一歩。
 
 
 
ありがとう (be)
2017-07-13 06:45:36
「お前はこういう信念抱えてんだよ~!」(ゴラァ
と指摘する形でも発信できるっていうのにさ
「僕は・・・」という形で出してくれて
「お前は俺か!?」って共感できるようにしてくれて

恐れも驕りも そういった捉え方も
自分にもあるもんなぁ・・・
なにかと自分でやろうとしてしまうのって
気づいて やめられるもんなんだなぁ・・・

黒澤さんみたいに 素直になりたいよ
 
 
 
Unknown (moa)
2017-07-13 15:17:05
やさしい本泥棒 という映画を観ました。

言葉 とは。
それが持つ辞書にある意味よりも
わたしが感じるその柔らかさであったり 硬さであったり 美しいさであり汚さであり。
そのものが表す本当の意味 なんてあるのでしょうか?
わたしが感じる そのものがそのものの全て です。

わたしは黒斎さんの言葉が聞きたいです。
あの人が言ったこの人が言った、はどうでもいいです。
誤解なんてありません。誤解とは相違であり表裏であり、その人の持つ今の解釈です。
絶望が気づきになるように、誤解であってもそれに1番近いと思いませんか?

よく分かりませんがわたしは黒斎さんに
伝えたかったです。すいません。
ただただあなたの言葉が聞きたいです。
 
 
 
Unknown (ひかり)
2017-07-13 20:23:15
黒斎さんが、ふつうの人間の話をしてくれてる。
なんだかうれしいです(^-^)
いいないいな、人間ていいな♪
 
 
 
『真逆』の立場より (ただの「自分」)
2017-07-25 02:29:35
>自分が得意なこと(当たり前にできること・苦もなくできること)は、出し惜しみせず協力すればいいし、
>自分が苦手なこと(当たり前にできないこと・苦しみになること)は、得意な人に助けを求めればいい。
>そんな当たり前のことが、妙な信念に埋もれて、見えなくなっていました。

でも、黒斎さんの場合、このような経緯を辿らなければ、

>当たり前にできること・苦もなくできること
 =他の人が当たり前にできてなさそう、苦しみになってそうと判断できること
>当たり前にできないこと・苦しみになること
 =他の人が当たり前にできてそう、苦もなくできてそうと判断できること

の『基準』を、知ることができなかったのではないでしょうか?

自分の場合、その『基準』を持たないまま、物心ついた頃から、

「自分が得意なことは、出し惜しみせず協力すればいいし、
 自分が苦手なことは、得意な人に助けを求めればいい。」
が、『当たり前とすら感じない』くらい、当たり前で育ってきました。

つまり、ちょっとでもできると思えば、
『いつでも、どこでも、相手がどんな状態でも』
「こうすればいいよ、こうできるよっ!!」と、
相手にとって『ありがた迷惑』『余計なお世話』と気付かず主張し、
ちょっとでもできないと思えば、
『いつでも、どこでも、相手がどんな状態でも』
「これやって」「助けて」と、
相手にとって『何の努力もしてない奴』と思われたりする事に気付かなかったのです。

そんな事を繰り返しつつ総スカン食った上で、
『自他の境界線』を持つ事が必要と腑に落ち、
相手の様子を見ながら助け合う事ができるようになってきたのは、
20代後半を過ぎてからでした(汗)

自分のこのような経験から、
黒斎さんと自分は、元の『信念』『思い込み』が『真逆』ですが、
元の『信念』『思い込み』の種別が問題なのではなく、
いかに『信念』『思い込み』に気付いて、『バランス』を取っていくかが
重要な事なんだろうと思いました。

気付いてバランスを取っていく事ができれば、
『信念』『思い込み』は、『後悔の種』『不要なもの』とかではなく、
自身の『特性』として活かすこともできるようになっていくんだろうと思います。
 
 
 
Unknown (ざあみ)
2017-09-25 18:53:02
新入社員の頃、会社の給湯室の掃除を当番でやっていました。あるお局様はあの子はここが出来てない、この子はここが出来てないと、いつも怒っていましたが、ふと気づくと、そのお局様が気づかない場所を他の人がきれいにしていました。その時、あー、皆が違う所に気づいて掃除しているから、この給湯室はいろんな所が、キレイになるんだなぁ・・・と思いました。一人でしていたらその人が意識しているところしかキレイにならないんだなぁって。
そう思うと、お局様が怖くなくなりました。
これってこの給湯室だけじゃなく、全てのことに当てはまるなぁって。
 
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