コメント
Unknown
(
はる
)
2015-08-14 23:40:55
ふと見ると更新されてて嬉しかったです!
黒斎さん生きてて何よりです(涙)
夢から完全に覚めなくて良かったぁ(T_T)
何かをするって事は必ず何かが起こるし
その何かを考え過ぎてしまうと何も出来ないんですよね。。
最近はいろんな事故があって
どこに行くのも少しためらってしまいます。
ニュースになってる事が最近では
他人事のように思えなくなってきてるのが事実です。っというか…何があってもおかしくない感じ。生きてることが奇跡だとさえ思ってしまいます。今日も無事お布団で眠れる事に感謝です^_^
Unknown
(
Unknown
)
2015-08-15 07:23:50
若干死にかけた話を書いてほしかったです、笑
同じく
(
ふらかぜ
)
2015-08-15 13:01:24
余裕ができましたら、これまで書かれた解体新書の内容と、「若干死にかけた」というその瞬間の関連性を
示して頂けると助かります。
STAGE1の人間には、そのような具体的な情報が必要なんです。
薬で「もうダメかも」と実感した際に、突然雲さんとつながった時とは、また違う感覚ですよね?
黒澤さんとかでも「その瞬間」はSTAGE1に戻って必死こいてあたふたするしか無いものなのかも気になります(笑)
生きて居られるので、こんな酷い事もかけます(笑)
残りの「夏休み」もお忙しいでしょうから、できる時はのんびりして、五蘊を休ませてあげてくださいね。
黒澤さんの『その夢』で、黒澤さんの五蘊は、必死に頑張っているんだと思いますし。
『夢』でも『幻想』でも、そんな事どうだって良く、関係なく。
更新は気長にお待ちしてますので。
蝉の声って、何か幻想っぽいよな。
(
さむ
)
2015-08-15 13:23:07
こんにちは。 スーパー夏休み! Good!
色んな思い出ができると良いですね。( ^ω^ )ノ
昨日たまたま盆踊り会場の近くを通りがかったのですが、何だかたくさんの家族が夏休みしてましたね。
浴衣を着ているお母さんと子供たちも結構居て。みんな楽しそうで。
その瞬間、魂が遠い記憶を呼び覚まされているような感覚におちいりました。
遅い時間だったので会場から帰る家族たちとすれ違ったのですが、もう鳴っていないはずの笛や太鼓の囃子の音がどこかから聞こえてくる気がして。
目の前の情景に呼び起こされるのは小さい頃の思い出か、
それとも時代を超えた遠い記憶か。
…なんてことを考えるとちょっとワクワクするのは僕だけでは無いはず。(笑)
・・・
ところで危ない目にあったとのことですが、無事で本当に何よりです。
僕も多重事故から命からがら助かったことがあり、突然の死に直面した時のリアルな恐怖を今も思い出すほどです。
如何に日頃はスピリチュアルな観念でこの世界に実体がないなどと空想していようとも、いざ現実に死に直面したときには惨めなほどうろたえるものでした。
観念も思考もどこかに吹き飛び、恐怖に身体は硬直し、自分で聞いたことのない声が口から発せられました。
その後、危機が起きている間は、我々の生命は身体中にアドレナリンを駆け巡らせ、「生きる」ことに必死です。
怪我をしてもその瞬間やしばらくは痛みを感じず、その場から逃げるために体を突き動かそうとします。
「この世界には実体がない」という観念は肉体が持つ意識にとってはいい迷惑かもしれませんね。( ´∀`)アハハ
Unknown
(
Unknown
)
2015-08-15 14:03:29
私も死にかけた体験が聞きたいです
体験
(
星の花
)
2015-08-15 14:32:52
それを体験しながら 観察されてたんですね。状況に慌てず巻き込まれず 静観することが出来たなら 次に為すべく行為が同時に浮かぶものですね。
海の事故~遠い記憶が.....
子どもの頃に、どこまで息を止められるか?ごっこを一人でしていて、随分経った頃に「さぁ立ちましょう」って思ったら全く足がつかないばかりか、
見ると遥か遠くに岸辺があって 沢山の人がみえるんです。私は近くに浮きがみえる程の沖合まで流されて来てたのですが、 不思議な位に落ち着いていて、岸辺に戻る為に成すべく方法を実践してました。息が苦しくなって「これでダメならもう駄目だぁ」って思って立とうと思ったら、今度はあまりの浅瀬で立つに立てない....ここに来て 初めて慌てふためき溺れ死ぬかと焦りました汗。
行きも帰りも時間の長さを感じてないにも関わらず現実で目にしてた情景とのギャップが大きすぎる不思議な体験でしたが 強烈に〈生〉を意識させられた瞬間だったように思います。
溺れた?(≧∇≦\(- -;AKU@
(
シエル
)
2015-08-15 19:19:52
疑問なんですけどー(・.・)ノ?
わかっちゃってる主サマー☆でも、
そーした事象を事前に予感しないでアブネー目に遭うかな?って( ̄▽ ̄)??
はじめまして
(
たつや
)
2015-08-15 20:14:57
始めてコメントします。
先日、福岡で大和田さんのサットサンに参加しました。何を言っているのか分かりませんでしたが、心の深い所で共鳴している感じです。
もしできましたら来月の福岡での講演会、黒斉さんの言葉でノンデュアリティを説明していただけないでしょうか。黒斉さんでしたら、一般人にも伝える事が可能かと思います。
今までさんざんスピリチュアルの勉強をしてきましたが、相変わらず満たされない感じがしています。
もう僕はサンタクロースを信じていません。夢も見たくありません。
真実だけが知りたいのです。
よろしくお願いします。
夏休み宿題
(
芭蕉庵
)
2015-08-15 21:52:54
世界は素数で出来ている?
更新うれしいーい
(
かやとも
)
2015-08-15 22:09:37
久々に更新された!かと思って開いてみれば
「若干死にかけた」とは何事ですかー!!
無事に生還された(?)ようで、何よりです・・
きっと、大変怖い思いをされたことでしょう・・・
「人は死なない、産まれてないから」といっている
黒斎さんが、いざ死に直面した時、何を、どんなふうに
思ったのでしょうか?「やっぱり死ぬのはいやだー!!」でしょうか??是非お聞きしたいです。
ところで、先日こちらのプレゼントとして何個か書籍が並んでいましたが、結局全部買ってしまいました(笑)
(スピ本を読むのはどうだろう?とブログ欄で相談しておいて、結局買っちゃいました。。。すいません・・・)
中でも、飲茶さんの本が極めて面白く、分かりやすくて
こりゃすごいと唸りました。
また、こちらの本、森三中の大島さんの旦那様である
放送作家の鈴木おさむさんも読まれたようで、ブログに
本の表紙の写真が貼ってありました。何となく嬉しくなりました。
もう何千年も昔から、時を超え、時代を超え、
語りづかれているのはたった1つ。(思いっきり要約するとですが・・・)「私はいない」ということなのだ、と震える思いがしました。
そして今、それを真正面から伝えているのが
大和田菜穂さんなんだなぁと。
彼女のストレートな言葉は、「ぎょ?!」っと
なるんですが、本来、驚くことは何もなく、
昔っから言われてきた事ですよね?
お坊さんでは無く、黒斎さんや、阿部さんのような
男性でもなく(笑)、あの美しくて、聡明な菜穂さんに言われるとインパクトが大きいんです・・(なんでだろう?同じ女として、美人で羨ましくて、ちょっと嫉妬も入ったりしてるから?(笑)
あら、いつものように長くなっちゃいました。
すいません
9月の博多、参加しようかなと思っています
よろしくお願いします!
夏休みあけたら、またブログ更新してくださいませ!
楽しい夏休みをお過ごしくださーい!
インスピレーション
(
星の花
)
2015-08-16 05:55:53
まぁね♪確かにシエルは 直感のかたまりだからね~(*^▽^*)
「*.......*」も感じてた?....これには疎いの?
夏休み自由研究
(
ima(導通部)
)
2015-08-16 09:09:57
外にも、内にも、真実あり。
アドヴァイタ
(不二一元)
=
ノンデュアリティ
(非二元)
=
「自分(私)のマインド(思考)で起きることが
起きています。」
現実(マーヤー)は
『二元』個(こ)の世
バランスよく♪
夏休み
(
ひろ
)
2015-08-16 13:26:50
死にかけたと、さらっと書いていますが…ご無事で何よりです。
夏休み、楽しんでいらっしゃるようで、良い思い出になりそうですね。
私は、子供が夏休みとはいえ、変わらず仕事もあり、宿題や行事、レジャーに付き合うのに、いつもの倍忙しくなって、必死です(笑)バテます。
この「忙しい」(心を亡くす)とか、「必死」(必ず死ぬ( ; ゜Д゜)?)とか、こういう文字で書かれるような状態って、「私」が、時間の中にいて、あれもこれもやらなきゃと思っているから、思考に埋もれているんでしょうか。
それとも、目の前のやることをやるしかないので、「私」の思いに構っている暇がないから、逆?ちょっとわからなくなりました。
マインドに起こること
(
ima(導通部)
)
2015-08-17 06:04:54
何か出来事があります。それに対しての、
自分の
マインド(思考)の反応。
=起きること。
批判されたのであれば、
ある人は怒り
またある人は感謝をする。
そのマインド(思考)の反応が、起きること。
自分のマインドに起きることが起きただけ
です。
オリジナル笑
(
シエル
)
2015-08-17 21:38:12
チカゴロ馬鹿ナ分身がちら…ホラ( ̄▽ ̄)(笑)
お!(・・?)お二人さんU+2661は登場がほぼ同時☆
う…ウトイΣ( ̄▽ ̄;(微笑)
夏休み宿題答え?
(
芭蕉庵
)
2015-08-18 20:44:26
初めに言(ことば)があった。言は(一元の)神と共にあった。言は神であった
世界は素数でできている?
Unknown
(
あさこ
)
2015-08-21 22:59:42
浜松でのトークライブ、お疲れ様でした!浜松の人間は少しノリが悪いかもしれないですがシャイなだけです!是非次回もお願いしますm(_ _)m
めっちゃわかり易かった!
Unknown
(
タマキ
)
2015-08-22 00:32:10
いまさらながらスピリチュアルってなんですか?読みました!
すらすら読めて面白かったです。
ありがとうございました。
(
是非また次回も!
)
2015-08-22 12:09:40
黒澤さんのお話は 、とてもわかりやすくて、おもしろいので毎月浜松でお待ちしてますm(__)m
ありがとうございました
(
haluhaluhalu
)
2015-08-22 17:08:05
初浜松トークライブありがとうございました。私的には、阿部さんよりわかりやすいです。自分の人生でさえ夢なのに、子供までどーにかしよーと、無理なことに挑んでたことに笑っちゃいました^ ^
これからも、降参状態で楽にいこうと再確認出来ました。
嫌がらないで、またゼヒ浜松に来てくださいねU+2934U+FE0E
浜松月イチありがとうございました。
(
みーみ
)
2015-08-22 19:50:28
何年か前、東京まで公演を聞きに行き、今回浜松で。自分の中で何がわかったのかを確かめに行きました。黒澤さんが言いたいことがスッと入ってくる感じがあり、納得。でも、自分ではわかっているつもりなんだけど黒澤さんみたいに言葉であらわせな~い、ということもわかった。次の日友達に説明したくてもできなくて。
今度は友達連れていきます。また、是非おこしください。
無題
(
ななし
)
2015-08-23 01:40:51
本能寺の変とか踊ってるエグスプロージョン御存じですか?
エグスプロージョンの、おばらよしおって方に黒斎さん激似な気がするのは私だけでしょうか?←
テレビで見ると似てるのよくわかります←
失礼しました(^^;)
非二元
(
耶蘇子
)
2015-08-23 19:50:38
ぶっちゃけ大和田さんの事どう思っておられるの?
浜松 ひゃっほ~っ
(
ふうあ
)
2015-08-23 21:17:03
生 黒澤さん かっこよかったです~
ひとつの命で浜松の会場で今を共有できたなんてホント幸せな瞬間でした。
でも、もう今となっては夢まぼろしになってしまいましたが…笑
また是非いらしてくださいね
同じ空間を味わいたいです
遅かった〓
(
( ̄□ ̄;)!!
)
2015-08-24 11:20:36
わかってはいても何度も日にちを確かめやはりガーン(|| ゜Д゜)
今の今こんなんです
またタイミング逃した
○| ̄|_
(;´д⊂)
また来て下さい
Unknown
(
便乗犯
)
2015-08-24 12:07:00
ぶっちゃけ阿部さんの事本当はどう思っておられるの?
月1で質問したら答えてくれるかなぁ
禅とマインドフルネス
(
yam
)
2015-08-24 21:26:47
禅は何かになりきる事 行為そのものになりきる事だと分かってきました。
一方、徹底的に気づくこと、完全に意識的になることがマインドフルネス だと分かってきたのですが、
つまりこのふたつは、同じ仏教の方法論としてそれぞれ真逆のアプローチなんでしょうか?
禅ではマインドを捨て、気づき においてはマインドになりきる? ということでしょうか?
Unknown
(
無明
)
2015-08-26 20:03:34
yamさん
マインドフルネスのことは知りません。
専門家でないので禅のことも知っているとは言えませんが、
私の我流坐禅のことを話させてください。
禅も色々あります。
私の知っている範囲では、
只管打坐 只座る
数息観 息を数える
随息観 息を意識する
無字の公案 ムーととなえて無字になるきる。
などがあります。
只管打坐以外はマインドを捨てる意味合いが強いです。
特に無字の公案はそうです。
しかし只管打坐はマインドを捨てるというよりもマインドを湧くに任せながら追わないようにします。
わたしは只管打坐をしています。
エゴが悟ることはない意味
(
Unknown
)
2015-08-27 20:43:30
最近エゴが悟ることがない、キャラクター意識が悟ることはないというのが理解できてきました。
つまり、、これは言葉にするのは難しいですね。
降参することだ!
なにも考えないことだ!
意識を観察することだ!
と言葉にしてしまった瞬間に本当の意味が消えてしまう。
他人に言葉で伝えるような感覚ではない、伝えようとすればするほどむしろ伝えたいことから遠ざけてしまうことがむしろ普通なんじゃないかと。
自分なんてものは何処にもいなかった、全てが自分だった、この世界は個を確立した風な世界だった。
ノンデュアリティにいついて
(
しん
)
2015-08-27 21:46:21
はじめしして。こんばんは。
私も黒斎さんと同じ団塊ジュニアの世代です。
あの世に聞いた~の本面白かったです!
え~早速ですが・・・
先週土曜日、阿部さんと菜穂さんとみっちゃんの講演会を聞いてきたのですが、いまいちよくわかりません(^^;
ノンデュアリティにいついてもぜひ取り上げてください。
30年前私は、不二の思想を学校の先生に教えてもらいました。
科学の授業でしたが、科学に人はでてこない。
科学は公平無私である。
無私と言うのは、私がいる、いないの議論がないことであるというのです。
また、会話も存在しない、あるのは音だけである。
幻想の意識が、会話をしていると後付の解釈をしているだけなのだ。
だから、私はいないと言うのです。
また、脳みそに一番近い食べ物は豆腐だ!
(タンパク質の塊という意味らしい。。。)
豆腐は考えない、しゃべらないといいました。
不二と言っても峰不二子じゃないよ!
とおやじギャグも入ってました。。。
なんだか、わかるようなわからないようなそんな不二の思想を分かるように教えていただけると助かります。
大丈夫?
(
アルフ
)
2015-08-28 00:51:21
誰に向けてブログしてるの?
本当にヤバイのなら辞めてもいいけど、せめてブログだけを読んでる人には近況を説明するべきだと思います。
興味深いのでググってみました
(
ふらかぜ
)
2015-08-28 01:24:50
すると
「一体不二と云ふことはすでに是れ二に対した言葉であって唯一と云ふ意味ではない、故に分りよく言へば二にして不二と云ふべきなのである。元より一ならば最初から一と云べきであるが、宇宙の諸法其の現相から云へば、すでに是れ千差万別で決して一とは言はれない。即ち皆、大小、深浅、厚薄、高低、善悪、邪正、是非、得失、苦楽、迷悟と云ふやうに、悉く両々双々相対して二ならざるものはない。然るにその本体よりこれを見れば千差万別諸法皆悉く平等無差別の一源に帰せざるはない。是において二にして不二の法が現はれるのである。」
と出てきて、あーこういう事考えた事あるなぁ、と思い出しました。
という事は、しんさんに思い出させて頂きました。ありがとうございます。
『私』の体は数十兆個の細胞から構成されている、という事を学んで、よく妄想していた事があります。
赤血球とか、白血球とか、どういう思いで生きているんだろう?
アポトーシスで自壊する細胞は、嫌じゃないのかな?とか。
そんな細胞たちのお陰様で生きている、この『私』。
なんか無駄に生きてるよなぁ~、皆=細胞たち、ごめんね・・・とか思ったり。
でも、『この私』も、実はひとつの『細胞』に見えるのではないか?地球の『細胞』です。
その地球も、宇宙の『細胞』にしか過ぎず、その宇宙も他の並行宇宙と同じく何かの『細胞』にしか過ぎない・・・
・・・で、とか妄想しても、今こうして生きている『現実』は変わらないよなぁ、と我に返る。
『私』の細胞も、それを構成するものは複雑極まりなく、ミトコンドリアも元は細胞と共生した別の生き物だったとか、
こっちはこっちでどこまでいくんだろう、と気が遠くなったり。
なんつーか、そういう事なのかなぁ?とは思いはしますが、
やはり、何より、寝ても覚めても『この私』と感じていると思っている『これ』が続いてるのが、不思議なんですよねぇ~。
気のせい?
(
ぶるー
)
2015-09-01 23:24:28
黒斎さん今晩は、お盆辺りに沖縄に来る予定があった様な気がしましたが?
お盆だから難しくてなかったのか?
すでに、終わっているのか?(ちょと抜けてるので 笑)
んー、わかりませんが、カラーの違うお話を沖縄でも聞かせて下さい。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m
新学期
(
okapi
)
2015-09-02 10:32:10
黒澤さ~ん!
夏休み長ーい。
首がろくろになっちゃいました。
目から鱗の記事待ってます。
高齢化と悟り
(
Unknown
)
2015-09-02 12:06:16
辛い時、どんなに自分の感情をリアル感から少し距離を置いても
年老いた親の日常で毎日の催眠術のように繰り返す言葉からは、距離をうまく置く事ができずに悩む。
家族のサポートをうけながらの治療を受けていても、痛みが完全に取れない、老いと言う事実を受け止められない事を日々言葉で何の遠慮もなく発して来る。
痛いから〇〇できない、足が動かないので思うようにできないからこれをして。
できない、これをしてと頼まれるのは構わないけれど、こちらが重々承知なのに、其の前に必ず自分は何何だからと言わなくては気がすまない。
治療を受けていて、しかも家族のサポートもあり、どれだけそれが、ありがたい事かとは思ってくれない。。
結局、私はマイナスな言葉の洪水の中で、聞きたくなくてアレルギーをおこしてしまい耳の症状が出たりする。
親が、辛いその気持ちも、自分がこんな症状になる原因も解っているのにそれを自分がうまく流せない。
大声をわぁ~~~と放つくらいでは変えられないでいる。
高齢者も年齢のせいだけでなく我が儘になっている気がする。
トシを取るほどに悟って欲しい。
高齢化社会、こんな人が増えると思います。
若く、しかも相変わらず親の介護は女性が家族にいれば女性が中心になってする日本の社会の男性の黒斎さんには解らないかな。
「高齢化と悟り」について
(
papico
)
2015-09-02 14:09:36
Unknownさん
親御さんの介護、お疲れ様です。
心身の症状が出るとは、相当辛そうですね。
私もあと何年かすれば直面するだろう問題なので
他人事とは思えず返信いたします。
小さいころから母が(母にとって)義祖父母を介護するのを見てきました。
それから私にとっての祖母が若くして亡くなり、95歳までぴんぴんしている祖父も実は末期がん。
父と祖父の不和・葛藤の間に立ち、振り回されてきた母。
家庭の中での女性の役回りはいつも大変ですよね。
話がそれましたが、ご年配の方って、もう自分の考え方を変えるなんてことはできないようです。
ましては「家族に感謝する」「無い/できない、ではなく、ある/できることに感謝する」とか、今までしてこなかった方はなおさら。
特に、家族に対する感謝って、一番難しいみたいですね。
一番身近で、一番自分のことを思ってくれて、いろいろと世話をかける人たちなのに、不思議ですね。
他人に対しては、気軽に(笑)感謝したりありがたがったりする。
もちろん、ある日悟ったり、感謝の気持ちにあふれる方もいらっしゃる方もたくさんいるでしょう。
いろんな方が言われていますが、「すべての苦しみは、執着、自分の観念や思い込みから生まれる」。
この際、介護されている方は家族に感謝すべき、年寄りはさっさと悟るべき、という思いを捨てませんか?
また、家族(自分)がサポートすべき、という思い込みも捨てちゃってもいいと思うんです。
こっちがいくらそう(いい加減感謝してよね!)思っていても、絶対に相手はそうなってくれませんから。
逆に、いつも「○○できないか、痛みが消えないから」と訴えるのはなぜか、を考えてあげるというのはどうでしょう?
甘えたいのかな?同意してほしいのかな?親御さんは何に執着しているんだろう?開放してあげられないかな?
もし、もう寄り添う気持ちにすらなれないなら、無理しなくていいんですよ。
ご自身が親御さんを気持ちよく送り出せるよう、気楽になりましょう。
いつか自分も通る道。。。
Unknownさんも、すべてわかってらっしゃるんですよね、きっと。でも現実はそうもいかない、と。
私も実際そういう境遇に置かれたら、気楽になんてなれないかもしれない。。
生意気だと分かっていても、それでも、気楽に、と励ましたいです。
ご自身のお身体大切になさってくださいね!
Unknown
(
六代目
)
2015-09-02 17:04:48
ここで、介護の不満を言っててもなにもならないですよ。
大変なのは分かりますと言われても、あなたに何が分かる!と余計腹が立つだけでしょう。
むしろ、あとあと罪悪感に苦しむと思いますよ。
個人的に好きな言葉「戒禁取」
(
宙
)
2015-09-02 18:00:29
「情けは人の為ならず」と言いますが、やってあげた行為の対価に感謝を求めるのは如何なものでしょう(´・_・`)
情けの大義名分のもとに感謝を合法的な感じで強要する行為に見えます
では、なぜ感謝されたいのでしょうか?
恐らく、損をしたくない、報われたい、認められたいと思っているから。
良い人だと思われたい(又は悪い人だと思われたくない)という思いからお願い事を引き受け、損をしたくないから感謝を求め、感謝がなければ損をしたと思い苛立つというプロセス
「何かをして貰ったらお礼を言いましょう」というルールはありません。あくまで努力目標。感情論を削ぎ落とせば、「そうしたほうが人間関係が円滑になる」から皆がそう教えられます。
その努力目標をできない人間を吊るし上げる人間が多くいる
「あいつは挨拶もできない」
「あいつはちゃんと箸も持てないから育ちが悪い」
「あいつは気を使えない」等
こういう人たちの無意識の思考(自我?真我?)は恐らく
・俺が苦労したんだからお前も苦労しろ
・あいつはできないが、俺はできるから自分を認めて欲しい
自己正当化するいじめっ子の心理と一緒ではないでしょうか。
自分に感謝や挨拶をしないから怒るって、よく考えれば変な話じゃないでしょうか?
要は、感謝されないことにストレスを感じるよりも、別に意味はないのだから感謝されなくてもいいかと考えたほうがいいのではないかということ
雲黒斎さんも以前、仏教の戒禁取(かいごんじゅ)について記事を書いていましたが、戒めや儀式やルールやこだわりに囚われる必要はありません。
ずらずらと思ったことを書きましたが気に障ったらすみません
そんな時期だよ。
(
大日如来
)
2015-09-02 23:47:58
真っ当に生きたら
潮時迫ってるよ
大丈夫だって
若いんだから
マイペースな黒澤さん・・・
(
犬ヅラ改め犬顔兵士
)
2015-09-03 03:33:22
怒涛の連続更新に目が離せない日々があったかと思いきや、今は静まり返る最後の更新記事で、コメント数がチョビチョビ増えているのを確認するのが日課となりました。
記事は更新しなくても、コメントは律儀に日々承認して下さる・・・
そんな黒澤さんが私は好きです(笑)
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黒斎さん生きてて何よりです(涙)
夢から完全に覚めなくて良かったぁ(T_T)
何かをするって事は必ず何かが起こるし
その何かを考え過ぎてしまうと何も出来ないんですよね。。
最近はいろんな事故があって
どこに行くのも少しためらってしまいます。
ニュースになってる事が最近では
他人事のように思えなくなってきてるのが事実です。っというか…何があってもおかしくない感じ。生きてることが奇跡だとさえ思ってしまいます。今日も無事お布団で眠れる事に感謝です^_^
示して頂けると助かります。
STAGE1の人間には、そのような具体的な情報が必要なんです。
薬で「もうダメかも」と実感した際に、突然雲さんとつながった時とは、また違う感覚ですよね?
黒澤さんとかでも「その瞬間」はSTAGE1に戻って必死こいてあたふたするしか無いものなのかも気になります(笑)
生きて居られるので、こんな酷い事もかけます(笑)
残りの「夏休み」もお忙しいでしょうから、できる時はのんびりして、五蘊を休ませてあげてくださいね。
黒澤さんの『その夢』で、黒澤さんの五蘊は、必死に頑張っているんだと思いますし。
『夢』でも『幻想』でも、そんな事どうだって良く、関係なく。
更新は気長にお待ちしてますので。
色んな思い出ができると良いですね。( ^ω^ )ノ
昨日たまたま盆踊り会場の近くを通りがかったのですが、何だかたくさんの家族が夏休みしてましたね。
浴衣を着ているお母さんと子供たちも結構居て。みんな楽しそうで。
その瞬間、魂が遠い記憶を呼び覚まされているような感覚におちいりました。
遅い時間だったので会場から帰る家族たちとすれ違ったのですが、もう鳴っていないはずの笛や太鼓の囃子の音がどこかから聞こえてくる気がして。
目の前の情景に呼び起こされるのは小さい頃の思い出か、
それとも時代を超えた遠い記憶か。
…なんてことを考えるとちょっとワクワクするのは僕だけでは無いはず。(笑)
・・・
ところで危ない目にあったとのことですが、無事で本当に何よりです。
僕も多重事故から命からがら助かったことがあり、突然の死に直面した時のリアルな恐怖を今も思い出すほどです。
如何に日頃はスピリチュアルな観念でこの世界に実体がないなどと空想していようとも、いざ現実に死に直面したときには惨めなほどうろたえるものでした。
観念も思考もどこかに吹き飛び、恐怖に身体は硬直し、自分で聞いたことのない声が口から発せられました。
その後、危機が起きている間は、我々の生命は身体中にアドレナリンを駆け巡らせ、「生きる」ことに必死です。
怪我をしてもその瞬間やしばらくは痛みを感じず、その場から逃げるために体を突き動かそうとします。
「この世界には実体がない」という観念は肉体が持つ意識にとってはいい迷惑かもしれませんね。( ´∀`)アハハ
海の事故~遠い記憶が.....
子どもの頃に、どこまで息を止められるか?ごっこを一人でしていて、随分経った頃に「さぁ立ちましょう」って思ったら全く足がつかないばかりか、
見ると遥か遠くに岸辺があって 沢山の人がみえるんです。私は近くに浮きがみえる程の沖合まで流されて来てたのですが、 不思議な位に落ち着いていて、岸辺に戻る為に成すべく方法を実践してました。息が苦しくなって「これでダメならもう駄目だぁ」って思って立とうと思ったら、今度はあまりの浅瀬で立つに立てない....ここに来て 初めて慌てふためき溺れ死ぬかと焦りました汗。
行きも帰りも時間の長さを感じてないにも関わらず現実で目にしてた情景とのギャップが大きすぎる不思議な体験でしたが 強烈に〈生〉を意識させられた瞬間だったように思います。
わかっちゃってる主サマー☆でも、
そーした事象を事前に予感しないでアブネー目に遭うかな?って( ̄▽ ̄)??
先日、福岡で大和田さんのサットサンに参加しました。何を言っているのか分かりませんでしたが、心の深い所で共鳴している感じです。
もしできましたら来月の福岡での講演会、黒斉さんの言葉でノンデュアリティを説明していただけないでしょうか。黒斉さんでしたら、一般人にも伝える事が可能かと思います。
今までさんざんスピリチュアルの勉強をしてきましたが、相変わらず満たされない感じがしています。
もう僕はサンタクロースを信じていません。夢も見たくありません。
真実だけが知りたいのです。
よろしくお願いします。
「若干死にかけた」とは何事ですかー!!
無事に生還された(?)ようで、何よりです・・
きっと、大変怖い思いをされたことでしょう・・・
「人は死なない、産まれてないから」といっている
黒斎さんが、いざ死に直面した時、何を、どんなふうに
思ったのでしょうか?「やっぱり死ぬのはいやだー!!」でしょうか??是非お聞きしたいです。
ところで、先日こちらのプレゼントとして何個か書籍が並んでいましたが、結局全部買ってしまいました(笑)
(スピ本を読むのはどうだろう?とブログ欄で相談しておいて、結局買っちゃいました。。。すいません・・・)
中でも、飲茶さんの本が極めて面白く、分かりやすくて
こりゃすごいと唸りました。
また、こちらの本、森三中の大島さんの旦那様である
放送作家の鈴木おさむさんも読まれたようで、ブログに
本の表紙の写真が貼ってありました。何となく嬉しくなりました。
もう何千年も昔から、時を超え、時代を超え、
語りづかれているのはたった1つ。(思いっきり要約するとですが・・・)「私はいない」ということなのだ、と震える思いがしました。
そして今、それを真正面から伝えているのが
大和田菜穂さんなんだなぁと。
彼女のストレートな言葉は、「ぎょ?!」っと
なるんですが、本来、驚くことは何もなく、
昔っから言われてきた事ですよね?
お坊さんでは無く、黒斎さんや、阿部さんのような
男性でもなく(笑)、あの美しくて、聡明な菜穂さんに言われるとインパクトが大きいんです・・(なんでだろう?同じ女として、美人で羨ましくて、ちょっと嫉妬も入ったりしてるから?(笑)
あら、いつものように長くなっちゃいました。
すいません
9月の博多、参加しようかなと思っています
よろしくお願いします!
夏休みあけたら、またブログ更新してくださいませ!
楽しい夏休みをお過ごしくださーい!
「*.......*」も感じてた?....これには疎いの?
外にも、内にも、真実あり。
アドヴァイタ
(不二一元)
=
ノンデュアリティ
(非二元)
=
「自分(私)のマインド(思考)で起きることが
起きています。」
現実(マーヤー)は
『二元』個(こ)の世
バランスよく♪
夏休み、楽しんでいらっしゃるようで、良い思い出になりそうですね。
私は、子供が夏休みとはいえ、変わらず仕事もあり、宿題や行事、レジャーに付き合うのに、いつもの倍忙しくなって、必死です(笑)バテます。
この「忙しい」(心を亡くす)とか、「必死」(必ず死ぬ( ; ゜Д゜)?)とか、こういう文字で書かれるような状態って、「私」が、時間の中にいて、あれもこれもやらなきゃと思っているから、思考に埋もれているんでしょうか。
それとも、目の前のやることをやるしかないので、「私」の思いに構っている暇がないから、逆?ちょっとわからなくなりました。
何か出来事があります。それに対しての、
自分の
マインド(思考)の反応。
=起きること。
批判されたのであれば、
ある人は怒り
またある人は感謝をする。
そのマインド(思考)の反応が、起きること。
自分のマインドに起きることが起きただけ
です。
お!(・・?)お二人さんU+2661は登場がほぼ同時☆
う…ウトイΣ( ̄▽ ̄;(微笑)
世界は素数でできている?
めっちゃわかり易かった!
すらすら読めて面白かったです。
これからも、降参状態で楽にいこうと再確認出来ました。
嫌がらないで、またゼヒ浜松に来てくださいねU+2934U+FE0E
今度は友達連れていきます。また、是非おこしください。
エグスプロージョンの、おばらよしおって方に黒斎さん激似な気がするのは私だけでしょうか?←
テレビで見ると似てるのよくわかります←
失礼しました(^^;)
ひとつの命で浜松の会場で今を共有できたなんてホント幸せな瞬間でした。
でも、もう今となっては夢まぼろしになってしまいましたが…笑
また是非いらしてくださいね
同じ空間を味わいたいです
またタイミング逃した
○| ̄|_
(;´д⊂)
また来て下さい
月1で質問したら答えてくれるかなぁ
一方、徹底的に気づくこと、完全に意識的になることがマインドフルネス だと分かってきたのですが、
つまりこのふたつは、同じ仏教の方法論としてそれぞれ真逆のアプローチなんでしょうか?
禅ではマインドを捨て、気づき においてはマインドになりきる? ということでしょうか?
マインドフルネスのことは知りません。
専門家でないので禅のことも知っているとは言えませんが、
私の我流坐禅のことを話させてください。
禅も色々あります。
私の知っている範囲では、
只管打坐 只座る
数息観 息を数える
随息観 息を意識する
無字の公案 ムーととなえて無字になるきる。
などがあります。
只管打坐以外はマインドを捨てる意味合いが強いです。
特に無字の公案はそうです。
しかし只管打坐はマインドを捨てるというよりもマインドを湧くに任せながら追わないようにします。
わたしは只管打坐をしています。
つまり、、これは言葉にするのは難しいですね。
降参することだ!
なにも考えないことだ!
意識を観察することだ!
と言葉にしてしまった瞬間に本当の意味が消えてしまう。
他人に言葉で伝えるような感覚ではない、伝えようとすればするほどむしろ伝えたいことから遠ざけてしまうことがむしろ普通なんじゃないかと。
自分なんてものは何処にもいなかった、全てが自分だった、この世界は個を確立した風な世界だった。
私も黒斎さんと同じ団塊ジュニアの世代です。
あの世に聞いた~の本面白かったです!
え~早速ですが・・・
先週土曜日、阿部さんと菜穂さんとみっちゃんの講演会を聞いてきたのですが、いまいちよくわかりません(^^;
ノンデュアリティにいついてもぜひ取り上げてください。
30年前私は、不二の思想を学校の先生に教えてもらいました。
科学の授業でしたが、科学に人はでてこない。
科学は公平無私である。
無私と言うのは、私がいる、いないの議論がないことであるというのです。
また、会話も存在しない、あるのは音だけである。
幻想の意識が、会話をしていると後付の解釈をしているだけなのだ。
だから、私はいないと言うのです。
また、脳みそに一番近い食べ物は豆腐だ!
(タンパク質の塊という意味らしい。。。)
豆腐は考えない、しゃべらないといいました。
不二と言っても峰不二子じゃないよ!
とおやじギャグも入ってました。。。
なんだか、わかるようなわからないようなそんな不二の思想を分かるように教えていただけると助かります。
本当にヤバイのなら辞めてもいいけど、せめてブログだけを読んでる人には近況を説明するべきだと思います。
「一体不二と云ふことはすでに是れ二に対した言葉であって唯一と云ふ意味ではない、故に分りよく言へば二にして不二と云ふべきなのである。元より一ならば最初から一と云べきであるが、宇宙の諸法其の現相から云へば、すでに是れ千差万別で決して一とは言はれない。即ち皆、大小、深浅、厚薄、高低、善悪、邪正、是非、得失、苦楽、迷悟と云ふやうに、悉く両々双々相対して二ならざるものはない。然るにその本体よりこれを見れば千差万別諸法皆悉く平等無差別の一源に帰せざるはない。是において二にして不二の法が現はれるのである。」
と出てきて、あーこういう事考えた事あるなぁ、と思い出しました。
という事は、しんさんに思い出させて頂きました。ありがとうございます。
『私』の体は数十兆個の細胞から構成されている、という事を学んで、よく妄想していた事があります。
赤血球とか、白血球とか、どういう思いで生きているんだろう?
アポトーシスで自壊する細胞は、嫌じゃないのかな?とか。
そんな細胞たちのお陰様で生きている、この『私』。
なんか無駄に生きてるよなぁ~、皆=細胞たち、ごめんね・・・とか思ったり。
でも、『この私』も、実はひとつの『細胞』に見えるのではないか?地球の『細胞』です。
その地球も、宇宙の『細胞』にしか過ぎず、その宇宙も他の並行宇宙と同じく何かの『細胞』にしか過ぎない・・・
・・・で、とか妄想しても、今こうして生きている『現実』は変わらないよなぁ、と我に返る。
『私』の細胞も、それを構成するものは複雑極まりなく、ミトコンドリアも元は細胞と共生した別の生き物だったとか、
こっちはこっちでどこまでいくんだろう、と気が遠くなったり。
なんつーか、そういう事なのかなぁ?とは思いはしますが、
やはり、何より、寝ても覚めても『この私』と感じていると思っている『これ』が続いてるのが、不思議なんですよねぇ~。
お盆だから難しくてなかったのか?
すでに、終わっているのか?(ちょと抜けてるので 笑)
んー、わかりませんが、カラーの違うお話を沖縄でも聞かせて下さい。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m
夏休み長ーい。
首がろくろになっちゃいました。
目から鱗の記事待ってます。
年老いた親の日常で毎日の催眠術のように繰り返す言葉からは、距離をうまく置く事ができずに悩む。
家族のサポートをうけながらの治療を受けていても、痛みが完全に取れない、老いと言う事実を受け止められない事を日々言葉で何の遠慮もなく発して来る。
痛いから〇〇できない、足が動かないので思うようにできないからこれをして。
できない、これをしてと頼まれるのは構わないけれど、こちらが重々承知なのに、其の前に必ず自分は何何だからと言わなくては気がすまない。
治療を受けていて、しかも家族のサポートもあり、どれだけそれが、ありがたい事かとは思ってくれない。。
結局、私はマイナスな言葉の洪水の中で、聞きたくなくてアレルギーをおこしてしまい耳の症状が出たりする。
親が、辛いその気持ちも、自分がこんな症状になる原因も解っているのにそれを自分がうまく流せない。
大声をわぁ~~~と放つくらいでは変えられないでいる。
高齢者も年齢のせいだけでなく我が儘になっている気がする。
トシを取るほどに悟って欲しい。
高齢化社会、こんな人が増えると思います。
若く、しかも相変わらず親の介護は女性が家族にいれば女性が中心になってする日本の社会の男性の黒斎さんには解らないかな。
親御さんの介護、お疲れ様です。
心身の症状が出るとは、相当辛そうですね。
私もあと何年かすれば直面するだろう問題なので
他人事とは思えず返信いたします。
小さいころから母が(母にとって)義祖父母を介護するのを見てきました。
それから私にとっての祖母が若くして亡くなり、95歳までぴんぴんしている祖父も実は末期がん。
父と祖父の不和・葛藤の間に立ち、振り回されてきた母。
家庭の中での女性の役回りはいつも大変ですよね。
話がそれましたが、ご年配の方って、もう自分の考え方を変えるなんてことはできないようです。
ましては「家族に感謝する」「無い/できない、ではなく、ある/できることに感謝する」とか、今までしてこなかった方はなおさら。
特に、家族に対する感謝って、一番難しいみたいですね。
一番身近で、一番自分のことを思ってくれて、いろいろと世話をかける人たちなのに、不思議ですね。
他人に対しては、気軽に(笑)感謝したりありがたがったりする。
もちろん、ある日悟ったり、感謝の気持ちにあふれる方もいらっしゃる方もたくさんいるでしょう。
いろんな方が言われていますが、「すべての苦しみは、執着、自分の観念や思い込みから生まれる」。
この際、介護されている方は家族に感謝すべき、年寄りはさっさと悟るべき、という思いを捨てませんか?
また、家族(自分)がサポートすべき、という思い込みも捨てちゃってもいいと思うんです。
こっちがいくらそう(いい加減感謝してよね!)思っていても、絶対に相手はそうなってくれませんから。
逆に、いつも「○○できないか、痛みが消えないから」と訴えるのはなぜか、を考えてあげるというのはどうでしょう?
甘えたいのかな?同意してほしいのかな?親御さんは何に執着しているんだろう?開放してあげられないかな?
もし、もう寄り添う気持ちにすらなれないなら、無理しなくていいんですよ。
ご自身が親御さんを気持ちよく送り出せるよう、気楽になりましょう。
いつか自分も通る道。。。
Unknownさんも、すべてわかってらっしゃるんですよね、きっと。でも現実はそうもいかない、と。
私も実際そういう境遇に置かれたら、気楽になんてなれないかもしれない。。
生意気だと分かっていても、それでも、気楽に、と励ましたいです。
ご自身のお身体大切になさってくださいね!
大変なのは分かりますと言われても、あなたに何が分かる!と余計腹が立つだけでしょう。
むしろ、あとあと罪悪感に苦しむと思いますよ。
情けの大義名分のもとに感謝を合法的な感じで強要する行為に見えます
では、なぜ感謝されたいのでしょうか?
恐らく、損をしたくない、報われたい、認められたいと思っているから。
良い人だと思われたい(又は悪い人だと思われたくない)という思いからお願い事を引き受け、損をしたくないから感謝を求め、感謝がなければ損をしたと思い苛立つというプロセス
「何かをして貰ったらお礼を言いましょう」というルールはありません。あくまで努力目標。感情論を削ぎ落とせば、「そうしたほうが人間関係が円滑になる」から皆がそう教えられます。
その努力目標をできない人間を吊るし上げる人間が多くいる
「あいつは挨拶もできない」
「あいつはちゃんと箸も持てないから育ちが悪い」
「あいつは気を使えない」等
こういう人たちの無意識の思考(自我?真我?)は恐らく
・俺が苦労したんだからお前も苦労しろ
・あいつはできないが、俺はできるから自分を認めて欲しい
自己正当化するいじめっ子の心理と一緒ではないでしょうか。
自分に感謝や挨拶をしないから怒るって、よく考えれば変な話じゃないでしょうか?
要は、感謝されないことにストレスを感じるよりも、別に意味はないのだから感謝されなくてもいいかと考えたほうがいいのではないかということ
雲黒斎さんも以前、仏教の戒禁取(かいごんじゅ)について記事を書いていましたが、戒めや儀式やルールやこだわりに囚われる必要はありません。
ずらずらと思ったことを書きましたが気に障ったらすみません
潮時迫ってるよ
大丈夫だって
若いんだから
記事は更新しなくても、コメントは律儀に日々承認して下さる・・・
そんな黒澤さんが私は好きです(笑)