沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 琉球新報記事

2015年07月29日 13時47分37秒 | マスコミジャーナリズム

県、協議書取り下げ要求へ 辺野古埋め立て 受理も内容不十分

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-246470-storytopic-3.html

工事車両阻止で一時混乱 市民と機動隊押し合う 辺野古

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-246469-storytopic-3.html

基地被害 現状発信へ 米記録映画製作者トレンブレーさん

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-246454-storytopic-1.html

 このようにアメリカ合衆国は自分たちのしていること(軍事的国策的世界的に)について、国家安全保障機構の下、情報操作によって誤った情報知識により統制された自由、を自由そのものと思い込んでいる、ということだ。このことは米国流自由民主主義の欺瞞性として世界的に検証糾弾しなければならない質のものと思料する。


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 琉球新報記事

2015年07月29日 09時34分49秒 | マスコミジャーナリズム

「自衛官募集」中学生宅へ直接郵送 住民台帳基に沖縄地方協力本部

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-246443-storytopic-1.html

こういうことをする場合、安保法制の成立後、確実に自衛官の海外派兵があり得て、しかも明らかな戦闘部隊として殺傷任務に就くことを中学生に説明しなければならない。今の中学生がこれをどう受け止めるかはわからないが、その上での学生の判断ならばどうかということはその後の検証になる。

 いずれにしろ「日本会議」というネオナチ組織の浸透力は知らぬ間にこの国のいたるところでその効果を発揮し始めている。


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 沖縄タイムス記事

2015年07月29日 09時21分47秒 | マスコミジャーナリズム

辺野古本体工事の協議書、国へ取り下げ要求視野  翁長知事きょう判断

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=126221

県と国の関係性が全く分からない在り様だ。スラップ裁判と同断である。それだけこの国が取り分け沖縄県に対して通常の申し開きができない国策を推し進めていることになる。県の立場の弱さに付け込んでこうした逆転手続きを敢行する安倍政権の漫画的な時代錯誤、復古主義には実に辟易する。

 


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 琉球新報社説

2015年07月29日 09時13分49秒 | マスコミジャーナリズム

<社説>首相補佐官発言 政権の本音ではないのか

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-246438-storytopic-11.html

 安倍晋三配下のこの政権がやっていることは私家憲法の押し売りにほかならず、間違いなく憲法96条から98条違反に該当することであって、国会議員としての権限の濫用、その資格問題にまで言及されるべき大問題なのである。にも拘らずこの国は野党はじめこの大問題を不問に付しているか全く気付かないのか、まるで戦後民主主義の虚妄そのままに愚劣なお祭り騒ぎに興じている、あの学生運動会並の幼稚さ、KYぶりである。


詩595 沖縄からの発信 20 オキナワを知る、ということ 4

2015年07月28日 08時57分54秒 | 政治論

 土着流民という捉え方の違いは何か。所謂琉球民族という人種的分別からすれば、このヤマトゥとの進み行く混淆から今や民族人種的識別が不可能なものに移行したと言えるのではないか。家郷を奪われた民族の流民化は必然であろう。それは広大な敷地と空域海域にわたる米軍基地乃至米国政府支配領域によって覆われた県土という認知から事実上断定されるものだ。但し居留地を一定の地域に限定した土着民としてのアメリカインデアンとは違い琉球民族は基地周辺に流民として食いつくように居住している(結果的にはそうさせられているというのが現状だ)。そして米国も日本も例えば普天間のように、こうした民族的隔離政策を執ることなく言わば居住権を野放しにして軍官民雑居の不手際を招来することとなった。この不手際を糊塗するかのように日米両政府は米軍基地を県内の別の場所に移設するという手段に打って出た。つまり危険性を帯びた基地は比較的人口希薄な過疎地に、という考え方である。しかしながら狭小な弧状の沖縄本島に隔離的に基地を散在させることなど、その訓練実態から見ても実際上は意味のない話である。つまり日本国内平等分散配置、というのが最も有効な軍官民相互別居方法のはずだ。それを敢えて断行することなく、矛盾に満ちた、当然に住民反対を招く県内移設に拘泥するのはなぜか。しかも辺野古に関してはそのために莫大な費用を掛けて反対運動等で遅滞しつつ何十年となくこだわり続けている。アメリカにとっては財政的に日本側が肩代わりするので何年かかろうが痛くもかゆくもなくむしろ願ったりかなったりが本音だ(おまけにどこかで人殺しをしてきた兵士が寛ぐ場として格好のリゾート地であり息抜きにはうってつけということになる)。一方日本政府にとって米軍駐留は必至のアイテムであり、何事にもまれ住民反対どこ吹く風でとにかく米軍がどこかに存在すればいいわけだ。どこでもいいはずである。

 以上のような具合で沖縄問題は膠着している。しかし、琉球沖縄の「アイデンティテイ」とかプライド、あるいは矜持というのは、民族自決は勿論文化的独立性をこそ大いに言揚げする。従って、21世紀現代世界思潮の中で、明らかに日米政府の琉球沖縄に対する処遇対処法には「植民地主義」という遺物が歴然としてあることを告げている以上、これに盲目に追従し土着民の如くこそこそと県土の隅っこに凝り固まって生きさらばえることなど到底堪忍ならぬ事態である。

 流民化している現在の琉球沖縄民族は何よりも県土を米軍基地から開放し、本来の家郷として取り戻すことを第一と考える。その取っ掛かりが辺野古移設絶対反対であり、移設阻止こそが喫緊の課題となる。それは当然だ。これ以上日米政府のほぼ業務懈怠というべき政治的思惑に思い通りの悪行をさせるわけにはいかない。しかもほぼ永久的に設置される一大軍事基地を一体どこの誰がどうぞと歓迎するというのか。一時的仮払いのはした金で靡く一部のウチナンチュにもどこかに違和感があるに相違ない。(つづく)