沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩の終わり (再掲)南風(バイヌカジ)の吹く日 沖縄読谷村集団自決

2019年01月08日 10時50分18秒 | 政治論

「南風(バイヌカジ)の吹く日」 沖縄読谷村集団自決  下嶋哲朗著 童心社1984年発行

 集団自決のチビチリガマで「肝試し」。心霊スポット化する沖縄の戦跡 https://www.huffingtonpost.jp/2017/09/16/chibi-chiri-gama_a_23212026/

(HUFFPOST2017年9月21日記事)

 つい先だって、ほかならぬ沖縄生まれの少年数人が「肝試し」と称して所謂「チビチリガマ」に入り、中にあった折り鶴等器物損壊の罪で逮捕された話は、未だ耳新しいニュースとして流布しているが、日頃沖縄に関する様々な心痛む話を聞かされている者にとっては、どうにも複雑な心境にならざるを得ない話として、これが心中奇妙にくすぶり続けている。事実上少年たちは少なからず「反省し」謝罪文など公表したが、一方で、こうした戦後生まれの戦争知らずの世代や、弱年者に対する沖縄戦等史実の伝承が、どうやらうまくいってないことを如実に物語る、今の沖縄の現実を示す結果となったようだ。恐らくこういう傾向というのは、今の本土内地ヤマトゥの、所謂「戦争を知らない」世代の、ある歪んだ傾向と軌を一にしているものと思われる。要は沖縄の対戦争観、あるいは戦争に対する対し方が、何気に本土化しているような感じだ。この「感じ」はうまく言い表せない。

 かつて琉球処分後沖縄では、言論界、マスコミなど通じ所謂本土内地ヤマトゥへの「同化策」の嵐が吹き荒れた。「方言札」などというまがいものも、教育の現場ではまことしやかに行われていた。明治維新以来大日本帝国が、近代化の美名!のもとに(帝国主義的意味でしかない)富国強兵、殖産興業、欧化、といった流れの中で起こした日清・日露両戦役に奇跡的に勝利し、上げ潮ムードで勢いづいていたころ、皇民化教育と軍国主義が一体になって国民を一路、戦争肯定礼賛ムードに引きずり込み、沖縄でもこういう教育の中「護国の鬼」と化した人群を遍く生み出した。自ら開戦の口火を切った関東軍の謀略によりやがてその後泥沼化した日中戦争は、米英との太平洋戦争へ否応なくなだれ込み、引き返しようもない地獄のような業火の中へ日本国民を落とし込んだのであり、沖縄もまた、「マインドコントロール」された「鬼畜米英」一色であの悲劇的な「沖縄戦」を迎える。

 沖縄戦は戦略上歴史的評価の中では、明確に無駄で無益な、本来参謀本部が実行してはならない「犬死」戦争だった。これを、本土防衛の防波堤、本土決戦の時間稼ぎ、捨て石作戦、など、本土風情で単純に括ろうとするが全く真相を伝えてない。実際、敗戦まで約半年に及ぶ醜い戦争は、完膚なきまで破壊しつくされた「防波堤」沖縄の目も当てられぬ惨状をさらけ出し、「本土決戦」などまずもって不可能な時間経緯のうちにぶざまに「無条件降伏」したのであり、その内容は要するに「天皇国体」の護持を約束された天皇の、無責任極まりない戦争行為「投げ出し」にすぎなかった。

 しかし彼は、敗戦後「戦犯訴追」を免れ何の反省もこれなきままに、沖縄琉球を無条件で無期限的に米国に差し出して、平然と「戦後防共最前線にするよう」のたまうた。これ(極めて政治的外交的発言)を口にする権限も資格も天皇にはなく(と現行憲法は明確に定めている)、今でいえば明らかな憲法違反行為だ。しかもそれこそが現行沖縄差別の戦後的な意味の確定的行為だと、沖縄は言わねばなるまい。何故なら、敗戦後の本土内地ヤマトゥの日本人は、無批判にこの開戦責任真っただ中にあったはずの天皇制の存続を何となく許し、その制度の持つ自動的、自発的犯罪性を黙過することにためらわなかったからだ。かくして日米両国民は無反省にも、無益で無駄であった沖縄戦のその戦禍に、彼ら自身が叩き込んだほかならぬ琉球沖縄を、異国の軍隊と自衛隊による軍拡行為の最前線拠点とすることとなった。ここに大和民族の、法的に言えば「未必の故意」にあたる日米安保容認推進の、「沖縄を犠牲とする」黙認行為が明確に定置される。これはほかならぬ大和民族が抱える総体的な「不正義」であり、民族的堕落の抜きがたい因源だ。まさに返還を成した佐藤元首相が、「沖縄返還なくして日本の戦後はない」といったように、この不正義をこそ退治しなければ日本の未来はないのである(但し佐藤のそれは裏密約で覆われたまがいものだった)。

 国連がこの国に勧告するように、異民族である琉球民族を「同国人」と偽ってその人権を剥奪するかのような米軍基地偏在化に勤しんでいる大和民族の政府は、21世紀における最低最悪の非民主的国家機関と言わざるを得ない。当然「普天間代替施設」と称しながら、既に60年代に目論んでいた一大辺野古新基地の建設は、日米両政府が画策する詐欺的な国家的国際犯罪、というべきであろう。

 このだいぶ以前に書かれた「チビチリガマ集団自決」に関する報告書は当時のこの事件に対するこの国の在り様なども醸し出しているが、それとは別に、その後慶良間諸島での「集団自決」にまつわる裁判沙汰と判決結果から、「集団での自決」、ではなく旧日本軍による強制死という言い方に変えられるのかもしれない。米軍上陸のかなり初期的段階でのこの悲劇は、読谷村がまさに本島への最初の米軍上陸地点だったこともあって、まさに「ためらいもなく」実行された集団での自裁行為という印象を与える。「報告書」は、軍による直接的な命令があったわけでない、と断りつつ、当時の一般住民が置かれた状況、立場、成行きからすれば、「生きて虜囚の辱め」を受けるより死を、という心情、心性に傾くことは容易に推察され、取り分けて同じ壕にいた日本兵(大陸で自ら南京事件も経験しているはず)の、米兵による残虐行為の空恐ろしい結末への扇情的言辞が、当然に自ら死を選ぶべき雰囲気に誘っただろうことを述べている。そのとおりであろう。

 一家掃滅(全滅)、という文字が並ぶ、各戸別死亡者名簿は、この国が起こし無駄に長引かせた必敗の戦役がいかに残酷な結果を示すか、明瞭に伝えている。そしてこの国とアメリカ合衆国が、今持ってこの地に居座り内国植民地化し、琉球の人々の生存生活環境を蹂躙しているその非人間的な、傍若無人で無神経な有り様には、到底これを黙過・黙認・許容し得ない憤激しか起きてこない。歴史的事実への真摯で謙虚な態度さえもてば、風化するどころか今そのまま眼前に広がる悲惨な光景が、我々現代の人間を激しく打ちのめすのだ。誰がこれを見て、今の日米国家政府や政治家、官僚、国民たちのような無関心無反応で済むか。

 大和民族は、こうした、先の大戦の引き起こしたむごたらしい事実にはっきりと目を向け、今自分らがしていることのいかに罰当たりなものか、よくよく反省しなければならない。筆者から見ると、豪雨洪水熱暑等甚大な被害を避けえない、無残な自然災害にひっきりなしに襲撃されている本土内地ヤマトゥの日本人が、まさに天の怒り、天罰を受けているようにさえ思えてくる。あなたがたが見聞きし読むべきものは、この国の犯した過去の過ちに関するもの以外にない。(つづく)



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