沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩398 沖縄からのメッセージ 22の2

2013年03月08日 16時58分36秒 | 政治論
 日本国の、この違憲状態の不作為な継続は、立法行政2権の懈怠と取られるのは当然であり、諸外国が、自国の憲法に違背する軍隊をこそこそ展開する日本というものに警戒感を持つ(中国韓国アジア諸国など)のも自然だが、現在の一票の格差における「違憲状態」を無視して強行される立法府の、極めて政治的な動向というものには同様に国の民も立ち止まり警戒しないわけにはいかない。
 違憲状態が放置された法治国家って一体何だ?自民政権のえらく永続的な一党支配状況からすると、こいつら、政権維持のためには、あらゆる手段で行政権の不当行使を臆面もなく繰り返すつもりらしい。司法権が腐っていくのもむべなるかな、か。
 どうして「違憲だから無効」という判決ができないのかといえば、そこに行政側のつまりは政府側のなんらかの圧力が加わっているのは見えている。勿論また、9条違背のこの状況は米国の思惑が日本国を牛耳っている真相を暴いている。
 沖縄にとって「屈辱の日」である4月28日を、わざわざ「主権の回復」と見る安倍晋三というありふれた愚人の見識のなさを嘆くのは、単にこの脆弱な坊ちゃん政治家を生み出す母胎たる、日本国の精神性の低さを託つ民衆的慨嘆を意味するだけでなく、(敗戦以来)本来性を喪失したこの民族の、遣りきれない、淪落の果てが見えない事からくる底知れぬ嫌悪感のなせるわざではある。
 勿論沖縄に関する本土人の無知無関心が根底にあり、例えば昭和天皇の敗戦後の発言に含まれる、鞭のようにしなる「沖縄差別」は、したたかに現代アメリカ軍事植民地主義を裏打ちしているのが見て取れる。
 ちょっと考えるだけで、なんでアメリカはこの沖縄にしつこく居座っているのか不思議としか言い様のない気持ちになるのだが、本土の日本人の大多数は、いずれ沖縄の歴史的経緯についてまるで無知なので、彼らがこれを理解することは到底有り得ないことと諦めるしかない。
 むしろ易易と忘却の彼方に置き去りにして顧みない本土の敗戦体験姿勢に比較して、メデアマスコミ挙って連日のようにあの戦争を凝視しようという試みにある沖縄では、本土からの移住者である筆者も知らず知らず心が平らかになって、あの戦争を真摯に顧みる個人的な企ての有効性に感づかされるのだ。(つづく)


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