沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩596 LITERA記事 田崎史郎とケント・ギルバートに自民党からカネが支払われていた! 政治資金収支報告書で発覚

2017年12月05日 18時27分57秒 | マスコミジャーナリズム

田崎史郎とケント・ギルバートに自民党からカネが支払われていた! 政治資金収支報告書で発覚

http://lite-ra.com/2017/12/post-3627.html

 

詩596 沖縄タイムス辺野古高江ツイート

2017年12月05日 18時23分17秒 | マスコミジャーナリズム
 
  1.  
     2時間2時間前

    12月5日午後2時45分から1時間にわたり、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲートから生コン車21台を含む工事車両85台が基地内に入りました。大型車が数珠つなぎに入り、辺りには砂ぼこりが舞っていました。今日の搬入は合計201台でした。

  2.  
     5時間5時間前

    12月5日正午、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲートから38台の工場用車両が入りました。今日2回目の搬入です。

  3.  
     9時間9時間前

    12月5日午前9時20分、名護市辺野古崎西側の「N5」護岸建設現場では運び込まれた石材が次々と海に投下されています。新基地建設に反対する市民は抗議船から「石材の投下は今すぐやめて下さい」と現場作業員に訴えました。  


詩632 日米政府と沖縄の在り様 6

2017年12月05日 08時29分56秒 | 政治論

 戦場で「あなたは何故人を殺したのか」という医師ニール・ダニエルズの何度目かの問いとそれに対するいくつかの答えの後に、ぽつりと「殺したかったから殺した」と、最後にアレン・ネルソンは答えた。上官の命令や軍隊の所為にするのでなくほかならぬ自分の中の殺人願望のことに彼は気づいた。アレンは元海兵隊員でありかつベトナム帰還兵で重症のPTSDを患っていた。

 アレン・ネルソン「戦場で心が壊れて  元海兵隊員の証言」は2006年に新日本出版社から出版された。「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」や「沖縄に基地はいらない」の著者でもある。数多くの講演活動の末2009年3月25日、主にかつての戦場ベトナムで被ったであろう枯葉剤の影響で白血病にり患し死去。

 前に一度読んでいたが昨日読み返し(総ページ156のもので一日で一気に読んだ)、沖縄が訴えたいはずの事が見事に明確に示されていると感じた。この著書が訴えようとするところを沖縄県民は勿論、本土内地ヤマトゥの日本人に広く伝えるべきだと思った。同時に現在沖縄にいる海兵隊員、自衛隊員、高江辺野古で警備に駆り出され、命令通り無批判に市民に対峙して暴力的な排除行為をした多くの機動隊員、海上保安庁職員、民間警備会社社員にも読んでほしい。当然ながら、沖縄に安保負担を押し付けている日本政府、政治家、識者、安保マフィアたちにも突きつけてやりたい。あなたがたのしていること、あなたがたが知らないでいること、は事実はこういうことだと。端的に言えば、あらゆる基地公害、米兵犯罪は明確に次の事実を示している。軍隊は一般住民と決して同居できず「良き隣人」になどなれるはずもなく、その性格上むしろ住民の敵となる存在だと。これは単なるありふれた標語のなぞりなんかではない。切実な現実を味あわされている沖縄県にとっての、極めておぞましい身震いするほどの教訓なのだ。

 我々が意識せずとも否でも目につく、今頻発する個人による大量殺戮事件の大元は、恐らくは自己決着型の結果的な意味の自殺(死刑)願望が然らしめている、潜在的な、他人を「殺したい」気持ちの表出にあるだろう。その底にある生育生活環境の劣悪さや日常化する暴力的自己発現欲、自己顕示欲の実現動機などがこうした犯罪の重要なきっかけを作る。

 「罪と罰」のラスコーリニコフは形而上学的な推論の末に一種のヒロイズム、もしくは超人思想の具体化として、悪の権化である「金貸しの婆さん」を殺すという行為に思いきり自己決着する。しかし彼には自殺願望などない。否それは願望などではない。正確にはそれは社会に対する究極の「甘え」である。しかも個人の中で肥大化した醜悪なエゴイズムでしかない。だがそこに決着しようという彼らは初めから抑圧されている。抑圧への反発、そこからの脱却、反社会性への飛躍、そういう一種の逃れようのない心理的メカニズムの中にいる。つまり、永山則夫がその事件の前に読んでいた「罪と罰」は、反作用としての筋道をつくったということだが、彼はその下巻を読んでいない。「罪と罰」という小説はこのおぞましいほどの「甘え」を真っ向から否定(それは既に作中の批評家ポリフィリ刑事の的確な批判に晒されている)し、その病根を解剖、その奇妙な熱病を狂おしく描き出す。

 一方、現代の殺人者はこれとは対照的に恐ろしくドライである。ラスコーリニコフが見せる精神の格闘らしきものはここには微塵もない。彼等は最初から死に絶えている。そこからは生に関するどんな説明も引出し得ない。つまり生きながら死ぬ絶望をひけらかしている。このひけらかしは余りに身勝手で常識的に見るに堪えない。だが、軍隊はこういう社会の底辺にいる、逃れようもなく打ちのめされている若者の心性を、つまり彼等の中の殺人願望を利して、彼らを敵の殲滅という任務に赴かせているのだ。これが米国軍事展開の尖兵となっている裏事情だ。彼らがいなければそれは実行できない。

 しかし陸上部隊の海兵隊は今やその存在理由を失いつつある。殺人者は個々の兵隊でなく核兵器と弾道ミサイルに究極する。戦争は一瞬にして終わる。と同時に人類も一瞬にして滅亡する。沖縄に海兵隊のための新基地など全く不要だ。社会の負の部分に頼りこれを利用する国家的な犯罪的性格こそ糾弾されるべき相手だ。(つづく)