沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩576 琉球沖縄の現実 17

2015年01月11日 14時13分36秒 | 政治論

 何故筆者は非戦反戦非暴力不服従を推奨するのか。

 筆者は暴力的な雰囲気の中で過ごした経験はないし、戦争もまた体験していない。しかし、概ね正義は大体においてその主張通りに勝つ、というふうな環境の中で育った、と思われる。一度として暴力が他人を征服し服従させた、という場面に出くわしたことはない(小学校時、ガキ大将が何らかの理由で交代した、という話は聞いたがそれが暴力によってなのかはわからない)。せいぜい一番上の兄が父に鉄拳制裁を受けたという話を、次兄に聞いた、という程度である。しかもそれは長兄の不手際に対しての父のたしなめ、という意味があった。一方、やや遅くに得た子供という条件もあったのか筆者も次兄もこの父にそういう体罰を加えられた記憶は一切ない。父が母に暴力をふるったということも決してなかった。両親は二人とも教育関係者だった。しかし当時、小学校である種のいじめがなかったとは言えない。自分がいじめる側に近いところで黙認していた、という記憶もないわけではなくいじめられる側の生徒に多少のうしろめたさを感じていた、今でも時々これを思い出す、ということがある。だがこの黙認とか無意識の容認というのは、今でも自分の中に見受けて不快な心情に落ちる偽善的な、小市民的な態度である。

 沖縄に駐留する海兵隊の兵士は大体が中流以下貧窮家庭の出であると言われる。離婚家庭、黒人スラムの出身、暴力を日常的に見聞きする環境、あるいは完全な犯罪容認の世界、復讐心や殺意に満ちた心情、貧困が醸成する打ちひしがれた心理と他人への反感、....これらは実際戦争で人を殺すための動機にさえなっているということ、元海兵隊員アレン・ネルソン氏の手記に、こうした兵士が実際に戦場で人を殺し殺し続けて帰還し、PTSDに陥る実例が書かれている(「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」、「戦場で心が壊れて」等)。ある心理カウンセラーから「何故殺したのか」という問い掛けを受けて彼はしばらく自身の置かれた環境とか上司の命令、とか答えていたが、ある日「殺したかった」からだと答えるとカウンセラーは漸く答えを得たというふうに頷く。氏はこう思う。殺したい、という欲求、心情が内心深く巣食う、こうした動機を得た若者たちが、国の要請に答えるように戦場に赴くとそこに、殺人マシーンと化した彼らの殺害行動が繰り広げられる。ベトナムでアフガンでイラクで、彼らは「殺したい」という動機に拠って兵隊でもない一般人さえ標的にできた。翻って今自分が若者で安倍晋三の徴兵により戦地に赴き、イラク人を目の前にして殺せるか、と問うとき、もしかすると、目をつむって引き金を引くかもしれないと、考える。目をつむって、ということは、「殺したくない」からであろうが、人は様々な理由で「戦時だから」とおのれの明白な「人殺し」を肯定し、上官の命令通り殺人を犯すに違いない。国はこの心性を利用して国家間の戦争を企図するというからくりが見えてくる。だから事前に、つまり戦場に赴く前に、自身の心性に目を向けいかなる理由にしろ「人を殺すことはできない」とはっきり認めることが、結局非戦反戦非暴力不服従の意思となる、ということだ。

 当然ながら沖縄の米軍基地はこうした人殺しのためにあり、そういう基地を確保せんとするいかなる企てにも加担できないのが沖縄県の過半の人にある思いである。(つづく)

 


詩576 琉球沖縄の現実 16 深夜の強行

2015年01月11日 07時07分52秒 | 政治論

 真の暴行容疑は沖縄防衛局にある。安倍政権の正体はまさしく人民排除の対米追随強行路線であり、沖縄県民への最後通牒連発にほかならない。沖縄県民は、彼等、いかにしても強行突破してなし崩しに辺野古新軍事基地を造ってしまおうとしている日本国政府に対して満腔の怒りを示さなければならない。その怒りは取り分け反人民に凝り固まったこの安倍晋三以下現閣僚どもに鉄槌として激しく打ち下ろさなければならない。と同時に、この現場の国家悪を徹底的に糾弾し、彼らのしていることを全世界に暴露し、今、ここでは国家権力が異国の軍隊と協力して無類の人民弾圧に突き進んでいることを白日の下にさらすことだ。