「大決断から十七年、地域発展と皆様の幸せの為に。」
誰もが人生の一コマを振り返る時があるでしょう。
平成14年初冬、炬燵にあたりながら、両親に翌年1月の町議補選出馬の話を伝えました。53歳間近での大決断でした。
町議補選日夕刻の5時に無投票が確定。8か月後の9月に施行される平成15年群馬町議選へ立候補し群馬町議となりました。
当時の群馬町の最大課題は、平成の大合併の論議であり、少子高齢化等の将来像もあり20名の議員間で白熱の日々でした。
住民投票を高崎合併60%で勝ち取り、平成18年1月23日に群馬町、箕郷町、倉渕町、多野郡新町そして後に榛名町とも合併しました。
伝統ある群馬郡も時代の流れの中で消滅し、新しい時代へと舵を切りました。
高崎市議会は全国1位の114議席(欠員2名)となり、3年5ヶ月後に吉井町合併で県内では最多の37万4千人の人口となりました。
平成23年4月群馬県議会議員に初当選。
1期目では国難である東日本大震災による倉渕鳴石地区の野菜風評被害、榛名地域での椎茸被害、また雪害や斉渡用水路整備着工、
箕郷地域の鳴沢湖西側県道拡幅事業着工等がありました。そして平成27年県議選再選を果たし、1期目からの各地域の仕事はもちろん、
西毛広域幹線道路問題と諸課題を抱えて3期目への挑戦。結果、平成31年4月7日大勢の皆様方のご支援をいただき、3期目へと歩む事が出来ました。
「あなたの悩みは、私の悩み」、「皆様の幸せの為に」と県議1期目よりのスローガンを旗印に全力で取組むことが出来ました。
大勢の支援者、皆様方に背中を押していただいた賜物であります。
昨年4月より令和のとなり群馬県知事の改選、大沢県政から山本県政に変わり、直後CSF(豚熱)、台風19号による甚大な被害がありました。
群馬県政は傷が癒える間もなく新型コロナウイルス感染症が世界中を大恐慌に陥れ、日本国内においても収束の言葉は一切聞こえてこない状況の中、
令和2年第2回県議会定例会(5月22日)開会において副議長選出で37票をいただき選任されました。
浅学非才は承知致す所ですが、萩原渉議長を補佐し懸命に職責を全うする所存であります。
支援者の皆様に伏してお願いする事は、お互い健康でいられます事を祈念申し上げ、副議長就任のご挨拶と致します。