YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ヴェネチアに辿り着く~イタリアのヒッチの旅

2021-11-20 14:25:41 | 「YOSHIの果てしない旅」 第7章 ロンドン~アテネ間ヒッチの旅
    △カルナ グランテ(運河)とサンマルコ寺院(ヴェネチアにて)

昭和43年11月20日(水)晴れ(外国で初めての高速道路)
 今日も良く晴れていて、ヒッチには最高の天気であった。しかしそれに反してヒッチ率は、駄目であった。と言うのは、パルマからVerona(ベローナ)迄の100キロ強を、朝から午後の4時近くまで懸かって移動しただけであった。
 ベローナ~ヴェネチア間は高速道路になっていて、私はゲートで侵入を断られた。料金所のおじさんは親切で、「ここ(ゲート入口)にいれば、乗せてくれる車が来るので待っていなさい」と言ってくれた。私はボール紙にVenezia(ヴェネチア)と書いて、車が通る度にドライバーにそれを示して、乗せてくれるのをゲート手前で待った。
 既に5時近く、薄暗くなりかけている頃、運良くガソリン車が停まり(ゲート前だから止まるのが当たり前)、乗せて貰った。
その車で一気にヴェネチアまで行った。過去2~3度、東名高速道路を乗せてもらった事があったが、今回こちらに来て初めてであった。100キロ程を1時間と少々であったから、かなり速いスピードで走っていた。ヴェネチアに着いたのは、既に6時を過ぎていた。ヴェネチアに入る前、本土とヴェネチアを結ぶ橋の上から眺めた街の灯りが、とても綺麗であった。
 船のルート線はNo5、ユースがある船着場まで50リラ(約25円。1リラは50銭)であった。ユースのペアレントが親しく、「ようこそ」と日本語で迎えてくれた。日本語であったので一瞬ビックリ、しかし彼が話せるのはこれだけであった。
 ユースで髭を生やし、イタリアに長期滞在し、イタリア語が少し話せる鈴木さん(以後、敬称省略)、そしてもう1人の旅人、カナダ人のアーロンと親しくなった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿