旅日記

半世紀前の旅日記です。

クラブで三池炭鉱節を歌う~ウェールズの旅

2017-09-17 07:14:52 | 私の旅日記~第5章 イギリスの旅

昭和43年(1968年)9月1日(日)曇り(クラブで三池炭鉱節を歌う)
 午前中、私は妹、Oさん、そして友達へ、私が元気にいることを含め、旅の様子やシーラに会った事等について手紙を書いて過した。又、私がこちらに滞在中、モーガン家宛てに妹、Oさん、そしてN君から手紙が届いた。手紙の内容は、私の行動に対する感想、旅に対する励まし、彼等の状況、及び日本の状況等について書かれていた。日本を出てから2ヶ月近くになり、活字に飢えて来た頃であったので、彼等の手紙を受け取った時は大変嬉しく、そして日本を懐かしく感じた。
 午後、シーラ、マミ、ケネフと共に車で20分位行った所のSwansea Valley Caves(スウォンジー渓谷鍾乳洞)へ見に行った。家から結構近い所に、こんなに立派な鍾乳洞(ケイブ)があるなんて驚きであった。
 ケイブをゆっくりさまよう様に歩いて一回り50分~1時間位掛かった。その規模、色々な形・色をした大きな鍾乳石群、地底の中の透き通る様な小川があって、それらを大いに楽しんだ。奥多摩の日原鍾乳洞や秩父の鍾乳洞より規模も大きく、見応えもあった。シーラの話しによると、最近(1920年頃)発見されたとの事であるが、立派なケイブにも拘らず、余り観光地化されてない印象であった。ケイブの中は足元が悪いので、シーラがマミに優しくエスコートしていたのが彼女の好印象であった。後で思ったが、男の私がマミにそうしてあげれば良かったのだ。帰り際にケネフが、「このケイブの小冊子を買って私の妹へ贈って上げよう」と言ってくた。ケネフ、どうも有り難う、妹も喜ぶと思います。
 

▲Swansea Valley Caves(ウェールズの鍾乳洞)Copy from the net

 家に帰ってからハイ・ティーをゆっくり取った後、ケネフを除いて皆でクラブへ行く事になった。最初の日に『クラブへ行こう』と言ってくれた時、私は直ぐに日本のクラブの類を思い出し、それに疲れ気味であったので行かなかったのだ。
 そのクラブは家から歩いて10分程の所にあり、割かし近かった。クラブはこの付近の人達(コロブレンの老若男女)が一日の仕事の疲れを癒す為の娯楽場、或は社交場として地域の人々によって運営されていた。クラブ・ハウスはゆったりと150以上が入れる大きな建物で、大勢の人達(私が見た感じで約100人の人々が居た)で既に賑わっていた。舞台にはピアノ、アコーデオン、その他打楽器が置いてあり、それらを演奏する演奏者もいた。秩序・進行を保つ為に司会者(進行役)もいた。彼の司会の下に、ビールを飲みながらお喋りしたり、皆で歌を歌たり、ダンスをしたり、ビンゴー・ゲームをしたりして、とにかく楽しく一時を過すのが目的であった。ビンゴー・ゲームは小額なお金を出して数字が並べてある紙を買い、『ビンゴー』が出来上がった人は、お金と引き換えられるシステムになっていた。私はこの遊びを知らなかった。ここで初めてこの遊びを知ったのです。
 司会者の進行で、何曲か皆で歌を歌った。中には私の知っている曲もあったが、勿論、英語では歌えなかった。炭鉱で有名なウェールズに来たのであるから、こちらの元、或は現炭鉱夫達に日本の三池炭鉱節を歌って聞かせやろうと思い、ダディを通してその旨を司会者に話した。知らない土地で、しかも日本語が使えない上に、大勢の“外人”(彼等からすれば、私が外人なのだ)が注目する舞台で何か話をしてから歌おうと思うと、もう胸がドキドキであった。そのドキドキは『楽しいドキドキ感』で、しかも舞台に上ったらそれ程でもなかった。
 私がこのクラブへ入った時から、「如何してこんな田舎によそ者、しかも外人が居るのだ」、「何処から来た人なのか」、「如何してこのクラブを知ったのか」、「誰が連れて来たのか」等々の彼等の疑問・関心の為か、既にその視線を受けて私は、注目の的になっていた。その内に「ジャパニーズ・ジェントルマン、プリーズ」と司会者が言った。途端、ざわめいていた会場が静寂になった。私は舞台に立ち、皆の注目、視線を一斉に受けながら会場を見回し、そしてシーラの方を見た。シーラは私がこんな行動を取るとは知らなかったのだ。恥ずかしがり屋のシーラが知ったら、止めていたでしょう。いずれにしてもシーラは、友達である日本人の私が勇敢(?)にもこの様な行動を起こしてしまい、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに、不安そうにして私の成り行きを見守っていた。
「皆さん、こんばんは。私は日本から来ましたYoshiです。皆様とこの様にしてお会い出来た事を嬉しく思っております。私はシーラ・モーガンさんと7年間文通をして、その縁でコロブレンを訪問する機会を得ました。今、私は彼女の家に宿泊して、ウェールズの滞在を楽しんでおります」
「所で、サウス・ウェールズは炭鉱で有名でしたので、日本の炭鉱節を歌いたいと思います」と私は一気に捲くし立てた。
そして、「月がー♪出た、出たー♪月が出たーヨイヨイ♪♪。三池炭鉱の上に出たー♪♪」と歌い出した。そして、この辺りからアコーデオンの伴奏も入って二番まで歌い終ったのです。
 歌い終わって、人々からの盛大な拍手が起こった。そして司会者から感謝されるやら、ウェールズの滞在を楽しめられるよう希望の言葉を戴いた。舞台から戻ってからも周りの方から、「ベリーグッド」と賞賛された。又シーラからも、「ヴェリーナイス」と言って大変喜んだ。私は舞台に上る前、坂本九の“スキヤキ・ソング”(上を向いて歩こう)を続けてもう1曲歌おうと思っていた。だがやはり私は上っていたのか、その事をすっかり忘れていて、炭鉱節の1曲だけになってしまった。
 その後、ダンスに移った。ダンスを知らない私は、シーラと肩を組んでごまかしながらダンスを楽しんだ。最後のお楽しみは、ビンゴー・ゲームでした。初めてのゲームで知らなかったが、やり始めたら割かし簡単な遊びであった。司会者が言った数字とカードの数字が縦横斜めに揃えば、「ビンゴー」と言って、司会者から小額な賞金をゲット出来るのだ。皆、このゲームにワィワィガャガャと夢中になっていた。
 最後は、“参加者全員が起立して国歌を斉唱して、お開きになった”(日本では相撲の千秋楽以外、国歌斉唱は歌われていないのが現実なのだ)。ここは酒場であり、飲んで歌って、楽しく過す場であるにも拘らず、最後は皆起立して国歌斉唱とは、『随分愛国心があるなぁ』と私はつくづく感心した。最後は、『国家、愛国心』について考えさせられる思いであったが、楽しい愉快なクラブであった。
 帰って来てから夕食なのか、夜食なのかハッキリしない食事を食べた。

『海外旅行』 ジャンルのランキング
コメント (5)   この記事についてブログを書く
« マミ(シーラのお母さん)の... | トップ | シーラはロンドンへ~ウェー... »
最近の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます、 (takezii)
2017-09-17 08:29:56
毎回 拝読させていただき 感じ入っています。
nakayoshinotabi様の明快、詳細なご文で 情景が思い浮かんでしまいます。イギリスの地での経験、今回も 映画の中の いくつかのシーンを見ているような・・・。
単なる観光では 決して味わえない 思い出の数々・・、人生の宝ですね。
炭坑節 (tango)
2017-09-17 13:09:57
ま、、面白い発想ですね
勇気ある日本人男性!
外国では経験がないですが島根の見学に
生きました時<どじょうすくい>の講習を受けて
すぐ舞台の上で踊ったのが忘れられません
nakayoshinotabi様のお話、旅を本当に楽しんでいますね
シーラ様の人柄がよくわかります
takeziiさん、コメント有難うございます。 (nakayoshinotabi )
2017-09-17 13:53:24
私の旅日記のブログをご訪問し読んで頂いて有難うございます。若い頃の行動、分は稚拙で恥ずかしい限りです。今後ともお付き合いして下されば幸いと思っています。
tangoさん、コメント有難うございます。 (nakayoshinotabi )
2017-09-17 14:01:00
tangoさんのどじょうすくいのダンス、どんな踊りになったのか、想像すると楽しくなります。普段しているダンスと違って難しかったでしょうね。
 まだまだ続きますが今後とも宜しくお願いします。
 
  Have a nice day! From Yoshi
初めて『いいね!』を頂きました。 (nakayoshinotabi )
2017-09-17 19:34:11
『いいね!』をしてくれた方、有難うございました。今後ともご愛読していたたければ幸いです。

コメントを投稿

私の旅日記~第5章 イギリスの旅」カテゴリの最新記事