YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

仕事と部屋探し~寝る所がなく、深夜の街を彷徨う

2021-09-20 17:37:51 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
               △真夜中のロンドン郊外でミルスおじさんと出逢う(Painted by M.Yoshida)

・昭和43年9月21日(土)曇り(寝る所がなく、深夜の街を彷徨う)
 ユースを去り、トランクを提げてアルチュウェイの貸し部屋を訪ねた。家主が出て来て色々と説明してくれた。部屋代は週7ポンドであるが、週給幾らなのか分からず、迷って直ぐに決められなかった。3箇所の内一番安くても7ポンド、しかし良く考えたら高いと思った。レストランの仕事が5時から11時迄で週幾らくれるのか、分ってから決めても遅くないと思った。家主に考える猶予とトランクを預かってくれるようお願いし、その場を去った。{決断のなさが自分に振りかかり、深夜の1時になっても泊まる所がなく街を、そんな羽目になろうとは、この時は分らなかった・・・}
 5時から仕事なので近くの公園でよく考え、そして幾ら貰えるのか確認する必要があるとの結論に達した。その後、週幾ら貰えるのか聞く為に午後2時頃、ウィンピー ハウスへ行った。怖い顔をしたマネージャーは、「5時から11時まで働いて24シリング(1ポンド4シリング、約1,200円)」と言った。安い労働賃金であった。いつ休みなのか分らないが、丸々1週間働いても8ポンド8シリングではないか。週7ポンドの部屋代を払うと、残りは1ポンドと少々だけになってしまう。これではどう考えても生活して行けない。私はマネージャーに、「部屋と食事を提供してくれれば、お金はいりません」と言った。その方が私にとってベターであるのだが、マネージャーは「そんな条件は駄目だ」と言うのであった。私は「5時から11時まで働いて24シリングは安過ぎる。私はそれでは働きません」と言って店から出て来てしまった。
本当に迷うし、そして疲れた。今日の泊まる所を確保してないし、今後の予定の目途が全く立てられなかった。私は公園でよく考えてみる事にした。
 部屋代が7ポンド、週給(休みの日を入れないでの概算)で8ポンド8シリングであるから、残は1ポンド8シリングとなる。1日2食(3食取るほど計画は立たず)として、1食は夕食時間帯に働くので、何か食べさせてくれるであろうと推測して、1日1食の食事代で済む。倹約すれば何とか遣って行ける感じであった。又、折を見てもっと安い部屋へ引っ越せば良い事であった。英語学校へ行く希望は、最低でも半年~1年通わないと意味がない。それだけの期間延長をしてくれるのか。その延長条件として、雇用者の労働証明書と移民局の労働許可証が必要であるが、潜りの皿洗いの仕事に雇用主や政府が発行、発給してくれるか、疑問が残るのであった。 
いずれにしても、『乗船券から航空券併用の変更手続きの為の必要相当期間が1ヶ月間と推測した。そして1ヶ月間生活が出来て、手持金がなるべく減らなければ、それはそれで良い』との結論に達した。それに、『方々の職業斡旋所へ何回行っても職は見付からず、そして折角のホテルの仕事も不採用。自分で見付けた皿洗いの仕事が例え安賃金でも目途が立つなら』と本当に迷った末、決断した。
 私は店に仕事を頼みに行ったり、そして賃金が安いからと言って仕事を断ったりして、はっきりしない自分であった。そして再びお願いしに行くのは、厚かましいやら恥ずかしいやらで、自分自身おかしいと思ったが、仕方なかった。
 ウィンピー ハウスの店へ4時頃、三度行った。「今までの条件で良いから働かせて下さい」とマネージャーにお願いした。彼女は変な顔をしましたが、取り敢えず、「OK」と言ってくれた。
既に4時を過ぎていたので私は、そのまま仕事に就いた。店の奥で休憩兼食事時間として30分程休んだ以外、深夜11時まで働いた。仕事の内容は今日1日だけでないので、後に詳しく書く事にした。
 ウィンピー ハウス レストランを出たのは、11時10分過ぎであった。街の人並も途絶え、真夜中の様相になろうとしていた。
今夜の泊まる所は、あのアルチュウェイの貸し部屋であった。契約は保留になっていたので、泊まれるかどうか非常に不安であった。とにかく行って見なければ分らないので地下鉄に乗って行った。
 着いたのは、既に11時40分を過ぎていた。家主さんの所の呼び鈴を押したらまだ起きていて、直ぐ出て来てくれた。私は『良かった。助かった』と思った。そして「週7ポンドで構いませんから、今夜から泊まりたいのでお願いします」と言った。
「君が決めなかったので、他の方に使用して貰う事に決めました。既にその方は、部屋を使っています」と家主が言った。私は愕然とした。既に深夜の0時近くになるのに、今夜の泊まる所がなかった。
「私は今夜、泊まる所がありません。何処でも良いから1泊させて下さい」と縋る想いで何度もお願いした。
家主は「ベッドがない。申し訳ないが泊まらせる事は出来ない」の一点張りで返ってくる言葉は、私にとってこの上なく冷たかった。諦めるより仕方なく、「お願いですから、トランクを今夜だけ預かって下さい」と家主さんに頼み、そこから退去するより方法がなかった。
 とっくに午前0時を過ぎていた。途方に暮れ、泣き出したいくらいであった。どうすれば、本当にどうすれば良いのだ。心配、不安、心細さ、そして情けなさが混じり合った感情が漂って来た。
タクシーを使ってホテルを探せば容易であろうが、今の私にとって、その様なお金を出せる状況ではないので、タクシーやホテルを利用したくなかった。シーラの所へタクシーで行って泊めて貰う何てとんでもない、これも出来ない事であった。恥ずかしいし、惨めな格好を彼女に見せたくないし、真夜中にそんな事をしたら彼女にとって非常に迷惑な事なのだ。それに、既に遅すぎてユースやペンションに宿泊出来る様な時間帯ではなかった。
 それでは如何して一晩過せばよいのか、じっとしていると夜は冷えてくるのだ。試しに通りの軒下で寝てみた。石の冷たさ、硬さが直接身体に伝わり、寒くて寝ていられなかった。これでは病気になってしまう。
 私はアルチュウェイ通りをロンドン中央に向かって歩き、そして疲れたので軒下で休み、冷えて、又、歩いた。こうなったら一晩中、歩き続ける覚悟であった。
 既に時刻は、1時半から2時近くになっていた。通りには人は勿論、車も殆ど走っていなかった。ロンドン中央まで歩き続けるつもりであったが、道がここで二股に分かれていた。どちらの道を選べばよいのか思案していたら、向こうから帽子を被り、ステッキを持った初老の紳士が近づいて来た。私はその紳士に、「ロンドンの中央に行くには、どちらの道を選べば良いのですか」と尋ねた。
「こちらの道だが今頃、如何して、何しに行くのか」と紳士は聞いて来た。
「今夜、寝る所がなく困っているのです。そこまで歩いて行き、軒下か公園の芝生の上にでも寝ようと思っているのです」と私は答えた。
「ロンドンの中央まで行くのは、ここからまだ遠いです。ベッドは1つしかないけれども、良かったら私の家に来ませんか」と紳士は言った。その様に言ってくれた紳士が、神様に見えた。家の中で一夜過ごせれば、何処でも良かった。「有り難う御座います。是非、お願いします」と彼に感謝した。『地獄に仏』とは、この事かと思った。そして、『本当に良かった、助かった』と言う思いで一杯であった。
彼に従って付いて行った。彼の家は会った場所から5分とかからなかった。表通りから幾つかの小さな道を通り、5階建ての集合住宅の建物が幾つか建ち並ぶある棟の1階に彼の部屋があった。
 電気の下で彼を良く見ると、60歳後半の感じに見えた。彼は今夜、遅くまでパブで飲んでいて、偶然私と出会ったとの事でした。真夜中にも拘らず、わざわざコーヒーを入れてくれた。冷え切った私の身体にコーヒーの温かさ、それのみならず、彼の心の温かさも伝わって来る様な思いであった。
 既に2時半は過ぎていたであろう、寝る事にした。軒下のコンクリートや石の上で寝るよりは、よっぽど良いが、シングル ベッドに大人が2人寝るのは、確かにきつかった。そして彼が寝返りをする度にベッドが振動した。
 彼は本当に良い人で、親切であった。しかし人は皆が皆、信用できるとは限らない。彼を疑って悪いと思いながら、一抹の不安が湧いて来た。その不安が横になってから増幅した。
彼は私の懐中を狙う枕探し、若しくはその類ではないかと疑い、私は旅券(命の次に大事な物)、現金、トラベラーズ チェック、乗船券を腹巻の奥に仕舞い込み、盗られまいとそれらを抱えるように寝た。それでも不安は、消えなかった。彼の仲間が隠れていて、刃物でも持って出て来て、「金を出せ」と言って、私の首を刺しに来るのではないかと想像すると、横になっていても目が余計に冴えて眠れなかった。
 午前4時前(正確な時刻は不明)だと推測するが、真っ暗な部屋の中で『チュル、チュル』と言う異様な音が耳に入った。彼はベッドに居なかった。辺りを見回した。しかし真っ暗闇で直ぐには何も分らなかったが、私の頭の上にうっすらと人影らしき物が見えた。『チュル、チュル』と怪奇な音が闇の中を通して私の耳に響き渡った。先程からの不安が恐怖に変わった。殺されるのでは、驚愕が過ぎった。
       
             



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