YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

アジャンタの遺跡見物~アジャンタ、エローラ見物とインド横断鉄道の旅

2022-02-20 09:20:50 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
          △アジャンタの石窟群-CFN

・昭和44年2月21日(金)晴れ(アジャンタの遺跡見物)
 列車は予定より1時間30分遅れて、午前6時30分Jalgaon(ジャルガウン)駅に到着した。ここからAjanta(アジャンタ)行きのバス(2.5ルピー)に乗り換えた。1時間半位で着いたのであろうか、バスは遺跡入口前の停留場に到着した。停留場前にホテルがあり、そのホテル前でウロウロしていたら、上の方から日本語が聞こえて来た。見上げたら日本人のお坊さんであった。彼は2週間前からここに滞在して、仏教の勉強をしているとの事でした。私と荻はお坊さんが宿泊している部屋に荷物を置かせて貰い、3人で遺跡近くの食堂で朝食を取った後、見物に出掛けた。
 【アジャンタ遺跡は、黒紫色の断崖に横穴を28掘って造られた仏教石窟寺院群であった。BC2世紀からAD7世紀までの900年間に、前後5回にわたって掘られたと言われている。AD2世紀末、〝小乗仏教〟の衰退によって一度見捨てられたがその後、5世紀に〝大乗仏教〟が盛んになって再び栄えた。7世紀にバラモン教が仏教徒の王侯を亡ぼした為、その後約1000年間に渡って忘れられ、1817年に英国の1将校によって発見されるまで、この世から殆んど消えていたのでした。】ー参考資料より
 いずれにしても、大勢の僧達は王侯の援助や信者達のお布施を受けながら修行を行い、仏教の教えを会得していたのであろう。私は洞窟内の大きな壁画や仏像、そして2000年以上前、既に壮大な石窟寺院群を造り得る高い文明、美術、技術、膨大な財力があっ事に凄く感銘した。    
 見学後、我々はお坊さんの部屋に置いて貰った荷物を受け取り、Aurangabad(アウランガーバード)行きのバスに乗る事にした。バス運賃4.2ルピーと聞いてビックリ。朝、ジャルガウンからここまで2.5ルピーの倍近くの値段、しかもここからアウランガーバードまでは、距離的に見て同じ位であった。
「如何してこんなに高いの。」と私は車掌に聞く。
「ツーリスト・プライスです。」   
「ツーリスト・プライスとは何なの・・・。」私は驚きと苦情気味に。
「外国人の特別料金です」
「如何して外国人は、特別料金を払わなければならないだ。」
「分りません。乗りたくないなら、バスを発車させます。」と車掌。
『コンチキショウ!我々の弱みに付け込んで、外国人観光客からお金をふんだくりやがって。』と思いつつも仕方なく、バスに乗った。如何してこうも問題を起こさなければならないのか。待てよ、こちらが問題を起こしているのではなく、インド人の方に問題があり過ぎたのだ。
 アウランガーバードの『Government Holiday Camp』と言うバス停で下車し、ホテル探しをした。我々が泊まるホテル(ドミトリー)に渡辺が滞在していて驚いた。彼は我々と同じ日にボンベイを発ったのであった。 
 夕食は3人で近くの食堂へ行った。そこで暫らくの間、今のインドの現状について話し合った。
夜、インド人の若者が同じホテルに居たので、我々が抱いているインドの問題について4人で話し合った。しかし私は疲れていたので、間もなくして先に寝た。荻と渡辺は遅くまでインド人と話をしていた様だった。


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