・昭和43年11月15日(金)曇りのち雨(最長距離ヒッチと日高君)
同じマルセイユ方面へヒッチする日高と共にバスに乗り、パリの郊外に出た。あちこちの道路上の水溜りは、氷が張っていた。今日は一段と寒かった。
郊外の街道に出たら直ぐ、彼は車をゲットして去って行った。私も今日は早めにヒッチが出来て、パリを去った。
2台目の車は、長く乗る事が出来た。フランスの家並みや田園風景を眺めながら、そして野を越え、山を越えて車は走った。
Lyon(リオン)に入る前の山岳地帯から雨が降り出し、薄暗くなって来た。雨の降りしきる山中でも何組かのヒッチ ハイカーがこの車に対して合図を送っていた。しかしこの中年男性ドライバーは彼等を無視して、幾つかの山を越え、峠を下り、リオンへひた走った。この車に400キロ位、乗ったであろうか、今日は本当にラッキーであった。彼はリオン駅前で降ろしてくれて、ユースへ行くバスを教えてくれて去っていった。
私は2回バスを乗り換えた。私が市民にユースへ行く道を聞いても言葉が通じないので、苦労しながら捜し求めた。午後8時近くになっても、あちらへ行ってウロウロ、こちらに来てウロウロしていると車が走り寄り、「何処へ行くのか」と聞かれた。「ユースを探している」と答えると、彼は親切にユースまで連れて来てくれた。「有難う御座いました」と彼に感謝した。
今朝、共にバスに乗り、パリの郊外へ出たあの日高(歳は私と同じ位)が先にユースに着いていた。彼は大分、外国慣れした人であると感じた。
リオンは、パリ、マルセイユに次いでフランス第3位の都会。ローマ時代から既にこの地域に於ける政治・宗教の中心地になっていたらしく、それらの遺跡や大寺院が点在しているとの事だ。又、近年、商業・工業地帯の中核をなしていると聞いている。そんな理由なのか、リオンに入るや工業地帯である事が直ぐ分った。
何れにしてもリオンに折角立ち寄ったのに、それらを観光しないで去るのは、本当に残念であるが、余り道中、立ち寄ってばかりいられない状況であった。
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