出会いと別れ

一期一会の半世紀前の旅日記です。

キリスト降誕の地・ベツレヘム訪問~ハッゼリム・キブツに滞在

2020-05-26 13:42:28 | 第8章 イスラエルの旅
・昭和43年12月24日(火)晴れ(キリスト降誕の地・ベツレヘム訪問)
 今日はクリスマス・イヴであった。所が、イスラエルはキリスト誕生の地・聖地にも拘らず、休みどころか普通と変わりなく、我々はジャガイモ収穫作業をしなければならなかった。ガッカリしたのは私だけでなく、他の仲間達も同じであった。
お昼に食堂へ行くと、「夕方、Bethlehem(ベツレヘム)へ連れて行って貰えるから、午後の農作業は早めに終り」の情報が届いた。皆大いに喜びで、午後の農作業に従事した。
 
 作業は、3時前に終った。シャワーを浴びた後、他の仲間と共に食堂前に集合した。キブツから1人6ポンドのお小遣い(原則キブツは無賃金で、この様な事は最初で最後)、そしてイスラエル軍及びベツレヘム陸軍総督のクリスマス・セレモニーへの招待状が手渡された。管理者から「招待状は、身分・安全を保証される物であるから、決して紛失しないように」との注意があった。
私は仲間のピーター、フランク、ジョン、ロス、フレッド、エンディ等と共にキブツのマイクロ車に乗り込んだ。私は聖地・ベツレヘムでのクリスマス・イヴ、そしてベツレヘムとはどんな所なのか、大いにワクワク感があった。キブツで働くイスラエル人は、ユダヤ教徒なので運転手以外、誰も同行しなかった。
 ベツレヘムは、イエス・キリストの降誕の地、エルサレムから15キロ程南下したヨルダン川西岸地域にあり、昨年の六日戦争で占領した古くから存在する町であった。我々の車は、一端北上してエルサレムへ行き、エルサレムで他のキブツ滞在者の人達と共にバスに乗り換え、南下した。
 
 エルサレムへの途中は、快適なドライブであったが、エルサレムからベツレヘムへは、警察や軍の厳しい警戒に度肝を抜かれた。ベツレヘム郊外で軍の検問所でバスは停車した。すると自動小銃の銃口を我々に向けて、複数の兵士がバスに乗り込んで来た。兵士達は我々の手荷物検査や車内点検をする一方、他の兵士達がバスの車体下まで点検していた。今まで経験した事もない、見た事もない厳しい警戒態勢に私はビックリした。この厳しい検査、点検は、ベツレヘムの町へ入る手前で、もう一度行なわれた。
 
 我々は、町に入って直ぐバスを降り、町の中心地へ歩いて行った。既に薄暗くなっていたが、街角(交差点)と言う街角全て、装甲車や土嚢を積んで陣地を作り、機関銃を構えていつでも撃てる体制をして、多くの兵士が睨みを効かせて警備していた。警備・警戒状態は、そればかりではなかった。あちらこちらの建物の屋上から、機関銃の銃口が通りの群集に向けて構えられていた。まるで戦争中であるかの様に感じられた。無理もない、ここは6日戦争で占領したヨルダン川西岸の町、安全・安心できる地域でないと言う事、イスラエルはまだ臨戦態勢中であった。そんな状況であったが、周りの建物は古風的に溢れ、中世・アラブ世界そのものを感じた。石造りの古い教会(降誕教会)やイエス誕生の建物前は広場になっていて、そこを中心にその周辺地域は、老若男女の訪問者や欧米の若者達で賑わっていた。ただし外国人一般観光旅行者は見られなかった。
 
 我々はその教会を参拝した後、キリストが誕生したと言われる建物に入った。建物内部を入って行くと、裸電球が点いた薄暗い洞窟になっていて、さらにその奥に『馬小屋らしき跡』があり、そこがイエス・キリストが生まれた場所とされていた。そこはかび臭さと古い歴史感が漂う、何の飾り気も無い、ただの『馬小屋の跡』(「キリストは馬小屋で生まれた」と言われているので、私も馬小屋の様に見えた)であった。
 
 しかし実際は馬小屋で生まれたのではなかった。ここにキリスト生誕について、ほんの一部を記して置く事にした。
[BC4年、ナザレからヨセフとマリアは住民登録の為、ベツレヘムに来ていた。泊まる宿が無かった彼等は、ナザレで自分達が住んでいるのと同じ様な洞窟を見付けて仮の宿とした。冬だから追い込まれた羊や山羊が回りに蠢(うごめ)いていたことであろう。仮の宿とする事が出来たのは、その家畜の群れの主人である羊飼いの温情のお陰だったかも知れない。
 その夜、おさな児(キリスト)は、ユダの山里なる洞窟で産声をあげた。おりしも冬であったから洞窟の外では、尾根越しに冷たい風が唸りをあげていた。母は布に包んで寒さ凌ぐ為に『飼い葉桶』に寝かせた。
 飼い葉桶からの連想が『馬小屋』を生み、実際に馬小屋を作り、生きた牛や馬を使って降誕祭(クリスマス)を祝い始めたのは誰であろう、アッシジのフランシスコ(1181~1226年)である。これがルネサンス絵画を通して世界中に広まり、私達の脳裏に焼きついたのだ。
 イスラエルのユダ、サマリア、イドマヤの山々に木らしい木は無く、石灰岩質の地盤だから洞窟が多い。そういった洞窟が住居ともなり、仮の宿とも、冬場の雨風を避ける家畜小屋代わりともなっていた。現在も羊飼い達が、羊や山羊を天然の洞窟に追い込み、共棲している光景によく出会う。・・・・]と。[ ]内は、著者・河谷龍彦の「イエス・キリスト」(河出書房新社)によると、この様に記されていた。
 
 実際にイスラエルの自然環境は、10キロ、20キロたらずで変化する。ベツレヘムは、ハッゼリム・キブツから60キロ程北(地中海から50キロ内陸部)、標高600~700mの山岳地帯である。昼間の農作業中は温かい陽気であっても、夜は寒い。ましてここベツレヘムは特に寒く、私は我慢が出来ないので、夜中にキブツに帰らざるを得なかったほどであった。
 そんな事で冬暖かく夏涼しい洞窟は、羊飼い、羊、そして一時的な宿としての旅人にとっても最適な空間と言えた。馬と言えば、馬は多量の草や水を必要とするので、砂漠地域では適さないのだ。砂漠の地域に馬はいないのだ。これは2000年前も変わらないと思う。それに余り洞窟内の天井が高くないのに、馬が背を屈めて出入りしたのか。我々は背を丸め、腰を屈めて洞窟内を歩いた。羊用の飼い葉桶からいつの間にか馬の飼い葉桶、そして洞窟から馬小屋になってしまった。いずれにしてもクリスマス・イヴにキリストの聖地・ベツレヘムに、又その誕生の場所にも来られた事は、イスラエルに来た甲斐があった。
 
 この後、我々キブツ仲間はレストランへ行ってビールを飲もうと言う事で、ある店に入った。店は大勢の人で混んでいたが、「小瓶1本1ポンドは高い」と言う事でその店を出て、60アゴロ(52円)で飲める他の店を見付けた。ここの店と最初の店構えや店内とは大して変わらないのに、どうして値段が余りにも違うのか。アラブ人は人を見て値段を替える、油断出来ない民族の様であった。
  ベツレヘムは、六日戦争(第三次中東戦争)前までヨルダン領であったので、顔を白い布で覆った多くのヨルダ人を見掛けた。レストラン経営者や従業員もアラブ人(パレスチナ人、ヨルダン人)であった。イスラムの世界では、「アルコールを販売してはいけない、飲んではいけない民族」と聞いていたが、イスラエル領になった、欧米人にビールを販売する様になったのか。聞く所によると、「ヨルダンの首都・アンマンでさえ全くアルコール類は無い」と言うのであるのに、ベツレヘムではその方面に於いてイスラエル化、商業化しているようであった。

 我々の仲間は次第に別々に分かれて行動し、私の傍にキブツ仲間は誰も居なくなってしまったので、私も店を出た。降誕教会前の広場は、相変わらず混雑していた。ビールで酔っ払ったのか、多くの欧米人の若者は、「メリー・クリスマス」と言ってバカ騒ぎをする者、或は若い女性に抱き付きハシャイデいる者も現れた。真のクリスマス・イヴ、或は、厳格なクリスチャンは、イブにバカ騒ぎ、乱痴気騒ぎをする夜ではない、と言う事を私は承知していたが、ある反面、欧米人は陽気で、屈託がないのであった。所で、日本人は勿論、欧米人の一般旅行者は、誰も見かけなかった。
 
 帰りの件について、キブツの人からも、仲間からも、何にも聞いていなかった。私は当然、『今夜、皆と一緒に帰る』とばかり思っていたので、気にしてなかった。広場周辺は、大勢の人で賑わっているが、狭い地域であるから、仲間を捜せば直ぐ見付かるであろうが、私は強いて捜さなかった。
 
 私は再びレストランに入った。レストランと言っても、我々がイメージしている様な(上品な)店ではなく、テント作りで雑然と安そうなテーブルとイスがただ置いてあるだけで、飾りも何も無かった。そして店の明りは薄暗い裸電球がポツン、こちらにポツンとぶら下がっているだけで、店内は薄暗かった。ここはベツレヘムのメイン・プレイス、しかも由緒ある教会やキリストの生まれた場所の近くで、この様な店であった。歴史あるこの町は、まだ(国際的に)観光地化されてなかった。
 
 私は混雑したそんなレストラン(店)のテーブルに座っていたら、アテネの空港で出会い、テルアビブまで一緒の飛行機に乗り合わせたシーラおばさんが、知人の方らしい人と共に店へ入って来て、私の前を通り過ぎた。ベツレヘムのこんな所の店でシーラおばさんに会えるなんて、私は夢にも思わなかったので一瞬、眼を疑った。しかし確かにシーラおばさんだ。ここで出会えるなんて、とても不思議な感じがした。
私は大きな声で「Mrs. Sheila」と叫んだ。彼女も気が付き、私に近づいて来た。我々は手を取り合い、再会を喜び合った。「ハイ、Yoshi。又会えて嬉しいです。今、何をしているのですか」と彼女。
「私も再会出来て嬉しいです。ハッゼリム・キブツに滞在しています。今日、私はキブツの仲間とクリスマス・イヴを過しにここに来ました」と私。
「そうですか。大いに楽しんで下さい。エルサレムに来た時は寄ってくださいネ。私の住所を知っていますよね」と彼女。
「はい、住所を書いて貰ったメモを大事に持っています」と私。
「今夜は連れが居ますので失礼しますが、ビールでも飲んで下さい」と言って店員に私の為にビールを注文してくれた。
 
 世の中は狭いとはこの事なのか。そう言えば、鈴木と言う日本人と共にヴェネチア観光をしたカナダ人のアーロンと先程逢ったばかりであった。彼とはアテネでも逢っているので、これで3回目であった。この時、私はキブツの仲間達と飲んでいたし、アーロンも気を使ってくれたのか、お互い「ヤアー」と言って手を上げただけであった。 
  
 ベツレヘムは寒いので、私は夜を明かすつもりはなく、ヒッチで帰る事にした。夜の11時を過ぎていたにも拘らず、ベツレヘムの町は賑わっていた。雑踏を通り抜け、エルサレム方面の夜道を歩いていたら、郊外で同部屋のピーターが前を歩いていた。彼も同じ様に一晩過ごす気分になれないので、「ヒッチで帰る」と言うのだ。我々は一緒に帰る事にした。

 深夜のヒッチは効率が全く悪く、5時間30分以上費やし、翌朝ベエルシェバの郊外に到着した。郊外からキブツへ行く道をトボトボ歩いていたらバスが遣って来たので、我々はそのバスをヒッチしてキブツ前に辿り着いた。                              
 深夜のヒッチで寝不足、疲れていたので、翌日の25日は一日中ベッドの中で過ごした。他の仲間達は何時に帰って来たのか、分らなかった。25日は特に休みの日でないのに、我々仲間は誰も作業をしなかった。

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