犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

その他>日本国憲法を考えよう(その16)

2017年06月16日 | その他
九条についての追記

 憲法の条文に、「国土、国民を守ること」に加えて、「世界平和のため」、国軍を保持するという意見がある。国連の平和維持活動などを念頭に置いている文言だろうが、これは止めた方がいい。

① 日本人に、世界平和のために国軍(武力)を持つという考えがない
② そして、「武力による威嚇又は行使」の条項にも反する。

 ①について、日本人が持たない考え方であり、なじむとは思えない。
 「世界平和のために」祈るとか、親善交流するなどということは、争いごとは好まない民族性から受け入れられる。だが、日本以外の関わりないところの武力紛争を鎮圧するために日本の総意として武力を持たなければならないと考えるだろうか。地球の反対側で乱暴な国があってこれを制圧するために軍隊を用意しておかねばならないなどと考えない。
 誰のためともわからない人々のため、世界平和のために命をかけて戦う気がするだろうか。大体において、どちら側が正しいのかもわからない。双方がいずれも正義だと信じて争っていることがほとんどではないか。

 米国のような、世界の警察官を名乗る国であれば別だろう。
米国は、キリスト教を信じている人々が創ったキリスト教国家である。キリスト教というのは、この世界に唯一無二のゴットだけが、世界を救い、世界の人々を幸せにできるということを信じる教えだ。よその神様は偽物で信じると地獄へ堕ちるのだそうだ。キリスト教のゴットだけが、世界平和を実現できるのであり、米国がその役割を担っているという論理で動く米国軍は世界平和のための軍隊だ。悪く言えば、お節介な宗教による、お節介な国の軍隊であるが。このような信念で創られている国軍であれば、「世界平和のために国軍を保持する。」でいいと思うが。

 日本は違う。侵略(相手国の主権を侵す)する気もないし、軍隊を国外に派遣して紛争を解決する気もない。

 ただ、国連の一員として、国益上、おつきあいを断るわけにはいかないから、その限りにおいては、日本国憲法にかかわらず、軍隊を国外に派遣して紛争の解決に協力しなければならないということだ。おつきあいは理屈ではない。理屈ではないおつきあいのことまで、日本国憲法に書き込むとややこしくなる。

 国連のような国際的組織は、世界平和のために、話し合いで解決できないことが多くて、ある程度の武力の使用もやむを得ない、武力行使できないとあまりにも無力であるということを経験から学んで、武力による実力行使もすることになったようだ。
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