只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

“今”以外は幻想ですね。

2018-02-28 08:29:04 | 日記
東京湾の中間地点の、巨大な海ほたるパーキングエリアです。
海底トンネルの高速ハイウェイを上がったところです。




何かをジーツと頑なに握り締めている、それは絶対に
離したくないものです。

例えば写真かも知れないし、形見の品かも知れません。

なんでもいいのですが、すべてはその品の「思い」と
いうことですね。

つまり姿かたちの無い「幻想」ということです。

ですから「幻想」を掴むと、“無い”ものを「在る」と
することですから迷いの中に入りこむことになるのです。

しかし亡くなった祖先の思いなど、事実にはまったく
何も無い”のですから、“今この瞬間”に浮かんでは
消えて行くものです。

この様に祖先も自分もすべてのものは、姿かたちが在って
無いという“今この瞬間・無思考”が真実ということです。

このことを、私(思考)が必死に理解しようとしても
理解はできません。

なぜなら私(思考)がすべてのことを創作し、
それを否定するという訳のわからないことをしているからですね。(笑)

ですから頭脳に頼らないで、偉大なる“本能”にすべては
任せるということです。
  
例えば、生きてから死ぬまで心臓は一時も休まず、そして
血液も流れているのが“本能”ですね。

これを私(思考)しかいないから、頭脳がやっているとして
迷いの中にいるのです。

これに一時も早く“目覚める”よう、只やっているのが
弛まぬ“只なる実践”の持続です。


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