中野区保育争議をご存知ですか?

「たかが非常勤」と見下して、中野区は非常勤保育士を全員解雇。保育園に戻るため裁判などでたたかっています。

はじめての高裁(第1回控訴審)

2006-10-25 20:07:03 | Weblog
10月25日

 もうすぐ10月も終わりですね。みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
 今日行われた裁判での、くみこさんの意見陳述(名前部ほか修正しています)を掲載します。胸に余る思いのあまり、つい涙ながらの訴えとなりました。
 原告の思いは、解雇された非常勤保育士全員の思いだと思っています。そのことが裁判長に伝え切れたように思います。
 職場や地域のみなさんにも是非読んでいただき、いっそうの署名(裁判官へのひとこと署名など)にお力添えをいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。


 
 私は、1992年7月中野区に非常勤保育士として採用され、野方保育園で11年9ヶ月間働き続けてきましたが、現在解雇され失業中です。
 私たち非常勤保育士は、1992年に週休2日制が導入されるために採用されました。
 採用された時の説明会で、当時の保育課長は「一日でも長く働いてください。辞めないでください」と言っていた事を、私ははっきり覚えています。私は1人で、子ども2人を育ててきたので、非常勤でも公務員となり、長く働ける安定した仕事を得られた事がとても嬉しかったです。この職場で長く働けるのだ、と信じて疑いませんでした。
 また、働いている保育園が休園や民営化によってなくなっても、別の保育園に異動して、働き続けることもできました。原告の岩下さんは本町保育園が休園になり野方北保育園に異動になりました。その園が民営化されたときも橋場保育園に異動し、非常勤保育士として働き続けました。私たち非常勤保育士は、1年契約の「更新」を意識させられることなく、正規の職員がずっと働いているのと全く同じように、長年働き続けてきたのです。 

 非常勤保育士の勤務日は、月・金・土曜を含む週3日から4日の出勤です。平日は休みを取る正規職員に代わって、各クラスに入って保育にあたります。土曜日は4週に1回しか出勤しなくてよい正規職員に代わって、私は必ず出勤し、土曜保育を担当しました。
 日々の保育では、子ども達一人一人の異なった生活リズムやペースを把握しながら、保育の流れをつくっていきます。あらかじめ作られた、保育計画をスケジュール通りにこなすことが、保育の目的ではありません。
 たとえば、午前の遊びを終えて食事にうつるとき、自分の遊びに夢中になって、「お片付けしようね」とか「手洗おうね」と声かけしても、次の行動にうつれない子もいます。そんなときも、子どもの気持ちをくみ取り、「あとでまた続きしようね」と話しながら、自分から食事をしようと思えるように促していきます。
食事のときも、苦手な食べ物に苦心しているときは、「ほっぺが赤くなるからにんじん食べてみようか」などと子どもの気持ちに寄り添った言葉かけをします。そうした日々の保育の中で、子ども達が安心して生活していけるように、子どもの目線にそった保育を実践してきました。
 土曜保育に関しても、毎週、1日通して出勤していた非常勤保育士だからこそ、登園する子ども達一人一人の状況をよく把握していました。たとえば、アトピーやアレルギーで、食べ物に制限があることなど、正規職員に伝え、事故がおこらないように配慮し、1日の流れを作ってきたことで、正規職員からも頼りにされていました。
 土曜日は合同保育なので、クラス担任がいなかったり、同じクラスのお友達がいないため、不安になる子もいます。そんなときも、安心して遊びに入れるように配慮し保育にあたってきました。   
 ある年の卒園式のとき、「福家先生いてくれたから毎週土曜日嫌がらずに保育園に来れました。」と保護者の方に言われたとき、本当に嬉しかったです。非常勤保育士が1日いることで、子どもにとっても、保護者にとっても、安心できるよりどころになっていたのです。
 いま、連日、保育園の門前で、保護者の方に裁判経過と署名のお願いをしています。その中で、現在中野区の保育園にお子さんを預けている、ある保護者の方から、ひとこと署名が送られてきました。裁判所にお渡しした陳述書の末尾に何枚かコピーを添付しましたので是非読んでください。 
 
「子ども達にとって、非常勤だろうが常勤だろうが、先生にかわりはないです。0才から預けていれば、非常勤の先生は常勤の先生たちより身近に感じます。一番上の子から3番目の子供までお世話になった非常勤の先生がいました。突然いなくなったので辞めたのかと思っていました。親も信頼をしている方がいなくなると不安になり、親がそうなのですから、子供の負担はすごいと思います。我が子はあと1年半で卒園ですが、子育ての相談にのってくれる保育園の先生方を一日も早く職場復帰をして、母たちを助けてほしいと思います。」

 こんなにも、非常勤保育士を頼りにしていてくれたことを、私はとても誇りに思います。
 保育の現場では、補助的な仕事はありません。私たちは職の名前こそ「非常勤」とつけられていますが、正規職員の保育士と非常勤保育士との果たしてきた役割には、何の区別もありません。この役割を果たすために、私たちは、子ども達や保護者、正規職員とお互いの信頼関係を築いてきました。
 中野区は「職の廃止」を紙切れ一枚で通告し、仕事を奪い、長年働き続けてきた私達の経験や、保護者との信頼関係を断ち切りました。この中野区の仕打ちを私は許せません。
 私たちは、全員解雇する本当の理由を幾度、求めたことでしょうか。
 しかし中野区は明らかにしません。
 説明しないばかりか、区議会で柳沢地域センター部長は「本来一般職で行うべき職を特別職非常勤にやらせたことが間違いだった」と私たち非常勤保育士の存在すら否定するようなことを言いました。一生懸命働いてきた12年間を、全面否定された思いがしました。
 どれほど傷つけられたか、その思いは非常勤保育士みんなの思いだと思います。

 それだけではありません。
 中野区は私たちを解雇する2ヶ月前になって、初めて私たちに説明会を行いました。この日集められた人の中には、解雇されることを初めて聞いた人もいました。このときでさえ具体的理由は聞かれず、雇用先の確保も考慮しない、不誠実な対応でした。

 2004年3月31日、最後の出勤日に、子ども達と職員のお別れ会が行われました。
 出勤した原告のかずえさんは、明日からみんなと遊べないことを子ども達に話し、子ども達から俳句が書かれた短冊をプレゼントされ、切なさと悔しさで胸がいっぱいになったと言っていました。
 私の園でもお別れ会が行われましたが、私は参加する事ができませんでした。
子ども達の前で、明日から遊ぶことができないことを話すと、きっと涙が止まらなくなってしまう、そんな姿は見せたくない、そう思ったからです。
園を去って4ヶ月が過ぎたころ、気持ちをとり直して、子ども達に会いに行きました。
 5才児クラスになった子が、怒った顔をして「先生どこ行ってたの」と聞いてきました。私は悲しくてただ「ごめんね」としか言えませんでした。子ども達に、こんなむごいことをする中野区を改めて許せないと思いました。

6月8日に地裁判決が下されたとき、原告のあきこさんは自分たちがしてきた仕事が認められたと、嬉しくて突然泣き出しました。
 判決後、弁護士から、「でもこの判決では保育園に戻れないのよ」と言われると、「え!何で」と驚いていました。
 私たちの長年の仕事を認め、区側の責任を認めたのに、なぜ職場に戻れないのか、地裁判決は納得がいかないものだったのです。
 職場を奪われ、収入も断たれ、長年築きあげてきた保護者や子ども達との絆、これら全てを、一瞬に奪いとった中野区を許すことはできません。こんな強引な首の切り方をした区は他にありません。
 1日も早く職場に戻していただけますよう、是非とも公正な判決を下してください。
 以上で私の陳述といたします。有り難うございました。


-------今後の取り組みです
◆11月2日(木)午後1時~
  中野区タイムカード偽装事件判決
  @東京地裁606法廷
◆11月10日(金)午後3時~5時
  不当労働行為事件・調査
  @東京都庁第1庁舎34階
◆11月17日(金)午前9時~25分
  中野区に対する全労連争議総行動
  *区要請+高裁要請を午後実施予定。
◆12月4日(月)午後2時~
  第2回控訴審
  @東京高裁8階812号法廷