ナカナカピエロ おきらくごくらく

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

般若心経

2018-04-17 22:42:16 | 日記
般若心経
 
大学生の頃、私は自分の生きる指針を失っていた。
 
これから先、どのように自分が生きていくべきか迷っていた時期があった。
 
数学が唯一の神の言葉であるという考え方はゲーテルの不完全性定理によって否定され、ニーチェの神は死んだという言葉から、ある種、精神の拠り所を求めて悩んでいた時期だった気がする。
 
当時は世紀末であったということもあり、色々な宗教の勧誘があった。そんな勧誘にも応じそうになり、危うい場面が何回かあった。
 
その中でも遠藤周作の「イエスの生涯」に出会って、私の精神の拠り所はこれだという確信を得られたことに私は感謝している。
 
宗教と言ってもキリスト教だけではなくて、当然仏教にも興味を抱いていた。以下は大学当時のゼミの教授から勧められて読んだ本である。どれもユニークで面白かった記憶がある。
---------------------------------------------------------------------
人間・釈迦 1―偉大なる悟り (心と人間シリーズ)   高橋 信次 
悪霊 (1) (心と人間シリーズ)   高橋 信
---------------------------------------------------------------------
 
また岩波文庫の般若心経のお経も読んでいた。
---------------------------------------------------------------------
般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)   中村 元
---------------------------------------------------------------------
 
実は般若心経は教えを説くものではなく、悟りを開いた時の境地の心の在り方を述べたもので教えらしきものは一つもない。だから般若心経から処世術を学ぶのは適切ではない。
 
当時の実家は高台の場所に住んでいて、夕日が良く見えた。夕日をが沈むのを観ながら座禅を組み、般若心経を諳んじて読んでいたのをよく記憶している。
当時としてはとても変わった性格だったのかもしれない。
 
社会人になって、CD付きの以下の本を購入した。
---------------------------------------------------------------------
CDB声に出して読む般若心経 (アスカカルチャー)   山名 哲史 
---------------------------------------------------------------------
久しぶりにこのCDが見つかり、Sony Walkmanに入れて聞いている。
 
過去それを聞きながら瞑想に浸っていたこともしばしば在った。昔の人は般若心経のみならず観音経も諳んじて言えたという。
 
今の日本人に足りないのは精神の拠り所をどこに求めるかが分からない点が問題だと思っている。
 
でもこればかりは自分で決めることなので、最終的に自分がどう生きるかは自分で決める必要がある。
 
このブログが少しでも若い人の参考になればと思う。
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ラストタンゴ・イン・パリ」 | トップ | 4月17日(火)のつぶやき »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事