地獄の傀儡師の徒然なるブログ

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マルクスの唯物史観について^^

2008-07-11 07:25:17 | Weblog
第四弾です。これはマルクスを理解する上で核になる部分ですよ^^


こうした弁証法的唯物論の世界観から、マルクスは資本主義の運動法則を究明するため経済学の研究に没頭しましたが、その過程で次のような歴史観=唯物史観に到達しました。

歴史的に形成され展開されていく人間の社会は様々な要因から成立していますが、そのなかで、歴史上常に社会の形成と存続の基礎を規定してきたものは生産様式という経済的要因でありました。

というのは、人間の社会の成立と存続にとって時代を超えて普遍的に必要とされるものは、その社会が必要とする生活物資の生産であり、この生産様式の確立をまってはじめて、その社会は自立的存続の基礎を保証されるからです。

そして、この基礎の上に人間の高度な社会的・物質的・精神的生活が可能となり、各時代・各地域独自の個性的な社会が成立します。

したがって、社会の必要とする生活物資の生産様式こそが、基本的にはその社会のあり方全体を規定しているのであって、これを基盤として、現実の様々な要因がからまり、多彩な社会が形成されるです。

ところで、社会の生産様式とは、その社会のもつ生産力と生産関係の統一的全体をいいます。これが社会の基本的なあり方を規定する下部構造をなすのです。
経済的下部構造のうち、もっとも基本的な要因は生産力であって、この社会的生産力に対応してそれに見合った生産関係が形成されます。

この社会関係(生産関係)がいっさいの人間の社会的関係を規定するのです。
かくしてこの生産力と生産関係の統一としての生産様式が下部構造として、その社会の全体的なあり方や社会制度を規定している、とマルクスは考えるのです。

法律や政治や芸術のいわゆる上部構造は勿論それ自体独立して発展し、また下部構造に作用します。

ですがこれらのものは、客観的には、経済的下部構造に規定されている社会のなかで生まれ機能しているものであって、それ自体が独立して形成され機能することは不可能です。この意味で、上部構造は基本的には、本質的に下部構造にそのあり方を規定されます。

もちろん、現実の社会は様々な要因の複合体であり、社会の動きの主要な要因はそのときどきで違っていますし、偶然的な要因も大きな役割を果たしているといえよう。
しかし、社会をその根底において規定している本質的要因は、その社会の経済的下部構造すなわち生産様式であるのです。



上部構造       法律 政治 学問
(イデオロギー・制度)芸術 道徳 宗教・・・・基本的には下部構造により規定

            ↑↑↑↑↑

         生産様式(生産力+生産関係)

下部構造     
(経済的構成体)    生産関係
(土台)     (人間の社会関係)・・・いったんできあがると固定化
                       する傾向
                       ↓ ↓
           ↑  ↑  ↑    【矛盾の発生】→社会変革
                       ↑↑ 
        生産力・・・・・・・・・・常に発展



例えば日本の歴史において、信長が生き延び天下を統一していたら、あるいは家康が合戦で死んでいたら、日本の歴史は大きく変わった事と思います。

ですが誰が統一したにせよ、その社会が封建的な社会制度や社会関係を基本的な性格とする、という事は歴史の必然であります。

いかなる天才をもってしても、この時代の生産様式において近代的な市民社会を建設すること、いやそれを構想することさえ不可能であります。

マルクスの唯物史観とは、このように人間の諸営為の総体として形成される歴史や社会にあって、人間の個人的意図や感情や行動からは直接的には独立し、逆に各人をその存在において規定している客観的原理・法則を明らかにしたものであります。ここにマルクスの思想の画期的な意義があるのです。