シュミット交響楽団のブログ

シュミット交響楽団の記録

シュミット交響楽団 記録

2011-11-21 16:00:00 | 音楽
         新聞記事です。
    シュミット交響楽団の成り立ちから
    (追記は最下段に書き足していきます。2014・11・21更新)
 演奏会各楽章の音源をリンクしました。音源著作権はなかむらゆういちに帰属します。

僕が「オーケストラを作ろう!」コミュニティを作ったのは平成20年9月7日で、DeNAの趣味人倶楽部入会の日でもあります。

それ以前より「オーケストラと吹奏楽の旅」というコミュニティを他のSNS(Jenka)でやっていて100余名の方々が参加してくれていましたが該当SNSが閉鎖になりジプシーの末、趣味人倶楽部にたどり着きました。

コミュニティ設立から2ヶ月ほどはそんなに動きはありませんでしたが12月になって急激にメンバーが増え・・・
あるメンバーの方が「音楽オフ会をやりませんか?」と提案があり・・・
「オーケストラを作ろう~」なので何か目的目標を持ったほうがいいと、また、ある方が言われ、では、まずコミュニティ・オケの名前を決めましょうということになり僕がコミュニティを通じて「名前を募集し」例として挙げた名前が「シュミット交響楽団」です。
そして、他の方からの意見もなく「では、オーケストラ名はシュミット交響楽団に決めます」と宣言しました。

翌年1月中旬に東京で第1回目の「音楽オフ会」を開きましたが、その時にみんなでいっしょに練習・合奏できる曲はということになり、僕がその時の参加メンバーの編成から「第九の3楽章はどうでしょう?」と皆さんに尋ねたところ、目標は大きいほうがいいということになって、その楽譜を僕が全て用意し持って行きました。
第1回目はそれぞれの方々が初顔合わせでしたがアンサンブルやソロ・デュエットなどで発表会形式で盛り上がってその後、「第九の3楽章」を合奏しました。
僕はそのとき(できる!)と直感で思いました。

それが後の平成21年11月21日東京・文京シビックホールの「第九演奏会」につながりました。

そして「第九の演奏をステージでしませんか?」という僕の呼びかけで皆さん「やりましょう」となったと思います・・・

それから毎月1回の練習会を重ねました。

ホールを探すのにある方に力添えしていただきもちろん練習会場も皆さんの協力によって月を空けることなく遂行できました。

そして、ある方(数人の方から)が「参加費はいくら?」という質問があり経験者の方や僕の知っている範囲を調査したところ「アマチュアオーケストラの演奏会参加費は2~30000円」ということがわかったので演奏会参加費はその中間の25000円ということで皆さんの了解を取ったつもりです。
もちろんその時の説明では「もし余剰金が出た場合は継続的に演奏会をすることを前提に団にプールする」という文言もありました。これは規約にも相当します。
そして「参加費」に関しては原則返金しないことになっていたはずです。
25000円が高いか安いかは皆さんの判断ですが、少なくとも月会費ナシで練習会実費のみというアマ・オケはありません。
入金・返金については僕は一切関与していませんし、参加費が幾ら集まったのかも僕は知りません。
ただ、領収証の発行は「シュミット交響楽団、僕の個人名」で発行しています。
事業をされてる方ならわかるでしょうけど、領収証と税金はどういう処理をするとお考えだったのでしょう?
もちろん僕の口座に入金があったわけではないのにカラ領収証を発行しています。

いつしか余剰金が出れば返金するということになっていて「それはみんなが望んでいることだろうか?」と疑問を抱きつつでも、意見のできる状態でもありませんでした。

話は戻りますが・・・

シュミットの練習会に参加された方は覚えてらっしゃるかもしれませんが、趣味人倶楽部が協力してくれるという話がありました。
趣味人倶楽部=DeNAですが、僕は法人格を以ってDeNAの趣味人倶楽部担当の方と実務者協議を大阪で行っています。
その当時、趣味人倶楽部と僕の法人格との協力体制で「第九演奏会」を成功させるためにサポートするということで協議は一致しました。

その第一弾として
趣味人倶楽部 しゅみっと交響楽団 瓦版この記事がありました。

決して子供のサークル活動としてやっていたわけではありません。

その後・スポンサーTも同様僕の法人格が背景にあったことは事実です。
そして、その時はいろんな情報が錯綜したためスポンサーTは降りたとなっていましたが、実際はスポンサーとしての役割をきっちりと果たしていただいたと聞いています。
(その時は対外的には降りたことにしておかないといけない事情があったため)

こうして「シュミット交響楽団」は「第1回目」の演奏会に向けて進んでいったのです。

シュミット交響楽団(僕)が目指したものはもちろんハーモニーのある音楽です。

コミュニティの最初に書いていたように「みんなで楽しくいっしょに音楽を」これがこのコミュニティで僕が目指した新しい音楽の形です。

皆さんも音楽をされていてそのような「楽しい」ことがあるから継続されていると思います。
「苦しいことが為になる・・・」それは言葉ではいいのですが、あえて「苦しさ」を求めることはないでしょう。
もちろん、人それぞれの捉え方があるので一概に僕の考え方が正しいわけではありません。

シュミットの場合どうだったのでしょうか?
結果としてのお話ですが・・・
僕は決して楽しくなかったし「いっしょ」という連帯感は全くありませんでした。
それは、「僕のせい」なのでしょう。
僕はあれだけ血祭りにされ・・・といっても知らない方もおられると思いますから・・・。

ただ、騒がれた上に信頼関係まで崩され、挙句の果てに「犯罪者」扱い。

僕はなんと言われようが「自分自身」のことですから自分の中では簡単に「全否定」できます。
もちろん、その噂や誹謗中傷は事実ではないのですから。

しかしながら、中には僕を全く犯罪の容疑者のような扱いで見ていた人がいたことも事実です。

そして、諮らずも・・・
「そんなことより音楽をしよう」という方々を後回しにした運営になったことは事実です。
その時点で僕はコミュニティはおろか趣味人倶楽部にいることもできなくなりました。

21年10月の埼玉の2日間練習会が極め付きになりました。

それまでも練習会で「不平不満」の声をチラホラ聞いていましたが・・・

その後「不平不満」を言っていた方はシュミット交響楽団から去っていきました。

果たしてその方々は何を求めていたのでしょう?
そして、その方々には何も責任はなかったのでしょうか?

最初から決まっていたことを、勝手な解釈で「そんなんだったから最初から参加しなかった」などと・・・

挙句、ヒソヒソと僕のことをバッシング・・・

シュミット・オケで、僕は詐欺師扱いされていましたが・・・
実際に詐欺をはたらいた人がいるでしょ?

その人を「この人はできるんですよ」と推薦・・・

バカげてませんか?

僕が21年11月7日の練習会に出られなかったのも・・・
穴をあけたわけではなく「その人が」僕が来たら暴力を振るうと言い出し練習会はできなくしてやると言ったそうで(そう聞きました)やむなく新幹線で東京から大阪にトンボ帰り・・・

でも、その練習会に僕が行かなかったことで皆さんは事情もわからず僕が勝手に放棄したと思った方もおられたのでしょう。

その時点で「その人」は第九の指揮がしたかったのか出来るのか知りませんが、指揮者としてやることになったそうです

僕はもう全く楽しくないし、何故だか皆さんから白い目で見られているようで気持ち悪いし、ただでさえネット上・実生活で異常な誹謗中傷に遭ってフラフラなのに・・・

何度も僕は「出来ない」「やめよう」と運営に言いました。
出来ないと言うのは・・・目指したみんなで楽しくいっしょにではないからです。

本当に精神科に週2回通い薬を大量に飲んでいました。

楽しいわけがない。

そんな状態なのに、「その人」がやっぱり難しいから指揮は出来ないと言ったそうで・・・
そして、やっぱり僕に「やって」と・・・

それこそ、そんな虫のいい話はない。僕を何だと思ってるんだ。
だから、僕は「正式オファー」を要求したのです。

それは、あくまで第九を指揮する。それだけのことです。

「なんでも相談したでしょ?」って思ってるかもしれませんが・・・
明らかにシュミット交響楽団を事務局代理は牛耳ってました。

僕は皆さんと音楽をやったと言う実感は「ゲネと本番」のみでした。
僕は辛さのあまり本番1日前のリハーサルで4楽章振り終えた後泣いてしまいました・・・

10ヶ月の時間は苦しいこと以外何も僕には残っていません。

つまり、僕(シュミット交響楽団)の目指したものは適えられなかったということです。

僕が降りることで「捨てられた」と思われた方がいたなら、それはごめんなさい。でも、それは、全くの誤解です。
多分シュミットからではなく人として切り捨てられたのは僕だったのでしょう。

そして、僕の目指す音楽(みんなで楽しく)はここでは無理という結論に達しました。

シュミット交響楽団の第1回目の演奏会メンバーは演奏会のステージに乗った皆さんですが、2回目からは違います。

シュミット交響楽団は独立します。そして、目指すところは同じく「みんなで楽しくいっしょに音楽を」です。


僕に何が起こったのか
   そして皆さんに何が起こったのか

被害妄想なんて言わないでください。

21年2月の練習会後の反省会で最初の問題が起こりました。
それはある人が自分の経験談をこのシュミットに押し付けてきた。

僕はニコニコとその話を聞いてはいましたが、その人の意見はやがて「会計公開」につながりました。

その人が公にコミュニティトピックで「会計公開」を要求したのです。

もちろんその時点で皆さんから参加費は徴収していませんでしたしいわゆるスポンサー向けの「計画書兼試算表」しかありませんでした。

その時は、見せる(公開する)必要など全くありませんでしたし、あくまで試算なので実際の数字ではありません。

そこに余剰計上してあることは試算としては当たり前です。

なのに・・・それをその人だけに「公開」した・・・

結局その試算表は皆さんの目に触れることとなり、事実とは異なる数字をさも、「僕が」儲ける仕組みのように言われ・・・
僕も参加費払ってるし・・・大阪から実費で練習会に参加していました。当たり前ですが・・・

ですから、参加費の払い込み口座を僕ではないある人の口座にしたのです。

それがよかったかというとそれはなんともいえません。

僕のことなら僕の責任の範疇ですから自分で何とかできますが、僕が関与できなくなった会計に僕はとやかく言うことはありませんでした。

時折、これだけの方が参加費を振り込んできたので参加カードと領収証を送ってください、と、エクセルデータで送られてきて漏らさず処理したつもりです。

そもそも、その時点から運営はおかしくなったのでしょう。

そして、奴の登場です。(奴=岡本國寛 自称テノール歌手 合唱指導者です。通話を録音した証拠もあります)
それは7月の練習会くらいからですが・・・
奴のやったことを箇条書きにしてみましょう。

・趣味人倶楽部内の日記に誹謗中傷
・2ちゃんねるのクラシック板・政治板・その他関係あるものないもの拘らず多分100スレ以上に誹謗中傷の書き込み
・アクセスジャーナルなるところへ投稿しさも事件になっているように見せかける
・僕の関係する住所地に実際に訪問しその管理人や家主に誹謗中傷の文章を渡し、その後電話でしつこく経過を聞く
・僕が住所地にしている不動産業者10数社にFAX及び電話をかけ誹謗中傷した。
・実際に僕の家族にまで電話をかけて脅した。
・ネット上に僕と僕の家族及び会社の名前、住所、電話番号、メールアドレスを漏洩した。
・僕が参加していた団体に誹謗中傷のFAX(内容は全ておなじもの)
・スポンサーTに誹謗中傷のFAX及び架電
・趣味人倶楽部事務局にも同様のFAX及び架電
・僕の父親に架電(内容はもちろん責任を取れというもの)
・僕の母親、妹に架電
・普通に考えられない行動の全てをされたと思われる。

実際の被害及び行動
・誹謗中傷された先から事情説明の要求を受け、実際に入っていた団体の理事を降ろされた。
・演奏会本番当日に某NPO団体がチャリティ募金で参加したが僕はその団体の会員であったためこのことで除名された。
・事務所の家主よりその誹謗中傷をされたことで地域に迷惑がかかるので退去を求められた。
・事実、退去となった(奇しくも21年11月19日演奏会の3日前)ほとんど毎日のようにその家主のところには架電があったそうだ。退去の理由はもちろん家賃滞納などではない。その上、地図上でわかる範囲の周辺地域の店舗に架電(誹謗中傷)
・僕は20数年この地域に住んでいるので逆にそういう情報をくれる方もいて送られてきたFAXも数枚入手している。
・証拠のないものについてはなんとも言えないが、証拠のあるものについては警察に提出し被害届をだした。告訴の準備はしているが、奴一人と特定できないため今は静観している。
・合わせて精神科から診断書が出ており、そこには奴の個人名が書かれている。これは奴が電話をかけてきた内容を録音したものがあり、そこで特定している。
・第九のテノールのソロであるのに音楽家として決してしてはならない穴をあけた。
・更に奴は出演を予定していた合唱団体を出演しないようにはたらきかけ、実際出演がなかった。
・練習会に押しかけてきて僕と話をさせろと迫ったが、結局、奴は僕の前に現れることはなかった。
・奴は演奏会本番当日に演奏会場に押しかけてきたが関係者につまみだされた。
           などなど・・・・・

これが演奏会当日まで続き、その後、半年以上もその後遺症は治まらなかった。

と、まあ、書き出したらキリがないです。

社会的信用は壊滅しました。

これを僕の泣き言と思う方はそう思ってください。

エスカレートした奴は演奏会に乗った方々のメンバー表を晒しましたね。

僕はあれには参りましたが・・・奴は得意げだったのでしょう。

うらみつらみですが・・・・


権利関係のことをお話しましょう。

まず、僕が「シュミット交響楽団」で有している権利は

1、シュミット交響楽団の名前の命名権に基づく使用権
2、シュミット交響楽団に関する録音物の所有権利
3、シュミット交響楽団に関する映像関連の所有権利
4、シュミット交響楽団に関する運営権
5、その他シュミット交響楽団に関係する一切

シュミット交響楽団は演奏会を開き名実共に存在が認められる団体であるのでその団体に命名した僕はその権利に基づいてその名前を自由に使用できる権利。
また、その名前を僕の使用範囲で譲渡することが出来ます。

シュミット交響楽団の録音物は僕が参加しなかった21年11月7日以外の全ての練習会・リハ・ゲネ・本番の録音を所持しています。その録音物は僕の許可の範囲で自由に使用できます。
無断使用は著作権侵害に当たります。

シュミット交響楽団の映像所有権(写真を含む)はいかなる形式であってもその所有権利は僕にあり、無断での使用は著作権侵害に当たります。また、将来この映像を有料で配布する場合においてもその権利は僕に帰属します。
映像(写真)にある肖像権は一般に参加者の方には適応されませんのでご留意ください。また、異議のある場合は僕に申し出てください。

シュミット交響楽団は決まった団員形式をとっていないので自由参加型となります。全く新しい形ですので皆さんが参加されたからといって次も参加できるとは限りません。
その運営形態に関する権利も僕が有しています。
将来は別な団体の傘下若しくはシュミット交響楽団の傘下に別団体が配置される場合もあります。その議決も僕を中心とした機関によって運営されます。

その他、シュミット交響楽団に関する全ての事項については団体規約を設け現在のコミュニティ・オケの位置から脱した団体として僕が中心となって遂行していきます。






と、堅苦しいですが、シュミット交響楽団はそういう位置づけであることを認識していただき、演奏会に参加された皆さんは第1回シュミット交響楽団第九演奏会参加メンバーということになります。

僕にとってはまことに不本意ではあるのですが、こうなった以上は僕はこの主張を曲げるわけにはいきません。
ですから、不当価格で販売されましたがDVD及びCDに関してコピーなどなさらないようにしてください。
再販の許可は一切出す予定はありません。




参加された皆さんの個人データは僕は処分していますので一切わかりません。(お名刺・メールアドレスを交換いただいた方は保存しています)
ただし、返金業務などで個人データを送られた方は僕は一切関与しておりませんのでその件については関係者にお尋ねください。



具体的にシュミット交響楽団の第九はどうだったのか?
練習会編

シュミット交響楽団の第九の練習会はどうだったかを考えてみました。

練習会(月1回)については必要なものではありましたが、余りにも参加者が少なすぎて音楽を作る以前のものになっていたように思います。

練習会は自由参加ですからもちろん参加されないのも自由です。
でも個人的に練習は必須です。
練習会では個人指導をしていませんし、何度も言ったと思いますが「本番までにできるようにしてください」ということです。
結局、できない人はできないままに本番を迎えたのでしょう。

そして、弦に関して「BOW」はプロは別にして今回のような場合、その指示は弦のトップ、いわゆる1stVnのトップが弓付けしたものをさらに各パートが表現しやすく(弾きやすく)すればいいのです。
1stVnのパートリーダーから配布された弓付譜は一通りいきわたっていたので問題はなかったでしょう。
ところが、21年10月24日埼玉の2日練習会のときに僕に対して「弓はどうすればいいか?」「これでは表現が難しいが譜面通りでいいか?」と質問がありました。

本番1ヶ月前にその質問はないだろう?
弦のことは弦で解決すべきです。
本気で僕は「僕を試してるんだな・・・」と感じました。なので、もちろんその時は適当に「生返事」しました。

もっとも2拍遅れて入られては棒も合わせられないというものです。
できないのに文句は一人前ですか?
事実パートは言いませんがそのせいで楽曲崩壊になる寸前が何回かありました。本番でですよ。

それを、僕が「棒が振れていない」というなら、多分プロでも振れなかったでしょう。
まぁ、プロがシュミットを振ることはなかったでしょうが・・・(ここでも僕は自分がプロではないことを自認しています)
プロは1・2・3・4なんて振ってくれませんし

ともかく、練習会は合わせといってもそこに参加している人だけが「ゆるく」合わせてるだけでした。

僕は本気で取り組もうとしましたが・・・
前の日記にも書いたように・・・楽しくもない練習でしたし、ましてや誹謗中傷に疲れ果てていましたから、「ゆるく」なってしまいましたね。

僕の練習会のもうひとつの苦痛は・・・反省会と称した打ち上げ・・・

そういう慣わしなのか知りませんが・・・そして、僕は飲まないので余計にそう思ったのですが・・・
ムダに感じることが多かった。

ガチで反省会をするならそれは必要ですし、逆にそうでないなら練習後の飲み会に行きたい人「ハ~イ」でよかったのではないでしょうか?

僕は大阪から来ていましたし参加していましたが、後半に近づくにつれ「参加費でゴタゴタ言ってるのに、飲み会は別かい?」と思っていました。

その場で重要な案件は一切決まったことはありませんでしたね。

ハッキリすればよかったのです。
コミュニティ・オケ練習会&飲み会とね

え?今になってそんなこと言うなって?
今だから言ってるんですよ。今後繰り返さないためにも。

飲み会の幹事で私腹を肥やした人いましたね・・・

逆に足りない場面はほとんど僕が出しましたけど・・・

ともかく、「第九」の練習なのですから、極論を言えば、あの本番メンバーで本番前1週間の時間があれば本番は迎えられました。

その以前の僕が振った「第九」は前1日練習でしたよ。
オケはプロ、合唱も経験者のみでしたが・・・

ともかく、ダレダレの練習会は皆さんにとっても楽しくなかったでしょう。

そして、僕が声を大きくして言いたいこと!
今までに指揮者に対して「文句」を言ったことがありますか?

僕なら言ってもいいと思ったのでしょうか?

えらそうないい方ですが、オケにとって指揮者は絶対的存在です。「文句を言うな!いやならやめろ!」なんです。

ただ、僕はコミュニティで「みんなで楽しくいっしょに」という理想がありましたから「ヘラヘラ」していましたが・・・

ともかく、練習会のあり方は十分勉強になりました。
二度とあのような練習会はしないでしょう。

もちろん皆さんと音楽をすることがなくなった今はどうでもいいことでしょうが。

合唱の練習会はなんともいえません。なにせ、悪意を持った奴が一時指導していたのですから。
狂気の指導に思えましたが・・・・僕には・・・
合唱のことはわかりませんので意見はありません。

リハ・ゲネはよかったとおもいます。
歌ってる皆さんがとっても楽しそうに見えました。

月1回の練習会は少なすぎ。
理想は月2~3回
練習開始は本番半年前からでOK。

メソードのような練習はいらない。
パート練習の時間をもっととったほうがよい。
練習会のない日は個人練習を欠かさない。




シュミット交響楽団の第九はどうだったのか。
本番編

演奏会そのものは「大成功」でしょう。
演奏力や客入りも満たしていたと思います。

どこかから「お前がいなかったらもっとよかったのに」と聞こえてきますが(笑)
僕がいなかったらあの第九演奏会は絶対にありませんでしたよ。断言します。

本番の日・・・
これから何か起こるのかもしれないと感じつつも「音楽」だけに徹しようと心に訴えていました。

会場について・・・楽屋は・・・僕の控え室は・・・
何度もステージに立っていますが・・・楽屋・控え室のなかったのは初めてです。
まぁ、こんな扱いなんだろうと・・・

スタッフ(事務局)ルームのソファが居場所でしたね。

ここで指揮者は~なんてうんちくを言いませんよ。

もし、皆さんに次があるのなら指揮者には楽屋は狭くてもいいから用意してくださいね。

僕でも「心を落ち着けないといけない」瞬間だったのですから

僕はただただ、「第九を振るため」ひとりになれるところを探していました。

1ベル オケ板付
本ベル チューニングのOb・・・・・・・・・・・・・
舞台裏でこけました・・・

そして、舞台に・・・
チェロトップに立ち合図
そのとき僕は思いました
皆さんとっても誇らしげだったと

第1楽章・・・
前振りなしでいきなり振り出すので、事前にテンポカウントを・・・
頭が揃って安心・・・

ところが・・・・
やはり、テンポが取れないところがある
きっかけは何かはわかっている。
倍振りで解決できるが、みんながついてくれるか心配でできない。
無理やりのところが何箇所かありました。
でも、全体的にはまとまっていたと思います。
テンポがゆれるところも乱れはなく。
よかったです。

第2楽章
同じく前振りナシなのでテンポカウント
結構速めのテンポ設定で考えていたので頭は難しいかなと思いましたが、揃いました。
もし、楽曲中崩壊するならこの楽章かなと思っていましたが、無難に皆さんが演奏してくださいました。
表現もとってもよかったと思います。
ちなみにあのテンポは「カラヤン・ベルリンフィル」より速いんですよ。

第3楽章
倍振りで始めました。MM50くらいのおっそいテンポでしたが、僕はもっと遅くしたかったですが・・・
崩壊の原因になるので限界テンポですね。
弦も僕が何も指示しませんでしたがコンミスが僕の棒を感じ取ってくれたのでしょう、スーーーーっと入ってきてきてくれてベリーグッドでした。全体によくできた楽章でした。
その証拠に3楽章が終わった後に起こった自然発生的な拍手がそれを物語ってるでしょう。

第4楽章
どう入ろうかと瞬時に考え、ポーズとしてボクシング(ではないかw)様から入りました。
あれは、意気込みのポーズだけですので、後で映像を観ると自分でもおかしいと思いました。
実際ゲネプロしか参加していない奏者が多数いたのでどうかなと思いましたが、案外淡々とまた重厚に進んでいきました。

とってもよかったですよ。
バリトンソロから合唱の入り~
僕は文句のつけようは全くありませんでした。
合唱はとっても僕を見てくれていて表現を捉えてくれました。
コンミスさんはとってもよい音楽をしてくれました。
十分皆さんを引っ張ってくれていたと感じました。
それに、よく僕と目が合っていましたね。
すばらしいです。
ソリストの皆さんはプロとして活躍されている方ですからもちろんすばらしいの一言です。

フィナーレの冒頭打楽器が若干ズレましたが、これは僕の指示もれと合わせ不足です。ごめんなさい。

ピッコロには本番直前に「オクターブ上げられるところは全部上げてください」とお願いしました。
急な要求にしっかり応えてくれました。ありがとう。

そして、最後の5つの音が終わった瞬間の会場からの拍手は打ち合わせで弦の皆さんが弓を上げるのに合わせて僕も腕を上げる・・・で、下げることを忘れるくらい、大きな拍手でした。

本当なら、指揮者は観客のほうを向いてまず一礼でしょうが・・・
僕は、演奏・歌っていただいた方々にまず賛辞を送りたかった。
僕が観客の皆さんに「聴いていただいてありがとう」まで時間がかかりましたが、拍手は鳴り止まずカーテンコールへ

アンコールのことは書けません・・・
なにせ、頭が真っ白で棒を振った覚えが全くなかったからです。
映像を観るとまさしくその通りでしたね・・・・バラバラ

でも、ソリストの方にも合唱に加わっていただきフィナーレ。
それは、感動でした。

シュミット交響楽団 第1回演奏会 ベートーヴェン第九合唱付 文京シビック大ホール

大成功でした。これは間違いはありません。
本番に参加していただいた方々、本当にありがとうございました。

追記

練習とゲネプロの音源を一部アップしました。(2013・12・1追記)

埼玉・大宮での合宿(2009年10月24日~25日)の通し 第4楽章部分音源

2009年11月14日本番1週間前の練習(初めて打楽器・ソリストが参加) 第4楽章部分音源

いずれも・・・本番迎えられるの???って感じです。。。
11月7日には僕は一旦指揮者降りてるし・・・
11月14日は指揮者としてシュミット交響楽団からオファーを受けた形で練習に挑んでいます。


演奏会当日 ゲネプロ~ゲネ終了まで音源

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(2018/11/20 更新)
非常に個人的なことですが・・・・・
僕はプロの指揮者ではありません。が、プロの演奏家と一緒に演奏活動していたことは事実です。
シュミット交響楽団以外の演奏活動は皆プロの音楽家との共演です。
ですからもちろん指揮をするときは、プロ以上に音楽理念を以てやっています。
僕は自分がプロ(の指揮者・音楽家)であるなどと言ったことは過去一度もありません。
プロの定義はわかりませんが、僕はギャラをもらって指揮したことはありません。
但し、音楽理論を理解している指揮者であるという自認はあります。指揮者が仕事ではないということです。
僕の本業は35年目になるデザイン・企画・コンサルタント業です。

これまでもこれからも音楽家として仕事をするつもりは全くありません。ただ、音楽をするときは真剣に楽しく取り組みたいと思っています。

僕の経歴やその他疑問がありましたらFBやツイッター、インスグラム関わりのあるHP問合せなどからコンタクトを取れる状態ですから質問などがあれば個人的にお答えすることは吝かではありません。

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