ソプラノ歌手 中川美和のブログ

音楽劇「パパゲーノの憂鬱」について②


クラシックの面白さというのは、同じ楽曲が演奏者によって全く違う解釈が成り立つというところ。

というわけで、今回の音楽劇は
「同じ曲を2回演奏して、音楽の方向性を全く変えて別の曲みたいに演奏するよ」
ていうチャレンジをしました。

これ、ミュージカルでは時々ある手法なんですよね。
同じ歌を劇中で、複数回演奏する。
でも、その時は大概編曲されたりしていて。
だから2回演奏しても、違う雰囲気がある為、お客様に納得してもらいやすい。劇中で成立しやすいんですが。
それを敢えて、オペラの曲で、しかも編曲一切無しでやっちゃおうっていう。

オペラの劇中で、同じ曲を2度歌うって、まぁないです。だから、まるで違う曲のように演奏しなくては、お客様は飽きてしまう。
なので、これはもう、

利人さん、大下さん、頼んだ……!!
という気持ちでした。

この音楽劇、というものを作るにあたり、ミュージカルでは作れないもの。
ストレートプレイの演劇でも表現できないもの。
且つ、過去のオペラ作品でも作れないもの。そういったものを出せたらなぁ、と思いました。

クラシックならではの、多様な解釈をお見せしたい。
しかしそれには、クラシックの音楽家としての表現力と、そして何より、確かな技術がなければできない。

古澤さんのストレートプレイ(普通の台詞部分)の演技力は、もはや演技の上手いオペラ歌手というレベルではなく、『歌役者』といった方がしっくりくるんですが。
しかし音楽劇においては、やはり最後はオペラ歌手としての表現力の引き出しと、何より技術がなくては、成り立たないものなんです。

そしてピアノの大下さんが全く同じ曲を、まるで別の曲のように完全に音色をコントロールして演奏する。
二人の確実な技術なくては成立しないものでした。

おかげ様で、お客様にも気付いて頂けて。
「同じなのに、違う曲みたいだった」と言って頂けたり、そのガラリと変えた雰囲気を楽しんで頂けたようで……
今回の音楽劇のチャレンジが成功したかな〜と思うと嬉しい!
利人さん、大下さん、本当に本当に、ありがとうございました!!

それでですね。
ここからは、その音楽劇というものの作り方についてツッコんだ話になりますので、興味のない方はスルーで  笑

私は音楽劇では、必ず登場人物それぞれにメイン曲を与えてるんですが。
そのメイン曲をどういう風に歌うのか、がキャラクターの造形に深く関わってくるんです。

以前書いた「モーツァルトの旅」という作品では、ドン・バジリオをモデルにした、ダポンテという役を書きましたが。
そのダポンテのメイン曲が、ドン・バジリオのアリアでした。

そのメイン曲をどう歌うか。
例えば、ダ・ポンテを演じる人が、ドン・バジリオのアリアを明るい雰囲気で、テンポも軽やかに設定すれば、キャラクターは本音を隠し通した、悲しさも不条理も全てを飲み込んだ、究極のペシミストになる。
しかし、テンポを許されるギリギリまで遅めにし、怒りを所々で発露して歌えば、キャラクターの造形はかなりシリアスなものとなります。
これは、ドン・バジリオを歌う時に、そもそもそういったものですよね。

で、私の書く音楽劇ではそういった役作りも、演者に任せています。
前述のダ・ポンテというキャラクターも、アリアの歌い方をどちらを選ぶかで、台詞部分のキャラクターの造形も変わっていくわけです。 
ちなみに初演、再演でダ・ポンテ役を演じられた吉田先生は、後者の役作りと歌の表現をなさってました。

ただ、演者の皆さんはそこら辺は無意識にやってる感じですね。
そういった事は多分理屈ではなく、ごく自然に演じながら歌うと、スムーズにいくのでしょう。

さて、今回の「パパゲーノの憂鬱」では、主人公りひとのメイン曲は、パパゲーノのアリア「可愛い恋人か女房が」。
このアリアを2回歌ってもらいました。
りひとがまず、そのアリアを1回目に歌唱するのは、劇中劇「魔笛」ハイライトの中で、パパゲーノ役として歌うわけです。
この時はまず普通に、コミカルに歌えばいい。

しかし2回目に歌う時は、りひとというキャラクターが出す哀しさ、寂しさ、切なさを表現して欲しかったので、「寂しく歌って欲しい」とお願いしました。
そうすると、1回目のコミカルな歌い方とはテンポ感、言葉の入れ方もまるで変わってきます。
そこらの表現の仕方は、演者の古澤さんに全ておまかせ。

私はただ、後は歌手を信じて「寂しい雰囲気に持ってくような台本」を作る事に、全てを注げばいいわけです。
そうすると、古澤さんは歌に合わせた台詞のテンポ感になり、その寂しげに歌うキャラクターを役作りしてくれました。

そここそに、音楽劇の台本と音楽の親和性がある訳です。
台本は音楽を超えてはならないし、音楽が台本を超えてはならない。
どちらも完全に同等の関係でいなくてはならない。
こういう音楽劇の台本を書く時は、音楽をベースにつくりながらも、台本にとことんまでこだわらなければいけないと思ってます。

音楽ありきの台本ではなく、台本ありきの音楽。その位の感覚でいなくてはいけないと思ってます。

何故なら、我々音楽家はそれでも無意識に、結局音楽に比重を置いてしまうから。
どうせほっといても、音楽の方が目立つように書いちゃうんですよ、音楽家の書く台本は  笑

だから、ストレートプレイの台本作家さんがこういう音楽劇を作る時は、逆に音楽に比重を置いて作った方が良いのかもしれませんね。
多分、無意識に台本の方に比重がいってると思うので。

もう一回だけ続きますー。

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