リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ときめきフェスタ

2016年07月20日 22時01分46秒 | 音楽系
先日岐阜県穂積市で開かれた「ときめきフェスタ2016」に行ってきました。私の生徒さんが出演するときはできるだけ出掛けるようにしていますが、そうでないときも、のこのこ出掛けていったりします。


休憩中の様子です。

この会はギター愛好家による発表会で、ソロと重奏が中心になっています。中部、東海地方ではギター愛好家による発表会はいくつもありますが、この「ときめきフェスタ」以外は多人数のギターアンサンブルが中心です。ソロ、重奏中心のプログラムにすると必然的に参加される方の技量が高くないと長く存続できないわけですので、とても貴重な存在だと言えます。

参加される方は岐阜地方が中心ですが、愛知、三重、大阪、京都など、近畿や関西に広がりを持っています。参加地域が広いということは、こういったソロ重奏の会が少ない、ということの現れでしょうね。

ところで、配られたプログラムを見ていましたら、あることに気が付きました。それは曲の時代がとても偏っていることです。

最も多く演奏された作曲家はなんとバッハで、全42曲中7曲もありました。ところが古典派の作曲家はモーツアルトとソルで2曲のみ、残りはすべて19世紀後半から20世紀の作品でした。古典派の作品がぽっかりと抜け落ちていいる感じです。

統計をとったわけではありませんが、プロの演奏会でもこういう傾向があるように感じています。確かに古典派やロマン派のギター作品は、こういっちゃナンですが、あまり見るべきものは少ないです。(あくまでも私見ですのでつっこまないでくださいね)

ジュリアーニあたりでも探せばいい曲はあると思いますし、パガニーニなんかとても素敵な曲が多いと思うのですけどね。でもまぁそういう時代の流れなのかも知れません。

バッハに人気があったのは、私としてもとてもうれしい限りです。でもこの地方のプロの方のコンサートにバッハの曲が載るのはとても稀です。あっても40年くらい前のナントカというギタリストのものまねの域からあまり出ていません。アマチュアの方の聴きたい(あるいは弾きたい)曲をちょっと勘違いしているのかも。この「ときめきフェスタ」を聴きに来たら、ちょっと考えが変わるかも知れません。皆さんバッハを弾きたい、聴きたいということだと思います。

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2 コメント

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古典、ロマン回帰は・・・ (やまねこ)
2016-07-26 18:06:50
なるほどですね。面白い分析ですね。

要するに、ロマン、古典というのは、練習曲扱いなのではないでしょうか。
クラシックギターの演奏会でも、プロ奏者がソルを取り上げることがめっきり少なくなりました。

私がクラギを演奏していたころは、まだセゴビアも元気でしたし、ソル、ジュリア―二は必修、プロも演奏会で取り上げていました。
セゴビア没後、プロの間でも、タッチの形もセゴビア信奉主義はなくなり、爪ばかりが際立った線の細い演奏ばかりになり、私は正直嫌気がさし、クラギから離れました。セゴビアはもはや通り過ぎた人とまで言う人もいて残念です。SP版のセゴビアのソル、ジュリア―二、コストなどの演奏は必聴のものです。最近はこういう曲を単に練習曲扱いとしてしか見ていない若手奏者が多いと感じます。
たしかに、時代と共に、求められる傾向は違ってくることもあるでしょう。
個人的には、古典、ロマン派をじっくり聴かせる奏者こそ本物だと思っています(あくまで個人的感想です)。

そんなせいか、バロックリュートにばかり傾倒はしていますが、もう現在のプロのクラシックギター演奏は聞きたいと思わなくなってしまいました・・・。
個人的には、あのセゴビアのような艶のある線の太く、たっぷりとした演奏を聴かせてくれる人が日本から出てこないかなと思ってはいるんですがね。
100年、いや200年に1度の天才ですなあ。。セゴビア氏は。
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re (nakagawa)
2016-07-26 18:47:37
セゴビアは当時のヨーロッパの楽壇において、カザルスなどと比肩されるべき超一級の奏者だったですね。彼の演奏するバッハは、当時の主流の方法論を色濃く反映しています。当時の器楽奏者は誰も今の古楽奏者のようにバッハを弾いてはいませんでした。楽壇の中心にいたと言ってもいいでしょう。

そういう視点からみると、例えば第青銅とかいうような曲で有名なナントカというギタリストあたりは、セゴビアから見ればクラシック音楽の奏者には見えなかったことでしょう。仲の良し悪しは別として。

ただ演奏の方法論は時代によって大きく変化していきます。現代の演奏家である私は全くセゴビアのようには弾きません。でも時々彼の演奏を聴くと、今の方法論からしてもなかなかいいセンスだなと感じる部分もあります。これははやり彼が超一流だったということの証でしょう。
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