リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ものがいいにくい時代

2022年01月23日 09時43分44秒 | 日々のこと
最近はものごとを断定的に言ったりはっきり批判してしまうのがはばかられるようで、例えばテレビ番組でとても有益な事柄を伝えるのでも「きっとあなたのお役に立つと思います」ではなく「あなたのお役に立つのかも知れません」と言って、突っ込まれても逃げられるような表現をします。

こういった傾向はここ10何年か前から続いているのかも知れませんが、(私もここで断定的には言わず逃げを打っています)昔はものごとをはっきりと言ってしまう人もいました。

某楽器専門誌での批評で、皇室の流れをくむ評論家が作曲家H氏の器楽作品について「ふざけた曲だ」の一言で評しているのを読んだことがありました。私自身もその曲はいい加減に書いた曲だなとは思っていましたが、それがちゃんとした雑誌の記事になっているのにはスッキリしたと同時に少々驚きました。もっともその後何らかの形で一悶着あったのは想像に難くありませんが。

当ブログでは基本的に他の演奏家についての評論や批判や推薦などはしないことにしていますが、異なるジャンルの人やグループについてはたまにすることもあります。きちんとした形で評論しても揚げ足をとられたり誤解されたり悪意に取ってしまう人がいますし、そもそもネットに載せるといつまでも存在したり拡散してしまったりしてロクなことはありません。

ネットで何か言うときは、論者が非対称の議論であることが大半で、その問題点はインターネットが普及する前のパソコン通信の時代に痛感していました。某パソコン通信で私の古楽に対する考え方に「論陣」を張ってやたら突っ込んでくる来る人がいて辟易していましたが、いわゆるオフ会でその方にお目にかかったら、楽器も演奏できず音楽の知識にも乏しい方でした。パソコン通信で高飛車に出て大論陣を張っていた方が、目の前で楽器を弾きながら説明したらよく理解していただけました。その時以来ネット空間で非対称の議論はしないことにしています。

ものがいいにくい時代になってきたのはネットの存在があるからだろうと思います。昔の生身のケンカだと、負けそうになったときに「こっこのヤロー、おぼえておけ!」と言って逃げるのが定番(少なくともドラマでは)で、言われた方も特に深追いはしないのが通り相場だったでしょうが、これがネット空間だと徹底的にしつこく相手を追い詰めます。なにせネット空間では「こっこのヤロー、おぼえておけ!」みたいなことを言って姿をくらませることができませんから。ネットのそのような状況が今度はリアルの生身人間に対しても還流され、ケンカのやりかたも執拗で残忍になってきた感じがします。

私自身リュートのことや他の音楽関連のことで明らかに間違ったことや誤解してほしくないことがいくつかあり言ってみたいと思うことがありますが、固有名詞を出さないで当ブログに批判的に書いたことがひとつふたつある程度であとはせいぜい少しチクチク突く程度です。当ブログのカテゴリー「ウソゆうたらアカンやろ!他【毒入注意反論無用】」では敷居を少し下げた記事を書いていますが、それでもまぁ穏当なものです。

リュートや古楽は自分が専門にしているだけあって、間違った情報や考え方が流布しているのを見るのはとても残念に思います。こう言った段階ですら「おまえの言っていることこそおかしいのとちゃうか?」と突っ込まれる可能性がありますから、もっとはっきり言ってしまった暁にはどうなるか火を見るより明らかです。私の方からは批判的な言い回しはできませんが、読者の皆様に置かれましては、当ブログも含めてネット情報は玉石混交でしかも「玉」はとても少ないということを意識されるといいかなと思います。もっとも、ここで肝心なこと、どれが「玉」でどれが「石」なのかの判断が難しいのです。これが言えないことがつらいところです。



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2 コメント

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Unknown (やまねこ)
2022-01-23 16:16:37
こんにちは。
同感です。
ネット社会全盛、個人情報保護、権利、人権重視社会、訴訟社会・・・、30年以上も前の時代とはまったく違うナーバスな社会になったものだと思います。
 断定的な物の言い方をしない傾向は私も随分前から気づいておりました。
 たとえば、よく若い人の言う会話や、テレビでのコメントで大変聞かれるのが、「〇〇したいかなって」「◎〇するのは良くないかなって」「そういう時は〇〇しないのがいいかなって」
この表現です。断定せずに相手に判断を任せているような表現なんですね。
私時分の年配格の人間は、限られた関係ではありますが、こういう表現はまったくしないと感じますね。
むしろ、政治批判、社会批判、国政批判、意見などビシバシと指摘し、ダメなところはダメと断定的でしょうか。

今の時代は本当に難しい時世だと思います。特に特定の個人への意見などは、どういう表現がどう気に障るか、わかったものでないですし、感じ方、受け止め方は十人十色ですし。
 私が気にすることは、真実に蓋をされてしまい事実が曖昧にされることです。
正しくない事、誤った情報、事実には根拠をもって正す社会が大事だと思うことです。ただ、今の世の中、表と裏があり、正論であっても、それが個人に跳ね返り不利益を蒙ることもあることです。
大人しく黙ってたほうが利口だ、余計なことは言わないに限る、沈黙して何も言わないのが利口だ、下手に意見して自分が手痛い目に遭うことが、社会にはままあることです。
 ネット社会になって便利な反面、気をつけねばならないことも多くなりましたね。
re (nakagawa)
2022-01-23 18:10:50
私のエントリーは主に自分の専門分野のことで書いてみましたが、世の中全体の風潮を反映しているのですね。ボロカスに作品をけなした某評論家が生きた50年くらい前の時代はある意味おおらかな時代ではありました。その分大変なことも多かったとは思いますが。今はとても窮屈な時代だということを意識していかなくてはなりません。

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