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吉野川のやな漁

2017-10-05 22:26:11 | 日記
吉野川の川原に降りました。
まことちゃんですね。
やな漁が10月にある様です。

五條市のホームページより
古代、五條の人々は魚の生産力が極めて高い吉野川のほとりで漁労を中心に豊かな生活文化を築きながら暮らしていました。
『古事記』や『日本書紀』はわが国最古の史書で、この書物の神武記の最初に出てくる地名が五條の阿田です。
『古事記』には「吉野川の川尻に至りし時、簗をうちて魚を取る人あり。天ツ神、汝は誰ぞと問いければ、僕は国ツ神、名は贄持の子、阿田の鵜飼部の祖なり」と書かれています。
また、『日本書紀』には「川にそって西のかたへ行くに及びて、簗をうちて魚を取る者有り。
天皇問いたまう。答えて曰く、臣はこれ苴担の子なり」と述べています。
にへもつとは、漁業を生業とする人々の呼び名です。
ここでいう吉野川の川尻とは、現在の五條市阿田から下流の宇智、宇野、五條、二見あたりまでの広い範囲を指していたようです。
この川筋には、簗の設置に適した地形が多く、それを利用して、竹を並べた大きな「す」を掛け、ここに落ちてくる水をこして、「す」の上に残る魚を捕らえる仕掛けが簗なのです。
日差しが短くなり、秋が近づく9月ごろから落ちアユの季節が始まります。
成熟したアユたちは適度な増水があれば、一度に100kgあまりも簗に落ち込み、まさに「大漁」ということもありました。
簗で捕獲される主な魚はアユ(桜アユと呼ばれます)で、ウナギやウグイなども捕獲されていました。
現在は見られなくなりましたが、かつて、吉野川の川筋には、落ちアユを捕るためにたくさんの簗場があり、今でもその名残として、ヤナセ、ヤナバ、ヤナノシタなどの地名が残っています。
吉野川には簗漁以外にも筌漁、鵜飼、松明を用いる火振り網法、まきかわ漁法などが行われていました。
なかでも船からこぶし大の石を投げ込み、アユを追い詰めてすばやく網をうつ勇壮な「まきかわ漁法」は、吉野川独特のアユ漁法でした。
捕獲されたアユは、京都の仙洞御所(上皇の御所)に献上されていました。
これらの漁法は、人と魚の知恵くらべの中から魚類の生態を考慮して考案されたユニークな漁法でしたが、年と共に忘れられようとしています。

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