猿石と人頭石 7世紀
飛鳥には見慣れぬ形の石造物が数箇所にある。
ここに展示したのは、そのうちいま猿石とよばれているもの5体と新たに発見された人頭石1体の模造である。
猿石のうち4体は吉備姫王墓の墓域内にあり、1体は高取城跡にある。
これらはもと欽明天皇陵の堤にならべられていたというが、その後うずもれて江戸時代に欽明陵南の田から掘り出された。
その後現在地に移されたものである。
吉備姫王墓の3体は表裏に顔があり、高取の猿石も裏に顔があったらしい。
百済にも、これらに似た石造物があり、それとの関連から魔よけとして御陵の置かれたと考える人がいる。
人頭石は高取町内でみつかったもので、頂上に凹みを掘って手水鉢に転用させていた。
伝来は明らかでないが、どこか伎楽面を思わせる風貌に特色がある。