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井光の井戸2

2014-02-11 23:20:00 | 日記

下まで下りてみると、ちゃんと看板も立てられている。
その割には中々行き着けず苦労した。
吉野山の人に聞いても、知っている人は少ない。
もっと誰もが行ける様にしたら良いと思う。

因みに井光の井戸は3つある。
一つは川上村の井光。
もう一つは飯貝の水分神社の下の井戸跡です。

しかし穴が小さすぎます。
まあ、紀元前2674年前の話だから穴も埋まるかな。

とりあえず念願の井戸を見つける事が出来て満足です。
残り2つの井戸も訪ねれればと思います。



井光の井戸

2014-02-11 23:07:44 | 日記

善福寺の裏に回ってみると、崖下に下りる道がある。
もしや、と思い下ってみる事にした。
あっ!!!あった!!!
ついに見つけました。

當山庫裡の裏の谷を降りた所にある杉の木の所に小さき井戸があります。
神武天皇東征の砌り三本足の八咫カラスと共に宇陀迄道案をしたという吉野首井光(井氷鹿)が住んでいた賢穴式の住居跡と傅説があります。
古事記にも日本書紀にも書かれており吉野神話の基でございます。



善福寺2

2014-02-11 22:41:44 | 日記

当山の裏手には、神武天皇が東征のおり、河内で長髄彦との戦いに敗れたため、熊野に再上陸し、吉野から大和へ入ったが、この時八咫烏とともに道案内をした井光大神が出現した跡と伝わる井戸跡がある。

光る井戸より出でたる人あり
吾は井光の首なり

この井光という神様、しっぽがあったという事です。
神武天皇のお話には尻尾や異形の人達がよく現れます。
神武天皇の正当性や権威を表現しているのでしょうか?



井光山善福寺

2014-02-11 22:24:23 | 日記

12時3分に善福寺に到着。
当山の創立は不詳。
とのことであるが、ここ吉野山では葬儀を行わず祈祷を旨とする修験寺院が多いなかにあって、善福寺は江戸時代の初期から、吉野山の人々の菩提寺として存在していた。
明治初年の廃仏毀釈、神仏分離に際し、金峯山寺や多くの塔頭寺院が廃寺に追い込まれるなか、当山の当寺の川勝教嶽住職が廃寺の仏像を集めた諸仏堂の管理や山上蔵王堂の権益を保つために活躍されている。

この寺から井光の井戸に行ける筈なのだが、今まで何度も来てるのに一度も井戸まで行けなかった。
今回こそは発見する積りでリベンジ。


宿坊喜蔵院

2014-02-11 21:35:39 | 日記

11時54分、喜蔵院に到着。
喜蔵院は、奈良県吉野郡吉野町にある大峰山の護持院。
本山修験宗別格本山。
役行者霊蹟札所。
山号は吉野山。
開山は智証大師円珍。
眺望絶佳の景勝地に立地した由緒ある宿坊旅館。
江戸時代に儒学者の熊沢蕃山が隠居した寺で、宿坊と同じ建物にユースホステルがあります。

以前入口左に孔雀が居ましたが、この日は居ませんでした。