アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

念仏は行者のためには非行非善なり

2019-10-16 05:10:37 | マントラ禅(冥想法7)
◎歎異抄のその八

マントラも本来言霊であるのだが、その精妙なバイブレーションの違いは、この粗雑な感性の時代ではあまり問題にはなるまいと言ったのはダンテス・ダイジ。

歎異抄のその八、
『念仏は行者のために非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば、非行といふ。

わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。

ひとへに他力にして、自力をはなれたるゆゑに、行者のためには非行非善なりと云云。』

南無阿弥陀仏というマントラを繰り返し唱えることで、マントラシッディに至る。やがてすべてが南無阿弥陀仏である世界を経て、辺地浄土にいる自分を確認できる。そこで更に精進修行してほんまものの極楽に進む。

「わがはからひにて行じない」というのは、既に自分がないということだから、第六身体、本来の自己、アートマンを承知している境涯。

辺地浄土での修行は、死の世界の修行なのだが、それよりもまず、個なる自力でなく、全体である他力にあって、非行非善。

既に全体でなければ、非行非善とは言えないと思うが、「行者のために」敢えてそう言う。
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人口密集地の危機一髪

2019-10-15 05:29:28 | 時代のおわり
◎神を恐れる人

宮城県丸森町はまだ水が引かない。丸森町はほぼ山の上にあり、東に抜けると、山元町、新地町、相馬市など海岸の町に出る。その周辺の海岸は軒並み東日本大震災で津波により被災し、丸森町にもその被災者たちが住んでいたという。

千曲川も栃木、佐野もひどかった。マスコミには出ないが局地的な水害はtwitterで追うといくらでも出てくる。

多摩川も無堤防の二子玉川付近でいろいろ起きたし、入間川水系は、東松山市南部で大型ショッピングが水没するなど起きた。

武蔵小杉のタワーマンションの水没による、停電、断水、トイレ使用禁止、換気できないからガス使用禁止、エレベーター停止は、ほとんど全電源喪失による原発危機を思わせる。

それらもさることながら、大氾濫に至らなかった人口密集地の大河川が危機一髪だったことの方も大きな問題として今後出てくるのではないか。

それは、荒川であり、利根川。荒川は、下流の墨田川防衛のため、赤羽岩淵水門を閉じ、荒川の墨田川への流入を停止。そのおかげで江戸川区、江東区、墨田区は守られたものの、岩淵水門は、氾濫危険水位を一時オーバーし、はらはらさせた。

さいたま市西部の彩湖は、荒川の水を引き入れることで巨大な遊水池と化した。

更に中流鴻巣の日本最大の川幅(2.6キロ)の川原は、これまた何十年ぶりで満々と水を流し、本当に広い川幅であることを証明したが、水位も氾濫危険までに迫った。こんな具合で流域の平時はほとんどレジャーエリアに化した遊水池をすべて活用したが、それでも各所の荒川の水位は氾濫危険水位を越えたり越えなかったりで、危機一髪のところが多かった。

利根川は下流域で水害が今まさに起きている。また上流秋山川は決壊。中流栗橋の利根川の写真を見ると、何だか栗橋側の堤防より栃木県古河側の堤防の方が高く見えるような気がする。

さらに小規模な内水氾濫は、各所で数知れず起きたのだろうと思う。小さな小川があふれるもの。

いくら河川水位データ監視が発達しても、川が氾濫するしないは、ある程度までは人為だが、トータルで見れば神意。

出口王仁三郎は、東条英機が全く神助を頼まないことを慨嘆した(そして敗戦に至った)のだが、こういう時は神助を頼むというのも重要な心構えだと思う。

気にしない人、気がつかない人、恐れる人、恐れない人と様々だが、恐れる人が一番神仏に近いのではないかと思う。
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ディプログラミングとヴィパッサナー

2019-10-14 05:42:50 | マインド・コントロール
◎天災と全知全能

OSHOバグワンは、新時代の政治家養成法として、ディプログラミングとヴィパッサナーが必要だと主張する。

一般にディプログラミングとは、共産主義やカルトに洗脳された人の頭をこちらの世俗社会側に引き戻す手法。

OSHOバグワンのディプログラミングとは、それとは異なり、頭をからっぽにして真空のようにすること。まず先入観をどんどん排除して社会性を取り去っていく。カルロス・カスタネダが修行の一環として、昔の知り合いすべてを一人一人訪問して別れを告げたというのもそれの一種。禅問答も先入観を排除するという意味では似ている。

そして呼吸覚醒ヴィパッサナー。釈迦もこれで悟ったというヴィパッサナー。OSHOバグワンは、その要諦を三つ挙げる。
1.くつろいだ状態でいる。闘いもなく、制御もなく、集中もない。
2.見守る。何でも自分自身の内側で進行していることを目撃している。
3.それについて、どんな批判も評価もしない。見張り人でいる。
(出典:大いなる挑戦・黄金の未来/バグワン・シュリー・ラジニーシ/めるくまーるP46)

OSHOバグワンは、ヴィパッサナーで目撃することを実践していると、思考と感情の雲がゆっくりと消散し、自分の内なる実存が現れ始めるのに気づくとする。

これが実は結構過酷な修行である。
「自分自身に出会うことほど恐ろしいものはない/ダンテス・ダイジ」
あらゆるものが見知らぬって想像するだに恐ろしい。

エゴは常に全知全能でありたいと願っているから、未知しかないというのは、過酷で危険ではある。だが、修行ってそういうもの。

今般のスーパー台風での河川氾濫は報道されている大規模なものは20か所くらいのものだが、小さな洪水は全国で無数に起きた。千曲川などでは二階から降りられぬ人の映像が流されていた。

ダンテス・ダイジは、混乱の時代はクンダリーニ・ヨーガ(死の側から窮める)が必要とされ、平和な時代は只管打坐(生の側から窮める)が必要とされるとする。

更に、只管打坐が栄えるなら人類の生き残りは多いが、いよいよ人類がほとんど絶滅みたいになるならクンダリーニ・ヨーガが栄えるなどという不気味なことも言っている。もっとも只管打坐だけでは次の時代は不足であって、クンダリーニ・ヨーガのデリカシーも必要であるということも言っている。

天災が起こると、我が覚悟も含めいろいろなことに思いを致させられる。
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水の御恩

2019-10-13 06:23:06 | 時代のおわり
◎人間は水でできている

台風19号では、いつもの豪雨の2、3倍は降った。おかげで中小河川の氾濫は各所で起き、大河川の氾濫や氾濫危険も多発することとなった。

政治では、昔から道路は票になるが、ダム堤防治水は票にならないと言われ、道路中心の土木建設政治が行われてきた。故に地方に行くと過疎の町村の中を多数の美田を潰した新たな高速道路ができていて唖然とさせられることがある。これも今般の水害の原因の一つではある。

ところが昨今の異常気象多発により、治水の重要性が再認識されつつある。

世界的な温暖化傾向に歯止めが利かなければ、今の低地・海浜文明を維持することはあまりに高コストとなり、やがて低地海浜の居住はあきらめられ、高地文明移行していくのだろう。

それまでに既存文明が喪失するであろう既成インフラ、快適で安全な生活インフラの喪失は、膨大なものとなるのだろうと思う。

中国の三人の聖天子の一人は、特に黄河を中心とした治水に一生を捧げた。自宅の前を通りかかっても何十年もその入口を入れず、自宅で休めなかったなどとその精勤ぶりが伝えられている。

偉大なチャネラー出口ナオは毎年大晦日の晩に子供を前に「お水のご恩というものは、この世の中で一番大きいのじゃが、誰もその恩を返すことを知らぬ。
お水のご恩は毎年大晦日に夜通し起きて、何でも手にある仕事をして、もって返すものじゃよ。は決して無駄に使わないように」と諭しながら、繕いものなどをして徹夜したという。

また出口王仁三郎も、大晦日の徹宵と水への感謝を説く。曰く、「大晦日は、お水の御恩を返すべき日である。それで殊に夜になったらお水を決して粗末にしてはならぬ。又徹夜するのが本当である。」

お水に感謝するとは、お水に冥想すること。水害の危機が終わったタイミングでお水に冥想するのがよいと思う。

一人一人ができることは、大したことではないが、その思いが世界を正していくのだ。
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米国国璽の表と裏

2019-10-12 07:06:39 | 冥想アヴァンギャルド
◎次の時代は「裏も表も」

およそ物事には表と裏が存在する。ある説明をしながらもそうはならないケースや道筋のことを思い浮かべるというのは、表裏両方を承知している人間の習いである。

米国国璽にも表と裏がある。
表は合衆国独立当時の13州の星ということになっているが、生の側偏重の旧秩序の12+死の側1で合計13。これが丸く囲まれており、全体としては目である。

鷲は神。片足に13本の矢、片足に平和のオリーブを持ち、戦争を司る外征国家であることを示す。

口にくわえているリボンは、E pluribus unumで多から一へ。多であって個である人間には救済なく一にしか救済はない。

全体としては星の国アメリカだから、13星が13の光条を引いている。

以上が表の説明。

裏には砂漠に立つ13段ピラミッドの上に三角に囲まれた世界を見通す目。
三角は、父と子と聖霊であり、三位一体であり、弥勒三会

上方の文字はAnnuit cœptisで(何かが我々を支持している)。米当局見解では、神が我らの行動を支持しているとなっている。ただ、より神に近い者が世俗の戦争や争いなどで必ずしも勝つというものではないことはよく知られている。殉教者は、キリスト教においてもイエスだけではなく、あらゆるまともな宗教では見かけるものだ。

底辺の文字は「新世界秩序」。真の新世界秩序は内なる新世界秩序だが、その時代へわたる埠頭がアメリカだと言わんばかりである。
  
上方の目はピラミッドの上だからホルスの目、神の目。ホルスの目は、エジプトだけでない。北欧のオーディンは片目を失っている。アジナー・チャクラは第三の目だが、すべてを見渡すとは、個の人間の目ではない。

理性である13段の人間の営為は、三位一体で十全なる神に至るのだ。これが新世界秩序。

次の時代は「裏も表も」なのだ。地獄の釜を開けて総ざらえというのはそういうことなのだろう。

【今日の卦/今日のタロット・カード】
ラグビー・ワールドカップたけなわに未曽有のスーパー台風が襲う。

“天地(あめつち)の自然の力に抗すべき 何物もなしと省みるべし”
出口王仁三郎。

星の国アメリカに翻弄され続ける日の国日本。

表(Wikipediaから)


裏(Wikipediaから)

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タロットwheel of fortune

2019-10-11 05:35:49 | 現代冥想の到達点
◎自分だけは大丈夫バイアス

運命の輪の上に首を回した鷲イーグルが超然と立つ。これは、nefertariタロットの運命の輪。マルセイユ版などの一般的タロットの図柄では、鷲ではなく2頭の動物がグルグル運命の輪を回している上に立つ黒い顔をした剣を持つ有翼の動物であり、青い肌でもあるから閻魔大王、ヘルメスが連想される。

回る運命の輪は有の世界。その上に超然とするのだからアートマン第六身体。有の世界は、常に善悪、正邪、美醜、貧富、長寿短命などの二元の変転を繰り返す。

この時代は神を知らない人間であることが当たり前な人たちばかりで成る火星の時代、臍のマニピュラ・チャクラの時代。
次の時代は神を知る人間であることが当たり前な人たちばかりで成る金星の時代、胸のマニピュラ・チャクラの時代。

人間の進化とは、実に「神を知らない」から「神を知る」に進むことであって、他のことではないが、マスコミに代表される文明思潮はそれを見失い、果てしなき混乱に翻弄されている。

そして今スーパー台風19号がある予感を伴って上陸しようとしている。大地震は、予告なく起きるが、予告されて起きるのはきつい。超弩級の異常気象よ。事前に人間の回心を試すかのようだ。

ネガティブ予言の共通ルールというのは、あまりひどいところはほのめかしも言わないということである。

人は気象衛星画像の台風の目に見いることで、自分の中をも覗き込む。

Nefertari 運命の輪


マルセイユ 運命の輪


台風19号
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タロットの戦車chariot

2019-10-10 05:35:53 | 現代冥想の到達点
◎急速に根源に回帰する

出口王仁三郎は常時雲に乗って移動すると言い、今や巨大な雲に乗って日本列島に急速に近づきつつあるのは台風19号であって、日本にスーパー台風が上陸するのはほとんど初めてということで、皆戦々恐々としている。

古い時代において急速に移動するものは、まず時間である。だが、急速に移動するということが真に重要な意味を持つのは、人間が根源に帰る時である。七つのボディを急速に移動していく場合、意識している場合と無意識の場合があるが、それはひたすら疾風迅雷の如くであるらしい。

パエトーンと天の車の如く失敗例もある。それは急激に上昇したが、自分が耐えられなかったのだ。

邯鄲の夢、黄粱一睡の夢も、それは夢ではなく、とあるのっぴきならない人生を経て、「夢」と感じて、ハイ・スピードで肉体に戻ってきたのだ。

タロット・カードに戦車chariotがある、これは聖音オームは「根源に戻って来ーい」と響いているというが、根源に急速に帰って行く乗り物のことである。

聖書エゼキエルの戦車は、自分とは全く縁のない他人である古代人エゼキエルのエピソードと思ってしまうが、さに非ず。みじめで情けない絶望の極みなる自分を、一瞬にして不死にして全能なる窮極に運び込んでくれる乗り物のことなのだ。

それが、タロット・カードの戦車。御者は、ヘルメス、猿田彦

絵はnefertariタロットの戦車。

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至誠の道はもって前知すべし

2019-10-09 05:35:16 | 究極というものの可能性
◎予知する時点である「今」が動く

中国の四書五経の中庸で大悟覚醒した人を至誠の人と言い、その人に予知能力があることを言う。人はニルヴァーナという体験とは言えない体験を経て、六神通の超能力を得るので、将来のことを当然に予知できる。また将来のことは予知できるが、予知した時点の未来が予知したとおりにならないこともあるのも知っている。時間軸にあっては、予知する時点である「今」が動くからである。

中庸から
至誠の道では、前もって予知することができる。国が将に勃興するときにはその瑞祥がある。
国が将に滅亡するときには必ず禍々しい前兆がある。
兆しは、各種占いに現れたり、人間たちの動作行動の動きにさえ出る。
禍福が将に発生しようとするときには、善も事前に予知でき、不善も事前に予知できる。

故に至誠は、神のごとし」

訓読
『至誠の道はもって前知すべし。国家将に興らんとすれば、必ず禎祥あり。
国家将に亡びんとすれば必ず妖(ようげつ)あり。
蓍亀(しき)に見(あら)はれ四体に動く。
禍福将に至らんとすれば、善必ず先ずこれを知り、不善必ずこれを知る。
故に至誠は神の如し。』

SNSに挙げられた地下アイドルの瞳に映った駅の風景から、Googleストリートビューで駅を特定し、アイドルを駅で待ち伏せ自宅を突き止め襲ったという。

危険なのは、瞳に映った風景の写真か、SNSか、Googleストリートビューか。

それは、心が危険なのである。
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社会では鬼、自宅では神となれるか

2019-10-08 05:42:13 | 冥想アヴァンギャルド
◎子供たちに愛情を持って接する

自分の社会的願望、ある職業に就いて成功し、大金を儲けて、社会的にも名声を得たいというのは、自己の実現ということで、現代では普通に見られる行動原理である。

社会的に成功するというのは他人を蹴落とすということであって、この原理に沿えば、うわべでは笑顔ながら、他人と連続的な争闘を繰り返すことになりがちなものだ。

争いのシンボルは火星であり、これがマニピュラ・チャクラに配当され、自己実現を司るが、自己実現優勢社会では、少数の勝者と大多数の敗者ばかりで、貧富の差も拡大し、ここに地獄的様相が展開する。

地獄的世間において平然と勝者でありつづける人はどこか爬虫類的に見えるもの。ジョン・コールマンの陰謀論には、爬虫類人間が登場し、読者を当惑させるのだが、実際はそういうことなのだろうと思う。霊界物語の最後に近い第80巻で水奔草という放射性物質と思われる草が地上を覆うとき、その原野に住んでいたのは、甲羅のある鰐に似た怪獣と、蛇とムカデを混同したようなイチジという爬虫族のみであった。

そうした殺伐とした世界で、日夜子捨て子殺しがトップニュースになる日本。自己実現の行動原理と子供に愛情を持って接する行為というのは正反対なところがある。

外で鬼・悪魔を演じている人間が、家庭に帰って神を演じるのは簡単なことではない。

当の子供は、幼児から高校生に至るまで、他人のことは我関せずとばかりにモバゲーにいそしみ、愛情をもって他人に接するなどどこ吹く風。今日もスマホをながめつつ高校生や若者が自転車で疾走する二重に危険な歩道。

まともに外での自分と内での自分に葛藤すると胃をやられがちになるというおまけまである。

それでも迷いのままに悟るトライアルを。
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二つに分離して投影する

2019-10-07 05:40:23 | 錬金術
◎神々の像

17世紀の錬金術書cartari vincenzoのle imagini de gli dei(神々の像)。この絵では、二人のやや異なる両性具有者が出現している。これは自分の似姿が投影されているのだからと見て、アストラル・プロジェクションだと主張する例もあるが、アストラル・プロジェクションも頭頂から出るのとそうでないのが知られているので、ここは当然に頭頂から出るそれなのだろう。

投影の結果は、この絵では完全に二体に分離した両性具有者である。これは変性男子と変性女子。単にドッペルゲンガーと見ると先へは進まない。片方の変性男子(顔が女子)が、宇宙の支配を示す笏と作業の終了を示す鍵を持つ。何も持っていない変性女子(顔が男子)側の方がメインの求道者であり、男性の人間。

変性男子側の太陽は上りつつあり、変性女子側(顔が男子)の太陽は沈みつつあり、死が待っている。

死の先は、ウロボロスなる我が尾を食らう蛇の円環として、大いなる修行の完成が示される。
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中国人論、韓国人論

2019-10-06 07:04:34 | 冥想アヴァンギャルド
◎下部3チャクラと何でもあり

最近何かと話題になる、韓国人論、朝鮮人論。文末の〔併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達〕という朝鮮人論を読んで、大半の部分が中国人と重複していることに気がついた人も多かったのではないか。

なお個人的に知っている韓国人、中国人もいるが、皆君子である。

世の中に中国人論、中国人の品格論は多く、いかに多くの日本人はひどい目にあってきたかということである。

中国と言えば、何でもあり。人間には10チャクラあるが、下方3チャクラ(太腿、ふくらはぎ、足裏)は、現代ではほとんどつかわれないというのは、動物に属するチャクラであるから。

何でもありというのは、そこを使うということであって、中国人、朝鮮人がより動物的であるというのは、そういうこと。(野口整体では、男女比較すると女性の方がより動物的だとする)

第二次世界大戦以前は、荷役で苦力(クーリー)というのがあって、わずかな賃金で苦役同様の稼業を行っていたのだが、目撃した日本人がこれを哀れに思う話はいくらでもある。ところが中国農民は現代の苦力であって、農奴と変わらないという。中国の人権圧殺恐るべし。だが、あれだけ街頭に監視カメラをつけ、ネット言論を徹底監視しているわりに、年間海外旅行者1億人というのは、言論、思想統制と言う見地からは大きく片手落ちであり、それよりは有事直前に海外脱出を容易にできるようにしたいとでも思っている人がいるのだろうか。

さて中国人論での中国人の代表的特徴は、
1.エロに恥も外聞もない(性欲を隠さない)。
2.グロ(人肉を食う、人を虐待する、犬猫鼠を食べる)にも恥も外聞もない。
3.嘘をついたり、詐欺をすることに躊躇がない。
4.金もうけなどで、我欲を露見させることをみっともないなどと思わない。
5.喜怒哀楽を表に出さないので、愛嬌がなく、それと裏腹に、人情を顧みず酷薄、
6.面子は重視するのと裏腹に、腹黒く、モラルがなかったり、低かったり。
7.戦争が悪いと思わない。平和を求めない。平和が続くのは、下剋上での生活の上昇チャンスが発生しないことと見ているせいか。
特に中国は、日中戦争では戦場が面ではなく、線で拡大したため、自国が戦場になった体験は大都市圏の人しかいないので、平和希求の意識が希薄である可能性はある。
 この点日本人は平和希求は人類皆共通と思い込んでいるが、大きく誤解するところ。易姓革命の伝統であれば、造反有理であり、戦争歓迎なのだと思う。反日記念館などへ行けば、戦争が悪いなどとは書いていないという。

一方李氏朝鮮は中国の属国として500年あり続けたので、中国人的特徴はかなり有しており、更に屈折している。
また日本人にとっては、朝鮮人によるテロとして、伊藤博文暗殺、上海天長節爆弾事件(白川義則大将爆死、海軍中将野村吉三郎(対米開戦時の駐米大使)が片目を失い、在上海公使重光葵(ミズーリ艦上での降伏調印)が右脚を失う等)を忘れることはできない。

以下は、ネットからパクッてきた朝鮮人の扱い方。それらしい出典はないかと当たってみたが、とりあえず見当たらなかった。

『〔併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達〕

一、朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。
一、朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。
   勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。
一、朝鮮人は恩義に感じるということがないため、恩は掛け捨てと思い情を移さぬこと。
一、朝鮮人は裕福温厚なる態度を示してはならない。与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖がある。
一、朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し返却せざること多し。
   殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。
一、朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。
一、朝鮮人と商取引を行う際には正当なる取引はまず成立せぬことを覚悟すべし。
一、朝鮮人は盗癖があるので金品貴重品は決して管理させてはいけない。
一、朝鮮人には日常的に叱責し決して賞賛せぬこと。
一、朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。
一、朝鮮人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、恨みに思い後日徒党を組み復讐争議する習癖があるので、
   最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇すること。
一、朝鮮人とは会見する場合相手方より大人数で臨む事。
一、朝鮮人との争議に際しては弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。
   権威称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。
一、朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。
   特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。
一、朝鮮人の差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せしめよ。
一、朝鮮人との係争中は戸締りを厳重にすべし。
   仲間を語らい暴行殺害を企てている場合が大半であるので、呼出には決して応じてはならない。』

人間には、上も下もないので、中国人、朝鮮人でも、もちろん覚者は出ている
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旧約聖書の大量殺戮預言

2019-10-05 06:53:46 | キリスト者の秘蹟
◎人類絶滅ビジョンと現文明を残すビジョンがせめぎ合う

旧約聖書の大量殺戮預言といえば、イザヤ書第六章。ユダヤ人は、神の真意をいぶかりながら、破壊を事とする姿が描写される。石屋、猶太の先。

イザヤは主から大量殺戮の指示を受けた。愚民化政策とその先の絶滅。

『主はいわれた。
「行って、この民に言うがよい。」

「いくたびも聞け、しかし悟るな。
いくたびも見よ、しかし分かるな。
この民の心をかたくなにし
耳を鈍く、目を暗くせよ

目で見ることなく、耳で聞くことなく
その心で悟ることなく
悔い改めて癒されることのないために」

わたしは言った。「主よ、いつまででしょうか」。主は答えられた。

「町々が荒れ果てて、住む者もなく
家々には人影もなく
地が無人の荒野と化するまで」
主は人びとを遠くへ移される。
地の中央にすら見捨てられたところが多くなる。
なお、そこに十分の一が残るが
それも焼き尽くされる、
テレビンの木、樫の木のように。
それは切り倒されたとき、切り株が残る。
その切り株とは聖なる種子である。(イザヤ書六章)』
(イスラエル預言者 上/A.J.ヘッシェル/著 教文館P173-174から引用)

ここでは、二度にわたる人類文明の大破壊があると予言している。人類絶滅預言は、いたずらに人の心を滅入らせるもの。かといって陰謀論ものを読むと爬虫類な人間が世を支配して、子羊な弱い大衆がいいようにやられるという、いささか霊がかり、眉唾なストーリーが多く、とても信用できるものとも思えない。

人類絶滅は、ユダヤ王国の滅亡をもって雛型とする可能性もあるのだろうから、ユダヤの型についてもひととおり目を通しておいた方が良いのだろうと思う。大本教団の二度にわたる弾圧だけが型出しではなく、出口王仁三郎はユダヤは大悪に見せて大善をやるとも予言しているから、ユダヤにも型があっても何の不思議もない。
ただユダヤの型は後にペンペン草の若葉しか残さないが如くなので、後の人類はほとんど一からやり直しになるような厳しい末路である。

その点出口王仁三郎の型はまだ人間に優しい。
ノアとナオはペア。ノアは破壊、ナオは復興。
破壊だけではなく復興はペア。禊や大祓の破壊後は、必ず復興の七福神が到来する。古事記には地上天国、至福千年などの超ポジティブな記述なく形成されているので、出口王仁三郎はこれではアカンと思って殊更に七福神を、これは仏教でも、古神道でも、道教でもない土俗的シンボルなのだが、これを重用した。

ダンテス・ダイジは、ユダヤの型と出口王仁三郎の型を意識していて、人類一旦完全絶滅と人類のある程度の部分が残る絶滅の2種の型のせめぎ合いが行われていると見ていたふしがある。その結果が、「現代文明は次の時代にどの程度残るか」ということで測ることができる。

そのせめぎ合いは、政治、軍事、経済だけで行われているだけでなく、日々の我々の行住坐臥がその帰趨を握っているのだが。
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神なく孤独で鉄格子なき不自由な生活

2019-10-04 06:20:26 | 現代冥想の到達点
◎本来も無きいにしえの我なれば

20年かけて貧しい国家群をちょっと豊かな国にすると見せるや、その富をわが物にして以前以上の貧しい生活に落として、ネットと監視カメラで実質的に個人の自由を奪い、この世をいわば巨大な牢獄とした勢力。

人はそういう生活環境下では子供も作れず、恒産なければ、子供を育てられはしないからあきらめようと考える人が増える。その結果、非正規雇用4割で、離婚率3割、生涯独身者4割と、社会全体に孤独と不自由の影が差すようになった。日本はそういう意味での先進国。

日本では、右肩上がり経済が死語となって三十年。国民皆貧困みたいな時代になってしまった。上海の若いOLより生活水準は下と言われるほど。

それでも冥想をしようと思い立ち、特に1週間くらいの瞑想リトリートとか集中合宿みたいなものに参加する人の大半は、最近離婚した人だったり、最近失恋した人だったり、独身の人だったり、家族の反発のない人である。

1週間もまとめて休みのとれるのは、お盆の付近しかないので、それも年に一回だから、連続瞑想合宿に参加するというのは、海外旅行などのバカンスをあきらめるということではある。

そういうグループに参加などしなければ、孤独で不自由な日常に直面させられる。

独りでいることは、惨めな自分を感じることだ。音楽、動画、映画、テレビ、SNS、アルコール、セックスこうしたものは役にたつ。今のメジャーな文化は、こうした孤独を紛らすものばかりだ。

本気になれるもの、それは恋愛か?だが、私は愛される資格がなかったのだろうか、相手に出会わなかっただけなのではないだろうか、いや出会っていたがうまくやれなかっただけではなかったのではないか、などと堂々巡りを繰り返す。

本来も無きいにしえの我なれば
死に行く方も何もかもなし
 一休
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少年がひとつかみの砂を釈迦に献ず

2019-10-03 05:34:24 | 究極というものの可能性
◎行為の善悪は動機の善悪で決まる

ちょっと悪いことをしても、お金が儲かれば、あるいはスーパーリッチ、プチリッチになれさえすればよいなどと考える人がほとんどの時代。

悪いことをすれば、将来に苦しみや悲しみが起こり、善いことをすれば将来うれしいこと楽しいことが起こるという当たり前のことを信じもしないし、非科学的であって迷信だと思っている人も多い。

禅の高僧が真顔で私は来世はロバに生まれるというシーンでは、カルマの法則が輪廻転生に及ぶことを言い、輪廻転生を認めないキリスト教では、煉獄、地獄に悪を積んだ人々が底溜まる。

仏教では、十善として善行の典型を定めているが、その行為の外形が十善のどれかに当てはまれば、善行ということでもない。

※十善:不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不両舌・不悪口・不綺語(でたらめを言わない)・不貪欲・不瞋恚(怒らない)・不邪見。

まずその行為の動機が善であるか悪であるかが問われる。動機が良ければ、見た目悪行でも善となり、動機が悪ければ、見た目善行でも悪となる。

行為の見た目が十善であっても、その行為の真の評価は動機による。

さらにその善行の善い報いを期待するためには、そんなことを塵ほども思ってはならない。思った瞬間に果報は実現したことになるからである。

昔、ある少年はひとつかみの砂を、本当に砂金だと信じ込んで、お釈迦様に捧げたという。その少年は、次の輪廻転生で、アショーカ王として誕生してきたという。

誠に人は、一挙手一投足、一言一句なおざりにすべきではないと思う。
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世界はまもなく発狂する

2019-10-02 05:41:53 | 究極というものの可能性
◎オレたちは何でも都合よく考えすぎる

『世界はまもなく発狂する』こんな真に迫ったことを言えるのは、OSHOバグワンだけだ。

人は貧しい時には、富める者、持てる者、豊かな者がその財産を貧しい者に分配したり共有してくれるべきだと考えがちなものだ。その持たざる怨みを他にぶちまけたいのだ。

ところが、しばらく経って自分が家や車や金融資産や別荘など財産を持った途端に、それを失いたくないと思い、貧しい多くの他人にそれを分配するなどはとんでもないことだなどと考え始める。
オレたちは、都度自分の都合のよい方に考えがちだ。

更に自分の死がその積み上げた財産を一瞬にしてふいにすると気がつくと、自分を一番殺しそうな者は他人であるから、自分の死を一瞬でも忘れるために他人を殺そうとする。

他人を殺せば、誰も自分を殺せはしないと思うことで、自分の死を忘れる。暴力の原因は多かれ少なかれこの発想にある。

具合の悪いことに他人を殺したり追い落としたりした人間はそれを成功体験と認識するので、それを何回も繰り返す。それによって自分が死から解放されると本気で思い込む。

彼の居場所は既に地獄だが、現代の競争社会でトップ集団にいる者には、そのような牙を見せないが、そのような勝者のマインドに凝り固まった者が結構いるものだ。笑顔で礼儀正しく元気はつらつで他人を蹴落とす・・・・・。

(古事記では、禊をするのは、川の中ほどが良いというくだりが出てくるが、上流にはこのように悪人が多いことを指す。)

勝者たちは勝者たちと相互に競い、延々と地上と心理の地獄は拡大して行き、その成れの果ては、超大国同士の対立紛争である。

人間には幸福に生きるすべてがもともと与えられているが、これを地獄だらけの世界にし、かつ相互の争いによって、人類そのものの自殺に至らんとすることを見て『世界はまもなく発狂する』などという。 

ここに人知れず冥想の道もある。
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