アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

逆さ吊りになっていない「吊るされた男」

2019-09-21 06:31:07 | 超能力・霊能力
◎シャクティパット

金ラメのNefertariタロットの「吊るされた男」は、逆さ吊りされていないので、破格である。「吊るされた男」の正位置、逆位置などとして意味を採る人には困ったことになる。

22枚の大アルカナの順序でいえば、「吊るされた男」は「死」という全体の直前であり、個の極みという位置にある。それからすると、逆転してもらわないと話は進まないのだが。

この図案は、神が人の頭を王笏かこん棒で叩こうとしているか、あるいはシャクティパットをしている図と見える。

シャクティパットとは何か。シャクティパットには2説あって、ダンテス・ダイジは口を切るだけという説明であり、OSHOバグワンは、何らかのエネルギーを注ぎ込むという説を採る。

オウム真理教では、1回30万円でシャクティパットを教祖がやっていて、初期には受けた弟子がその効果(正邪の程は不明だが)はあったと証言している。ところがある時期から、シャクティパットで教祖が非常に消耗、憔悴するようになり、シャクティパットをやめて麻薬入りドリンクに切り替えたことが複数の関連書籍に書かれている。

シャクティパットとは手かざし系のグループでは時々見られるものであって、オウム真理教オリジナルのものではない。シャクティパットでは、「気」が入ることもあるのだろうが、「気」を入れる方は生命力が減衰し、長期的には内臓を痛めることも知られている。気にも正気あり、邪気あり。

シャクティパットがエネルギー注入だとするOSHOバグワンは、注入に適当な時節があることを示唆する。精神をいじるというのは、神聖なものであって、一片の邪心も許されない。薬物も含めて外的な力で精神を操作しようとしても、精神はデリケートなものであり、容易にバランスを崩しやすいものだ。

禅でもクンダリーニ・ヨーガ系(密教、気功、錬金術など)でも最後の一歩は自分で踏み出すことが要求される。誰かがひっぱり上げてくれるものではないのだ。


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錬金術の両性具有なる賢者の石

2019-09-20 05:28:21 | 錬金術
◎王と女王の結婚

最近出た金ラメのタロットカードNefertari。これにも女王がペアであり、ご丁寧なことに教皇と女教皇もペアになっており、否が応にも両性具有の重要さを意識させられる。

『西洋の錬金術師たちは、中国の内丹家のように冥想により王と女王が結婚し、両性具有者が誕生するといイメージこそ「賢者の石」であるとして体験していた。

というのは一部の錬金術師たちは、賢者の石のことをグロリファイド・ボディつまり栄光の体と呼んでいた。一般にグロリファイド・ボディとは磔刑を経て復活したキリストの身体のこと。』
(『』内出典:分析心理学におけるクンダリーニ・ヨーガの意義/老松克博(クンダリーニ・ヨーガの心理学 C.G.ユング)P13)

グロリファイド・ボディとは、コーザル体なのかアートマンなのかという議論がある。死を経るということは、一旦はアートマンに帰るということである。有の極みということで、ここでは個なるコーザル体ではなく、アートマンと見たい。

西洋の錬金術師たちは、古神道家の尊崇する両性具有の伊都能売を賢者の石として表現していたわけだ。両性具有とは古事記と出口王仁三郎だけの特異な奇説ではなく、洋の東西に共通する深遠な微細身、サトル・ボディのことであった。

悟りとは、少なくともこのレベルまでを目標にしないとカルトに堕ちたり、肉体・精神の不調をかこつだけに終わってしまうのではないかと思う。




女王
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天皇家の守護神としての大物主神

2019-09-19 05:39:16 | 古神道の手振り
◎伊勢神宮との競合

三輪山の神(大神神社)である大物主神は、『山王神道の研究/菅原信海P11』によれば、日本の都が飛鳥にあった頃から天皇家の守護神だったらしい。

額田王の奈良から近江へ遷都する際に歌った次の歌にも当時の宮廷人の三輪山への崇敬が見てとれる。

『味酒 三輪の山 あをによし奈良の山の 山の際に
い隠るまで道の隈 い積るまでに つばらにも
見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 情なく 雲の隠さふべしや』
(大意:なつかしい三輪山よ。この山が奈良の山々の間に隠れてしまうまで、また行く道の曲がり角が何個も後ろに積もり重なるまで、たっぷりと眺めていきたい山であるものを、たびたび振り返っても見たい山であるものを、無情にもあんなに雲が隠してしまってよいものだろうか)

かくして794年京都に遷都。これは最澄在世の時であったが、最澄が比叡山に三輪山の大物主神を勧請したという説がある。

問題となるのは、伊勢神宮と三輪山の関係。どちらも今では天皇家守護なのだが、歴代天皇は長い間伊勢神宮を参拝しなかった。伊勢神宮はまた長期間私幣禁断であって、天皇家専用の神社であったにもかかわらずである。

古事記に、現代宗教最大の課題である天国と地獄の結婚(伊都能売)に関する部分が、天照大御神と大物主神となぜか2か所出てくるのは、もともと古事記には天照大御神と素戔嗚尊の二神の誓約が先にあって、後に大物主神のパートが追加されたのではないか。

その時代的スケール、つまり原古事記成立の年代は、出口王仁三郎や本山博が見ているような日本列島がユーラシアと地続きだった時代や、丹波篠山で天下分け目の戦いをやったような古い時代に遡るのではないかと思う。
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ダンテス・ダイジ 高弟へのアドバイス-2

2019-09-18 03:46:30 | 現代冥想の到達点
◎クンダリーニ・ヨーガは表

ダンテス・ダイジのさる高弟へのアドバイスから(続)。

『摩可般若心経 表版 (クンダリーニ ヨーガ)

苦あるが故に不可知あり、不可知あるが故に 多様多元の全体者 ここに目覚めている。 中心が多様多元として 現れているが故に 中心自身の目覚めは 大いなる 空の戯れとして戯れている。 』

ここでは、不可知は苦の対極ではなく、苦でも楽でもない別次元として到来していると見る。苦も有の世界。有の世界から眼を背けないまま、死をも生をも包含して、見た場合、そこに不可知があるということなのだろう。
その不可知こそ、多様多元の多様多元の全体者が目覚めていることだとする。

ここで既に個の視点はないが、宇宙の中心自身の目覚めこそが、大いなる空の戯れという、世界遊戯、リーラという、時間も空間も物質も含めた転変化々する現象世界の夢幻性を自証している。

はて、どうしてこれが表版なのだろうか。
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大物主神、レディの秘所を突く-3

2019-09-17 03:13:40 | 古神道の手振り
◎古事記の天国と地獄の結婚-4

さてこのように大物主神と人間の娘との間に生まれた娘の名は富登多々良伊須々岐比売命(ホトタタライススギヒメノミコト)。

出口王仁三郎の説明では、
この名の言霊は真空之全体である。日本の名は実の極みであって、名は実体を指し示す記号に過ぎないなどということはない。
日本人の声は有機物であって、外国人の声は無機物であって記号、シンボルに過ぎないと、日本語の発声の優秀性を主張する。

 以下出口王仁三郎の言霊説明。
『ホは太陽の明也、上に顕る也。
 トは十也、治る也。
 タは常に治り静る也。
 タは身を顕し居る也。
 ラは極乎として間断無き也。
 イは治而無為也。
 スは集中也、真中真心也。
 スは垣無く無為也。
 ギは天津御祖の真也。
 ヒは大慈大悲の極也。
 メは地球を含む物の天と云ふ也。
 ミは産霊の形を顕す也。
 コは極微点也。
 トは一切を能く結び定め治むる也。』
(出口王仁三郎全集 第5巻【言霊解】皇典と現代〔一〕神武天皇御東征之段から引用)
 
上のホトタタライススギヒメノミコトの十五言霊の意義を了解すれば、直霊の御霊の光り、太陽の如くに明かに照り渡り、雲の上に伊都能売と顕はれて、五六七の神の御代の現象は、実にホトタタライススギヒメノミコトと現はれるのだ、とする。
つまり、富登多々良伊須々岐比売命(ホトタタライススギヒメノミコト)とは、天国と地獄の結婚である伊都能売にして、宇宙全体=アートマンのことで、ここに神と人との結合の結果の神の子が万人である、七福神の時代の実現を見る。

※真空之全体について
以下の1~3より、真空之全体とは、第六身体アートマンを指すものと考えられる。

1.真空とは以下の文では青空のこと。
『次にオ声の言霊活用を略解すれば、
オ声は北に活用きて受け納め、
(中略)
総じて極乎たる真空即ち現見の蒼天を現じ』
(霊界物語 第74巻総説から引用)

2.以下の文では、真空の全体たる霊魂球=アートマン
『真空の全体たる霊魂球』(霊界物語 第10巻27章 言霊解一から引用)

3. 以下の文では、至大霊魂球とは、至大天球、つまり世界全体、宇宙全体。
『されば最第一なる霊魂精神は、至大天球一名は至大霊魂球にして、一個人の神経は此の霊魂球中の一条脉なる即ち玉の緒と言ふ物也と明言して、その明細を説明する事不能也也。』
(霊界物語 第81巻 総説 天地開闢の極元から引用)
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死神死仏から伊都能売

2019-09-16 06:47:53 | 古神道の手振り
◎国は富み世人栄ゆる神の代を開かせ玉ふは伊都能売の神

古事記に一行だけ神名が書かれてあって、日本書紀には記述のない伊都能売神。
キリスト教では聖霊を非常に広い意味で使っているが、伊都能売神は、あらゆる二元対立を超えた至誠であり、聖霊でもある。

古事記に一か所だけ出て来て、しかも神名しか出てこない。この伊都能売神こそは、空であり、本来の自己である。出口王仁三郎は、伊都能売神を殊更に強調したのだが、その意図は汲まれるべきである。

古神道は一般に多神教と言われるが、一神教であると出口王仁三郎が断言するアーキテクチャーが、伊都能売である。自らが鎮魂して伊都能売に至るのだ。

出口王仁三郎が自らを変性女子と唱えたのもそういう意図。平たく言えば、天照大御神は、高天原の天の真名井での誓約で男神を生み、須佐之男命は女神を生み、これにより、天照大御神は変性男子、須佐之男命は変性女子。この二者の誓約により両性具有の伊都能売が成立した。

古神道はともすれば自分自身の悟りとあまり関係のない帰神、チャネリングが主流と思われているが、クンダリーニ・ヨーガ系の鎮魂の方がメインの時代となっている。鎮魂の一つの里程標が伊都能売である。

『世の中の百の出来事おしなべて伊都能売の神の守らぬは無し
上下の差別も付けず平等に世を救ひます伊都能売の神
地の上に建てる宗教悉く伊都能売の神守りますかも

山川も百も樹草も禽獣も恵みに浴せる伊都能売の神
肉体のなやみは更なりたましいのいたづき癒し玉ふ伊都能売
宗教や政治文学芸術に産業幸ふ伊都能売の神

天震ひ地は鳴り響く災厄も只一声に止むる伊都能売
渇きたる教に真清水あたへつつ死神死仏を生かす伊都能売
国は富み世人栄ゆる神の代を開かせ玉ふは伊都能売の神

伊都能売の神の出でまし寿ぎてあなたこなたに万年青はやれる
天も地も皆伊都能売のいさほしに安く治まる御代近づきぬ
もろもろの聖の教は多けれど伊都能売教に優れるは無し』

(昭和二年 四号 神の国/出口王仁三郎から引用)
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風速40mと風災

2019-09-15 07:05:20 | 時代のおわり
◎叫びと異常気象

出口王仁三郎の見立てでは、小三災の飢餓病気戦争は既に遂行シーンであり、次は大三災(風災、水災、火災)。

今般の千葉の台風では、経済産業省によると、千葉県を中心に電柱2千本が倒壊や損傷したとの推計が出ている。電柱は、風速40mまでは耐えられる設計なのだが、風速40mを越えた場所では、軒並み電柱は損傷し、停電、断水などにつながったようである。

要するに、今後日本のどこでも風速40m越えの台風が襲えば千葉と同様のインフラ壊滅があり得るということ。千葉は東京の隣県であり、ローカルバス乗り継ぎ観光番組では頻出の場所なのだが、東日本大震災も驚く復興までの時間のかかり具合ではある。

出口王仁三郎によれば、地震は火山がらみであるから大三災でいえば火災分類であり、今次の風災とは違う。ただ大三災のうちどれが一番被害が大かと問われて、風災だろうと答えているのをどこかで読んだ時に意外感があったが、千葉県のインフラの破壊具合を見て改めて納得させられた感がある。

9月3日頃にバハマに上陸したハリケーン・ドリアンは、瞬間最大風速82mで上陸し、バハマに数日居座って風速40m程度まで弱体化したが、それでも死者は少なくとも50名、行方不明者1300人を数えている。

このような異常気象は、人間の叫びが強化するという面はあるものだ。ストレスは、人間の最深の心理である潜在意識なる霊界で地獄的に形をとり、やがて現実として現れるということはあるものだ。

ソドムのロトのように、正しい人だから惨禍から逃がしてくれる場合もあるのだろうが、いつもそうとは限らないのだろうと思う。

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大物主神、レディの秘所を突く-2

2019-09-14 06:47:44 | 古神道の手振り
◎古事記の天国と地獄の結婚-3

ギリシア神話では頻出の、男神と人間の娘の結婚。古事記では、三輪山の大物主神が、美人の勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)と交媾し、神の子富登多々良伊須々岐比売命(ホトタタライススギヒメノミコト)が生まれた。

これについて出口王仁三郎が言霊解を出している。まずトイレで御用たし中の美女を下から大物主神が赤い矢に変身して襲う段。

乙女(美人)の最もデリケートな部分を神に突かれたという衝撃により、乙女は至誠に目覚めそれまでの退嬰的消極的な姿勢を改め、積極的に四方に奔走し、敬神勤皇報国のために大々的活動を開始されたこととみている。

要するに大悟覚醒し、本来の自己、大神、アートマンに出会うというショックを受けて、人格も行動も至誠を基にするという形に全く変わってしまったという意味。

ここで注目すべきは下から突かれたという点。個室にて最もリラックスし、神に対してオープンとなった時に下から突かれたのである。サハスラーラは上だろうに。

この上下の見方は、神の側から見れば、世界樹モデルで見るが如く、世界樹の根が全体であり、枝葉が個。ところが人間で言えば、頭の側が根となる。これは人間にとっては逆転である。タロットカードの吊るされた男の姿。

正神が下から突くことはあり得ない。

古事記、霊界物語では、類似の上下逆転のモチーフがある。神界の大立者野立彦命が富士山火口に飛び込むシーンである。これは上から下への落下。現代なら単純にクンダリーニが上方に突き抜けてメンタル体で肉身を離脱し、アートマンに至り云々と解説するところを、古神道ではことさらに逆の表現をとる。

野立彦がダンテスの別称であることも知られているが、その文字配列すらも逆転した並びではある。

どうも古神道は、このように上下逆転して表現するのが好みなのではないかと思う。

女性が悟るというのも珍しく、意味深長。
だが、赤い矢が美男子に変身したという男の大悟覚醒シーンも含まれてはいる。男女同時に悟る。

以下は、出口王仁三郎の解説。

『『其の美人の富登を突き給ひき』
 ホトの言霊は霊地(ほと)であり、秀所(ほと)であり、地の高天原である。亦た局処(つぼと)である。神宮坪の内と謂ふ意義もあります。
 突き給ひきと云ふ事は、肝腎要めの局所を突き止め、見極められたことであります。

 ヲトメの言霊を解説すれば、
 ヲは祭り守らしむる也、長也、治む也、教也、緒也、結びて一と成る也。
 トは結び定むる也、皆治る也、十也、八咫に走る也。
 メは内部に勢を含む也、本性を写し貽(のこ)す也、親也、発芽也、天の戸也、世を見る也。

 以上の言霊は、天地経綸の活用ある女神の発顕にして、祭政教一致の大道場である。即ち皇祖皇宗の御遺訓を遵奉し、且つ顕彰する神示の、聖団のある地の高天原である。

 ホトの言霊を更に解釈すれば、ホは上に顕る也、活霊也、照込む也、火(ほ)の水に宿る也、日の足也。
 トは通り結び納る也、最も迅速疾走鋭敏也。
 則ち、厳の御魂の瑞の御魂に依宿し、最も迅速に鋭敏に活用を照らす日の御子の、足なる十の聖処地の高天原なる事が伺はれるのであります。

 『爾(かれ)其の美人(おとめ)驚きて、立走りいすすぎき』
 をとめは三輪の大物主神に、局処を突き止められ、非常に恐懼措く処を知らず、直に立ちて大神の命を奉じ、四方に奔走して敬神勤皇報国の至誠の為に、大々的活動を開始されたといふ事であります。
 『いすすぎき』と云ふ概略な意義は、勇み進み君国の為に至誠至忠の大活動を為す事であります。吾々皇道大本の信者も、君国の為めに、至誠以て天地を貫くの大々的活動を致さねば成らぬ時運に到達致したのであります。

 『乃(かく)て其の矢を将来て、床の辺に置きしかば、忽ち麗はしき壮夫(おとこ)になりて、即ち其の美人に娶(めあ)ひて生みませる御子、名は富登多々良伊須々岐比売命』

 そこで其の矢を将来て、床の辺に置きしと言ふ意味は、改造された三輪の大物主の化身を、最も尊き座に置き奉って、将来の大国家の経綸を、勢夜陀多良比売から一々詳細に申上げると、大物主神は、初めて神意を覚り給ふと同時に、今迄の御煩慮は忽然として消え失せ、勇壮活溌なる大丈夫に身魂が改造変化され、将来に望を抱かれ、楽天、進取、清潔、統一の大精神を確持し、美人(瑞霊)と見合はし聞合はし宣り合はして、立派な御子を生み玉うたのであります。

 ミコの言霊を解すれば、
 ミは玉に成る也、◎を明かに見る也、真也、満也、三也、形体具足成就也。
 コは天津誠也、脳髄也、一切の真元と成る也、全く要る也。
 即ち玉と成る也は、玉は天下統治の表象である。◎を明かに見る也は、皇国の大使命を日神月神の光に依りて悟る事である。真也は至真至美至善の神徳である。満也は光輝六合に満ち渡る事である。三也は主師親の三徳及び三種の神器である。形体具足成就也は、君民一致の神政完了する事である。

 天津誠也とは、惟神の大道にして麻柱の究極である。脳髄也は、万有一切を司宰する主脳の意義である。一切の真元也とは、政治宗教教育哲学等一切の真相本元を究極し、且指導する事である。全く要る也は、全大宇宙を神の意志に依りて統御し要むる事である。

実に三輪の大物主神と大便所に入れる美人と肝胆相照し以て宇内無比のミコを生み給ふと曰ふ、実に結構なる皇宗の御遺訓であります。』
(出口王仁三郎全集第5巻 神武天皇御東征之段P19-22から引用)
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大神神社と大物主神

2019-09-13 05:52:38 | 古神道の手振り
◎天皇万世一系の御守護

『山王神道の研究/菅原信海』によれば、比叡山と京都の南、松尾大社の祭神は、大三輪明神である。大三輪明神とは、大物主神のこと。

大物主神は、大和の国一の宮たる大神神社の祭神であり、古神道の上からも、万世一系の天皇制の点からも極めて重要な位置を占める。

まず、
開化天皇の子ミマキイリヒコイニエが第十代の崇神天皇。崇神天皇は、それまでのように神人同床では神祇を冒涜するの恐れあるとして、別人別処の制を起した。

また又疫病流行して、沢山の死者が出続けることに苦悩し、真っ暗な神床で、連日の冥想を続けたところ、何日目かに大物主神を崇敬すれば、国家は安寧となるという夢告を得た。

そこで崇神天皇は、天神地祇に祈って、天下を順伏し、これをもって後世、御肇国天皇と称した。

出口王仁三郎によれば、
『アの言霊は大物主であり、地であり、顕体であり、大本である。また東にはたらくと、光線の力と現れ、眼に見える。東南にはたらくと、丸くなる。南東にはたらくと昼となり、大物主となり、世の中心となる。』とある。

安定した天皇制を開始する種子として出現したのが、大物主神であり、古事記崇神天皇のところに、大物主神と人間の間にできた子を発見したという表現で、「神事がまず先」をも示唆している。
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肚(はら)と芸術の両立は可能か

2019-09-12 05:33:09 | 丹田禅(冥想法8)
◎肚出し作業の必要性

NHKの連続テレビドラマ『なつぞら』で北海道の開拓者、酪農家にして絵画家の天陽が死んだ。開拓者、酪農家という現実とパワフルに向き合い改変していく生業であって、デリケートにしてクリエイティブな画家は、いないことはないのだろうが、きれいごと、作りごとに近い人物設定であることは、感じる人は感じていたのではないだろうか。

そして、重要な脇役は死ぬの原則のとおり、亡くなってストーリー全体に香辛料を振りかけることになった。

ダンテス・ダイジの言葉に『肚が出てきたら、もう本当の芸術作品を創ることはできない。』というのがある。

開拓者として雄々しく、たくましくあればあるほど、芸術家としては二流になっていく。

臨済禅みたいに肚をつくるタイプの冥想法もあるが、一日何時間も坐るような人は、現実に適応していく力(肚の力)は、だんだん失われて行きがちなもの。知者、芸術家が一般に生命力が弱いなどと言われるのはこの辺を指している。

肚の力が弱まったと感じたら、適宜肚出し体操、肚出し呼吸法、肚出し冥想をやる必要はあると思う。それが知性の発達した現代人の習いでもあると思う。
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千葉県で大規模停電

2019-09-11 04:13:09 | 時代のおわり
◎電気の使い過ぎが邪気を起こし台風を招くのか

2019年9月8日夜、東京湾深くまで勢力を落とさず(中心気圧は955ヘクトパスカル、最大風速45メートル、最大瞬間風速60メートル)侵入し、千葉県に上陸した台風15号は、千葉県の半数以上の市町村に広範囲な停電を起こし、断水地域も発生している。

停電の主たる原因は、電柱が根こそぎ枕を並べて倒れてしまっていることだが、電柱が倒れるくらいだから、家屋の損壊も相当広がっているのではないか。(9月8日の仕組?)

電気は、肉体レベル神経系でも活動し、半物質のエーテル体レベルでは主力が電気的エネルギー。

出口王仁三郎は、大正時代から電気の使い過ぎは邪気を生じせしめるとして、警鐘を鳴らしてきた。電気の使い過ぎが邪気を起こし台風を招くのだろうか。

出口王仁三郎は、当時からみろくの世では電信柱がなくなると予言していたが、イギリスではほとんど電柱がないので、先進国としてのインフラ整備が進歩すればするほど電柱はなくなり地中埋設になるのだろうぐらいに漠然と考えていた。

欧州では、日本のように降水量が多くないので、地下室の利用は盛んであり、道路下などの下水溝上水溝なども古代ローマの時代から整備されてきた歴史はあるのだろう。

一方日本では、1m土を掘れば水が出る土地は少なくなく、地下共同溝への電線埋設というのは欧州に比べ相当にコストが高いのだろうと思われる。

また至福千年、みろくの世では、使いすぎると邪気が発生しまくる電気の利用が主力となるとは考えにくく、別種のエネルギーが時代の主力エネルギーとなるのではないか。それは、ウダーナ気レベルのエネルギーか。

大雑把にいえばみろくの世は高地文明であり、低地が海水面上昇で使いづらくなることを背景にしている可能性はある。この近代西欧文明は低地主力文明である。

タカ派の米国安全保障担当のボルトン大統領補佐官が解任され、東アジアの米国外交は隙を見せることになり、韓国は左派で汚職疑惑の多いチョグクの法相指名を強行。東アジアでは、何かが起きても不思議ではない環境ができつつある。

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忍びの者

2019-09-10 05:36:02 | マインド・コントロール
◎天台・真言、ブラック・マジック

白黒映画で市川雷蔵主演の「忍びの者」を見た。これは、伊賀忍者の2つのグループが、天下統一を目前にする織田信長を暗殺しようというストーリーで、市川雷蔵は、忍者にして大盗賊の石川五右衛門役。

冒頭に忍者の全体会議シーンがあって、全員が手印を組み、天台・真言の流れを汲むことが述べられ、山の尾根や渓を黒装束で駆け回るシーンが描かれる。これを見ると、山谷を走り回るのは、修験と同じであることに気がついた。

土遁、火遁、水遁など定番の忍者技も紹介され、変装、罠、まきびし、くいなもあり、更に催眠術に、向精神性薬物にて相手を眠りこませる、薬をいぶした煙で殺そうとするなど忍者もそれなりに幅のあるカルチャーだったことを感じさせられた。

映画の中では繰り返し、忍者は、家族関係も捨て、女の恥も捨て、面相も捨て、秘密を守るためには、死あるのみという、政治の道具となれば、当然にそうなるだろうという統制手法も基本として出される。

ただ、起源が天台・真言の密教であり、薬物使用、催眠術も使用、心理家としての詐術をも使用、更に織田信長を大勢の護摩祈祷で殺害せんという点では、ブラック・マジックである。

さて、いまや忍者は、個々人の手元にスマホ・ケータイ、TVなどのマスコミSNSなどの形で、心に直接入り込む「忍びの者」として、生き延びている。
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大物主神、レディの秘所を突く-1

2019-09-09 03:42:17 | 古神道の手振り
◎古事記の天国と地獄の結婚-2

『古事記』によれば、三輪山の大物主神は、今を時めく美人の勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)に一目ぼれした。大物主神は、すかさず丹塗矢に変身して、その美人がトイレで大便中に下水溝を流れ下って便器に至り、ぐさりと彼女のホトを突いた。

すると不意を突かれて彼女はあわてふためいたが、気を取り直し、その矢を持ち帰って床の辺に置いたところ、矢はイケメンの男になったので、二人はすぐ交わった。

この二人の間に生まれた子が、富登多々良伊須々岐比売命(ホトタタライススギヒメノミコト)であって、神の子と謂われた。

美和の大物主神は、世界各国の帝王又は大統領たちを司宰する大帝王のシンボル。彼が、世の中の醜き低きところの極み(大便所ではあるが、万物の生れ出る根源でもある)まで探して恋い求め、混乱する世界の肝腎かなめの局所を突きとめ、見極めた。

出口王仁三郎によれば、ホトタタライススギヒメノミコトを言霊で解釈すれば、直霊の御霊の光り、太陽の如くに明かに照り渡り、雲の上に伊都能売(天国と地獄の結婚)と顕はれて、永遠無窮の天下は治まりて静かである五六七(みろく)の仁政を施いて、世界を統一するということ。

五六七の神の御代の現象は、実にホトタタライススギヒメノミコトとシンボライズされ、彼女こそ古神道の天国と地獄の結婚である。

天国と地獄の結婚の表現としては、天照大神と素戔嗚神の誓約がやや複雑なのに対し、こちらの方はやや単純にできている。

古神道、クンダリーニ・ヨーガ系、密教系では、聖性の材料のシンボルとして、時に大便小便が用いられる。善言美辞が基本ではあるが、プロの世界では、そういうものだと心得て読みたい。先入観を壊す。
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オウム真理教 無罪主張と死刑

2019-09-08 06:57:18 | マインド・コントロール
◎アンチ・テーゼは呈示されたが

オウム真理教裁判で、教祖が最後の数年は行為能力に疑問を持たれるような状態で、拘禁反応か何かだろうと推測されていた。独房に長期間入ると拘禁反応は出やすいものらしいが、戦後最大の被害者を出した事件の首謀者らしい人間がそのような状況で、何年も裁判を続けるのは、傍目にも異様に感じられた。

オウム真理教事件関連本を精密に読んでいるわけではないが、どうして教祖がそうなったかは、『オウム死刑囚 井上嘉浩すべての罪はわが身にあり 魂の遍歴』などを読んで思い当たることがあった。

教祖は一貫して自分の無罪を主張し続け、いわば弟子たちの暴走が事件の構図であったというような主張を裁判ではし続けたのだが、教祖の裁判において最愛弟子井上嘉浩が、教祖の指示によって犯行が行われたことを証言したことをきっかけに拘禁反応が強く出ることになったようだ。孤立無援を実感したのだろうか。

井上嘉浩がこれを証言した時に、法廷で教祖からは「地獄に落ちるぞ」みたいな恫喝的発言があったらしい。その頃から、他の弟子たちからも一連の犯行が教祖指示によるものだという証言が増えてきたようだ。それはますます教祖自身の拘禁反応を強めたのだろうと思われる。

地獄に落ちるぞというマインド・コントロールを振り切って教祖の指示による殺人などを証言するのは、帰依が深ければ深いほど、容易なことではなかっただろう。

オウム真理教が公安審査委員会の観察処分対象となる以前の時期、オウム真理教は、いわばマスコミの寵児だった。TVの報道番組では、しばしばオウム真理教の宣伝VTRが流され、優れた修行者として井上嘉浩の他の信者とのなごやかな会食シーンの動画が流されたことは、なごやかであったがゆえに印象的に記憶している。

どんな修行をしていたかには関心があったが、彼は空中浮揚という名の膝ジャンプの修行をやらされていたようだ。宗教はすべからく、善いことをして悪いことはしないもの。正師に出会えなければ、修行は正しい方向には進まないもの。

一直線に大悟覚醒に至る者は稀にいるが、出生してくる人で、幼児は別として、生まれながらにして大悟している人間はいない。大悟する人間であっても、まず人生航路上で紆余曲折を経てそれに至る。

出生時に牛のしっぽを捕まえて生まれてきたとしても、牛に乗るまでは時間がかかるものだと思う。白牛だと思ったら、カルトの黒牛だったということもある。

『オウム真理教 偽りの救済/集英社』の著者瀬口晴義氏も似たようなことを言っているが、最初に誤った師に出会っていれば、我らもかの死刑囚になっていたかもしれないという、ヒヤリとする感覚はぬぐえないところがあるものだ。

オウム真理教は、求道とは、外的力による世界変革でもなく、超能力でもなく、神秘体験でもないというアンチ・テーゼを呈示した。その教訓を踏まえた先は、天国と地獄の結婚となるが、それは現代社会の論理の止揚という水平的展開の地平では見つからない。その辺が、事件後25年以上経つが、事件が教訓とはなり得ていない部分である。
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ダンテス・ダイジ 高弟へのアドバイス-1

2019-09-07 06:57:13 | 現代冥想の到達点
◎只管打坐は裏

ダンテス・ダイジは、現代における最高の冥想法として、只管打坐とクンダリーニ・ヨーガを推した。只管打坐では、一気にそれに至り、クンダリーニ・ヨーガは一歩一歩かけてそれに至るが、その実りは大きく豊かなものとなる。

只管打坐は、生を極めることにより死をも極める。クンダリーニ・ヨーガでは、死を窮めることで生をも窮める。

ダンテス・ダイジの文明論的視座では、只管打坐により人類は救済されることができるが、クンダリーニ・ヨーガのデリカシーがないと豊かにはなるまいというようなことを言っている。

なぜ、只管打坐とクンダリーニ・ヨーガなのかは、そのアプローチが逆方向であることだが、その2坐法の絶対性の評価は、自分でやってみる他はないが、一生だけで評価プロセスが足りるかどうかは保証の限りではない。

ダンテス・ダイジは、なぜだか只管打坐は裏で、クンダリーニ・ヨーガは表だという。錬金術や密教文献で、(湿った道に対して)乾いた道とか近道と言われる「道」がある文章にでくわすことがあるが、それが只管打坐なのだろうと思う。

ダンテス・ダイジのさる高弟へのアドバイスから。

『摩可般若心経 裏版 (只管打坐)

苦 消える事 なきが故に 永遠に悲しみあり。 永遠の悲しみあるが故に 無限にして永遠なる愛あり。 愛あるが故に無行為生じ、空は空自身に目覚める。』

この短文を長い文章で裏付けて読みたいと思う人は、クリシュナムルティの自己変革の方法(霞ケ関書房)か老子を読むのが良いかと思う。

さて本文、
『苦 消える事 なきが故に 永遠に悲しみあり。』
これについてはそのものズバリ。釈迦厭世の原点でもある。

『永遠の悲しみあるが故に 無限にして永遠なる愛あり。』
大慈大悲。ダンテス・ダイジは、「悟りとは命の悲しみのことだ。」「本当に悲しめよ」と指し示す一方で、その体験とは言えない体験にあって、「本当に悲しいんだ」とも漏らす。悲しみの極みが愛である。

『愛あるが故に無行為生じ、』の部分。
愛は老子の云う「道」の一つの相である。老子道徳経34章において「彼(道)はすべてものを「愛」育する。けれども決してそれの主人顔をしない。実に常に何の要求も持っていないのだ。まことに小というべしではないか。」とあるが、ここで、無為、無行為が出てくる。

『空は空自身に目覚める。』
これは、老子第16章の致虚極に見ることができる。
『万物が並び作(おこ)っているこの現象の姿がしかも同時にまた無へ帰っているそれであることを観ることができる。』

苦から、悲しみ、愛そして無為、変転極まりない空へと説ききった。
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