アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

グランド・クロスの世代

2019-08-25 06:52:58 | 時代のおわり
◎疾風に勁草を知る

1950年代後半生まれの人々にはグランド・クロス(大十字)がある場合が多い。
海王星(天秤座か蠍座)、天王星(蟹座か獅子座)、これが90度であってグランド・クロスの材料となる。これに更に反対側に十字型に惑星が入るとグランド・クロスが完成する。

グランド・クロスを持つ人物は公私ともに結構なプレッシャーを受けながら暮らしていくものだが、世代全体として、それはどういうことを意味するのだろうかと昔から疑問に思っていたものだ。

いま、精神世界オタク、スピリチュアルヲタクとして馬齢を重ねてみると、それはこのようなことであったと思う。

1.カルトその1
朝鮮系新興宗教の勧誘が盛んに行われ、その対象となった中心世代であって、「青春を返せ」裁判まで引き起こしたカルト全盛の時代。この宗教の関係では、集団結婚のために6千人以上の日本の適齢期レディが朝鮮半島に渡ったとされ、今はどうなっているのやら。今は、2世代目にもなっているケースもあるらしい。

2.カルトその2
オウム真理教の中心世代はまさにこの世代であって、のちに被害者5千人以上を出す地下鉄サリン事件を起こすに至った。

3.北朝鮮への拉致
拉致の対象となった世代はこのグランド・クロスの世代である。報道はされなかったが、新潟に限らず、当時から海辺の地域では北朝鮮への拉致があることは口コミで伝わっていたらしい。


今思えば、正師に出会うか邪な師に出会うかは自分次第とは言っても、縁によって起こるのであるとすれば、それこそ自分の力ではどうしようもない部分があることを痛感せざるを得ない。

善い環境であれば善男善女が輩出し、悪い環境であれば、自分のメリットにばかりさとい地獄が現出し善男善女は稀にしか出ない。

1970年は、モーレツからビューティフルへと言われ、物質的価値から精神的価値への転換点だったし、OSHOバグワンが出たのもほぼ70年代。学生運動は沈静化したが、その後カルトが猖獗を極めたところをみると、日本人はほぼ半熟にもなっておらず、チャンスはあったかもしれないが、うまくいかなかったのだろう。

カルトの隆盛と定着、そして新たな細々とした奥山の沢のような流れは並行して進んできた。その細い沢は知られているとは言えない。(道は多く、通る人は少ない;OSHOバグワン)

第三次世界大戦など夢想と思っていた大多数の人が、その花火を見ることは不可避であると感じた頃は既に手遅れなものだ。

今振り返れば、グランド・クロス世代の人は、チャンスは十分にあったと言われるだろう。何しろ生活が安定した時代だったのだから。

唐末で、仏教禁止になって、禅僧も生きるのに困窮したが、却って純禅は研ぎ澄まされた。そういう反面はあるものの自分も含めて甘かったと反省せざるを得ないところはある。

疾風に勁草を知るというが、疾風なくして勁草となるのがベターであるが、そうはいかないものなのだろう。
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一休、謙翁和尚の葬式を出せず

2019-08-24 06:00:05 | 丹田禅(冥想法8)
◎観音様を心から求める

17歳の一休は、謙翁和尚を師匠として修業を始め、既に20歳の時にその悟りを認められていた。

21歳、謙翁和尚が亡くなってしまった。ところが葬式を出したくても金がないので、いたずらに心の中で哀悼の気持ちに苦しむだけであった。

壬生の寺を去って清水寺に参詣したが、折しも大晦日から正月15日までは寺全体が、人の出入りを禁じ、断食し香を焚いて経を読む時期に入っていた。仕方なく母親のところに行き、再び清水寺に参詣し、大津に出た。

穴倉に入ったような一休の喪失感を見て、一人の人が、暮れによく作るきな粉餅数枚をくれ、それを食べながら、ふらふらと石山寺に向かった。

石山の観音像前で、自分の道心の堅固なることを七日間祈っていると、これを見ていた曹洞宗の僧が一休を自分の庵に招いて手厚くもてなしてくれた。かの僧が曹洞宗の古則百則を書写することを求めてきたので、さっさと書き上げたところ、喜んで旅費のたしにせよとて、お金をくれた。

一休はその足で、琵琶湖にかかる橋で身投げをしようと向かうが、胸騒ぎを覚えた母の差し向けた使者が一休の自殺を止めた。
(一休和尚年譜から)

21歳で、頼り切っていた師匠を失い、金もなく、母のところに行ったが何も変わらず、観音様を頼もうとして、清水寺に行ったが中に入れず、がっかりしてこれまた観音様の石山寺に行く。

青年一休は、真っ暗な喪失感の中で観音様の暖かみを求めていったのだ。20歳で印可がなんだ。全くものの役には立っていないではないかと。神、仏を心から求めるというのは、そういうことなのだろう。
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選ばれなかった転生活仏候補

2019-08-23 05:10:41 | 密教
◎教育トレーニング環境と正師選び

前任のダライ・ラマやバンチェン・ラマなどが逝去直前に次はどこに転生するなどと予言したり予言しなかったり。それでも後に残されたチベット密教幹部は、さる神聖な湖の湖面に冥想して、どこに生まれたか、どんな家に生まれ、両親はどのようだったかをビジョンする。

真正なビジョンは一個しかないはずだが、なぜか数個の転生活仏候補が選定され、摂政などが、どれをダライ・ラマにするかバンチェン・ラマにするかを定める。

首尾よくダライ・ラマに選ばれても、摂政の意向か何かは知らないが、過去14人のダライ・ラマの半数以上が成人する前に亡くなり、今のダライ・ラマ14世は、稀な長寿と言える。

先代のバンチェン・ラマは、中国共産党の下で独房生活8年以上など、バンチェン・ラマとなったのが良かったのか悪かったのか。

ダライ・ラマもバンチェン・ラマも育成するのに15年と言われるが、ダライ・ラマの著作を見ると、死のプロセスと仏教の教理が分かちがたく結びついていることを説明しており、なまなかな実力ではないことがわかる。クンダリーニ・ヨーギは、切羽詰まらなくてよいなどと語ることが恥ずかしくなるほどの実力を感じさせる。

こうした選ばれた者の一方で選ばれ損ねた者がいる。しかるべき訓練も受けられない(15年)、気が狂う者、事故死するもの、ただ死んでいく者など様々である。

正師と教育トレーニング環境は、必要なものだ。中国共産党は、7千ともいわれるチベット密教寺院を破壊し、教育トレーニング環境を奪い、正師を弾圧したり海外に追いやったりした。

日本について言えば、オウム・カルトが暴れまわったおかげで、宗教のしの字も大っぴらに語れないという社会環境ではあるし、SNSと特殊詐欺の横行は、ますます正師を見つけにくくしている。

だが、自分が偽りならば、偽りの師を選ぶという法則もあるのではあるが。
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聖者の自殺未遂

2019-08-22 06:05:39 | 究極というものの可能性
◎一休から人類大量死まで

聖人、聖者が自ら自殺しようとしたことがあったことを語るのは、そう実例が多いわけではない。せいぜいが、古くは一休であり、最近ではダンテス・ダイジであり、チベット密教ではミラレパ。

出家とは、自分の生きる宇宙から遁走することであるから社会的には自殺だが、実際に自殺に踏み切ったとなると、社会的もへったくれもなく、一種の狂気にいないとそうはならないのだろうと思う。

一休は、17歳で謙翁の弟子となったが、4年後に、謙翁は逝去。突然の師の喪失に行き場を失った一休は自殺を図った。

臨済禅は、気力だ、胆力だとやるものだから自殺ということから縁遠いものかと思われるが、精神を操作すれば何でも起きるもの。自分が死ぬ、大死一番などという世界なのだから本来自殺があってもおかしくはない。

祖師の一人が自殺未遂経験者というのは、宗門には都合が悪かったのかもしれないが、聖者覚者はフランクでオープン・マインドだから自分の自殺も隠さない。

ダンテス・ダイジには、子供の頃から自殺念慮があって母親を悲しませたことが書いてあり、青年になってからは恋路のもつれから自殺未遂に至ったらしいことも書かれている。

あのあらゆる宇宙を突破して、六神通力を平気で使いまくる聖者がどうして自殺未遂しなければならなかっただろうか。これも一つの公案ではある。

大黒魔術師であったミラレパは、師匠マルパから弟子として認められる直前に、マルパから、様々な試練を与えられた上に、罵倒、殴打、蹴り上げなど怪我をさせられ、ついには自殺する決意までした。そこまで行って弟子入りさせてもらえた。

チベット密教では、屍解する聖者が多いが、厳密に言えばそれは自殺と言えないこともない。

禅語録でもそうだが、よく自分の死去する日時を予告して亡くなる禅者がいるが、実際はどのように亡くなるのだろうと皆少しは想像をめぐらすのではないだろうか。禅者は屍解こそしないが、自ら日を選んで逝去するのは、自殺と別なのだろうか。ただその辺は、禅家ではさして重要なこととは見ていないことはわかるものだ。

釈迦は、レア・ケースだが、自殺を認めた事例もある。

世間では、自殺はよくない、人間の命は地球より重いなどと言いながら、金やその他のことで追い込まれる人は無数にいるもので、その中でも自殺に奔る人も少なくないのだろうと思う。

聖者の自殺未遂は、そうした背景をも踏まえて存在する。現代文明の果ての人類大量死は、大集団自殺でもあり、あまり他人事とも思えない。

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葉隠と魂の伴侶

2019-08-21 05:27:20 | マインド・コントロール
◎稚児の道など

日本人全体を腑抜けにするためかどうかは知らぬが、マスコミではおかまタレントが全盛である。

キリスト教世界では、同性愛は有無を言わさず異端であり、何でもありの中国では古代よりあるものはあるという立場であったから、始末におえない。ラスト・エンペラーは両刀使いだったらしい。

日本でも戦国武将、侍の衆道は広く行われ、ご禁制ではなかったが、江戸時代になると君主が衆道に入れ込み過ぎて、お世継ぎができないことがあって、周辺が苦労した逸話は出てくるもの。

なんと武士道の鑑、葉隠にも衆道のことが出てくる。鍋島藩の衆道名人にこれを語らせている。

それによると、若い頃にホモで乱倫するのは娼婦と同じ男娼であり、武士としての面目を失う。武士にとっては、殉ずる君主がまず第一であり、恋うる気持のあまりあちこちの男と浮名を流すのは、武士として恥となる。衆道といえども夫婦の道と同じで一夫一婦が原則。などと名人は説いたそうだ。

現代ではLGBTとして認めようとする動きもあるが、生来のものと嗜好としてのそれを十把一絡げに“合法”だとする動きには、何等かの意図を感じざるを得ないものだ。

人間には、魂の伴侶が存在する。恋愛の基本はそこだが、人生ドラマ場裡では、魂の伴侶に出会うことも連れそうこともレア・ケースのようではある。

ある種の洗脳効果をねらった陰間全盛の時代。それすらも本来の姿は何だったか考えなければ、思いも至らない人が日々増えている。この時代の混乱は進む。

古事記にも太乙金華宗旨にもバガバッド・ギータにもそんな妙な話は出ていない。
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一休骸骨、肉体だけでなく、魂も死ぬ

2019-08-20 05:23:45 | 丹田禅(冥想法8)
◎死がちゃんと理解されていない

一休骸骨から。
『何事も皆な偽りの世なりける
死ぬると云うも真ならねば

みんなの迷いの眼から、肉体は死ぬが魂は死なないというのは、大きな誤りである。悟っている人の言葉では、身も種(魂)も同じく死ぬという。仏というのも虚空である。天地国土一切の本分の田地に帰るべきものである』

これは、サラサラと読めるような気がするのだが、さに非ず。魂も死ぬとはどういうことか説明がないからである。

ダンテス・ダイジ流の輪廻転生観では、Aさんは、死後本分の田地に帰り、Aさんによく似たA‘さんとして出生してくるが、それはAさんそのものではないから、厳密に言えば輪廻転生ではない。

一休骸骨は、そういう立場で言っているのか、そこをわかっていっているのかが、非常に興味の沸くところである。

これは禅の伝統的な言説より突っ込んだもの言いだが、若年の頃の一休の猛烈純粋な修行ぶり異類中行的な中年晩年の生き方を見ると、おそらくわかっていたのではないかと思える。
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七つの身体、七つの世界

2019-08-19 03:21:10 | チャクラと七つの身体
◎あらゆる宇宙を包含する第六次元

七つの身体とは七つの次元だから、それは七つの世界のことである。この肉体・物質世界にも、地球のような生物の棲む惑星がいくつかあるだろうことは予想されている。

また仏典を読むと一念三千世界など、無数のアストラル世界があることが言及されている。またダンテス・ダイジのクンダリーニ上昇プロセスでは、頭頂から肉体を離脱し、一直線に金色の光線となってあらゆる宇宙を包含するところの第六次元までを通過したとしている。

一般に世界には、時間軸と空間軸が厳然と不動のものとしてあるという大前提を以って世界と考えがちだが、時間も相対的で揺らぎ、空間も相対的で揺らぎ、物質、肉体も変化する世界があり得ると、先哲は語っている。

実体験した人は、実感としてそれを語り得るが、証明は同一体験を有する者に対してしかできない。だから万人が納得する証明など不可能なのだ。

だが、「世界」とか「輪廻転生」とか「悟り」があるとかないとか語る場合に、まずあなたは「世界」とか「輪廻転生」とか「悟り」とは何であると考えているかを説明しないと、同じ土俵での議論はできない。

世間でいう悟りは、窮極を見たり感じたりすることも悟りに含めるが、これは十牛図の第三図に過ぎない。第六身体以上を極めるためには第三図では不足であって第七図までは行かないといけない。

一口で「悟り」と言っても深浅高低があるものだ。

そして第三図の見性しても悪人になるケースすらあることを江戸時代の禅僧至道無難は指摘する。

覚者の生きる道は、善いことをする、悪いことをしないということだとわかっていても、七つの身体、七つの世界を極める道は平坦ではないと思う。
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一休骸骨、マーヤとしての現実

2019-08-18 05:53:22 | 丹田禅(冥想法8)
◎本当の息の一筋(ひとすじ)

マーヤは幻想。あらゆるものは、すべて滅び、あるいは死ぬ。だから現実とはマーヤでもある。そういう真相を知る人があるかと思って、人気のない仏堂に籠って一夜を眠れぬままに明け方になって、まどろんだ。

その夢の中で仏堂の後ろに行ってみたら多くの骸骨たちがいて、その振る舞いは別々であって、まるで生者のようだと見ていると、ある骸骨が歩み寄って詠むには、

思ひ出の有るにもあらず 過ぎ行かば
夢とこそなれ あぢきなの身や
(何か特に思い起すこと(求道)がないままに一生を過ごしてしまえば、夢のようなものである、味気ないこの身よ)

仏法を神や仏に別かちなば
真の道にいかが入るべき
(仏法を本来一つである神道と仏教に分けてしまえば、真(まこと)の道に入ることはできない)

しばし げに息の一筋(ひとすじ)通う程
野辺の屍(かばね)もよそに見えける
(わずかの間でも本当に息の一筋が通っている間(生きている間)は、野辺に晒されている死骸もよそよそしく思える)

さて死の世界に分け入り、
このように骸骨と親しく慣れ遊ぶうちにその骸骨は、まるで自分となったかの如く世を捨て僧となり諸方の経典を調べ、善知識たちを訪問しまくり、我が心の源を明らかにした、と思えば、夢から覚め、松風の音と月の光が残るばかりであった。

「息の一筋(ひとすじ)通う程」の短時間にそれは起こるのだろう。
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人生を逆順に見る

2019-08-17 06:28:45 | 究極というものの可能性
◎結果を先に見て原因を改める

映画やドラマを逆回しにして見ても、音声は聞き取れないし、動作は奇妙なので意味不明なことになる。

だが、音声も動作も出来事もわかる状態で逆回しで見れるシチュエイションがある。

それは、前世記憶を見る場合である。これはOSHOバグワン(死・終わりなき生)が語っているのだが、自分の人生を遡って行って、3歳付近のことを思い出し、出生時のことを思い出すと、やがて子宮を選ぶシーンも見る。

その次に前世における自分の死を見て、前世で離婚したのならば、離婚して、子供ができて、結婚して、恋人になって、また我が少年時代を見るというように、結果を先に見て原因を後で見る。

こうした前世を逆順に見ることは、大悟覚醒した後に、いわゆる宿命通を発揮した場合に見ていくことができるという。

この例で言えば、前世で離婚を経験した場合、離婚の原因は既に結婚の時にあったことを悟るもの。結婚の時に、あるいは恋人の時に、既に後に離婚に至るパートナーへの敵意があったことを見るのだ。

また実は、人生を逆順に見ることは、老人の誰もがやっていることであって、前世を遡行する宿命通を開いた人だけの能力ではない。

離婚に限らず、人生上の成功、失敗のほとんどが、その原因を事件の種の段階にあったことを後で知ることができるものだ。

この意味で言霊の意義はあだやおろそかにできないものだとつくづく思う。物事の始まりに、茶化した余計なことは言ってはならないと思う。

人生上の出来事は、職業生活、家庭生活などいろいろなシリーズがあるが、種から若葉、小枝が出て、花が咲き、実をつけ、最後は種が落ちると進むが、種の落ち方は最初の段階でほとんど決まっている。よって「最初」にはよくよく気をつけねばならない。

そんな訳で、前世記憶そのものがそんなに愉快なものではなかろうというのは誰でも想像がつくのではないだろうか。

また人生上の出来事をうまくやろうとして、メリット・デメリット優先のテクニックに奔るより、無私、素直が基本線であることも間違いないのだと思う。

いろいろ逆っぽいことを並べて書いたが、「それ」は簡単なことではないという面がある。
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リンゴ、象徴としてのアップル-3

2019-08-16 03:36:09 | 錬金術
◎ケルト、アーサー王伝説、ギリシア神話

リンゴは、キリスト教、ユダヤ教以外でも重要なシンボルであった。

ケルトでは、リンゴは再生、永遠の生、豊穣多産の意味があり、その上黄泉の国でもリンゴは育ち、春に女神オルウェンが死者を復活させるまでの間、死者の食べ物になっていた。

アーサー王伝説では、モルドレッドとの激戦を終えた瀕死のアーサー王は、リンゴの国アヴァロンへ女神たちによって運ばれた。

処女にはユニコーンが付き物だが、ユニコーンの棲家は、リンゴの木の下である。ユニコーンは処女の懐で大人しくなる。

ギリシア神話では、ヒッポメネス(男)は、アタランタ(女)に徒競走で勝つためにウェヌスから黄金のリンゴを貰って勝利することができた。

またヘーラーとゼウスの結婚の際に、ガイアから不死を得られる黄金の林檎の木が贈られた。このヘーラーの果樹園をヘスペリデスが守っていた。この園は、世界の西の果てにあるとされた。ヘーラクレースの十二の功業の11番目は、ヘスペリデスの園からこの黄金の林檎を盗み出すことだった。

神々の林檎は黄金の林檎であり、地母神のシンボル。永遠の命、不老不死は人間のエリアにはなく、神の分野のことだから、それとわかる比喩が使われている。

林檎、時じくの香の木の実(ときじくのかくのこのみ)よ。メリット、デメリットを越えたこの世ならぬ果実よ。
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子供を武士に育てる

2019-08-15 07:01:30 | 冥想アヴァンギャルド
◎葉隠

武士道とは死ぬことと見つけたりの葉隠に、武士の子供の育て方が書いてある。おそらくはスパルタ教育だろうと想像するが、実はそれとは全く異なることを言っている。

1.幼い頃から勇気を持たせるようにする。
2.かりそめにも脅したり騙したりすることはいけない。幼少の時から臆病であれば、武士としては一生の傷となる。
3.雷が鳴ると更に怖がらせ、暗がりに行かせまいとして更に怖がらせるようなことを言ったり、泣き止ませようとしてもっと恐いことを言うと、子供が怖気づく。
4.幼少の時に強く叱ると気弱になるので、そうしてはいけない。

要するにのびのび育てないと、幼少に勇気凛々な気質は育たないということ。
だが少年から青年にかけて依然として怖いもの知らずだと、多くはろくでもないことをしがちだが、ここではあくまで幼少期の育て方に限ったアドバイスと見るべきだろう。

武将、武辺の者で大を為すのは細かいことに気を配る慎重居士であって、気合と勢いで突っ込む短慮な者ではないことは、他の戦国ものを読んでいても出てくる。

最近の若者の考え方で気になるのは、すぐ次の手は読むが三手を読む者は少ないということ。要するに簡単にフェイク・ニュースにひっかかりやすいということ。

三手の読みとは、囲碁将棋で言うのだが、昔から囲碁将棋は大人の娯楽の代表格で、大名も庶民も三手先を読む癖を自然に身に着けていたものだ。何でも文字通り受け取るばかりが良いことではないということ。こうした短慮の風潮はゲームの蔓延とスマホの影響が大きいのではないだろうか。

武士は主君がまず第一で、死に狂いが良しとされた。そういうことを人生のテーマとして生まれてきている人は少ないが、幼児を素直に育てるには、親の肯定的(ポジティブ)な育て方と根底に愛が必要である。

葉隠は、世事俗事の教訓がほとんどであり、相手が異なれば全く逆のことを言っているのではないかと思われる話も多い。だから読んだら焼き捨てよなどと言っているのだろう、
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リンゴ、象徴としてのアップル-2

2019-08-14 06:12:19 | 錬金術
◎知恵の木と生命の木

旧約聖書の創世記。エデンの園の中央には、二本の木が生えている。一本は知恵の木で、もう一本は生命の木。知恵の木とは善悪を知る木であり、神が食べることを禁じた。この木の実がリンゴであり、蛇がイブに勧め、更にイブに勧められたアダムがこの知恵のリンゴを食べて、人間に生と死が発生することになった。これがappleの齧られた林檎。

悪いのは蛇みたいに描かれているが、人間が知恵なる自我の膨張、発達過程をへて神に至るカリキュラムに思い至り、リンゴを食べて知恵の木の限界を知れば、やがてもう一本の木である生命の木にとりつくのは、順当な成長と言うべきものだと思う。

生命の木にとりつくとは、やがて惨めで情けない自分が死なねばならないということ。

ユダヤの生命の木は10球であり、人間の10チャクラをシンボライズする。古事記の十種神宝(とくさのかむだから)も10チャクラ。

さて旧約聖書の創世記では、神は「見よ、人は神のように善悪を知るものとなり、引き続いて命の木の実も食べて永久に生きるかも知れないなどと、人間がついには命の木の実を食べて神となることを予言し、エデンの園から追い出した。

その上で殊更に、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎の剣とを置いて、命の木の道を守らせた。ケルビムは4元素、回る炎の剣は、不動明王段階を想起させる。



ミケランジェロ/楽園追放
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リンゴ、象徴としてのアップル-1

2019-08-13 06:51:28 | 錬金術
◎黄金のリンゴ

象徴としてのアップルと言えば、一時日本のスマホの7割を占めていたアップル。かじられたリンゴのマーク。

アップルとは、何かと言えば、ニューヨークのマンハッタン島だと言い、極東なら香港島だとも言う。

そうではなくて、リンゴが多くのリンゴを生むためにはまず腐敗する。あるものの腐敗は別のものの発生。
その腐敗は、死と再誕のための腐敗であり、次に第一質料(プリママテリア)への回帰し、最後は万物の創造の源への帰還へと進む。

錬金術書太陽の輝き(サロモン・トリスモシン。16世紀)の第七図(出典:ウィキペディアhttps://en.wikipedia.org/wiki/Splendor_Solis)

の本文では、
年老いた王が海で溺れ(右上)、後継者としての息子として再誕する。彼の持つ王笏には、七惑星が正しい順序で並び、三つの豪奢な冠(鉄・銀・金)をかぶり、左手の黄金のリンゴには、父の受肉を表す鳩がいる。リンゴに足をかけ、金の翼の白い鳩が止まっている。

三つの豪奢な冠(鉄・銀・金)は、法身・報身・応身。
鳩は、聖霊たるアートマンと人を繋ぐものであり、ヘルメスでもある。七惑星は七チャクラ。

溺れるのは王であり、賤民が溺れても黄金のリンゴをゲットできない。「王」とは大金持ちや権力者のことではなく、自意識が極大にまで膨張した現代人の寓意である。

リンゴは、このように黄金のリンゴとして現れてしまえば、何も問題のない、「平常心是れ道」のシンボルである。
だが、リンゴには別の相がある。

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戦艦大和沖縄特攻

2019-08-12 05:42:08 | 冥想アヴァンギャルド
◎総員死ニ方用意

年をとると若い時には読めなかった文章が読めるようになり、頭の中に入ってくることがある。
「巨大戦艦 大和 ~乗組員たちが見つめた生と死~」NHK特集は2012年の番組だが、これもそうしたものの一つ。東日本大震災の翌年によくこういう番組を作ったものだくらいのショッキングなものだった。

サイパン島のバンザイ・クリフは集団自決として有名だが、それよりひどいのがテニアン島にあった。昭和19年テニアン島邦人15千名中16歳より45歳までの者全員3500名義勇隊に編成し、老幼婦女子は集結の上爆薬により処決したそうだ。日本帝国軍が自分で天皇陛下の赤子に手をかけるとは、何をかいわんや。沖縄でもここまではやらなかったのではないか。

それはさておき、戦艦大和。戦艦大和の最期は、高校だかの教科書に日銀の方の文章で書かれてはいたが、一度発進すれば、戻ることのない死出の旅路で、3千名以上が沖縄に向かわされたのだとは、初めて知った。
これが「総員死ニ方用意」

人間魚雷「回天」、航空機特攻「桜花」、特攻艇「震洋」など特攻だけに特化した人命無視の兵器を作る旧日本軍もどうかしているし、通常爆弾による日本全土の各都市の非戦闘民向け絨毯爆撃(東京大空襲など)に加え、広島・長崎の原爆投下などを行った米軍もどうかしている。

そういうことをやらなければ、パックス・アメリカーナは成立しなかったし、今再び戦乱の時代を迎えねばならないのだろう。

現代人のテーマは、戦争を忌避することではなく、戦争そのものの原因から卒業することにある。自我による社会の中で何ものかになろうとする夢・願望はマニピュラ・チャクラの所為だが、これを卒業してアナハタ・チャクラの愛に進歩せねばならない。自我の願望は全員が叶えられるわけでなく、絶望の極みに爆沈する者の方が多い。

その道は一本道ではなくて、神・仏・道に一旦はコンタクトすることが条件となる。

戦艦大和の乗組員は、戦闘中死を目前にして「お母さん」と叫んだという。出生する前は、あの世で自分の出る子宮を選ぶために何百というセックスを見て、厳選した唯一の母の子宮から生れ出た。死を目前にして、そのポイントを思い出すのか。

戦死して靖国神社の英霊になることが当たり前だった大和艦上でも最後は、一人間に戻るのだ。

戦艦武蔵の最期も主砲塔下の弾薬庫の爆発がとどめとなったが、戦艦大和の最期も同様に主砲塔下の弾薬庫の爆発がとどめとなった。ただ生還者は、大和沈没の巨大渦巻に巻き込まれて窒息死せんというところを、とどめの爆発による上方への水流によって海面に吹き上げられ、更にその大爆発で海面に落下する爆弾の破片に当たらなかった者だけが生還できたようだった。

生死は、およそ人間のさかしらで何とかなるものではない。

人は、理屈で納得して後、自発的に冥想するのだろうと思う。戦艦大和のように追い込まれる前に自発的に冥想すべきなのだろう。
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人間の社会性とクンダリーニ

2019-08-11 06:01:04 | チャクラと七つの身体
◎認知症、発狂、クンダリーニ上昇

これは、思いつきだが、それぞれのシーンについて毎度感じていることでもある。

1.ムラダーラ・チャクラとクンダリーニは、無条件でいつも接続しているものと思われがちだが、そうではない。人間という認知形式は、ムラダーラ・チャクラとクンダリーニが接していてのこと。その条件のもとに社会を認識して社会性が成立する。

2.それは、ダンテス・ダイジ説である。ダンテス・ダイジは、ムラダーラ・チャクラとクンダリーニの分離が、クンダリーニ上昇プロセスの一段階で発生することがあることを示している(ニルヴァーナのプロセスとテクニック)。加えて、発狂する時に、ムラダーラ・チャクラとクンダリーニが分離することも談話の中で述べている。

3.人間は、その死に際してムラダーラ・チャクラとクンダリーニは分離する。
死に際して肉体とエーテル体はまもなく崩壊し、残存するボディは、アストラル体、メンタル体となる。
死に際して、チベット死者の書の死のプロセスによれば、一度原初の光に立ち返るという時に、自分という認知の形式は、喪失する瞬間があり、その時点(メンタル体から抜けて原初の光に進む時に)でムラダーラ・チャクラとクンダリーニは分離するのだろうと思う。(チャクラがあるのはメンタル体まで)

4.老人は認知症が進めば、社会性を喪失した部分が出てくる。その結果が徘徊などということになる。
認知症では、記憶障害が顕著となり、最近の記憶から失われ、物の置き場や約束を忘れる。見当識障害や実行機能障害もある。
また自発性の低下や、妄想、幻覚、徘徊、不安、焦燥などの症状をともなうこともある。
 
社会性の喪失とは、人間である半分の部分をやめることであるから、ムラダーラ・チャクラとクンダリーニの接続があやしくなっているのではないかと思う。

そして死の前に(OSHOバグワンが)「青いオームの字を見る」などと言いだす死の前駆のような展開になっていくのだろう。
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