アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

儒家の影響と未発の中

2019-06-25 05:06:51 | 究極というものの可能性
◎中華思想の淵源

歴史学者の宮崎市定が、儒家は、人間の理想を人間関係に分解、矮小しすぎたというようなことを言っている。

儒家の世界観といえば、修身斉家治国平天下であって、個人から天下に至る。天下の先は中であって、未発の中が世界の中心となる。

その基調には愛があるのは間違いなく、それは、人間関係である君臣、親子、夫婦などに分解されて五常(仁、義、礼、智、信)となって、君主への忠義や親孝行、夫婦の親和などとなる。

これだけで悟る人もいるのだろうが、この世や森羅万象の無常であることも置き、言葉で表現できない未発の中も置くというのが、ノーマルな宗教。古神道では、幽斎と顕斎をおいて、かたや形のない神様との直面、かたや形ある神様や生物無生物との交感でもって十全とするが、この儒教世界観では、形ある側に偏向していると言わざるを得ないところがある。

平天下までしかない世界観のもとでは、易姓革命の思想が容易に受け入れられるものだが、時代が下がるにつれ、ちまたに善本と呼ばれる功過格が流通していったのは時代自体が自ずとバランスをとったのだろう。

儒家にクンダリーニ・ヨーガ系はないかに見えるが、易経はクンダリーニ・ヨーガ系である。易経は、論語読みの人はあまり気に入らないようだ。理解できないものを理解できないから無視するのではなく、読みこなそうというチャレンジは必要だと思う。八卦364爻で世界を解くのだ。

こうした時に影響を受けるものが主流の世界観が、中国では中華思想を維持してきたと思う。
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ソーマ・ヨーガと麻薬経済

2019-06-24 05:29:05 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎麻薬を食べる国、麻薬で食う国

カルロス・カスタネダのドンファン・シリーズを待つまでもなく、ソーマ・ヨーガは古代インドの昔から窮極に入る手段として、厳然として存在していた。

既に悟った者が、悟りを維持するために酒や大麻入りドリンクを飲んだりするのは、スピリチュアル系の本を読んでいれば、時々出くわすものである。

どのボディにもヘルメスが、窮極への水先案内人として立たれており、そのヘルメスが死後の閻魔大王役でもあったりするのだが、まともなソーマ・ヨーギであれば、ソーマをパイロットに立てて、なにもかもないイーグルを目指す。

その道は薬物依存に陥りやすいものであるから、正統な指導者に就くのは必須である。

最近ベネズエラに2つの政府(反米左派と親米右派)が登場し、生活インフラが崩壊しているので隣国に難民が何十万人も押し寄せているというニュースを見聞きすることがある。

もともと隣国コロンビアには、麻薬組織としてメデジン・カルテルとカリ・カルテルが存在し、アメリカの支援を受けた麻薬組織の撲滅運動が成果を上げた結果、両カルテルは主たる活動の場をベネズエラに移した。

麻薬組織は、力をつけてくると国家そのものの司法、警察、経済を脅かすものであるから、またマネーローンダリングの金で兵器も手に入るものだから、外国勢力も容易にベネズエラの主導権を得るようなことになってしまう。

中南米諸国は、コロンビア、ベネズエラに限らず、多かれ少なかれ麻薬経済が相当の規模に達しているものであり、麻薬以外の経済規模が小さい場合は、麻薬が主たる産業となってしまうこともあるらしい。

1970年代、1980年代に最貧国と言われた国家群(北朝鮮、カンボジア、ラオスや中南米の小国家など)が、今見てみると麻薬経済が国のマネフローを支える規模に育っているようであるのは奇怪なことである。

こうなったのは、1990年代以降発展途上国にインフラ開発資金名目で大量に資金供給されたことと、世界最大の麻薬消費国アメリカの麻薬輸入額は年間20兆円規模とも言われるがそれが継続していることが挙げられる。麻薬はマネーローンダリングで決済されるが、経済規模は基幹産業並みになってしまったのだろう。

かくして古代インドに隆盛となり、各地のシャーマニズムなどで正統な命脈を保っていたソーマ・ヨーガは、ドンファン・マトゥスの一瞬の煌めきを見せながら、その非社会性の故に、世界の小国の経済を支え、日米欧の薬物依存症患者を日々増加させているだけに終わっているのは残念なことである。

世界には、日本のような食べ物と水が手に入りやすい国とペルー、ボリビアのようにそれが難しい国がある。食べ物と水が一定量生産されても、中国、カンボジアのように苛政は虎よりも猛であるが故に、暮らしにくい国もある。

食べられる国では麻薬が蔓延し、食べられない国では、麻薬が経済を支えているのは、21世紀の逆説である。
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脳内のある物質が世界を変える

2019-06-23 07:05:29 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎無用に異世界を覗き込む

脳科学の立場ではエーテル体もアストラル体もないので、悟りを脳科学で考えれば、脳内のある物質が、自分という像を、あなたも私も同じとか、一切衆生あらゆる万物はひとつながりの世界であるという、統合失調症的な世界認知をさせているという見方もあり得る。

これについては、いろいろなドラッグを自らキメてみたオルダス・ハックスレーも似たようなことを言っている。
『つまり別のいい方をすれば、われわれは誰でも、その少量が与えられれば自分たちの意識に深刻な変化をもたらすものとして知られている化学物質を、自分自身の体内でつくることもできるのだ、ということになってくる。そしてその物質によって意識が変化させられた結果として生じる徴候のうちには、二O世紀の特徴的な世紀病、精神分裂病の中で見られる徴候とよく似たものが少なくないのである。』
(知覚の扉/オルダス・ハックスレー/河出書房新社P7から引用)

これは、メスカリンの作用についての言及。欧州の薬物付き野外コンサート、レイブでもアメリカの高校、大学、家庭でも広くドラッグが蔓延していると聞くが、ストレスや悩み解消でドラッグをやるのだというようなせりふを映画やテレビ・ドラマで見ることが多い。

ところが、向精神性ドラッグの効果は人によってまちまちなところがあり、その効果は、世界観そのものを一変させてしまうことがあり、その変化に堪えられない場合は、社会的不適応やゲシュタルト崩壊ということがあり得る。

ドラッグ服用により、ストレスや悩み解消どころではない、この皆が社会だと考えている世界ではない、全く別の世界に飛び込んでしまう可能性があるのだ。

霊的感覚を得ることをさも良いことのように吹聴する人もいるが、霊的感覚を開くというのは、ドラッグにより別の世界をのぞき込むことと同じ。

卒業
の準備ができていない人間が無用の霊道を開くことについては、デビッド・ニールがその危険性を指摘しているとおりである。ドラッグも同様の危険性をはらむ。薬物依存も問題だが、こちらも深刻な問題であると思う。
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腐敗爛熟の果ての言論統制

2019-06-22 06:33:14 | マインド・コントロール
◎アウゲイアスの牛舎

日本では、公金横領とか賄賂は諸外国ほど発生するわけではないが、言論の自由が保証されているわりには、政治的な大きな問題に対して、公然と異を唱えることは大きな反発を招きがちなものだ。

これには、いくつかの社会的心理的原因があり、社会全体が安逸遊惰になれてしまい、「楽に、苦労しないで」欲しいものが手に入ったり、食べることに困らない一方で簡単に時間をつぶせる仕組みがあること(古代ローマのパンと見せものに似る)。

あるいは、日本は古来惟神言挙げせぬ国であって、しっかりした議論の結果何かをしたり変えたりしがちな国ではないということ。もともと万機公論で決するような風土ではなかったこと。よって有力で強引なリーダーが出れば、彼に従いがちな気分が常にあって、異端者は徹底的に取り締まる。
その例はキリシタン禁令だったり、戦前の特高や治安維持法だったりする。また集団内部のコンベンショナルな縛りがきつく、それは今でも田舎で暮らせば感じることができるのではないか。

諸外国では、役人の権限が大きく、公金横領と収賄は役人周辺で起こるが、中国などは、役人でもない末端でも平気で起こるほどの中国4千年の伝統にはあきれ果て驚かされるものである。それを抑えるためには人権を相当に蹂躙する圧政が必要だというのは、一つの理屈である。かくして強権側は誰も取り締まれないが故に腐敗が進む。

古代ギリシアにアウゲイアスという王がいて3千頭とも言われる牛を飼っていたが、30年間一度も牛舎を掃除したことがなく、不潔、堕落の極みとしても名が知られていた。

そういう場では、歴史的に言論統制が起こりやすく、牛舎掃除ができるのは、異邦人だけとなりがちなのだろうと思う。

アウゲイアスの牛舎掃除は、結局ヘーラクレスがやった。
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古の真人は天を以って之を待つ

2019-06-21 05:11:11 | 道教
◎荘子雑篇徐無鬼篇から

荘子雑篇徐無鬼篇から。
古の真人は天を以って之を待ち
人を以って天に入らず
古の真人は之を得るや生じ、之を失うや死す
之を得るや死すれば、之を失うや生ず』

大意:古の真人は、天なるアートマン(一つながりのもの)に入ることで覚醒に入るが、人という個性を残したままでは覚醒しない。
古の真人は悟りを得ることで真に生き、悟りを失って迷うことは生きながら死んでいるようなものである。
悟りを得るには大死一番を経過しなければならいが、いつしか悟りなどというものを忘れ去った時でも生きている。


この段の後半は、全く逆のことを並べて、その意味を考えさせるようにできている。ある特定の立場にいないと正解がわからないが、その特定の立場は、およそ世俗のものさしではわからないが、坐忘とか冥想と関係ない人でも生きたり死んだりすることも包含して述べねばならない。ところが、そのような人をも俯瞰する体験がなければ納得はできないのだろう。
その体験は死の先にあるという自爆な論理。
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狂人の宇宙、イエスの宇宙

2019-06-20 03:22:53 | 現代冥想の到達点
◎石になる人、発狂する人、悟る人

狂人イエスの共通点は、一般大衆と全く違った宇宙に生きていることである。

それに対して狂人とイエスの異なっている点は、狂人は、他の誰ともコミュニケートしない世界を生きているのに対し、イエスは、他人とコミュニケートできる点である。

一般人は、一般人として独特の宇宙を生き、狂人は狂人の宇宙を生きている。イエスはイエスの宇宙を生きている。それらの宇宙は、一つ一つユニークなものであり、全く異質な宇宙である。

一般人は、その一つの宇宙にいることに安住しており、およそ狂人や釈迦、イエスが全く異質な世界に住んでいるなどとは、思い及びもしないものだ。

ところが一般人にも全く異質な世界を見るタイミングがある。例えば死であり、近親者との生別であり、離婚であり、「裂け目」を見るというのがそれである。

それに直面すると、人は、石になって聞くまい、見るまいとする人、発狂する人、悟る人の3種に分かれる。

そうした多種多様の宇宙を自由自在に出入りすることができるのが、悟りであるとダンテス・ダイジは言っている。

大震災でもない平常時に、冥想による意識の深まりを積むことは貴重である。これをメリット・デメリットで論証することはできないが、心ある人はやり続けるのだろう。
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桑田変じて滄海となる

2019-06-19 05:24:31 | 冥想アヴァンギャルド
◎松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし

桑田変じて滄海となるとは中国のことわざだが、日本にはその典型例がある。

昨夜2019年6月18日夜、山形県沖でマグニチュード6.7の地震があり、新潟県村上市で震度6強、山形県鶴岡市で震度6弱の揺れ。

昔、秋田県象潟の付近を通った時に、田んぼの中に沢山の円墳みたいなものが散在しており、人手でもってこれを作るのは大変なことだと思った。後に、ここは宮城県松島のような多島海であったものが、1804年7月10日の象潟地震で一夜にして3メートルくらい土地が隆起し、哀れ東の松島、西の象潟(九十九島(つくもじま))と言われた絶景は、むなしく水田に変じたのだったと知った。

『松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。』(芭蕉 奥の細道 象潟の段から)

芭蕉は、この地の古刹皇后山干満珠寺を訪れ、神功皇后の御墓があることを発見し、そんな故事は聞いたことがないといぶかっている。

これは、滄海変じて桑田となった典型例。

日本には、干拓、盛土などして作った人工島が多く、関東にも、関西にもあり、工場、倉庫、マンション、アミューズメント施設、ショッピングセンターなどが立ち並んでいる。
出口王仁三郎は、こうした土地も元に戻るなどと予言している。
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ネコノミクス宣言

2019-06-18 03:50:41 | 時代のおわり
◎闇路に闇路を踏みそえて

ネコノミクス宣言は、猫好きによる猫好きのための猫好き本ではない。
昔から不思議だ、どうなっているんだろうと疑問を持っていたことが、大体わかるような内容の本であった。アングラ・マネーの流れと共にその売買対象は、人身売買、臓器売買、麻薬、兵器などまさに何でもありの世界であり、決済方法として仮想通貨も出て来て、他方パナマ文書みたいにモノと金の流通が俯瞰できるものが登場してきており、事実は小説よりも奇なりと言うが、現実の世界は、地獄も地獄、阿鼻叫喚みたいなことが行われているのがこの21世紀だと目からうろこを落としてもらった思いである。

アングラ・マネーの世界では、マフィアが要所要所で介在し、さらにいわゆる決済・トラブルのケツモチや後ろ盾あるいは、プレイヤーは国家そのものだったりする。

この問題のある売買対象物と決済手段が混然一体となって、「一つながり」のものになっているのは皮肉なことである。

それと、ユーロマネーを中心とする国際金融市場はそれ自体が、タックス・ヘイブンのようなものだが、英領にはかつて香港があり、バージン諸島があるようにアメリカには、デラウェア州があり、パナマがありと、タックス・ヘイブンのようものは、世界に散在している。スイスは一見守秘義務に守られた固い国だが実は緩いとか、国際政治の綾の中で、マスコミ報道とか社会常識とされるフェイク知識を越えた現実が、真の現実なのだと改めて感じさせられた。

テクノロジーはそれを用いる者の善悪は問わない。GAFA(Google,Apple,facebook,Amazon)の問題は、こうしたあらゆる問題の集大成でもあるとも感じられる。

アングラ・マネーとは、脱税資金のことだが、日本では、どうしても反社会の方に目が行きがちだが、反社会でなくても堅気の脱税も本来アングラ・マネー。

国際的なモノの移動は、合法的に移動させねばならないが、国際的に信用されている組織がアングラのモノを移動させているという話も書いてあった。事実とすれば、OSHOバグワンが、マザー・テレサのことを唐突に批判していたのだが、その辺の情報を知っていたのかもしれない。

こういう本が出てきて全貌がわかるようになるということは一連のそうした体系は終わりだということでもある。

中国、北朝鮮の人権状況はひどいと聞くが、南インド、カンボジア、フランスの状況はもっと怖いとは恐れ入った。

闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき(白隠禅師坐禅和讃)

『白狐。
所詮、おまえの神通力も、
愛の代用品に過ぎない。

そして、
いかなる愛も愛情も不安な灰色と化した時、
ホワイト・フォックス 
おまえに一体、
何ができよう。

快適で豊富なる暮らしの神。
聖なるマンモン。
白狐。

もう、
おれは、
おまえについて、
どんな判断もしやしない!』
(ダンテス・ダイジの老子狂言から引用)
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シャルザ・タシ・ギャルツェン

2019-06-17 06:25:41 | 密教
◎ボン教の屍解

シャルザ・タシ・ギャルツェンは、19世紀半ばのボン教僧。出生は、東チベットのカムだから、今の四川省。四川でもいわゆる諸葛孔明が進軍したルートより、ずっと西側であり、清朝の西の版図がいかに大きかったかがわかる。

彼は12歳にして受戒し、まだ少年であった時に師であるテンジン・ワンギャルに、風を押しとどめるべく剣を持っているように言われて剣を持っていると、師はその剣を力づくで奪い取り、その剣で彼をしたたかに打ったところ、彼は意識不明に陥った。やがて彼が目覚めると、師と同レベルで心の本性(アートマン)が理解できるようになった。これは、禅でいう見性

34歳卍山に冥想小屋を建て、孤独に冥想に専念した。これは一時期であって、彼は基本は僧院にあって後進の指導をしたり著作をしたりして、75歳まで暮らした。

75歳になって漸く、重要な論題だけでなく、一般的な教えや助言を与えるようになり、どんな贈り物でも受け取るようになった。

76歳の時、隙間のないテントに入り、絶対に開けないように弟子たちに命じて、結跏趺坐でテントに座った。弟子の一人が聖遺物欲しさに何日か後にテントを開けると、その肉体は1歳の子供ほどの大きさに縮じまっていたという。

75歳まで、僧院の中に留まり、本当にカルマから自由になったのは、死の直前の一年くらいのものだったのだろう。

テンジン・ワンギャルは、205ある戒を守り通したと伝えられるが、戒はもともと覚者のライフ・スタイルなのだろうから、205戒にフィットした人間でもあったのだろう。
(参考:智恵のエッセンス/シャルザ・タシ・ギャルツェン/春秋社P29-36)

チベット密教系では、屍解で肉体を残す話が多いが、その残った肉体だって、基本は鳥葬なのだろうから、こだわってはいけないはず。いわんや聖遺物をや。屍解の話で縮んだ肉体が残った残らないにこだわってはいけないのだと思う。
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慈善行為を帳簿に記録する

2019-06-16 06:49:33 | 道教
◎木の神様、土の神様

慈善行為を帳簿に記録するとは、功過格のこと。今日行った悪いことを借方に善いことを貸方につけていく。差引で善いことが積み上がれば、天に功徳を積み上げるということで、19世紀末に中国を旅行したイザベラ・バードもこれが広く中国に行われていることを見聞した。

厳密に言えば、見返りを期待して道徳的な行為・善行を積むのはアウトである。それでもそれを何も知らずに真似をする人の中に真理に到達する人もいるのだろうと思う。

イザベラ・バードが四川省に入った時に上流階級の女性は纏足だったのだが、彼女らは、欧州と中国の信仰の違いを問われて、「欧州の神は木の神様、中国の神は土の神様」と神像の素材で回答してきた。信仰の本質は難しい理屈ではないらしいが、こういうのはどうか。最近の中国は黄金色の仏像が多いようだ。

また当時欧州人が中国人の前で世界地図を広げると、「西洋人は、自分たちの神様を誤魔化すために、中国をこんな小さくしやがった」などと中国人は陰口をたたき、イザベラ・バードをして中国人の自惚れはひどく、その無知さ加減は耐え難いなどと言わしめている。

こうしたレベルの中華思想には、国際協調という視点はないが、それは、今も変わっていないようだ。

無神論社会も70年以上続くと、どうしても人間の来し方行く末の方面は、相当な中国人インテリであっても、迷信レベルにあることが多いのは致し方ないが、そうしたレベルを実質無神論の日本人だって嗤えるものではない。
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心の本性の性質と体験

2019-06-15 07:10:57 | マントラ禅(冥想法7)
◎マントラだけでできている世界

チベット密教では、第六身体アートマンのことを、心の本性、空性、輝き、リクパ、自己認識などと言う。

心の本性においては、既に個人は独立した存在ではなく、土も、コンクリートも、空も、魚雷で穴を開けられたタンカーも、密かな恋人との語らいも、誰にもばれないでうまいことやろうと思っている心の動きも、生きとし生けるものすべて、無生物すべても相互に連動している、心の本性である、アートマンの現れたものである。

だがその現れには重要な特徴がある。チベット密教で用いられる例えでいえば、アートマンは大きさのない点に似ている、或いはアートマンはが飛び行く空に似ているなどと言う。だから空性と呼ぶ。

この表現では、明らかに見ている自分を残した見え方であり、そのような表現では誤解を招きそうであるが、譬えというのはそういうものなのだろう。

人は、譬えに接し、イマジネーションでもってそれにアプローチ、コンタクトし、真似をして、やがてその真似は神に入り、やがてそのものの実体験へ移っていく。

般若心経を唱えれば、色即是『空』と言うが、それを実体験することを狙うのか、それを常に実体験している自分に気がつくことなのか、気がつこうとしている自分は何なのか。

六字の名号を唱え続けるだけでも、アートマンに到達する人もいるくらいだから、当然に色即是空、色即是空と繰り返すだけでもいける。その先にあるあらゆるものが南無阿弥陀仏である世界、あらゆるものが色即是空である世界は何ものなのだろうか。

安心決定鈔
『念仏三昧において、信心決定せんひとは、身も南無阿弥陀仏、こころも南無阿弥陀仏なりとおもうべきなり。』

島根県の妙好人 浅原才一:
『この世界仏の世界でござります
仏の世界に生をうけさせ
ご恩うれしや南無阿弥陀仏
ありがたいな
ご恩を思えばみなご恩
これ才市なにがご恩か
へえご恩がありますよ
この才市もご恩でできました
着物もご恩でできました
食べ物もご恩でできました
足に履くものもご恩でできました
そのほか世界にあるものみなご恩でできました
茶碗や箸までもご恩でできました
敷き物までもご恩でできました
ことごとくみな南無阿弥陀仏でござります
ご恩うれしや南無阿弥陀仏』
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想念と感情

2019-06-14 05:33:26 | 究極というものの可能性
◎えり好みを卒業する

大雑把に言って、メンタル体は想念、アストラル体は感情という風に見がちなものである。

想念には現実を動かす力があり、あるレベルで形成された想念は、時間はかかるが、やがて現実として実現する。想念には自分勝手な想念と他人のために利益をもたらす想念がある。ゼロサムの世界、つまり株やギャンブル、仮想通貨などで自分だけ儲けようという発想は、どちらかというと自分勝手な想念であり、これはまず地獄的な世界を推進する動因となる。

公益法人や政府・自治体は別として、この時代の企業に自社の利益を追求しない企業などないし、そうした企業の社員も利益追求を考えない人はいない。だがそんな中にもこの世に天国を実現しようと思って、企業の経営者、あるいは一社員でありながら、利他あるいは誰もが幸せになれる社会を実現しようという人はいるものである。彼ら彼女らは、その狙いを大っぴらにできないながら、密かに仕事のやり方を通じて、誰もが幸せに思う世界の現実化を図るもの。

このように地上に天国のような社会を作りましょうなどという人は、残念ながら現代社会で、まま子扱いなのだ。

通例想念は単独で想念であることはなく、必ず感情がくっついている。そこで、これは好き、これは嫌いということが起こり、人は好きなものは取り、嫌いなものは捨てるものである。

好きなものばかり取っていると、やがてとてもわがままな人間ができあがり、協調性のない人間となり、時にカルトの教祖になったり人間凶器になったりする。だが人間の人格形成の過程では、幼少期には、両親の愛をふんだんに与え好きなものばかり与える時期がないと素直な子に育たないということもある。単線のドグマではうまくはいかない。

えり好みをしない、好き嫌いをしないというのは、無私無欲の姿だが、人にはそれができるタイミングがある。人間がある程度熟成した時期である。

第二次世界大戦後の秩序が本格的に揺るぎ始め、2019年6月13日ホルムズ海峡のタンカーに魚雷が撃ち込まれたなどは、長年最も懸念されてきたことが現実化したものであり、人間熟成という点では、十分に熟したというサインであって、「えり好みをしない」人間に成長する時期が来たのだろうと感じる。
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狂わず、死なず、正気を失わず

2019-06-13 05:33:43 | クンダリーニ・ヨーガ
◎本山博のマニピュラ

ヨーガ経典を見ると、透視、直観、念力などの超能力を書いているものだから、不如意な生活を生きている人は、時にそういうものを手に入れようとして努力したりもする。だが超能力指向は、人をついには地獄的なものに向かわせるものだから、わきまえた人は超能力を得るために密教修行をしたりはしない。

人は、観想で将来の自分の姿を描き、世間でノーマルとされる努力を重ね、実際に描いたビジョンどおりの姿を実現する人の方が圧倒的に多数で、密教の修法などであの世で将来ビジョンを形成してそれを現実世界に落とし込むというようなことをする人は少数派である。

臍のマニピュラ・チャクラは自己実現のチャクラであって、ここからアナハタに向かうのが現代人共通のテーマ。

クンダリーニ・ヨーギ本山博が、『マニピュラチャクラの超感覚的能力は、客観性に乏しく、危険を蔵している』(超感覚的なものとその世界―宗教経験の世界/本山博/宗教心理出版P33から引用)と言っている。これは、マニピュラの透視や予知がよくはずれることを言っているようなのだが、事実本山博の予言録には大きくはずしているものがある。

だがそれは私の見るところ、現今の世界観、社会観に軸足をおいて、将来を透視、予知しようとした場合、見えるものの解釈をも現今の世界観、社会観に軸足をおいてやるとそうなってしまうせいではないかと思う。

現代は民主主義中心の世界だが、一皮むけば弱肉強食の社会・国際外交のパワー・バランスであって、また私権擁護を優先した法体系で、ほとんどは金で片をつけるという考え方の社会。こうした人間関係と社会と世界の形式は、決して永遠不壊のものではなく、時代が移れば言葉も変わり、正邪善悪の基準も変わり、金で換算できない価値を優先する社会通念の社会すら出現する。

現代人は、思考や感情を、多数ある現実形成チャネルのうち『近代西欧文明型世界観』チャネルに合わせて見るのが、唯一の現実と考えることに慣らされている。ところが、その思考や感情の動きは、全く別の世界観でも見ることができ、解釈も可能なのである。

それを示した一例が、カルロス・カスタネダのドンファン・シリーズだが、そこでは現今の社会性はほぼ放棄されており、まじめな社会人の一部はそうしたものに触れようとも思わないだろう。

いずれにしても、クンダリーニ・ヨーガの窮極は、既存の人間的な世界観をも棄ててしまい、狂わず、死なず(自殺しない)、正気を失わずが大悟への道となるのだが、その辺を考えないとマニピュラチャクラの超感覚的能力は、客観性に乏しく云々というようなことを言い出してしまうのではないかと思う。
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華僑の多い国とほとんどいない国

2019-06-12 05:33:20 | 時代のおわり
◎非華僑系国家

蘇秦と張儀の合従連衡よろしく、中国とアメリカで中国周辺国の取り込み合戦が続いている。特に東南アジア諸国では、華僑が国を牛耳っているケースが多い。フィリピンのアキノ家、タイのチャロンポカパンの謝家、シンガポールの李家など。
そしてフィリピン、シンガポール、インドネシアなど華僑が国の要人であるような場合には、中国訪問時に華僑の先祖の中国内の故郷を訪問し、華僑と中共は、同根であることを示して、中国との友好のパフォーマンスとすることがある。
これに対して、華僑がそれほど国の政治経済を左右していない場合には、先祖が炎帝神農、黄帝であることを殊更に強調するシーンはないが、そうした非華僑圏国家が、日本、韓国、北朝鮮、モンゴルである。

2018年12月20日、韓国軍が自衛隊の哨戒機に向けて射撃統制レーダーを照射した事件が起こったが、これをして『韓国軍は日本を攻撃する準備をしている』と見る人も出て来ているのには驚いた。
韓国の歴史では、華僑が少ないのに、常に中国に付くか付かないかで揺れるが、既に揺れたのだろうか。

将来日本人が走る時、行く先はモンゴルだろうと言われるが、非華僑系のモンゴルであるのは、故なきことではないと思う。恭喜発財では、侘びさびは育たないからである。

さて日本にも在外日系人の多い国があり、ブラジル、ペルー、アメリカであり、アメリカはつい先日まで大統領継承順位第3位のダニエル・イノウエがいたほどの別格の国であった。20世紀の日本でも、真田家が徳川方と豊臣方に分かれた悲劇と似たような史実があったとみることもできる。
それらは元をたどれば戦前の日本の拓殖植民政策の結果であり、満州移民はあのようなことになり、結果は悲喜こもごもではある。
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シュメールの大洪水伝説

2019-06-11 05:16:30 | 冥想アヴァンギャルド
◎古事記仲哀天皇の段へ

関東では、軽い低気圧でも居座られた直下では、梅雨時では珍しい風雨となった。

そこでシュメールの大洪水伝説。聖書のノアの洪水伝説よりも、相当に古いとされる。

シューメールにはエリドゥなど5大都市が繁栄していたが、5つの都市は既に爛熟腐敗し、天の意思による大洪水の到来による地上の文明の破滅が予想されていた。

さて一個の王であり神官であった、謙虚で神への恐れに生きるジウスドゥラは、側壁の左側に立っている時、神々の会議で都市を洪水が襲って人類が滅ぼされ、現今の王権が神々に奪われることに決まったことを聞いた。

やがて破壊的な大風と台風が同時にやってきて、7日7晩大洪水が都市に襲来した。7日7晩は長い。

ジウスドゥラは、洪水の間、人間と動物を乗せた巨船にいて、あちこち漂流しながら、山に漂着し、船から出た。

出口王仁三郎の見るところ、こうした世界的大洪水は過去6回。そして今度は7度目がある。

七度目については、古事記仲哀天皇の段に見える『西の国の大洪水』が該当するのではないだろうか。
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