アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

2018年の終わり

2018-12-31 05:43:35 | 時代のおわり
◎物質科学の研究が進むと人間は悪化する

今年も弊ブログにご来訪ありがとうございました。自分もそうですが、毎日特定のブログを見るということは、そう沢山のブログに対してできることでもなく、ありがたいことだと思います。

アクセスの三分の二がiPhoneの時代になり、ますます長文は読みにくいのだろうなと思う次第です。

2018年は、6月にいろいろ起き、半端でない猛暑にやられ、体調が落ち、10月にボトムとなりました。霊能力に目覚めたわけではないが、肉体が低下すると微細身とのバランスが崩れ、そのズレから霊能力が起きるという説があるが、そのとおり、肉体の力が落ちるのは決してプラスではないが、そうなって初めて物事の優先順位が変わるものもあるというのも、残念ながら真実でした。

今年のエポックは、『エクスタシス 夢の夢なる』を始めたこと。これは8割方終わっているが、男女の悟りの違いと至福千年の部分を追加して完結する予定です。

今年気になった言葉は、以下の5つ。
1. 中国では念仏禅になってから禅が衰えた。
2. 物質科学の研究が進むと人間は悪化する。
3.悟りのためには、現代人の肉体はほとんど完成。
4. カルマ・ヨーガは最後まで残る
5.狐の時代には、蛇が生まれて人間を滅ぼそうとする。

1.中国では念仏禅になってから禅が衰えた。
禅の中でも只管打坐あり、公案禅というジュニャーナ・ヨーガあり、無字などのマントラ禅などがあり、念仏もマントラではある。

ただ殊更に禅と念仏の平行をやると、人はどうしても易きに流れやすいもの。禅で30分から40分間姿勢を固定することを繰り返すのはそれなりに大変ではある。

2.物質科学の研究が進むと人間は悪化する
この法則は、本山博がスワミ・ラーマに語ったものだと推測するが、これぞ現代文明と現代科学の混迷の主犯のようなものである。最初から、そうだとわかっていれば、ここまで肉体と物質偏重の文明とはなっているまい。

この点について、覚者たちは公平であり、物質や肉体は白でも黒でもないと平気なことを言うが、次の時代の文明はこの文明の駄目だった側面は徹底排除されるだろうから、さみしかったり、悲しかったりする部分はある。


3.悟りのためには、現代人の肉体はほとんど完成

ヒマラヤでは悟りを完成するため、老いた肉体から若い肉体に乗り換えることすらする。一方で昔に比べれば水も食料も清潔で充足し、生活ペースもきつくない生活の繰り返しで悟り完成用の肉体の準備はできている。

4.カルマ・ヨーガは最後まで残る
人は悟ることで九族を昇天させることすらできるが、出生時には〇〇家のカルマとその本人自身のカルマを背負って出てくる。
一方で、悟った後でも托鉢しなければならなかったり、隣人の勝手な言い分を聞くはめになったり、洗濯をしたり家事をしたりしなければならなかったりするのは、肉体があるからである。

5.狐の時代には、蛇が生まれて人間を滅ぼそうとする
この通信手段とインテリジェンスと交通が猛烈に発達して、誰もが、誰が仕掛け誰のためだかわからないマインド・コントロール網にがんじがらめになっているこの時代が狐の時代。

その覇権を握って世界を独裁しようとする国は蛇。


来年は七つの身体の敷衍をやろうと思っています。

コメント

世の中に生まれし人は

2018-12-30 06:55:18 | 古神道の手振り
◎無我無心無慾なりせば

出口王仁三郎の歌集言華から。
言華は、北欧のオーディンの箴言にも似て、下世話なシーンでの教訓がすこぶる多い。誰でも出会うシーンであるからこそ、考えさせられる。

『世の中に生まれし人は 一度(ひとたび)は必ず悲劇を味はふと知れ

何事も善意に利用する人は 現世(このよ)に余裕の存する人なり

川海に釣魚を楽しむ閑人は神の所有を盗むものなり

身を修め心の中を治めずば、支離滅裂の難を招かん

大いなる不平の人は大いなる理想の人ぞ神に在る人

物事に変化来たすは心魂に安定の無き報酬なりけり

人間に私欲の念の無かりせば障壁も無く境界もなし

世の中は神の教へに習はずば 凡(すべ)ての事に自由を失ふ

新しく生まれんとせば惟神(かんながら)神の御法(みのり)を固く守れよ

我(わが)歴史回想すれば一切の事皆美味と感ずるものなり

無我無心無慾なりせば 人の世に生死興亡絶えて有るなし』
(言華 上巻/出口王仁三郎 P132-133から引用)

人生上の悲劇、不条理は、ジャンプ台だが、ここまで露骨にいうものか。

何事も善意に受け取る人は時々いるものである。自分にはできないが、そういう人は貴重なもの。

ここは釣り人をそしっているだけに見えるが、神の所有物を盗んで暮らしている人は、存外に多いものであって、一大産業、大企業群になっていることは珍しいことではない。これは当代の問題点である。

身を修め心の中を治めれば、嘘は言えないし、悪事もできない。

人間には私欲のないことが基本である。だが法体系は、私権擁護が基本。まがつ世よ。

悟った後は自由自在かもしれないが、新生を期するには、諸悪莫作衆善奉行。

無我無心無慾とは、人間に属するマターではないが、さりげなくそれを入れている。
コメント

石がもの言う時代

2018-12-29 06:58:25 | 時代のおわり
◎スマホという石

金属やプラスチックという石でできたスマホ。外国語を翻訳してしゃべるし、会話の相手もする時代となった。

ブリタニア列王史から。
『(37) それゆえに、ロンドニアは嫉妬してその城壁を三倍に増築するであろう。タメンシス(テムズ)川はロンドニアを四方から囲み、その堡塁の噂はアルプス山脈を越えて広まるであろう。針鼠陣はその林檎を街の中に隠して、地下道を工夫して創るであろう。

(38)その頃までには、石がものをいい、人々がガリアへ渡航する海は狭くなって海峡となるであろう。両岸に立てば互いに人の声が聞こえて、島全体の面積は拡大するであろう。海に棲む生き物の秘密は明らかになり、ガリアは恐怖で身震いするであろう。』
(ブリタニア列王史/ジェフリー・オヴ・モンマス/著/南雲堂フェニックスP195から引用)

※ロンドニウムはロンドン。ガリアは、フランス。

針鼠陣は、レーダー。レーダーの中心にappleが見えたのは意味深長。海に棲む生き物とは潜水艦であって、戦略核の中心。ドーバー海峡には英仏海峡トンネルが開通し、海峡は狭くなり、両岸の人間が会話できるなど当たり前になった。

スマホという石が物を言っているからである。

この時代は、狐の時代とも呼ばれ、狐の時代には、蛇が生まれて人間を滅ぼそうとする。

マーリン予言は、赤いドラゴンと白いドラゴンの戦いが基調。赤と白は時代によってその意味、立ち位置を変えるが、今なら赤は共産主義で、白は資本主義・民主主義というところか。
コメント

世を騒がす神人たち-2

2018-12-28 03:39:51 | 古神道の手振り
◎出口王仁三郎の法統

クンダリーニ・ヨーガ系の法統の継続は、しばしばアストラル・ベースで行われるものだから古神道のそれもアストラル・ベースという形式はあり得る。

出口王仁三郎については、その部分は明らかにしていないので、肉体での伝承ということで考えると、本田親徳から出口王仁三郎への流れというのがまず考えられる。本田親徳は、薩摩出身の霊能力者で、帰神の審神者をよくしたらしい。本田親徳と出口王仁三郎は、一度だけ会っている。

本田親徳の著作である道之大原や霊魂百首を読んでみても、霊界物語に比べれば、文は短く、漠然としすぎていて、現代人にとってはやや食い足りない印象があるように思う。

出口王仁三郎の高弟という点では戦後の新興宗教生長の家の谷口雅春、世界救世教の岡田茂吉などが挙げられる。

またダンテス・ダイジが大本教の短期研修に参加したのは、出口王仁三郎没後20年は経ってからだろうから、アストラルでの伝法ということも考えられる。

いずれにせよ、出口王仁三郎は霊界物語で、改ざんされる以前の原古事記(オリジナル古事記)を復活させ、チャネリングの限界を明らかにすることで、20世紀後半から21世紀の古神道における冥想手法を明確にし得たという意義は大きい。
またその型出しの真価は、これからの日本人の信仰動向にかかっている。(人類三分になるという・・・・・)

みろくの世、千年王国、神政復古、至福千年を目前にした場合、既成の組織宗教は自壊し、各人は自らのうちに神を感得しつつ生きる時代となる。こうした様が、みろくの世には宗教はないとか、拝みたいものには富士山でも拝ましたらいいでしょうという会話につながっていく。

各人が自らのうちに神を感得するためには日々の冥想習慣は必須である。

だが、そういう動きは、現実社会の仕組みの悪しき部分、曲がった部分に気づく機会を増やすことになり、『狐の時代には、蛇が生まれて人間を滅ぼそうとする』の混乱の巷で困難な生き方を強いられることにはなる。

出口王仁三郎という覚者は、フランクに時代に応対したがために、あれだけ支援者がいたにもかかわらず、10年も牢獄に暮らす羽目になった。
願わくは日本ではもう覚者を殺すことのないように。

役行者が伊豆に流されたのにも同じような雰囲気を感じる。

神国日本の人々であっても、本物の覚者が社会的に活動する時期は、覚者を抑圧するのは、本心では世直しされたくないからである。かくて日本は歴史的に天災が多発する。

かつて日本滅亡を真剣に危ぶむ時代は、日米戦争や蒙古襲来であった。さらにそういう時期があることを、心ある人は感じているのではないか。
コメント

世を騒がす神人たち-1

2018-12-27 05:53:51 | 古神道の手振り
◎本心では世直しされたくない日本人

神人合一体験があって、その上で組織宗教を始めようという人物は、本心では世直しされたくないパワーエリートとフツーの人々によって、結局は世の中から排斥される。そうした人物はOSHOバグワンだけでなく、それに先行して日本に出口王仁三郎がいた。

私が初めて出口王仁三郎の本を手にしたのは40年ほど前だったのだが、最初は「巨人 出口王仁三郎」という文庫本から入った。大学図書館で、大本神諭火の巻、同天の巻などを読み、大いに興味をそそられ、霊界物語などに進んでいった。

霊界物語は全81巻で、千夜一夜物語並みに読むのに時間がかかり、周りに大本教の人がいたわけでもなかったから、霊界物語自体は、下世話で冗長な部分が多いという印象は残った。

古事記があまりにも換骨奪胎されすぎて、ネオ古事記として霊界物語を改めて編纂したという意義はわかる。

霊界物語は自動書記で書かれたが、そのせいか順序もばらばらに見え、内容もパーフェクトにそろっているのかどうかもわかりにくい。そこで、霊界物語は全部読まないとわからないというのは、その辺の消息の裏返しである。

出口王仁三郎は、都合10年くらい牢屋に入っていた。そして昭和10年の最盛期には皇族、軍幹部を始めとする8百万の信者数を数え、成功した新興宗教のシンボルとなった。

ところが戦後は、英霊の遺族の心情はやはり靖国神社にあるということから、国家神道の評価・反省ができにくいという事情を忖度してか、一度国家から弾圧を受けた出口王仁三郎を積極的には再評価しにくいということからか、いまだに出口王仁三郎はきわもの扱いである。

出口王仁三郎は、古神道というクンダリーニ・ヨーガ系のスーパー・スター。

27歳の時に飲まず食わずで高熊山で一週間の幽斎修行をしたが、この時に日本の最後、世界の終わりを幻視しており、同様の幻視をしたのが出口ナオであって、以後それをスタート・ポイントに据えて、布教パートナーとしてやっていく。

古神道の冥想法は鎮魂帰神。最初はチャネリングである帰神を試行錯誤したが、大正時代にはこれを放棄。以後は鎮魂メインであったと思われる。

教団が巨大化していく過程で、最初はフリーメイソンについては当たらず触らずだったのが、昭和10年の昭和神聖会では、アンチ・フリーメイソンを打ち出しているのは特徴。

そして出口王仁三郎の対外的宗教運動は昭和10年で実質的に終了。大本教のご神体の崑崙奉還。昭和10年12月から7年間牢獄生活。

出口王仁三郎の吉岡発言を見ると、まさに21世紀のこの日本と世界の危機的様相を予見しており、そのための型出し、ご神業であったと思う。
(続く)

コメント

本心では世直しされたくない人々

2018-12-26 05:31:40 | 現代冥想の到達点
◎他人一人では救済できない

本当の自由、本当の愛、真理を万人が知る、すべての人が善だけしかしない社会。誰も悪業を犯さない

それは素晴らしい。誰もが表立っては反対しない。だが、本当にそうであれば、聖者はいつの世でも歓待され、磔にあったり、手足を切られたり(ホセイン・マンスール・ハッラージ)、牢獄に何年も入れられたりすることはない。

とある宗教運動で、それを推進する教祖が正しいからその宗教運動が大成するなどということはない。とかく組織宗教は、教祖が正しく、教義が正しく、奇蹟・神のお告げ・超能力の病気直しなど見せれば大きくなりがちなものだと思われがちだ。ところが実際は、教祖が正しいことと布教するしないは別であり、教義の根幹部分は言葉では語れないので正しい教義というのはあり得ないものであり、現世利益というのは本質的には自分を捨てるプロセスで考えれば問題があるものである。

OSHOバグワンは、アメリカで毒を飲まされ、イギリスでもギリシアでもスペインでも入国拒否され、最後にはインドに帰るしかなくなった。そうした途中、慈悲深いウルグアイが滞在を認めてくれた。そこでの各国への怒りに満ちた講話録が『神秘家の道/OSHO/市民出版社』。OSHOバグワンは、各国の国益に沿わないという理由で次々に入国拒否された。

『神秘家の道』は、OSHOバグワン本では珍しく、ストレートな物言いで彼の立ち位置、考え方が表現されている。彼は20世紀を代表するクンダリーニ・ヨーギである。

なぜアメリカは入国拒否したのか。

世の中には、日常的に嘘をつく人がいる。嘘は楽だ。その場を簡単に取り繕えるし、世間体が良い。だが一度嘘を言うと際限なく嘘に嘘を上塗りすることになり、多くの人をだますことになる。

世の中には権力や巨富を持っている人がいる。彼らはその力で、人間としては本来許されない様々な良い目を見ている。それは既得権として厳然として存在している。人間が生きるには、立って半畳寝て一畳であって本来巨富などは不要なものである。彼らの背後には権力欲や所有欲、貪欲が控えている。

こうした支配層にとって、OSHOバグワンの勢力が増大するのは、自分らの悪事を露見させることであって、将来的にはその特権を失うことにつながっていく。よってOSHOバグワンは、アメリカでは排除方針となったのであろう。これは支配層の話。

だが支配層でないフツーの人々はどうなのだろうか。世の中の大多数は、安定した生活ペースを崩されるのは好まない。衣食住が今ちゃんとしてある程度の人権も保障されているのに、真理だとか本当の自由のためにそれを捨てさせられ生活が困窮するのはいやだ。本当の自由には責任が伴う。社会性を放棄することでもあるからである。村八分も覚悟するということである。そんなことはフツーの人は内心ではほとんど誰も望んでいやしない。

そういう考え方はちょっとずるくて、少々の世間的苦労を伴うものであるが、「苦しみですらまんざらでもない」われらにとっては十分我慢できる。だから、フツーの人々も、本心では、自分の悪事や日常的な嘘がばれるのは、今更困るし、本当の自由、本当の愛、真理とか、善だけしかしないとか、誰も悪業を犯さない社会などというのは困る。よってOSHOバグワンは、アメリカでは排斥されたのだろうと思う。

OSHOバグワンは、日本に来ようともしなかったが、そういう傾向は、日本の方がひどいからだと思う。

かくして、自分さえ良ければ、今さえ良ければ人間が大多数となった結果、大地震が周期的に襲い、考えられない大暴風雨、豪雨が各国を襲う時代になっている。

これを神と人とのバランスが大きく崩れたと見る。本心では世直しされたくない人々がほとんどであった時代のなれの果てである。

もうスーパースターとか、弥勒再臨とか、イエス再臨とか悟った他人一人では救済できないほど、地球のバランスは崩れていることを感じている人が多いのではないか。悟った他人に救済してもらおうという虫のいい人も多い。

日々冥想を。
コメント

七つの身体 ボディと修行

2018-12-25 03:31:03 | 現代冥想の到達点
◎一生だけで行けるのかという観点

人間は七つの身体の集合体である。

人間の臨終を霊視した人によれば、肉体は、呼吸・心拍・脳停止の死において、機能を止め崩壊を開始する。半物質であるエーテル体は、肉体死の後数時間しか残存しない。

アストラル体は、何百年、時により何千年ももつようだが、それでも寿命はある。仏教の天人五衰に見るように衰亡はあるらしい。

メンタル体、コーザル体にも死はある(アメジスト・タブレット・プロローグ)

『肉体・意識・現象・宇宙・・・・
そのありとあらゆる出来事・・・・
これらは、
すべて肉体に属するものにすぎぬ。
どれほど高尚な形而上学的悩みも、
肉体あってのものだねだ。

一般に、
クンダリーニ・ヨーガは、
アストラル体を基点とする。
マントラ禅や丹田禅は、
エーテル体を基点とする。
公案禅や只管打坐は、メンタル体を基点とする。』
(アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジ/森北出版P122-123から引用)

肉体とエーテル体は、死後まもなく崩壊する。

ある特定の意識状態は、ある坐相を惹起する。逆に特定の姿勢、坐相は特定の意識状態を惹起する。これがハタ・ヨーガのメカニズム。肉体は、クリヤ・ヨーガが快適にできるように、調整された。だが寿命が尽きて死んでしまい、生まれ変わったら、もう一度一からの肉体作りからのやり直しとなった。

これでは非効率な修行ではある。時間がかかる。そこで今生でもっと長期間修行したほうがましと考える。長寿の基本は小食。人間は消化器系から老化するからだ。

周天で気を回し、一生の最後には頭頂上に少々出神する。これでは修行が完成していないが、寿命が来て亡くなる。生まれ変わったら別のエーテル体でもって修行はやり直しだ。(周天には、アストラル体パートもあるのだが。)これまた、非効率なので、長寿延命法を考えるのは論理的帰結。

各人は、各人の修行法を選び取る。ほっておくと何百年でも同じことをやったりするので、真正の師匠は不可欠である。また特定の冥想法が特定の結果を起こすという保証もない。まともな冥想法であればあるほど現世利益とは関係がない。それでも坐る。

コメント

一休の今ここ

2018-12-24 06:42:53 | 丹田禅(冥想法8)
◎死にはせぬ どこへも行かぬ

一休道歌。今ここをこれほど端的に示している歌はない。

死にはせぬ どこへも行かぬ ここに居る
たづねはするな ものは言はぬぞ

死ぬことはないので、第六身体のアートマン以上。どこへも行かずここにいるので、今ここ。そこはどこだ、それは何だと尋ねても言葉にはできない。

時間も空間もあらゆる物質も他人もひとつながりになっているもの。一気通貫。

それを社会の常識人は、神秘体験と呼ぶが、体験者にとっては、体験とは言えない体験である。体験している人がいないから。

もともと生まれてきてなどいないから、死ぬことはない。私は、来ることもなく、去ることもなくここにいる。
さらに一休道歌。

ひとり来て ひとり帰るも 迷いなり
来たらず去らぬ 道を教えん

私は独りで、孤独だが、一人で生まれ来るということも、一人で死に去るということもなく、それは妄想である。死すらも思い込みであり、観念の一つにすぎない。生まれたというのも、思い込み。どこからも来ることもなく、どこへも去ることもない道。

これも世間では神秘体験という。非二元とは、世にいう神秘体験である。先年タミフルで神秘体験が起こったらしき人が大勢出て、政府とは、一方では麻薬を取り締まりつつ荒っぽいことをするものだと思った。
神秘体験もピンキリで、ほとんどがゴミ体験で本物は稀。チャネリングもほとんどがカスで本物は稀。

どこからも来ることもなく、どこへも去ることもない道。われわれは、道ではないものを「現実」と思い込んでいるが、一休は、そんなものは現実ではなく、あらゆるものが一つながりになっているものだけが現実であり、それを道と呼ぶ。非二元こそが現実である。


もっと一休道歌。

なにごとも みな偽りの 世なりけり
死ぬるといふも まことならねば

死は幻想である。


また一休道歌。

世の中は食うて 箱して 寝て起きて
さてその後は 死ぬるばかりよ

※箱=くそ
生も死も嘘だという現実認識にあって、この歌がある。この歌だけ単発で読めば、人それぞれに勝手な解釈をしようというもの。

コメント

"釈迦は何を悟ったのか"とググる

2018-12-23 06:51:21 | 現代冥想の到達点
◎自分で気づこうとする訓練の少ない時代

大悟覚醒した人間は極めて少なく、そうした人間の大半は、生き延びることはさらに少ない

その上に、生存し得た覚者の中でも、グル・マスターとして他人にその教えを説く者は更に一握りとなる。

禅家で、大悟した途端に、仏の何たるかを知ったからには、一人でも半人でもそういう水準に達した弟子を出さなければならないというプレッシャーをかけられることがある。

これがうまくいけば、大悟者はネズミ算式に増えていっているはずなのだが、そうはなっていない。例えば臨済の盟友普化は、悟後にまともな修行はしていなかったし、後進の者に教えを説くというようなことはしていなかったように思われる。また一休だって、弟子もいて説法もしたが、専門道場で後進を育成するということはほとんどやらなかった。

そもそも悟った人には、エゴから来る何かをせねばならないという決意はあり得ない。彼が決定を下すことはない。
後進を育成する、あるいは一箇、半箇を打ち出すというようなことは、誰かから強制されてやるようなことではなく、天機・天命を感じてそれに従う種類のことなのだろうと思う。

光明を得た者にはエゴがないから、自分勝手な意思決定はなくなる。あるがまま、手を放したまま、目標もあこがれもない。だが個性は残る。

大悟した者には、教団に止まって後継者を残そうとする組織宗教適合型の個性の人物もいれば、一休、寒山拾得、桃水など、組織宗教を出て行雲流水、風狂するタイプの2種がある。どちらかを選ぶのは、誰かの強制ではなく自ずと決まっているのだろうと思う。

Googleで“釈迦”を検索しようとすると”釈迦は何を悟ったのか”という選択候補が真っ先に出てくる。これは、この時代の人々がいかに自分に向き合っていないかの証拠の一つ。何かを知りたければネットや他人に訊くというのは、悪い癖。金を出せば教えてくれるとか、良いコネがあれば聞けるとか、そういう類のことではない。

水を飲むには、他人が飲むのではなく、自分で飲まなければならないとまず気づかなければならない。そういう訓練のあまりに少ない時代ではある。冷暖自知す。
コメント

オルガズムと無我、無時間、無思考

2018-12-22 06:22:33 | カーマ・ヨーガ(性愛冥想)(冥想法4)
◎性エネルギーとジャンプ・アウト

セクシュアル・メディテーションは、まず求道心が双方にないと成立しない。不倫であっては成立しない。二人に愛がないと成立しない。

何でも語ってくれるOSHOバグワンの片言には、時に性的ヨーガの片鱗を示すことがあるのだが、内なる女性とか、内なる男性の話にはぐらかされたり、性的ヨーガには何種類かあるのではないかと推測される発言がある。

そこで気にすべきなのは、セクシュアル・メディテーションというのは、男性のための冥想手法ではないのかということである。
密教では、明妃と結合した男性の交合像が堂々と存在する。これぞ、それが男性側の冥想法であるというシンボルであって、女性の側の悟りが主眼であれば、女性が顔を見せたり、台座の向きが女性が正面を向く形で作られているのではないだろうか。

そこで女性の窮極と男性の窮極は違うのではないかということ。このことは100年前以前の男性優位の社会では、求道の世界では暗黙の了解であった。あたりまえすぎて誰も言わなかった。ところが、男女平等の昨今では極めて言いにくい事柄となっている。

でもこのことは、70億人総冥想時代にあっては、ある程度オープンにしないと、いろいろな問題が起きてくるように思う。

性のオーガズムでは、思考は消え、時間は止まり、自分は相手に溶け込み自我はない。ここから冥想が始まる。(神秘家の道/和尚/市民出版社P436)

だが一般に男性のオーガズム(感覚)は女性ほどでなく、そこまで入れ込まない。だからOSHOバグワンの語る性的オーガズムの無我、無時間、無思考は、男性には感覚ではなく、洞察されるものなのだろうと思う。そこで冥想するというのは、いわば当然の流れ。

性エネルギーは、出産の源流でもあり人をこの世から脱出させるクンダリーニのエネルギー・コードでもあって、些細な快楽の道具などではない。

ライヒもOSHOバグワンも性的抑圧をなくそうと主張したが、それは、性エネルギーという膨大なエネルギーを自らのジャンプ・アウトに向けていけるという洞察があってのことだったと思うが、世間はまず理解してくれなかったし、OSHOバグワンのコミューンもそこまで成熟することはなかった。

コメント

自己想起と霊主体従

2018-12-21 05:33:53 | 冥想アヴァンギャルド
◎グルジェフが故意に自動車で事故る

ある日、グルジェフは猛スピードで自動車を運転し、立木に故意に衝突し、多くの箇所を骨折し出血しながら25キロ歩いてアシュラムまで帰った。医者は、歩ける状態の肉体ではないと非常に驚いたが、彼の骨折は3週間で完治したという。

自己観察と自己想起は、グルジェフ・ワークの代表的なものである。OSHOバグワンは、グルジェフ・ワークの本質は、肉体と意識の分離と見る(神秘家の道/OSHOバグワン/市民出版社P706-710)。肉体がどんなにぼろぼろになっても自意識には影響がないことを自証するのだ。

だからと言って、故意に交通事故を起こしていては命がいくつあっても足らないので、こんなやり方はクレイジーであって誰もができる修行ではない。チベットのティロパは、弟子ナロパに崖から飛び降りろと指示して、実際に飛び降りたのも同じ狙いだったかもしれない。

だが、自意識と肉体が同一不可分であるというのは、現代社会の通念であり、現代科学の拠って立つ常識である。

出口王仁三郎は、霊主体従を唱えたが、霊が自意識、体は肉体なので、グルジェフと同じことを提唱していた。出口王仁三郎もグルジェフも同じ時代に生きたからだろうか。

霊というと、日本人は、イタコやユタやノロなどのチャネラーの降霊を連想してしまうことが多い。そういう誤解を解くためにも七つの身体論はとても分かりやすい理論である。

自己想起みたいに、自己とは最後はアートマン=本来の自己だが、そこへの意識深化をさせるために、自分の今から誕生まで記憶を遡行させるなどいろいろな技法がある。

そして、それらのことは、グルからの指示命令によるものでなく、自発的に行われなければならない。

その辺が、洗脳という広義の指示命令では、到達できないということなのだが。
コメント

中の下の人々を狙い撃ち

2018-12-20 05:04:36 | マインド・コントロール
◎広告、宣伝、報道のターゲット

テレビが想定している年齢層は8歳から12歳などと言われ、社会での営業商売でのカモは、頼まれると断れない人であり、人の言うことを信じてくれる人であって、人間の自立性とか独自の考え方、独自の判断力という点では、中の下より下の人を狙うというのは、常識である。

無料や、常識はずれに儲かるイベントを企画して、人々にある種の興奮状態を引き起こし、それをマインド・コントロールのとば口にして、高価な商品を買わせるのも昔からある手法である。こういうのは洗脳商法の教科書には最初に載っている。

これは商売の話だが、政治キャンペーンでもロシア革命の経緯の本などを読めば、大衆を扇動するデマゴーグが、デモや集会で熱狂の渦を起こし、暴動や破壊行為などに持っていく場合は、中の下の人々を狙い撃ちしていることがわかる。

自立した判断力のやや弱い中の下の人々こそは、哀れなる子羊たちである。彼らをおもちゃにしない心映えは必要である。彼らこそ無辜の民であり、イエスの山上の垂訓でいう『貧しき者』の予備軍である。彼らはそのままでは、白でも黒でもないが、洗脳や教育により白にもなりやすく、黒にもなりやすい。

『幸福なるかな、貧しき者よ、神の国は汝らのものなり。』

この時代には、無数の広告、宣伝、報道が入り組んでいるが、そのターゲットは、ことごとく中の下の人々になっている。

仕掛ける側に人間らしい惻隠の情ありせば、こういう流れにはなっていない。

こうした圧倒的趨勢の中、心ある人々に向けて、今日も冥想立国から神主主義を構想する。
コメント

スピリチュアルの5G

2018-12-19 05:25:06 | 冥想アヴァンギャルド
◎現代の男も女も快楽、権力、金の奴隷

5Gは第五ジェネレーション。通信の5Gは、あらゆる機器をもあらゆる人間をも支配できそうだという点で、機械文明、物質文明の極みである。

人間は肉体であり、文明は物質主流であるということから、どんどん科学は発展したが、物質科学、肉体研究が進歩発展すると、なぜだか知らぬが、人間はどんどん悪化していくという法則がある。

この結果、現代の男も女も快楽、権力、金の奴隷になり下がった。

現世利益のスピリチュアルとは、こうした奴隷のままで自己満足を求めるということであって、それがデジタルな欲望であろうがアナログな人生目標であろうが、自己満足を求めていることには変わりない。

これは、スピリチュアルの1Gから4Gまでの様相である。

癒し、ヒーリング、肉体の健康、心の健康を求めるというのは、必要な場合がある。でもそれですら、自己満足のために癒しを求めているのではないかと、胸に手を当てて考える必要がある。

ものごとには、白いもの、黒いもの、白でも黒でもないものがあるが、癒し、ヒーリングとは白でも黒でもないものなのではないのだろうか。

もうすぐ新年。初詣では、有名神社仏閣には百万人の人が参詣するようなところがある。もともとそこがパワー・スポットであったとしても、白でも黒でもない人々が大勢押し掛けることで、パワーは大いに薄まり、白でも黒でもない場所になってしまうということはあるのだろうと思う。

権力、快楽、金は、黒の側なのだろう。自己満足を求めないというのは、現代人の社会性、世界観にとっては、奇想天外な発想だが、自分がない、自分を喜んで捨てる心性は、ついこの間まで旺盛に残っていたし、今の日本人の風俗、習慣、所作、謙譲語などにも残っているものでもある。

スピリチュアルの5Gとは、自己満足を見切り、本当に満足するものは何かを、むなしくない本当の何かを発見する道である。

何のために働くのか、何のために出産するのか、何のために子育てしているのか、何のために死ぬのか、何のために生まれてきたのか。そうした根底の、最も日常的なものに素直に向き合うことでしか、目覚めはないのだろうと思う。

そのためには、目先を誤魔化すスマホ、携帯を手放し、美容、健康、資金運用、SNSでの交流などの細かいテクニックによる自閉症的満足を求めることをやめなければならない。
コメント

生きている方がまし-3

2018-12-18 05:32:12 | 占星術  (冥想法6)
◎一人より二人のほうが勝る

オーディンの箴言から。

『夫の死後に生まれたものでも、息子はないよりはあるほうがいい。息子が立てるのでなければ、路傍に故人の石碑が立つことはない。

一人より二人のほうが勝る。
は身をほろぼす。どんなマントのかげにも、敵の手がありはしないかと私は疑ってみる。

食糧に心配がなければ夜は楽しいもの。
船室はせまくるしい。秋の夜は変わりやすい。五日のあいだにも天気はさまざまだ。 一月(ひとつき)のあいだにはそれどころではない。』
(筑摩世界文学大系10 エッダ/筑摩書房P22から引用)

『舌は身をほろぼす。』の前に『うっかりと他人に向けた言葉の報いをうけることが多い。』という条があり、不用意な言葉が思わぬ遺恨を招き、襲撃にまで及ぶことがあることを示している。

法治であろうがなかろうが、人間関係の中でいじめや力の示威を受けることは日常茶飯事ではある。それを見せることが見せしめになり組織・社会を引き締めるということはある。民主主義、法治主義とはそういう側面がある。

法律が、中国共産党の下に位置するので、三権分立でなく共産党の一党独裁である中国には、このような私的な遺恨を晴らす械闘というものまである。同一の姓を持つ一族同士(例えば習一族対江一族みたいな)が武器を持って集まり実力で争闘するもの。

法と秩序のアメリカだって、加害者一族が逆恨みして銃を持って押しかけるということがあるので、強盗事件などで正当に発砲した警備員などが、名前を変えて他の土地に移住せざるを得なくなるようなことは実際にある。

狭い船室でも人が複数いれば心強く、一人よりはるかにいろいろなことが可能になるものだが、言葉には細心に注意する必要がある。

状況は、5日で変わり、一か月ではどんどん変わる。狭い船室にいる夫婦でも少なくとも片方が我慢できずに離婚するのは、三分の一に及ぶ。

今、時代は分水嶺を超え、世界戦争へと向かう。個々人も平和に安寧をむさぼる時期は終わり、本当に自分と向き合う時代になってきた。
コメント

生きている方がまし-2

2018-12-17 05:05:31 | 占星術  (冥想法6)
◎生者は死者より幸いなもの

オーディンの箴言から。

『生者は死者より幸いなもの。生きていればいつかは牝牛も手にはいる。かつて私は金持の家の炉に火がもえさかるのを見たが、本人は死んで戸口の外に倒れていた。(七〇)

足なえでも馬にのり、手なしでも家畜を追い、つんぼでも戦えば役に立つ。
めくらでも死んで焼かれるよりはまし。
死者は何にもならない。』
(筑摩世界文学大系10 エッダ/筑摩書房P22から引用)

身障者は、生活することが大変で、社会性というものを様々な場面で自覚するが、都度つらく苦しいことがある。

それでもオーディンは、死者は無益であり、生きていれば、必ずよいことがあると確約する。

オーディンは、ここで身障者を列挙するのだが、荘子では、もっと頻繁に身障者が登場し、健常者以上の見識を垂れるシーンが多い。荘子を読んでいて、わざわざ身障者に語らせる必要があるのかといつも思っていた。

だが老化は、長く緩慢な病気のようなもので、誰でも徐々に身障者になっていく。

美人・ブス、イケメン・ブ男いずれも一個の神。悪人にすら神性は備わっており、いわんや外見の美醜にかかわらず、身体の障害の有無に拘わらず、神性はある。

ところで苦悩、苦労というものについて、仏教国では十把ひとからげに、厭うべきものであり、人生そのものが苦だという見方をさせられるので、気がつきにくいのだが、『苦しみですらまんざらでもないのさ』という感覚がある。

最高の苦悩、絶望なくして、大悟覚醒はないのだが、中途半端な苦悩、絶望は悟りには遠い。『苦しみですらまんざらでもないのさ』というのは、それ。

悟りの準備ができていないからと言ってしまえばそれまでだが、人には短命の人と長寿の人がある。

短命の人生にも春夏秋冬の四季が備わっており、長寿の人生にも春夏秋冬の四季が備わっている。

同様に健常者の人生に春夏秋冬の四季があるように障害者の人生にも春夏秋冬の四季があることをオーディンは語っている。
コメント