アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

タロット 破壊の塔

2018-03-31 06:08:16 | 冥想アヴァンギャルド
◎緊張感と恐怖

タロットサビアンも審神されていないという点では、似ている。だが、タロットには、人をして驚かしめるシンボリズムが入っている。そして愚者や吊るされた男など極めて正統なものが入っている一方で、節制や女教皇とか、キリスト者でない民族にとっては当惑させられるカードも入っている。

そうした中で、愚者吊るされた男(吊るされるのは女ではない)と並んでインパクトがあるのは、神の家あるいは塔のカードである。

モチーフは、塔の最上部に落雷があり発火、その部分は崩れているが、その塔の裂け目から二人の人間が地上に落下していくというもの。

シャクティ・パットでは、口を開けるといい、大悟直前には3柱の神霊が頭頂の封印を切りに来るという。

塔のカードでは、まず口が切られ、人が真っ逆さまに降下していき、木っ端微塵になろうとしている。その時の時間が止まったようなスローモーションの数秒にパノラマ現象が起こり、人によっては神の御前にたどり着くこともあるだろう。

その緊張感と恐怖。まさに人生の裂け目がこのカードに凝縮されている感を抱かせる。それを知っている人物がこのカードを入れたのだろう。


猫タロットでは、落下しているのは二匹の猫であり、何回か回転し、地上に叩きつけられることなく無事に着地しそうなので、ご愛嬌だが、本来のこのカードの恐怖と迫力は失われている。

最近のタロットは、マルセイユ版とかウェイト版などの古典的な図柄にこだわらず、全く自由な作画になっているのが増えているが、21世紀の神降ろしあるいは、インスピレーション喚起、あるいはアカシック・レコードへのアクセス・ツールの方向性としては、そういうものだと思う。

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抜隊(ばっすい)

2018-03-30 05:09:20 | 丹田禅(冥想法8)
◎冥想フリーク

抜隊は、14世紀の禅僧。相模の国を中心に修行した。幼少にして父を失い、母が亡くなる20代になるまで出家しなかった。

20代の抜隊は、相模にいた得瓊侍者を訪れた。

抜隊は得瓊からどうして僧衣を着けないのかと尋ねられ、自分の出家は僧衣のためではなく生死事大のためだと答えた。また古人の公案を着たかとの問いには、まだ自心が明らかではないのだからどうして他人の言句について求めようかと答えている。

抜隊は、「さらに出家したならば、仏祖の慧命を継承して、たとえ自分は無間地獄に落ちても他人の苦悩を代わって受けるべきものであるの一念である。そのことに悔いなどない。」と、大悟以前ながら、大望を披歴し、得瓊の度肝を抜いている。イエス・キリストばりの人間愛である。

爾後山中で坐ったり、道端で坐ったり、眠気を免れるために樹上で坐ったりなど、猛烈な修行を続けた。

これを見た里人が憐れんで、粗末な草庵まで作ってくれたほどであった。

ある長雨の頃、拈華微笑の公案に取り組んだが、全然だめだったので、更に夜坐に入り、暁になって肺肝にせせらぎの声が入り、それまでの疑いが晴れた。

だが、これでも大悟ではなかった。後、孤峯禅師の膝下で、大悟する。

冥想フリークと言うは易いが、ここまですべてを振り捨てないとだめなどとは、マスコミ受け、世間受けしないからあまり言わない。
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カルマ・ヨーガの老子-2

2018-03-29 05:21:11 | 老子
◎老子 第47章 不出戸知天下

『わざわざ家を出て見ないでも、この世の中というものはわかる。わざわざ窓を開けてみないでも、晴曇風雨はわかる。

反対に世の中を知ろうと思って、世の中に入って行き、晴曇を知ろうと思って、外に出れば出るほど迷いが多くなって、決定ができなくなる。

だから本当の賢い人は、すべてのことにおいて行わずして知り、見ずして名付け、為さずして成る。』
(老子 第47章 不出戸知天下)
※原文:不出戸、知天下、不闚牖、見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人不行而知、不見而名、不爲而成。

最後の部分では、人には行うべきことがあり、名付けるべきことがあり、為すべきことがあるのを前提にしていることがわかる。

行うべきこと、為すべきこととは、平易だが、この名付けるべきことが、特徴的な用語になっている。

老子 第1章 道可道では、
「道の道たるべきは、常(かわ)らざるの道に非ず、名の名たるべきは、常(かわ)らざるの名に非ず」

名の変転する性質を示す。まず無があり、有があるが、名があって天地人など様々な現象に化す。
転々化々する現象そのものの総称をして、名という用語を用いているように思われる。つまり名とは、全体にあっては天機、あるいは天道の運行というべきものであるが、個々人にあっては、履むべき大道であって、それをカルマと見ることができる。

道を踏まえながら行動をとり行う。これぞカルマ・ヨーガである。

『本当の賢い人(聖人)は、すべてのことにおいて行わずして知り、見ずして名付け、為さずして成る』とは、この一なるものアートマンの体感であり、時間空間のない世界であって、これが今ここ。
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カルマ・ヨーガの老子-1

2018-03-28 05:34:16 | 老子
◎「名」とはカルマ・ヨーガ

ダンテス・ダイジは、老子の悟境は、只管打坐によるものだとみていたが、もう一つ柱があって、老子の「名」とはカルマ・ヨーガであるというもの。

至福千年での人間の生きざまが神を知りながら日常を生きるということであるが、それは禅の十牛図では、第十図入鄽垂手(にってんすいしゅ)となる。

老子第9章持而盈之

『一杯にしてこれを持つのはやめた方がいい。金属を鍛練してそれを鋭くすると必ず折れるから長く保つことはできない。

金銀珠玉というような宝物が家に一杯満ちていると、盗まれたりして能く守りきることはできない。

また富貴にして驕るというと自分で災難を自分の身に残すことになる。従って、功成り、名遂げた時に身を退くは天の道である。』

『功成り、名遂げた時に身を退く』とは、今なら共産党幹部になって何兆円もの資産を築くことなのだろうが、昔は科挙を通って大官になることが出世の典型であり、老境になったら引退して隠逸をやるというようなイメージでこの文章は捉えられていた。

だが、ダンテス・ダイジは、名遂げるとは、その人生で今生で与えられたカルマを果たすことだと読む。

死を迎えるにあたって、それまでに人生を投げていなければ、カルマを果たすのは当然である。人生には出世するあるいは世間的な自己実現という公的な側面と悟りを開いて悟りを生きるという私的な側面がある。

その両方をコンプリートして初めてカルマの充足となり、死を迎える時節が熟す。

公的な側面は悟り・道(タオ)とは何の関係もないが、人は生きている限り金を稼いだり洗濯したり家事をしたりという面も必ず伴う。

公私混淆してカルマという面はある。これを老子は『名』として語った。
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近未来の予兆

2018-03-27 05:39:16 | 時代のおわり
◎一道に之(ゆ)く

世の中は、極まれば反転す。反転のことを立替立直しと言うが、立替立直しには、文明破壊ステージと文明復興ステージがある。

アメリカは、トランプ政権が反中国の旗幟を鮮明にし、中国は、習近平が長期独裁体制を固め世界制覇の意思を一帯一路、中国之夢であらわにし、4期目に入ったプーチンは、択捉島の空軍力強化など日本侵攻の準備に余念がない。

そうした中で平和の祭典として注目されるサッカー・ワールドカップ・ロシア大会は、今年6月19日に開催され、東京オリンピックは、2020年7月24日に開催が予定されている。

ロシア・ワールドカップと東京五輪の間に最も重要なイベントがある。平成天皇譲位は2019年4月30日 改元は5月1日というもの。

次の天皇の御代は、どのようなものかは知らない。ただ日本は、様々な亡国の相を示し、日本人の精神状態もまともとはいえない。

十六神将、十六魔王が揃って黄泉比良坂での最後の一戦となり、その戦は彼らが戦うのだろうが、その勝敗の帰趨については、往々にして彼らはわかっていないものだ。

霊界物語第67巻第2篇春湖波紋 第6章 浮島の怪猫の段において、出口王仁三郎は、『明治天皇以降の天皇制?をアケハル(明=あけ、治=はる)の岩と称し、これを国の守り神様として、国民が尊敬していた。それが今日となっては、少しも光がなく、おまけにその岩に、縦に大きなヒビが入って、何時破壊するか分らないようになり、今は大黒岩と人が呼ぶようになった』と予言している。

それがいつかは知らない。ただ後継天皇の健康問題も仄聞され、他方彼が世界平和での貢献をされることが期待される一方で、古事記仲哀天皇の時代の悲劇的かつ不気味なプロットのあることも懸念される。

来るべき至福千年。その千年王国の時代の人間のトップは天皇。

だが、怪猫は、「西」を指して逃げて行き、古事記仲哀天皇の段では、「西」の金銀以本の国を天皇に与えようと神託を受けたのに、天皇はこの神託を否定して、その直後に崩御せられた。

一道に之(ゆ)かれたのだ。

古事記はさんざんに改ざんされたが、ここは残された。譲位即位日程と世界のイベントの日程は、必ずしも人の思惑どおり進むものではないと思う。
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八つ耳から十六神将へ-4

2018-03-26 05:34:41 | 古神道の手振り
◎霊界における太陰を目撃してなんぼ

最後に十六の由来について。

出口王仁三郎の人間原理は、一霊四魂。特殊な四元論を適用しており、天火水地を四大とする。天は、陽にして主、地は陰にして従。太陽が火、太陰が水であって、その宇宙観は、霊界における太陰を目撃しないとわからないようになっている。

この四大と四魂の配合は

天 奇魂 霊の霊
火 荒魂 霊の体
水 和魂 体の霊
地 幸魂 体の体

以下の文では、奇魂中に四魂が、微妙な配合で具備されている例から奇魂以外の三魂についてもその中に四魂の要素を含むとする。
よって四魂×四で十六を得る。

『天を代表するものは奇魂であるが、これは和魂が其活動の中枢を代表するということで、無論その中には、他の三魂も具備されて居る。

割合から云えば、和魂四分五厘、奇魂二分五厘、荒魂、幸魂各々一分五厘位の見当である。

他の火、水、地等に於ても同様である。即ち天の中に四魂を配し、火にも水にも地にも、各々四魂を配すれば、十六種の配合を得。更に其十六種の各魂に、復た四魂を配すれば、六十四種となり、更に之を繰り返せば二百六十種となり、更に幾度も之を重ぬれば、六万五千五百三十六種ともなる。

霊魂の活用は、斯くの如く複雑で且つ微妙であるから、推理分析等にたよって見ても、容易に其根底まで究め得ない。例えば天体から放射する光線や温熱にも、必らず神意の発動があるに相違ないが、現在の科学の程度では、殆んど之を捕うるに由なしである。

古来行われた星卜術などは、幾分此間の機微を覗ったものに相違ないが、茫洋不正確の憾(うらみ)があったので、いつしか社会から葬り去られて了った。』
(出口王仁三郎著作集 第1巻 神と人間
大本略義 理想の標準/読売新聞社P231-232から引用)

霊界物語は霊主体従を説くが、体とは、肉体・物質しか見ようとしない現今の科学であり、霊とは、エーテル体以上の微細身であるが、古神道にあっては、大神の内流という大神との直接コンタクトがある、つまり神を承知していること(大神とのリンク)が大前提の「霊」であって、個々人が分離しているだけの霊ではない。

黒い太陽を見るのは、古神道だけではないが、その程度は視認しないと、霊的科学は始まらないと出口王仁三郎は言っているわけだ。
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天照大神と素盞嗚尊とが合体

2018-03-25 06:45:59 | 古神道の手振り
◎天国と地獄の結婚から天之御中主大神へ

出口王仁三郎は、裁判の場で伊都能売(いずのめ)神が、厳の霊(男性)天照大神と、瑞の霊(女性)素盞嗚尊の合体した完全無欠の身魂であることを、公言した。

伊都能売とは、古事記に何の説明もなく神名だけポツンと置かれているので、古来これをまともに解説したのは出口王仁三郎くらいのものだろう。

伊都能売とは、天照大神が耳の輪と頚の輪と、五百津の珠を素盞嗚尊に渡して噛んで諸神を吹き出し、素盞嗚尊が十拳の劔を天照大神に渡して諸神を吹き出し、ここに、heart warmになっただけにとどまらず、男女両性具有が成った。

それは、天国と地獄の結婚アダムカドモンであるが、そこまで踏み込んで、伊都能売を説明してやらなければ、文献主義の人にはわからなかっただろう(今時出口王仁三郎の裁判記録を読むのは学者さんか出口王仁三郎フリークくらいのもの)。

厳御霊瑞の御霊の接合を
  伊都能売御霊と称へまつらふ

伊都能売の神は地上に降りまし
  宇宙更生に着手したまへり

伊都能売の神の功のなかりせば
  世の行先は亡び行くべし
(以上3首 霊界物語第73巻第1篇 紫微天界第12章 水火の活動)

21世紀の今、初めて、人は完璧に精神的なものを第一に求めるものであり、しかしながら人間的悲劇、不条理も人間である以上止むことはないという感覚が当たり前になった。

出口王仁三郎は、大正から昭和にかけて、依然として富国強兵の世の流れの中、貧病争への取り組みが急務である時に、伊都能売神は、天国も地獄も含めたものであるとか、天照大神が素盞嗚尊と合体するなどと驚天動地の説を述べたが、ほとんど誰も理解せず、無視、スルーしてきたのだと思う。

古神道では、天照大神と素盞嗚尊とが合体し伊都能売神となり、これがある程度意識化されることで、古神道の究極である天之御中主大神が個人の信仰のスコープに入ってくる。

これが、個人が神とのコンタクトを復活するきっかけなり、汚わいに満ちたこの世は、ようやく更生復活のロードマップに乗ってくる。
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八つ耳から十六神将へ-3

2018-03-24 06:32:14 | 古神道の手振り
◎瑞の魂の素盞嗚尊封じ込めの十六魔王

以下の文章は、出口王仁三郎得意の浄瑠璃調で語られているが、大正時代ならいざ知らず21世紀にこれを読むとあまり乗りが良いとは言えない。

だが、内容はカルト教団の教祖蠑螈別(いもりわけ)が、瑞霊である素盞嗚尊の生魂(いきだま)を石畳で囲み大石を載せて封じ込んでいる所を十六魔王が取り囲ませている場所の説明である。

こうしたとんでもない場所を『さかえの神政 松の御神木』と名付けているのは、シニカル。

瑞霊とは、天照大神が厳霊であるのに対し、素盞嗚尊が瑞霊。古事記で、両方の神が玉と剣を出し合って、双方害意のないことを証明し、ここに厳瑞合体して、両性具有の伊都能売神になった。

神素盞嗚の大神様の御活動期になったとは、火星であるマニピュラ・チャクラである、社会における自己実現が盛んになり、人間がその欲望の限界と不条理を見極める時期になったということ。

出口王仁三郎は、素盞嗚尊を鼻高の神と称したが、それでわかる人もいたのだろうか。

大本教は、十曜の神紋といい、白地に黒丸が円形に10個並んだ旗を用いる。これの説明が10チャクラに符号しているように思う。これでみると素盞嗚尊は、マニピュラであり、自己実現であり、鼻高である。

この時代がマニピュラからアナハタへ進む過渡期の中有の時代であるとは、素盞嗚尊(マニピュラ)から天照大御神(アナハタ)へと移るのだが、そこに素盞嗚尊と天照大御神の厳瑞合体して伊都能売神になるという秘儀が隠されている。

【十曜の神紋とチャクラ】
 色別 数別 神統別 チャクラ
 卵  霊  一 天之御中主大神 サハスラーラ
 白  力  二 高皇産霊大神、神皇産霊大神 アジナー
 黒  体  三 国常立尊、伊弉那岐大神、伊弉那美大神 ヴィシュダ
 赤  世  四 天照大御神 アナハタ
 橙  出  五 素盞嗚尊 マニピュラ
 黄  萌  六 吾勝尊 スワジスターナ
 緑  生成 七 二二岐尊 ムラダーラ
 青  弥  八 神武天皇
 藍  凝  九 今上天皇
 紫  足  十 大本皇大御神

※出口王仁三郎は、十曜の神紋にチャクラを充てていないが、私が充ててみました。

『松彦はいやいや乍ら婆アの後に一行と共に枝振りのよい大松の麓まで進んで行つた。
 
見れば途方途徹もない大きな岩が玉垣を囲らし切口の石を畳んで置物の様にチヨンと高い処に立派に祀つてある。さうして傍に案内石が立ち蠑螈別(いもりわけ)の筆跡で、
「さかえの神政松の御神木」
と記してある。

五三『もしお婆さま、此大きな岩は一体何だい。さうして御神木と記してあるが、こりや木ぢやない、岩ぢやないか』

お寅『そんな事は気にかけいでも、理屈いはいでも、いいぢやないか。お前達が神木する様に「さかえの神政松の御神木」と書いてあるのだよ。

ここは善と悪との境だから小北山の地の高天原へ悪神の這入つて来ぬ様に千引岩が斯うして置いてあるのだ。

表向きは弥勒様の御神体だと云つて居るのだ。さうして十六柱の神様がお祀りしてある標だと云つて十六本の小松が此通り植ゑてあるのだ。

然し乍ら之は表向き、実の処は素盞嗚尊の生魂(いきだま)をここへ封じ込んで動きのとれぬ様に周囲八方石畳を囲らし、上から千引の岩を載せて、万古末代上れぬ様に封じ込めておいたのだ。

そのために瑞の魂の素盞嗚尊は八方塞がり同様で、二ツ進も三ツ進もならぬ様になり困つてゐやがるのだ。

此石をここへ運ぶ時にも随分苦労をしたのだよ。第一蠑螈別さま、魔我彦さま、大将軍さま、此お寅等の奮励努力と云つたら大したものだつた。夜も昼も二十日ばかり寝ずに活動して到頭素盞嗚尊の悪神を封じ込めてやつたのだ。』
(霊界物語 第45巻 第1篇 小北の特使第2章 神木)

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八つ耳から十六神将へ-2

2018-03-23 03:47:04 | 古神道の手振り
◎十六菊のご紋章と世界統治の初め

十六菊のご紋章は、日本の専売特許でなく、世界的に古くからあることが知られるようになった。イスラエルのエルサレムのヘロデ門に16菊花紋、イラクのバビロンの遺跡には、ネブカドネザル2世が建設したイシュタル門に菊花紋が残されている。

『以上十六神柱
 これが根本の根本の  昔の昔のさる昔
 まだも昔のその昔  霊のもとなる十六の
 お菊の御魂と云ふ事だ  お菊は今や十六の
 冬を迎へた花盛り  神の御名をばとらまへて
 ゴテゴテいふより此の菊を 』
(霊界物語 第46巻 第1篇 仕組の縺糸 第5章 菊の薫)


そしていよいよ霊界物語では、黄泉平坂の決戦で、十六神将が登場する。

【十六神将】
『茲に日の出神は、神伊邪那諾神の神勅を奉じ、三軍に将として黄泉島に向つて花々しく進軍せり。

 石拆司、根拆司、石筒之男司をして先陣を宰らしめ、甕速日司、樋速日司、建布都司をして本隊の部将とし、後陣には闇淤加美神、闇御津羽神を部将とし、旗鼓堂々として黄泉島の比良坂に向つて進軍せしめ、左翼の軍隊には正鹿山津見神、駒山彦、右翼には奥山津見神、志芸山津見神を部将とし、遊軍として闇山津見神、羽山津見神、原山津見神、戸山津見神の十六神将をして鶴翼の陣を張り、魚鱗の備へ勇ましく、天の鳥船、岩樟船に乗せて雲霞の如き大軍を送り、天地も震動ぐばかりの言霊を発射せしめたり。』
(霊界物語 第10巻 第1篇 千軍万馬 第21章 桃の実)

さらに【十六天使】
『神は天地の律法を天上地上にあまねく拡充すべく、十六柱の神司を霊主体従の天使として重く任命せられたり。十六天使の名は、大八洲彦命、言霊別命、神国別命、大足彦、花森彦、磐樟彦、元照別、道貫彦、貴治彦、有国彦、真鉄彦、磐玉彦、斎代彦、吾妻別、神澄彦、高山彦にして大八洲彦命は天使の長となり、十六天使を指揮さるることとなりにけり。

 以上の十六天使は、天上地上を往復し、天地の律法を宇宙間に宣伝したまひ、一時は天地ともに太平に治まり、大神の理想の世は完全に樹立されたりしが、たちまち地の各所より、邪神勃興して世はふたたび混乱の巷と悪化せむとぞしたりける。

 ここに国治立命は、シオン山に鎮祭せる十二個の玉を大地の各所に配置し、これを国魂の神となし、八頭神を任命さるることとなりたり。』
(霊界物語 第3巻 第1篇 国魂の配置 第1章 神々の任命)

16神将中12は、国魂神であるというのは、ここに出ている。国魂神が上部構造で、八頭神は後に邪霊の影響を受けることから下部構造的な感じを受ける。

邪霊とは今でいえば、いろいろな形のマインド・コントロールを受けてしまうということ。
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個人情報ビッグ・データ漏洩と末路

2018-03-22 04:38:28 | マインド・コントロール
◎神と〇〇主義の戦いへ

昨日はビッグ・データ漏洩事件が、2件並んだ。

一つは、facebookで、米紙ニューヨーク・タイムズと英紙オブザーバーが17日に報じたもので、トランプ米大統領の当選を助けたデータ会社ケンブリッジ・アナリティカが2014年に5000万人のフェイスブックユーザーの情報を本人の同意なしに取得し保持していたというもの。

もう一つは、日本年金機構からデータ入力の業務を委託された東京の会社が、契約に違反しておよそ500万人分のマイナンバーや配偶者の年間所得額などの個人情報を中国の業者に渡し、入力業務を任せていた件。

個人情報のビックデータが、マーケティングのために再利用されるのは、ある程度仕方がないかと思うところはある。

だが、個人の思想傾向(facebookは性格判断アプリというアンケートでこれをやった)を選挙に使ったり、中国みたいに戸籍によって移動の自由が制限されている上に、家族情報や思想傾向や財産状況を政府が把握して、反政府的な思想の人には、これを使って直接規制する仕組みのある国が、日本人の個人情報を広く集めようというのは、ある野心が透けて見える。

中国で作られたと噂される2020年の日本地図では、日本の東半分が倭人日本自治区で、西半分が中国の24番目の省である東海省。異民族である倭人を統治するために統治前も統治後も日本人の戸籍、住民票、マイナンバー、所得情報は大いに利用できるのだろう。

出口王仁三郎予言では、日本の立替は、外国勢力の手によるとするが、それは大方の見るところ、地政学的に中国かロシアか米国のいずれかなのだろう。

さらにこういうなぞなぞも出口王仁三郎からは出題されている。

『日本の立替と世界の立替

日本は、〇〇主義によって立替され、世界も〇〇戦争によって〇〇主義の天下となり、それから神と〇〇主義の戦いとなる。』
(新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店P363から引用)

出口王仁三郎の著作から見た〇〇の選択肢と思われるものは、以下。:
利己主義、物質主義、軍国主義、国家主義、個人主義、民主主義、社会主義、資本主義、共産主義、貴族主義


なお、『神と〇〇主義の戦い』というと映画やアニメの影響か、UFO対核戦力の交戦みたいなのを想像してしまうかもしれないが、立替立直しは、霊界での立替立直しが先行して実現し、それが地上に降りて立替立直しとして現出するもの。

霊界での立替立直しは、九分どおり終わっていて、現実化を待つだけなのかもしれぬ。出口王仁三郎のこの表現はそれを前提に考えないといけないと思う。

どんな戦争になるかよりは、自分の心が立替立直しに堪え得るのか、それがクリティカル・イシューなのだ。
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八つ耳から十六神将へ-1

2018-03-21 07:22:26 | 古神道の手振り
◎神眼、神耳、天言

出口王仁三郎のhanged manな歌。

耳も目も口鼻もきき手足きき 頭も腹もきくぞ八ツ耳

八つという言葉は、最近はあまり使われなくなったが、蔑称ではある。Jリーグの名古屋グランパスは、もとは名古屋グランパスエイトと言い、いつのまにかエイトは消した。物の本に当たると尾張名古屋は、八つと呼ばれていた由来があるらしい。

しかし八つにはポジティブな意味も含まれる。古事記言霊解では、神眼、神耳、天言などを八つと尊称する。

この由来は、高天原から放逐され地上を放浪中のスサノオの神が、彼に食物をふんだんに与えてくれた大気津姫(おおげつひめ)がその鼻や口、尻から食材を出すことから、穢れた食材を与えたとして却って大気津姫を殺すシーンである。

大気津姫は、欲望極大化のこの物質文明のことであり、初めはスサノオの神にして欲望のままに暖衣飽食をむさぼっていたのだが、これではイカンとして、文明破壊に至ったというのが、スサノオの神が、大恩あった大気津姫を殺したという真意。

以下は、古事記言霊解の八つ耳の説明
『『二つの耳に粟生り』と云ふ事は、二つは前に述べた通り、左右の意義であり、左は上流、右は下流社会なる事は勿論である。

耳の言霊の約(つま)りはミである。ミは農工商の三種であり、実業であり、形体具足の言義であり、身体である。要するに、一切の生産機関を総称して耳と云ふのである。

故に左は資本家や、大地主を意味し、右の耳は労働者や、小作人を意味するのである。また耳は一方よりその活用を調ぶる時はキクと曰ふ事が主眼である。

手が利く、耳が利く、目が利く、鼻が利く、口を利く、腹が利く、舌で酒を利く、腰が利く、これを八ツ耳と曰ふのである。

また霊的方面に於ても同一に、神眼、神耳、天言等やはり八ツ耳である。斯の如く霊体共に完全無欠なる、幽顕十六耳の意義を取りて十六菊の御紋章を制定されたのは最も深遠なる御慮の御在します所である。

神八井耳命、彦八井耳命、忍穂耳命、または聖徳太子を八ツ耳命と申すなぞは、みな前述の意義から、名付けられたものであります。』
(霊界物語 第11巻 第3篇 言霊解 第17章 大気津姫の段)

八ツ耳は顕幽に展開して幽顕十六耳となり、十六菊のご紋章となった。

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十六神将が出現してみろくの世をつくる

2018-03-20 05:40:06 | 時代のおわり
◎十六神将と十六魔王

ロシア大統領選挙の結果も出て、奇しくも世界の超大国に、長期にわたる強権支配体制を固めたロシアのプーチン、中国の習近平が出そろい、ここに国家主義的なトランプが加わる。

昭和19年4月10日、出口王仁三郎は、これに似た具合のスターリン、蒋介石、汪精衛の三人をして、世界の十六魔王の一部と評した。

出口王仁三郎は、十六神将が出現して、みろくの世、地上天国をつくるのだが、まだ一人も出現していないと説明した。
(出所:新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店P147-148)

出口王仁三郎は、更に十六神将中、陛下の左守2名、右守2名に加えて12名は各国の国魂であるとする。
(出所:新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店P42)

出口王仁三郎は、その千年王国の時代の陛下について、181位階(トップは大神)の2番目であることは、間違いないとする。だが、一方で霊界物語に浮島の怪猫の段を設け、怪猫は、「西」を指して逃げて行き、古事記仲哀天皇の段では、「西」の金銀以本の国を天皇に与えようと神託を受けたのに、天皇はこの神託を否定して、その直後に崩御せられたという妙な話が出ている。

よって陛下といっても、出口王仁三郎の見ていた陛下と今の日本人が考える陛下が同じかどうか。
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イエス殺しとバルドル殺し

2018-03-19 05:21:43 | 冥想アヴァンギャルド
◎実行犯を厳選し、過たず完遂された

バルドルは、北欧神話の神であり、最も賢明で、美しく光り輝く美貌と白いまつ毛を持ち、雄弁で優しかった。彼は、最も殺さざるべき神であったが、トリック・スターのロキは、盲目の神ヘズをそそのかして、ヤドリギで作った矢でバルドルを射殺した。

一方イエスは、イスカリオテのユダが、銀30枚で彼をユダヤに引き渡すことを約束し、かねてよりローマとユダヤ人から狙われていたイエスは、裁判の判決に従って十字架上で刑死した。

だが、ユダの裏切りをきっかけに、神の子イエスが捕縛され、ローマによる裁判で磔刑が決まったから刑死したというのは、単純すぎる理解である。

被害者は神バルドルと人イエスと異なるが、聖人である。ロキがやったように実行犯を厳選し、過たず完遂できるようなシナリオでないとイエスの刑死を実現させることはむずかしいと思う。

イエスは、自分に何が起きるか承知していたし、ユダは、最後の晩餐の最後までいた。ユダは、自分の裏切りを最後まで隠して晩餐に臨んでいたというように世間的には見られているが、この後12使徒は逃げ去って隠れており、それは密かな裏切りに該当する。
いわばユダも12使徒も程度の差はあれ、裏切っていた。

ユダのイエスへの接吻は、ローマ兵の前で誰がイエスかを示すためとされているが、ドラマのスタートの合図であり、イエスとの永遠の別れの哀惜だったと思う。

このシナリオの本来の企画者は、神だったのだろうが、ユダは、北欧神話のロキのようには見えないが、その企画の慎重にして大胆な遂行者であったのではないか。

イエスの信奉者や、磔刑の目撃者たちが、この一連の悲劇を思い起してみると、この一連の出来事の肝心なポイントでタクトを振っていたのがユダであることに思い当たったということのように思う。

それは、釈迦入滅時に、最後は四禅からニルヴァーナに入ったと見た人間がいるのと同じである。これを見れるような人間だけが、この歴史上の大事件を、その後2000年にわたり欧州を牛耳ってきた宗教の始まりを起こすことができたのだと思う。

イエスの開悟は、十字架上においてであり、十二使徒はそこで殉教する覚悟もできていなかったと世間的には見られている。

イエスは、過越の祭りの三日前に殺害された。過越の祭りは、春分の日の後の最初の満月の日。イースター復活祭は、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日。

そうしたサイド・ストーリーは、ユダ一人にイエスの死の責任を転嫁しやすい材料ではあるが、ここは大きな流れで見たほうが良いのではないかと思う。

イエスは、ユダの偶然のでき心で死に追いやられたという解釈は。やや安直なのではないかと思う。
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日本人を強制的に神に奉仕させられるか

2018-03-18 06:41:01 | キリスト者の秘蹟
◎主なる神はそれを嘉し給わぬ

イエズス会は、大航海時代末期に日本に宣教師を送り込み、最盛期には全国で20万人ともいわれるカトリック信徒数に達したが、最終的には、沢野忠庵(クリストヴァン・フェレイラ)、岡本三右衛門(ジュゼッペ・キアラ)などの棄教した宣教師や殉教者を出し、イエズス会は日本国による逆洗脳に屈した形となった。

徳川幕府は、西洋が貿易とキリスト教布教で、アジアに植民地を拡大していくのを見て取り、鎖国という見ざる聞かざる言わざるという三猿の退嬰的な外交政策を200年以上とったが、これが結果的には明治維新における対西欧従属的な外交姿勢をとらざるを得なかった遠因となった。

明治以降日本は富国強兵に努め、日清日露戦争では連勝し、第一次世界大戦でドイツが敗戦となった関係でドイツ領であったニューギニアなど南洋諸島を委任統治することになった。結果的には、後にこれが太平洋戦争で日本の補給線を延伸させ、大きく国力を損耗させる原因となった。

そのイエズス会が、安土桃山のころにアレシャンドロ・ヴァリニャーノが本国に日本人への布教指針として書いた日本巡察記の一部が以下。

宗派のない冥想が、共通理解となろうとしている現代人の目から見れば、イエズス会宣教師の姿勢は宗教セールスマンのようにも見える。

だが当時であっても、強制的な洗脳でもって人を敬虔な宗教者に仕立て上げることはできないし、見神という一つのピークを見据えれば、節倹、自己犠牲、奉仕が、自発的なものでなければならないのは、イエズス会士も認めていた。

21世紀の今も、人を入信させるべく脅迫まがいや詐術でもって人を追い込む新興宗教やカルトが絶えないのは遺憾なことである。

『日本においては、苦行の誓いを強制したり、ある人人が良いと信じて実行しているように、多くの苦行をもって彼等を責め立てる方法で苦行を課し、彼等を有徳にするのだと思わせるのは賢明なことではない。

それに類した苦行をたびたび課することは必要で良い方法ではあるが、苦行の誓いを立てさせることは良い結果にはならないし、彼等の心は損われ、結局は苦行をせずに種々の感情や誘感に陥るに至ることは、経験によっても、道理によっても明白である。

なぜなら、強制的に人間を有徳の士にするということは不可能であり、強制して神に奉仕させることはできぬし、主なる神もそれを嘉し給わぬからである。

すなわち、主なる神は、自らの心から発した犠牲や奉仕でなければ嘉納し給うことはないからである。


したがって、苦行の真の方法は、自ら苦行し、欲望を抑制することを望むように人々の心を動かし、納得せしめることである。自ら進んでこれを行なってこそ、効果を生ずるのである。

それ故、この方法については、特に上述の通り、日本人は道理によって統轄し、教育することが必要である。』
(日本巡察記/ヴァリニャーノ/東洋文庫P103-104から引用)
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高級ブランドから野の花へ

2018-03-17 06:00:50 | 冥想アヴァンギャルド
◎他人は納得するが自分は本心では納得していない

もの・物質の研究・開発・生産が拡大していくとどうしても、人は神から遠ざかる。

人はものを集めだすと凝りがちなものであり、金と暇の許す限りものを集めるものでもあり、テレビ番組「開運!何でも鑑定団」などでそういう人がいくらでもいることをチェックできる。

金持ちが天国に入るのは、駱駝(らくだ)が針の穴を通るよりむづかしいなどと聞かされていても一旦集めだすとなかなか止まらないものである。

ものへの欲望は、いつかブランドという物の外皮をかぶった精神的価値を求めることに既に変わっている。

これだけブランド産業が巨大化し、偽ブランド産業も無視できない規模になっていることを見れば、現代人は、衣食住を充足するシンプルな物そのものを求めているのではなく、精神的価値を最優先にしていることがわかる。

その求めている精神的価値とは何か。本来は、その価値について自分も納得し、他人も納得することが、その価値の条件のはず。ところがブランド商品は、他人がその価値あることを認めることが主眼になっており、自分が納得することが二の次になっているのではなかろうか。

おおよそブランド品の値段の三分の一以上は、ブランド料であり、キャラクター商品だとその値段の三分の一程度はキャラクターの権利料であって、同一価格のシンプルな商品とキャラクター商品の品質では、シンプルな商品の品質が優ることは知られている。品質とブランドは本来の用途からすれば既に逆転している。

だけど社会的にまともに見られるためには、ブランドは必要だと思っている人が大多数でもある。

この発想の延長線上に高いブランド品は安いブランド品より価値が高いという妙な現象がある。精神的価値は、本来金の多寡とは連動しない。崇高な精神的価値であるかもしれない高級ブランド。それが高い金を出せば買えるという仕組みそのものが、この時代の倒錯を示している。ここに万人の自己欺瞞が隠れている。

愛はプライスレス、思いやりはプライスレスというのは、ただでサービスを受けたりただでサービス品をもらうことではない。

先に無私があり、そこでもって見返りなど求めない行為こそプライスレス。それは、人の間にあっては、砂漠に咲く花のようにまれなことではある。だが野の花は、誰の称賛を求めることなく凛と咲く。そういうものが、本来求めるべき精神的価値なのではないか。
(花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。(正法眼蔵 第一巻 現成公案/道元))


本当に自分が納得できるものを求めるというのが、最先端の「今風」である。
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