アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

先祖のカルマ-1

2017-06-30 05:29:21 | 冥想アヴァンギャルド
◎新興宗教への巨額寄付

本山博の見立てでは、人間のカルマには、夫婦のカルマ、家(先祖)のカルマ、土地のカルマ、民族のカルマ、国のカルマ、自然のカルマとある。

彼は、カルマ論が大好きで、どうしてもそういう見方が優先だが、そうでないもっとフリーハンドな人生の見方もある。
カルマ論はともすれば霊がかりな見方に落ちやすいところは気をつけないといけないと思う。

本山博の挙げている先祖のカルマの例。

『大きな新興宗教の幹部クラスの人がよく相談にこられるのですが、そういう重要な地位につくためには、家に代々伝わっている田畑、財産などを教団に寄附するケースが多いようです。すると信仰に熱心で能力もあるという風に買われて、かなり上の地位にはつくのですが、家の財をなした何代か前の当主、その家を盛んにして財産を作ったその先祖の霊が、とても怒っているという例が多いです。それでそういう家には、だんだん頭のおかしくなるような人が出てきます。』
(輪廻転生の秘密 再生、カルマとそれを越える道 本山博/著 宗教心理出版P92から引用)

これだけ読めばそんなこともあるかもしれないと思うが、うつ病の生涯有病率7.5%の時代にそんなことを言ってもどうなんだろうかとも思う。

皆が簡単に頻繁に頭がおかしくなる時代になってしまったわけで、この本の書かれた1981年とはまた違った時代になっていると思う。
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個我(魂、ジーヴァ)の抜け方

2017-06-29 05:52:56 | クンダリーニ・ヨーガ
◎頭頂=サハスラーラから出るかどうか

死に際して、個我(魂、ジーヴァ)が肉体のどこから抜けるかは、悟りの大きなポイントである。

本山博の見方。本山博は、身体のどこから魂が出るかは、カルマによるという説を立てている。

『(a)色情物欲の強いカルマをもった人は、そのジーヴァが心臓から微細身と共に抜けてスワディスタナチャクラに来て、足の腎経や膀胱経を経て、足の小指から身体外に出る。

(b)感情や想念のカルマをもつ人は、心臓からマニプラチャクラを経て、足の胃経、脾経を通って、足の拇指から出る。

(c)積極的で愛の深い人は、心臓を通って、心経を経て、手の小指から出る。

(d)真実の智恵に目覚め、心にとらわれのない人は、心臓から眉間のアジナ、あ
るいは頭頂に来て、そこから身体外に出る。』
(カルマと再生―生と死の謎を解く 本山 博 宗教心理出版P75から引用)

スタートは必ず心臓。この中の(c)は本山博が自分の母親の狭心症時を霊視して確認済。(d)の頭頂から出るのは、本山博自身も確認済であり、OSHOバグワンもダンテス・ダイジも同意見であり、ウパニシャッドにも同じような見解を見ることができる。

人間が、人間としての苦悩を超克するには大悟覚醒するしかないのだから、今更カルマの種類によってどこからジーヴァが出るか異なるかを問題にする意味はなく、OSHOバグワンやダンテス・ダイジのように頭頂=サハスラーラから出るかどうかだけが問題になると思う。


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バルド(中有)の比較

2017-06-28 05:42:41 | クンダリーニ・ヨーガ
◎バルドの長短

本山博が、『カルマと再生』の中でエジプト死者の書のバルドとチベット死者の書のバルドを比較している。

その中で、エジプト死者の書での審判は、羽とアストラルの心臓を秤で測って心臓の方が重ければ地獄行きで審判は一回きりである。一方チベット死者の書では、何度も回心の機会がバルド毎(チカイ・バルド、チョエニ・バルドなどいくつもバルドがある)にあり、その点ではチベット死者の書の審判は大甘であるなどと書いている。

実際に本山博が過去15年もの心霊相談の実績を踏まえると、49日どころか何百年もバルドに留まっている人もいて、なおかつバルドに薄暗い洞窟みたいな住処を自分の想念で作り出し、そこにいる人もいるところを見ている。ところがチベット死者の書では、新たなバルドに入る都度新たな救済のチャンスがあると繰り返しているのは、カルマの法則、不昧因果からすると、考えられないほどゆるいので、信者をがっかりさせないためのセールス・トークではないかみたいな意見である。

出口王仁三郎の霊界物語では、バルドは49日だが、大善と大悪にはバルドはないとしている。それ以上霊界物語では詳述していないようだが、バルドの期間の長短はあまり問題にしていない。

バルドの長い人を救うには、神様の助けが必要なので、あまりそこにこだわっても仕方ないと考えたのだろうか。
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玉光教十訓

2017-06-27 05:51:38 | クンダリーニ・ヨーガ
◎夫婦和合して成らざることなし

本山博がやっていた玉光神社の玉光教十訓。

『・神は一切萬霊の王
・己だになくば神の御声を聞き得べし
・生命も性格もみな尊き祖先のたまもの
・家に流るる古き罪垢を洗ひ清めよ
・憂愁に囚はるるな、焦慮に陥るな
・人の世に完全といふものなし
・夫婦和合して成らざることなし
・果を求めずして己が本務を尽すべし
・人は行ふことによりて其の地位を決定す
・惰心はあらゆる邪心邪霊を呼ぶ
以上大神の神訓なり身を以つておさめよ』

カルマ論とカルマ・ヨーガの傾向の強い教訓であり、チャネリングも否定はしていないところが特徴的。

この中の『夫婦和合して成らざることなし』。

本山博の見るところ、夫婦には二種あって、神霊界のような高い次元で一つであったものが別れて男女になって夫婦になったもので、これは魂の伴侶であるから順縁。もう一つは憎しみ、喜び、執着など因縁の塊りのような次元で結びついた夫婦や一時的に結びついただけの夫婦がある。

夫は妻のことを家政婦であってパートの金も入れる人のように見ていたり、妻は夫のことを月給を運んでくる猿や犬のように見ていたら、悪いカルマは解けることはないが、現実にはそのような夫婦が多い。

本山博は、そんな夫婦でもお互いのことを相手の立場に立って思いやることを続けていけば、いつか夫婦和合し、神様のところに行けると考える。

常に念頭に神様のことがあってそうなるのだが、そこは当事者の意識の持ち方やら生活習慣やらが大きく関与してくる。

そこで『惰心はあらゆる邪心邪霊を呼ぶ』ということだと思う。

他人の惰心はよく目につくが、自分の惰心は自分を蝕むが気がつきにくいものだ。

6割の人しか夫婦にならない時代がやってきて、この十訓も大時代的なものとなったのだろうか。

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古戦場に取り残された兵たちから統合失調症まで

2017-06-26 05:29:48 | 超能力・霊能力
◎神様の助けを祈る

本山博が、靖国神社について、英霊を祀るといっても、靖国神社に英霊がいるかどうかは限らないと語っているシーンがある。

本山博は、硫黄島みたいな太平洋の激戦地にも日本兵の慰霊に出かけては、いわゆる成仏していない霊が、自分が死んだことを自覚し、地獄から脱出できるように祈るツアーに何度も行っている。

国内の古戦場にも方々慰霊の旅に出かけているのだが、その経験から英霊は、旧戦場にそのまま地縛霊みたいにして残っており、そういう方も十把一絡げにして靖国に祀られていると総称するのはどうかと言っているのだろうと思う。

アストラルの霊体の霊界では、人は、想念と感情でもって、自分好みの世界を作り上げ、そこに暮らす。だが、肉体がなくなっても生前の想念や感情にとらわれていると、狂気の状態や鬱の状態の霊になることがあるという。

本山博は、古戦場で殺された兵や武士たちの恐怖心は、このとらわれのひどい状態を形成するとし、殺されるときや傷を負って逃げる時の恐怖心を持ったまま死ぬと、その霊は恐怖心の塊りのようになって、地中や洞窟の暗いところに潜んでいるのだそうだ。

本山博も恐怖心のような感情と並んで想念も人を執らわれの状態に追い込む原因であるとする。

想念は想像力であり、人は多かれ少なかれ自分の想像、想念によって生きている。ところが、その想像の世界は主観的想像であり、外界の現実とは一致しないことに気がつかないケースがあるが、これは統合失調症となる。だから自分が病気であるという病識がない。

古戦場に留まって死んだときの状態のまま苦しんでいる霊と統合失調症の人間は、図らずも、自分の作り上げた感情と想念の世界のなかに囚われて生きているという点では共通していた。


愛、恋愛もこうしたひどい執らわれの原因になるという。

本山博は、こうした状態を解放するには、どうしても上からの力、神様からの力が必要であるとして、その現場であるいは自分の道場で、その人が神様の力でもって解放されることを祈る。

他人の力でなく、神様の助けがその人に降りることを祈るのである。そういうものだろうと思う。

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本山博25歳時の修行

2017-06-25 05:35:23 | クンダリーニ・ヨーガ
◎修行時間とリスク

クンダリーニ・ヨーギ本山博の、25歳の時の修行スタイル。

1.毎朝3時に起きて30分ほどヨーガ体操。
2.4時から7時8時まで最初にプラーナヤーマ、後、精神集中。

プラーナヤーマのやり方は、
左鼻腔から4秒で息を下腹部まで吸い入れ、8秒間腹を膨らませて保息(クンバカ)。
次の8秒で尾てい骨の中のクンダリーニを観想によってスワジスターナ・チャクラ(丹田)まで上昇させ、同時に腹をへこませて腹に保息していたプラーナとクンダリーニをまぜてひとつにすると観想しながら、右鼻腔から息を4秒で出す。

これをまとめると
吸息 4秒
保息 8秒
観想 8秒
出息 4秒
で合計24秒。この呼吸を14~21回。

この修行を続けて3~6か月たってクンダリーニが頭頂のサハスラーラまで上がったが、エネルギーが頭頂からアストラルの次元に抜けたので、心身にそれほどの異常が起きなかったそうだ。
(以上密教ヨーガ/本山博/池田書店P194-196から抜粋)

(抜けないとリードビーターみたいに苦しむことになる)

これを見ると、3時に起床して、8時頃まで修行に打ち込めるのはよほど恵まれた環境である。

働きながらこのようなヨーガ修行優先の生活はできるものではない。本山博は幼児期より生母養母の二人が神道修行の師匠であったようなので、恐れることなくクンダリーニを上げる観想をできたのだと思う。

もっともクンダリーニ・ヨーガに打ち込もうとする人ような人は、既に自分のすべてを捨てる準備ができている人なのだろうから?、廃人になったり自殺したり発狂するリスクもへっちゃらなのだろうか?。

密教系の修行は、常にこのリスクがつきまとうのと、悪に落ちる危険性も隣り合わせなので、密教。今の時代は、普通に暮らしていても悪にはめられるリスクはあるので、密教系の修行だけそんなことを指摘しても仕方ないのだが。また現代は、ともすれば一人きりの分断された生活になりやすいので、これまた精神病を発現しやすい環境であり、密教系の修行リスクだけが精神・肉体を破壊するリスクでもない。

それにしても、修行が進んで不動明王状態になってすら、焼け死ぬ可能性があるなど、現代科学では未知の危険を伴うものであるので、まずは、指導者がいなければこのような修行には取り組んではならないと思う。

一人でジャングルをあてどなくさまよっても目的地に着く保証はないのだ。
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日本の怨みを解く

2017-06-24 04:43:17 | クンダリーニ・ヨーガ
◎本山博の全国浄化行脚

本山博の「霊の研究 人生の探求」の中に、アメリカの霊性について言及しているところがある。曰く、アメリカは今白人が貴族になってヒスパニックなど他の人種を自分たちの生活を支える道具に使っている。それは人種の自由・平等という点で正常ではなくて、そういうままだとアメリカは滅ぶなどとして、そういう争いの後始末ができないと、その国は栄えないというようなことを言っている。

これから12年くらい経って、なんと白人内部で貧富の分離が起こり、それは長期的には人種間の格差是正の一つの現れなのだろうと思うが、貧しい白人の期待を背負って出てきたトランプは、揺り戻しの位置づけにあるのだろう。

これに対して、本山博は、自らの霊能力者としての使命として、日本の部族間の怨みを解くことを挙げている。

それはアイヌと出雲族の争いを浄めることだとする。その代表的な地域として丹波篠山と関ヶ原。彼の霊視では、5、6千年前に鉄器を持つ出雲族が、中国・朝鮮から到来し、先住民であるアイヌと争闘を繰り返した。この時の主戦場の一つが丹波篠山。

さらに時代が下がって、今度は天皇族である大和族が瀬戸内から入り込んで、出雲族対大和族の紛争があり、その係争地がこれまた丹波篠山。

この本には、実際に本山博が丹波篠山に浄化に行って、さる古墳の前で怖いなと思った事件が書かれているのだが、その場所は、出雲族対大和族の紛争が一番ひどかった所だそうだ。

本山博は、全国を回ってこのような場所の浄霊を行っているという。

全国には由来のよくわからない古墳や岩のドルメン、メンヒルがあるが、素人は触らない方が良いのだろう。

丹波篠山は、綾部の南、亀岡の西、綾部・亀岡を舞台に出口王仁三郎は活躍し、もう一つの重要拠点である関ヶ原からは、江戸時代の重要な禅僧至道無難が出たのは偶然ではあるまい。

そしてアイヌとは、出口王仁三郎の見立てでは最初九州から入った熊襲(くまそ)であり、追われ追われて北海道に至ったという。

日本の古史古伝は、どうしても2千年前くらいから見るが、やはり1万年くらい前から見ないと日本のことですら流れがつかめないのだろう。
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出口王仁三郎の伊都能売論

2017-06-23 05:56:48 | 古神道の手振り
◎伊都能売神=木の花姫神、聖観音

伊都能売については、出口王仁三郎は、無数の場所で言及しており、いささか
わかりにくいのだが、決定版のような説明が、出口王仁三郎全集(第1巻皇道編
第6篇 愛善の真意義)にある。


曰く、伊都能売の御魂の神格とは、観音に等しく、神道にては、木の花姫命のことである。

つまり仏教でいう報、法、応三身一体の観音、絶対的な一実法如の観音であり、神道の木の花姫神は、本有無作の一実体神であり、決して世界の森羅萬象の存在より推理する所の、運命上の唯一神論的の神でもなく、又単に自然界の因果律を見て宗教化した、酬因感果上の一神格でも無い。

木の花姫神は、無始本有妙覚円満の神であって、天地宇宙に遍満し一切の時、一切の処を悉く照覧するところの神である。仏教家のいわゆる、無所不至の宇宙の一大生命である。大本尊である。

しかも体の上においては、本然として衆生と一如なる神格を有したまう神であって、所謂汎神的一神観上の、あるいは一神的汎神観上の神格が、即ち伊都能売神で、又の名は木の花姫神、聖観音である。
 
信仰の上から見れば、世界一切教化の現象とも云うべきものは、悉く、観音即木の花姫神の活動であって、天地八百万の神も、仏教の諸々の仏も、諸宗教の神々も、世界一切の教典も、一切の教化的人格すなわち釈迦も、孔子も、キリストも、皆悉く木の花姫神、観音の顕現である。

世界一切宗教の本尊神は、ことごとく木の花姫神 即観音 即伊都能売神の活現であって、世界を創造したというキリスト教の神も、木の花姫神即観音の一顕現として見られるのである。厳の御魂、瑞の御魂の神も、また伊都能売神の分身的活現であります。


以上が出口王仁三郎の説明の概略だが、伊都能売の神については、これまで両性具有にこだわってコーザル体とみてきたが、そういう個的位置づけではなく、第六身体アートマンの方であることがわかった。

古事記には伊都能売についての説明らしき説明はほとんどなく、出口王仁三郎にして、ここまで描けたと思う。
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不動明王とサラマンダー

2017-06-22 05:41:31 | クンダリーニ・ヨーガ
◎変成中の人がその秘密の火を断つ

人間と神とのノー・リターンポイントに鎮座する不動明王。だが西洋には不動明王のシンボルはない。

しかしながら、西洋錬金術には、火で覆われた生物といえばサラマンダーのシンボルがある。

『魔法と錬金術の百科事典 ロウズマリー・エレン・グィリー/著 柊風舎』によれば、西洋錬金術においては、サラマンダーは、『プリマ・マテリア(第一質料)のシンボルであり、錬金術の工程のなかで、それは変成中の物質がその秘密の火を断つのを助ける役割を果たす、それが賢者の石が最後の力を獲得する助けとなる』(上掲書p201から引用)、などと説明している。

サラマンダーの火が燃えたままでは、ノー・リターンポイントを超えず、熟達したクンダリーニ・ヨーギですら焼け死ぬことがあるという。

サラマンダーは単に四元素の火のシンボルということではなく、神に至る関門ではある。

だが、錬金術図像辞典などを見てもサラマンダーの登場する図版は意外に多くなく(逃げるアタランタなど)、本山博が、宗教には悟った人が開いた宗教と悟りに至る途中の人(まだ悟っていない人)が開いた宗教の2種があるという言葉が浮かぶのである。

サラマンダーが相応の意義にて登場している図版をもつものは無数の錬金術書の中では正統なものなのではないかと思われる。

【図は、逃げるアタランタの第29図】

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クンダリーニ上昇から悟りまで

2017-06-21 03:54:53 | クンダリーニ・ヨーガ
◎不動明王のポジション

本山博は、体外離脱から悟りまでを端的に説明している。

『1.スシュムナーを通ってクンダリーニが目覚めても、初めは霊体と肉体ははっきり分離していない。

2.下腹部で水蒸気、炎が動き身体が非常に熱くなる。クンダリーニがサハスラーラを抜ける。

3.神気と合一したクンダリーニのエネルギーが身体の外に出て、霊体も身体の外に出る。この時アストラル・プロジェクションカラーナ・プロジェクション(メンタル体離脱が起こる)この段階で、生命の危険をともなう事態が起こることもある。
先祖の因縁はカラーナの世界までいかないとわからない。

4.さらに進むと、悟りの世界に入る前に身心霊のすべてが、クンダリーニ+神力で焼き尽くされる。不動明王の境地。
このままの状態で終わったらインドのグルでも焼け死んでしまうこともある。

5.不動明王の境地を超えないと悟りにはならない。

6.霊能者は霊的な自分を持っているが、悟った人は自分がなくなる。』
(スピリチュアリティの真実 本山 博/著 PHP研究所P50-58を抜粋』

こうしたクンダリーニ・ヨーガの簡易な説明は非常に珍しく、ダンテス・ダイジもここまでかみ砕いた説明はしていない。

誰かのクンダリーニ・ヨーガにおける各ボディとステップについてズバリの説明はないものかと思っていたが、ここまできっぱりと書いているとは・・・・。

不動明王は、密教系において重要なポイントに位置しているが、ここまで特徴と位置を平易に説明してくれているとは、驚きである。

人類の進化で、そういう時期になったということなのだろう。

ただこのステップを現代科学で証明する術はない。将来、万人の感受性が普通に霊体を感知するようになれば、万人にとって肉体以上のものは、当たり前になるのだろう。
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ダンテス・ダイジ 見神・見性・見仏の本質

2017-06-20 05:40:48 | 現代冥想の到達点
◎それはまだ俺がいる。俺が経験している。

ダンテス・ダイジが、見神・見性・見仏を一言でくくる。

『ううん、そうではなくてね、単なる見性ということならね、無数に起こるんだ。それはこっちから見るって世界。だからそれは消えてしまう。

その時は素晴らしい。見えたと思う。でも俺が見ているんだ所詮。

(中略)

そういう経験とか、そんなもの無数にあった。あったけど、それはまだ俺がいる。俺が経験しているんだ。


今、俺は何も経験していない。』
(素直になる/ ダンテス・ダイジ講和録4/渡辺郁夫編P99から引用)

この関連で、ダンテス・ダイジは自分自身の見性体験を語り、見性についての見解をしばしばアフォリズム風に述べる。

オカルトブームや、だいぶ下火になったとはいえ自己啓発セミナーや、霊的体験ショップ・ツアー、パワー・スポット探訪など神秘的体験で人の興味を惹きつけようとする動きはあまりにも多い。

その頂点付近に位置する神秘的体験が見神・見性・見仏であって、正統宗教でも比叡山で見仏目的に修行するカリキュラムもあって、見神・見性・見仏そのものが、『体験とはいえない体験』の前段のまともなステップであることは、言うまでもない。

禅の十牛図でもメイドインジャパンの牛飼い草にも見牛は出てくる。

だからといって、見神・見性・見仏は最終的なものではないと、ダンテス・ダイジは、そこを殊更に強調する。

『俺がいない、俺が経験していない世界』は、禅の十牛図の第八図であり、うしかひ草の神無月である。

「素直になる/ ダンテス・ダイジ講和録4」のこの部分では、自分らしい生き方、その人らしい生き方=ライフ・スタイルを結論にもって来ているが、この後彼は方向転換し、窮極つまり、ニルヴァーナ、古神道の大神、キリスト教の神などを至上とする、より厳しい目標に変えていることを忘れてはならないと思う。

またこの見地から、チャネリング(至高の存在である何とかからのメッセージ、降神)という技法には否定的でもある。
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屍体のアーサナ

2017-06-19 03:25:12 | ハタ・ヨーガ(冥想法3)
◎ストレス人間は呼吸が浅い

働いていると、ストレスがたまる。これを落とす技法として、オームの念唱完全呼吸法があることは紹介した。

タレント・片岡鶴太郎氏のようにヨーガに一日7時間を充てられる人なら別だが、働いていては、いわゆる自由時間はせいぜい1、2時間であり、その貴重な時間を冥想と、その前段としてのストレス、緊張緩和に充てる必要がある。

ストレス、緊張緩和プロセスなくいきなり坐れる人もいるが、なかなかいきなり坐るのは大変だと思う。

冥想の準備として簡単な柔軟体操をやるが、疲れにかまけて手抜きしていたところ、きつくなってきたので、
改めてハタ・ヨーガのメニュー見直して追加するように考えている。

帰宅して頭と身体がホットな時は、まず柔軟系から初めて数種のアーサナの最後に呼吸を落としながら屍体のアーサナに行く。屍体のアーサナは適当にやると全然身心がリラックスしないままなのだが、全身の部位を「脱力、リラックス」を身体の各部位に念じながら、かつまた息を吐きながら繰り返していくことでリラックスが深まる。

完全なリラックスは完全な活力を生む」

呼吸を落としていけば心も静まっていくのだが、頭と身体がホットのままでは、呼吸も落ちにくい。その点で屍体のアーサナは効果絶大である。

ハタ・ヨーガの最後には、屍体のアーサナを必ず入れなさいと言われているのだが、改めて不徹底を反省させられた。

ストレス緩和、解消だけでは、何も本質的なものはないが、目的を持った冥想もまた邪道である。


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人体に関する多次元モデル

2017-06-18 03:12:30 | 道教
◎七つの身体モデルへ

道教の内経図は、道教関連文書を漁れば、見たことがあるに違いない。wikipedia

内系図で、エーテル体相当は、水の部分で、アストラル体相当は、火の部分。
その伝でいけば、肉体は土(地)であるべきだが、土を牛を引いて耕している部分もあるものの、最下部には、坎水(川・海)が置いてある。坎水は個的ボディの表現ではあるまい。

最上部に泥丸(サハスラーラ・チャクラ)が置いてあって、これはボディでなくて、チャクラ。他に任脈、督脈も書き込まれていて、何でもてんこ盛りの図であって、そのまま想像をめぐらすと、とんでもない世界観になりそうな図である。

ただし、鍼灸関係の本では、必ず経絡図が置いてあって、ほとんど神経と重なるので、肉体レベルのことだと信じてそれから先へは想像が進まないことが多いのかもしれないが、経絡こそエーテル体の形状である。

エーテル体は気のレベル。冥想での様々な座法は、気のレベルでのエネルギー流出と発散をコントロールすることは、OSHOバグワンもちらりちらりと指摘する。

曰く、半眼では気の流出は止まる、閉眼・開眼は気が流出する。結跏趺坐、パドマ・アーサナは気の流出を防ぐポスチャー、云々。

これだけ各駅前にヨーガ・スタジオのある時代なのだから、肉体+エーテル+アストラル体の個的ボディ・モデルをエネルギー(心的、気、アストラル)の流路も含めて誰か描いて見せてほしいものだ。それには必ずニルヴァーナも描かないと。

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呪術の今昔

2017-06-17 03:00:40 | 超能力・霊能力
◎現代科学のその先へ

ユダヤの呪術といえば、まず古代エジプトにおいて、赤子を殺されることを防ごうとして、戸口に子羊の血を塗り、過越した故事がある。

さらにイエス・キリストをユダヤ教関係者の意向で十字架にかけ、彼を中東欧州の贖罪主の位置まで押し上げるきっかけにしたという事件もある。

紀元前のマスコミのない時代には、ともすれば人間の自意識は、肉体と魂の分離はしておらず、神に犠牲を捧げるというような行為ですら、自分と生贄が分離しておらず、だからこそ贖罪として他の動物を犠牲に捧げることですら自分の一部を捧げることに等しいとすら意識されていたのではないかと思われる。

マルチン・ルターの時代に至って、罪を金で贖っているという批判が高まったのは、自意識と物・肉体の分離がより明確になり発達したからこそ起こった事象なのだと思う。だから中世ではそれが問題にされることはなかった。

その傾向は、21世紀の今、更に発達を遂げた。曰く、他人の思惑を、表向き騙しにならないメリット情報で釣り、買い物をさせたり、旅行に行かせたり、生活習慣を変えさせたり、政府の政策を変えさせたり、素敵な出会いをアレンジしたり、もろもろ引き寄せたり、捨てさせたり・・・・。

洗脳手法の半分は偽情報(本当の情報の一部しか与えないのもその一種)であり、いわゆる催眠術とか集団の陶酔心理を用いるクラシックな手法は、古臭いものとなった。最近では、正統的な情報の出し方をし、出し手についてにわかな権威付けをすれば人は信用するものだという思い込みを利用し、さまざまに人を混乱させて、思惑の方向にもっていくのが最近の流行。

そういう手法は、宗教でも盛んであり、これが、有名無名のカルト教団の跋扈跳梁する原因になっている。

これをイエスは終わりの世には偽預言者が現れると言い、いまや人間(じんかん)至るところ偽預言者あり、となった。

ルネッサンス以降、人間の心と肉体は、分離しているというのが、当たり前の認識となった。

しかし、それだけでは、人間科学は、時間、空間、物質の平板な次元を出ない。ダライラマが現代科学は幼稚であると、つぶやくのもその辺のことを指しているのではないのだろうか。そこで次は霊的文明と言われる。
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胡兵が急襲

2017-06-16 05:25:19 | 時代のおわり
◎瀬を早み

次の話は、単なる想像だが。

胡兵が急襲すれば、アメリカは、支那に大きな借りを作ったことになり、その後アメリカは、支那が傲慢な振る舞いをどんどん拡大し続けることを黙認することになる。その延長戦上に、支那軍機数千が京都伊勢を大空襲などというビジョンも出てくるのだろう。そうなる頃はアメリカは日本を守りなどしない。

そんな支那も赤い政権が終わり、4分裂があるのだろう。

昭和神聖会の肝は、それまでマッソン容認だったのが、突如反マッソンに転じたこと。このことは、今の日本の政治やマスコミの姿勢からは想像もできないが、なんと日本は、その頃反マッソンに転じているのだろう。
だからこそ世界すべてが日本に侵攻するという局面になるのだろう。

その時代は、ネットも自由な言論も禁止になっているのではないか。

上のものは下にあり、下のものは上にあり。霊界で起こった事象は現界にうつる。巨大な人災のある時期には、巨大な天災もある。

どう見ても熱核戦争は巨大な人災だが、天災ははるかにそれを凌ぐのだろう。二階にいる者は一階に降りれぬほどに迅速で圧倒的。

人は、なべて肉体死を迎えるが、ほとんどの人は、悟らずに死を迎える。
かつて死んだ者もすべて復活するとはどういうことなのか、よくよく考えてみないといけないのではないか。
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