アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

2016年の終わり

2016-12-31 06:31:41 | 時代のおわり
◎外側に求めるのもダメ、内側に求めるのもダメ

結構きつい一年だった。

唐代の禅僧臨済は、真正のものを外境に求めてはいけないとしたが、ダンテス・ダイジは内側に求めるのも外境に求めるのと実質的には同じであって、どちらも臨済の言うようにダメなのだと喝破した。

脱亜入欧を標榜し、世界の列強に伍すべく国力増強に努めた明治の日本。この1年明治の宗教を調べていくうえで、またいくつかの発見があった。

伊勢神宮を参拝した天皇は明治天皇はほぼ初めてだったこと。(歴代天皇はほとんど伊勢神宮を参拝せず/◎そばまで行っても立ち寄らず)

孝明天皇は細々と祀られているが、明治天皇は、大々的に祀られていること。(人を神として祀る歴史◎情報操作、洗脳あるいは国家カルト)

そして明治22年伊勢神宮遷宮に際しては、なぜか内宮の配置変更が行われていること。(明治22年伊勢神宮遷宮◎内宮の配置変更)

さらに全国の神社のご神体が鏡に置き換えられていったこと。(鏡をご神体に置き換えた明治時代◎八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を)

本来この世は、政治向きと宗教向きのバランス。こうしたバランスの崩れが、後の敗戦へとつながっていくのだが、古神道家出口王仁三郎は、敗戦後も見据えて予言を残している(雛型経綸とズレ◎日本人全体への評価)。彼は完成形を天上の儀を地上に「真釣る」と言うが要するに万人が神知ることである。(出口王仁三郎の真釣り◎天上の儀を地上に「真釣る」)


そして今年起こったのが熊本大地震(熊本で大地震◎人のさかしらを越えたところ)。

現代人は特に物証がないと何も信じないのだが、自分で察する自分で感じ取るといいう訓練があまりにもなさすぎるのかもしれない。それが国民的冥想不足ということになる。NHKが今年から冥想の紹介を始めたが画期的なことだと思う。

非日常、霊、前世記憶、無意識の世界、異次元これらはいずれも自分の内側に何かを見つけようとすることだが、内側への発見の旅ですら正解ではない。

それを超えたところを目指さねば次の時代はないのだ。
その点で、アメリカの精神文明にも見るべき点はある。

この一年のご来訪を感謝します。よいお年を!

天道に親無く常に善人に与す◎道教の諸悪莫作衆善奉行)

大麻とアメリカ◎非日常の裂け目との親和性)

クリヤー・ヨーガ修行メニューと日課◎午前3時から午前12時45分までのカリキュラム)

先行文明◎物証がないと信じない人々)

東京を境に南北分断◎蛸間山あるいはタコマ山)

バーヤズィード・バスターミーの修行◎ありとあらゆる被造物が死ぬ)

主を畏れ、彼を信ずる◎永遠の喜びと恵み /ベン・シラの言葉から。)


蛇足。
孫子と現・元共産主義国家◎ラインハルト・ゲーレン回顧録)
バリ島コレラは日本人だけ発病◎世界一清潔な国の世界一ひ弱な人々)

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累卵の危険な時期

2016-12-30 05:58:30 | 時代のおわり
◎瑞能神歌の二段目など

オバマ大統領のレームダックは2017年1月19日まで、同時に朴槿恵大統領は職務停止中であり、北朝鮮にとっては千載一遇の時期となっている。

こうした折柄、出口王仁三郎の未来予言の中核は、瑞能神歌である。その中でも昔から注目を惹いているのは二段目三段目のところ。

叙述は日清戦争、日露戦争、大東亜戦争(5年にわたる世界戦)と進む。

戊午年に初段となるが、将来する戊午年は2038年であって、戊午は年干支の戊午ではなく、戊午の示すシンンボリックな年を指すものと思う。騒擾、日本にとっての最終戦争シリーズのスタートである。

二段目は東天から襲う空襲。二段目に具体的描写がないのは、あまりひどくてよう言われんわいとのことで、その惨禍の程度が想像される。

三段目は、一厘の大逆転の仕組みの具現で、至福千年、弥勒神世が到来する。

現代は、初段以前に位置し、戊午となるのを待っている状態。戊は土であり、午は火。戦争をやりたがるリーダーが各国に出そろうのを戊午と見る。世論が政治によって高度にコントロールされている現代ではあるが、民心が戦争に向かっているかどうかを観ることで、時代の戊午度合いを測ることができる。

出口王仁三郎はこれを大正年代に発表したが、この悲劇が現実化しないように努力を傾注してきた。聖者の出してくる未来予言とはそういうもの。当時から見た現代はその様相より悪化している可能性を否定できないところもあるし、逆に神は人間に成熟の猶予を与え給うたという両面を感じる。


『綾の高天に顕れし、国常立(くにとこたち)の大神の、神諭(みこと)畏(かし)こみ謹みて、厳(いづ)の御魂と現はれし、教御親の神勅(かみこと)に、日清間の戦ひは、演劇(しばい)に譬えて一番叟、日露戦争が二番叟、三番叟は此度の、五年に亙りし世界戦、

龍虎相打つ戊の、午の年より本舞台、いよいよ初段と相成れば、西伯利亜(シベリア)線 を花道と、定めて攻め来る曲津神。力の限り手を盡し、工夫を凝らし神国を、併呑(ひとのみ)せんと寄せ来たり、

天の鳥船(とりふね)天(そら)を蔽ひ、東の空に舞い狂ひ、茲(ここ)に二段目幕が開(あ)く。

三段いよいよ開く時、三千餘年の昔より、国の御祖(みおや)の選まれし、身魂(みたま)集る大本の、神に仕えし神人が、御祖の神の給ひたる、日本心(やまとごころ)を振り起し、厳(いづ)の雄猛(おたけ)び踏み猛び、厳の身魂を元帥に、瑞の身魂を指揮官に、直日の身魂を楯と為し、何の猶予も荒身魂、爆裂弾の勇(いさぎ)能く、神の軍(いくさ)の奇魂(くしみたま)、奇しき勲功(いさお)は言霊の、天照る国の幸魂(さきみたま)、言平和(ことむけやわ)す和魂(にぎみたま)、

魂の助けの著るく、轟く御代を松の代の、四十有八(よそまりやつ)の生御魂、言霊閣(ことたまのや)に鎮まりて、四方の国々天の下、治めて茲に千早振、神代ながらの祭政一致(まつりごと)、開き始めて日の本の、現津御神(あきつみかみ)に奉る、常盤の御代ぞ楽しけれ。』
(雑誌神霊界大正7年2月号P11/瑞能神歌/出口王仁三郎から引用)
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伯家神道の予言

2016-12-29 04:46:49 | 古神道の手振り
◎国体は滅亡するのか

伯家神道は、代々白川伯王家に伝えられていた宮中の神事を司る神道で、明治初期に途絶えた。同時に伯家神道が伝えていた宮中の神事も途絶した。

これは、明治5年に明治5年(1872年)に皇室祭祀が、白川家から宮内省式部寮に引き継がれたことを指すのだろう。

さて伯家神道には、予言があって神事を伝えられない天皇の世が百年続くと日本の国体が滅亡するというのがある。(出典:超常現象大辞典/羽仁礼/成甲書房P265)

百年の計算始期を1872年にとれば、1972年は百年目。
あるいは、計算始期を大正天皇即位の1912年にとれば、2012年が百年目。

こういう年代計算はずれるものだが、そもそも国体が滅亡するのかどうか。

エドガー・ケーシー以来、日本沈没を幻視する人はちらほら見かける。そもそも予言というのは、予言した時代の集合的無意識=霊界の状態から将来を敷衍したものであって、現状が変化すれば未来も当然に変化する。

また幻視する人間が天上を幻視する場合、地獄を幻視する場合、この世を幻視する場合に分かれるので、彼がどれを見ているかというのも、見分けるポイント。これには審神者が必要となる。

百年後であった1970年代、世界のメジャー覚者であったクリシュナムルティとOSHOバグワンは、日本人の集合的無意識=霊的状態が良くないため、日本来日を忌避して終わった。一方ダンテス・ダイジはその不調な日本で布教の胎動を見せていた時期。

国体が滅亡するかどうかは、我々日本人自身が無意識に承知していることで、他人に問うて知ることではあるまい。多数の亡国の相があるが、最後の一厘の逆転シナリオもある。

今時代の帰趨は少数の覚者ではなく、多数の覚者でない大衆が鍵を握る。王家の秘伝はいつか途絶えるが、途絶えたもののうち縁あるものは再興する可能性がある。伊勢神宮が荒廃していた時期にその祭祀の本義を細々と伝承した中心人物は、神道家でなく、仏教の比丘尼であったように、こうしたものは古神道独力でなく、オールジャパンで、切羽詰まらないと興らないのだろうと思う。

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応無所住而生其心

2016-12-28 05:47:10 | 丹田禅(冥想法8)
◎すべてが見知らぬ

金剛経の応無所住 而生其心(おうむしょじゅう にしょうごしん)は、沢庵禅師の不動智神明録では、心を止める所なくその心を生ずべしと読む。

しようと思う心が生ずれば、そのする事に心が止まるものだが、その時に止まることなく心(悟り)を生ずべし。

心はあれこれ思い乱れる心の意味があるが、六祖慧能あたりでは、心を悟りの意味でがんがん使っているので、あとの方の心は悟りとして読むと具合が良いように思う。

一心不乱に集中した後に訪れるクラック、裂け目に気が付きなさいというような読み方だろうか。

心が心に間髪を入れずに切り替わるみたいな読み方だと何も起きない。

応無所住とは、すべてが見知らぬ心境でもあるのではないか。
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前前前世

2016-12-27 05:32:10 | 究極というものの可能性
◎人生の悲惨とリアリズム

前前前世は、人気映画『君の名は。』の主題歌で、RADWIMPSの楽曲。

過去世を知る話は最近2つ出会った。一つはナルタンの本で彼女自身が自分の複数の過去世を追体験してしまう話。

最初は北アジアでの無智で野卑な若い男性の前世、次はインドでの悲惨な娼婦の前世。最後は唐代に女性として生まれ、4歳の子供と虎に出くわし、あろうことか自分は逃げて助かり、子供は食われたのだが、自分は慚愧の念に苦しみ尼になるのだが解消しなかった。
彼女は今生でその子にインドで再会する。

ナルタンにとっては三つの悲惨な前世として存在する。

もうひとつは、OSHOバグワンの『死ぬこと生きること』または『炎の伝承』に出ていた話。

インドに11歳の少女がいて過去の三つの前世を知っていて、過去世での土地の歌や踊りを演じて見せたりすることができた。バグワンは、11歳なのに彼女の目に生気がなく70歳の老婆のようなドロンとした感じであることに気づき、周辺の者に今なら彼女の前世記憶を忘れさせることができるが云々と申し入れたが、彼らはそれを肯んじなかった。

彼女は、OSHOバグワンの見立てどおり、長じて発狂した。彼女の精神は過去三世の記憶の重圧を負いながら今生をノーマルに生きることに耐えられなかったのだ。

発狂してから周辺の者がバグワンに治療を依頼してきたがもう手遅れとして断った。

こういうのがあるから、人間は今生で生まれてくるとき前世記憶を抹消されて出てくるのだと、OSHOバグワンは言う。

前世記憶は、本当になつかしいものに出会う道程で、それが必要な人には見えるものであって、誰にでもその開陳が必要なものではないと思う。本人にとってはそれは内心では百も承知なことなのだから。
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NKT34

2016-12-26 03:20:51 | 時代のおわり
◎Perfect Human

この世にPerfect Humanなどいないが、この世にPerfect Humanが存在できる場所がある。それがカルト

NKT34は、オリエンタルラジオの中田敦彦34歳をカルトの教祖に見立てた、カルトのパロディとしての楽曲であり、組織宗教全体を揶揄していると見れないことはない。非課税の宗教団体は、言うなれば無敵であり、まともに仮想敵として誹謗しようものならどんなしっぺ返しが来ないとも限らないが、この時代のカルトをカリカチュアとして軽やかで息もつかせぬアナウンスで褒めたたえてみせた相方の藤森慎吾の隙のなさは第一級の語り部の技である。

ダンスの最後の方ではメンバー全員は中田を向いて合掌礼拝、当の中田の振るタクトは、あまりの稠密さと高速さで、受け入れる信者たちはおろおろするばかりだが、指揮棒の空回り感とパラパラみたいなのを踊るバックダンサーの無表情が心地よい。

やはり時代は、本物で揺るぎないスピリチュアルを待望しているのだなと思った。

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一休、霊照女の画像に賛す

2016-12-25 07:17:52 | 丹田禅(冥想法8)
◎阿ホウ居士の娘

南宋の画人牧渓の描いた霊照女の画像を大切に持っている人がいて、一休に賛を入れてもらおうと持ってきた。

霊照は、ホウ居士の娘であって、ホウ居士が坐脱しようと時をうかがっていたら、先に坐脱したという並々ならぬ冥想修行者。ホウ居士は富裕層だったが、家財珍宝すべてを舟に積み洞庭湖に沈めてから、竹細工を売りながら清貧な生活を送り修行に打ち込んだという。ホウ居士は馬祖の弟子。

さて一休はすらすらと賛を入れた。

汝の親の笊(いかき)作り 馬祖にだまされて
宝を海に捨つる 阿ホウ居士の娘

これを見た周りの一同あっけにとられた。


釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはするかなという
という一休の歌があるが、馬祖といういたづらものに騙されて、あたらホウ居士も財産を失った。私財を持つ持たないは悟りとは別であって白でも黒でもない。

狂雲集にも一休が股に錐を刺して眠気を覚ましながら修行した慈明禅師を嗤う漢詩がある。篤く三宝を敬う生真面目な人から見たらとんでもないが、「何も問題がない」という立場からこういうのを語る分には咎めはなく、こういうのを風狂と呼ぶ。

だが悟っていない人間が同じことを語っても、単に意地を張っているだけのことになる。
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イエス・キリストの師匠ヨハネ

2016-12-24 06:23:35 | キリスト者の秘蹟
◎救世主と自称せず

ヨハネはヨルダン川でイエスにユダヤ教の洗礼を施した。ヨハネは何千人にも洗礼を施したが、宗教組織は作らず、救世主であるとも自称しなかった。

イエスは十字架にかかる前は、超能力をひらけらかしたり、私を信じない者は地獄に落ちるだろうなどと、恫喝まがいのきつい言辞を弄した。こういう聖人らしからぬ逸脱は、当時の民衆が「荒くれ」みたいな者たちばかりだったという側面があったことも大きいと思う。

けれども今、神知る者が、超能力を公衆の面前で開陳したり、脅迫的な布教をすれば、カルト認定されるだろう。本来、今も昔も、聖者の王道は、ヨハネのように謙遜で挙措もつつましやかなものである。だからイエスにはやり過ぎなところはある。

ヨハネはキリスト教徒でなく、ユダヤ教だったし、救世主と自称しなかったが、王族の結婚を咎めて殺された。

イエスに洗礼を施したというのはイエスより力量が上だったであろうということであり、ヨハネなかりせばイエスもなかったということ。この点ではイエスを売ったとされるユダの高みに似た部分がある。イエスを売ることを許すという神意を体してそれを行うというのは、見かけは大逆だからこそ、なまなかな人物ではできないことである。

そんな訳で、洗礼者ヨハネの真価はわかる人にはわかるという形で置かれているのだろうと思う。
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おののきの日

2016-12-23 07:16:22 | 究極というものの可能性
◎幽斎の欠如、不足

ユダヤ人の風習の中にはおののきの日(ヤミン・ノライーム)というのがある。

神は元旦に、人々の行為を記録する記録の書を開き、向こう一年を生きながらえることができる者の名をそこに書き入れる。

名前を書き入れられる資格のある者は、過去の行いが善い者と進んで罪を告白しようとする者、罪を繰り返さない決意をしている者。

毎年末に、多くのユダヤ人は、記録の書である「命の書」に自分の名前が書かれないかもしれないという不安におののく。

それで年末のおののきの日の前に、ユダヤ人は亡くなった者の墓に参り先祖の遺徳をしのび、シナゴーグに足を運び「命の書」に自分の名が書き込まれるように祈る。

このように彼らにとっては、毎年末は審判であり、その総決算が最後の審判である。最後の審判はユダヤ人の日常の生活習慣の延長線上にあった。

心ある日本人も大祓で一年の穢れを祓う。人は肉体を持っている限り祓わねばならぬ穢れは起こるもの。でもそれは、人間がやらなければならない半分に過ぎない顕斎であって、残りの半分の幽斎も必ず行わなければならない。

幽斎の欠如、不足というのは、時代的問題でもある。
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マザーテレサとレズビアン

2016-12-22 05:29:20 | キリスト者の秘蹟
◎性倒錯と歪んだ生活環境

OSHOバグワンのつぶやきから、彼はまず同性愛とは倒錯だと断ずる。そして、

『同性愛とは、カトリック修道院の中で生まれたものだ。だからカトリック教義の一部だ。もちろん秘密の部分だが内的な関連がある。

ローマ法王はカトリックの代表だ。だからもし同性愛がカトリック修道院で生まれ、修道僧の大部分が同性愛者であり、また法王の大部分が同性愛者であったとすれば、おそらくそこには内なる秘密の位階があるだろう。―――一つは法王に率いられた男性同性愛者の位階、一つはマザー・テレサに率いられたレズビアンの位階だ!どうやら両者は関連があるようだ。』
(神秘家の道/OSHO/市民出版社P298から引用)

キリスト教とは、三位一体を自称するが実質二位一体で、母性、女性が欠けている(父なる神。マリア信仰はバランサーとして存在する)。よって男性だけでの専門道場、修道院では性倒錯も起きやすいのだろう。カトリックでなくとも日本でも衆道は室町の一休の時代からあったので、性倒錯がカトリックの専売特許なわけではない。

冥想修行では、潜在意識を操作するだけに異常心理が発現しやすく、その延長線上で性倒錯もあるのだろう。

OSHOバグワンは、カトリックが邪教だと言っているわけではなく、カトリックの聖人は聖人として認めている。

LGBTを公に認める動きがあるが、現代はうつ病者を大量に輩出する時代であるが、LGBTも大量に出現させる時代なのだろう。そういう精神病者を産出する社会通念、しきたり、法制、社会組織、プロパガンダそのものの質がもっと問われるべきだ。病んだ社会は病んだ人々を大量生産するだけだ。
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素敵な没頭、苦しい没頭

2016-12-21 05:45:50 | 究極というものの可能性
◎素敵なピークタイムもいつか悪夢に変ず

何かに没頭しているときに、同時にそれに注意していなければならない。これは、あらゆる行について言える。

没頭するというのは、とりあえず満足している瞬間だから、その没頭が素敵な時間であればあるほどそこから抜け出したいとは思わないもの。

ところがそんな楽しく愉快な体験でも、いつかは自分が飽きて退屈になってしまう。

一方これが苦しい体験であれば、その苦痛苦悩に一体化したいとは思わないので、「こんなはずではない」などと、それに気づいていようとするものだ。

だから釈迦は人生は苦だと唱えた方が真の気づきに近いと見た。

気づきは人間体験としては何層にも深まっていく。その現実に没頭することが苦であっても、苦が生ぬるければ我慢できるので、一生ずっと我慢できてしまったりする。これでは気づくこととは何も関係ない。

しかし苦がだんだん耐えられないものになって深刻になっていけば、苦は人を絶望に追い込む。

この絶望がもう耐えられないとなった時に、何かが起きることがある。一方で自殺したり、その暴力衝動が他人に向いたりする人もいる。

誰も深刻な悪夢を最後まで見ようとはしないものだ。その時のことに感づいていて、平素から気づき、注意に関心があれば人は冥想するが、冥想を人に強制することはできない。
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一切万事知らぬ事なき人こそは

2016-12-20 05:41:41 | 時代のおわり
◎弥勒の神の化身なりけり

2016年12月19日、トルコの首都アンカラで、ロシアのアンドレイ・カルロフ駐トルコ大使が何者かに銃撃され死亡。クリスマス前の時期、起こってはならないことですね。

出口王仁三郎の弥勒神の歌。小弥勒は覚者のこと。

『一切万事知らぬ事なき人こそは弥勒の神の化身なりけり

小弥勒次々名乗り上げにつつ綾の高天(たかま)に集まり来たらむ

ありとある国のことごと小弥勒現れ地上を新たに守らむ

青山は枯れ山なして蒼生(たみくさ)の悩まむ時ぞ現る弥勒よ

(出口王仁三郎全集第二巻p507から引用)


弥勒神の化身の出るタイミングは、「青山は枯れ山なして」だから、世界戦争や大三災、小三災の後なのだろう。ただし漫然とその時を待つのではなく、日々の冥想修行が必須。人と人、神々までもが立て分けられる時代なのだから。

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ヴィヴェーカナンダとラーマクリシュナのタッチ

2016-12-19 05:18:00 | 究極というものの可能性
◎死と向かい合う

ヴィヴェーカナンダが師匠のラーマクリシュナに二度目に出会った時、ラーマクリシュナはエクスタシーの状態で近寄り、何事かをつぶやき、目をヴィヴェーカナンダにじっと向け、右足をい彼の体の上に置いた。

これによりヴィヴェーカナンダは、壁や部屋や寺院の庭はもとより、全世界、そして彼自身さえも空中の中に消えていくのを見た。彼は死と向かい合っていると確信した。

そこでヴィヴェーカナンダは、大声で「何をされるのですか、家には両親も姉妹も兄弟もいるんです。」と叫んで、ラーマクリシュナにこの状態から出してもらった。

ヴィヴェーカナンダは、準備ができていなかったのだろう。人は死ぬと必ず神仏に出会うステップ(原初の光明)があるが、それを覚知する人は極めてまれである。これをして、起こることは起こったが、何が起きたかわからなかったと云う。あるいは、人は誰でも死ぬが死後誰もが悟るわけではないなどと端折った言い方をする。

これも感受性の問題ではある。
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朴槿恵自叙伝 絶望は私を鍛え、希望は私を動かす

2016-12-18 07:09:16 | 冥想の準備
◎PTSDと完全呼吸法

朴槿恵が失脚した。

朝鮮の女性実力者の悲劇といえば、李氏朝鮮の第26代国王・高宗の王妃であった閔妃殺害事件がある。これを指揮したのは、当時の朝鮮公使三浦梧楼。三浦梧楼は長州の人物であって、以後歴代の朝鮮総督が長州系の人物で占められているのが、今の安倍首相の朝鮮との強いつながりの源流なのだろう。

閔妃はロシアの力を借りて1895年7月クーデターにより権力掌握に成功。この時代チベットも後見国をロシアにするか英国にするか迷っていたりするので、中国周辺の国家はどこも列強のいずれかを後ろ盾にして外交をやっていこうとする流れだったのだろう。これを良しとしなかった日本が暗殺を行った。

閔妃は巫堂ノリというシャーマニズムに熱中し、国庫の6倍以上にあたる金額の国費を布施により浪費している。

朴槿恵は、母を暗殺され数年たって父を銃撃で殺害されて、PTSDになるような事件に二度遭遇して、通常であれば精神的に不安定になりがちなものである。

特に父朴正熙殺害後はひどかったろうと思われるが、精神のバランスを保つためか、丹田呼吸法により、精神状態も肉体状態も改善したという。

例の男イタコは、母陸英修殺害後から彼女にとりいっていたようだが、そのことが朴正熙殺害の原因の一つになっていることが、「ヤクザと妓生が作った大韓民国 菅沼光弘/著 ビジネス社」で仄めかされている。

閔妃、朴槿恵とも精神の安定を求めるためシャーマニズムに傾倒したのは、朝鮮の風土の為せる技で、偶然とはいえまい。

それはさておき、丹田呼吸法はヨーガでいう完全呼吸法。免疫機能改善に良いとされる。
これだけでもよいが、オームの念唱によりストレスをオームに乗せて宇宙に解消していくのは併せて必要なのではないか。本山博は、長く人生を歩いてきた人や心臓の悪い人の身体の中には、本当は排出されなければならないもの、消費して衰えたエネルギーがたくさんたまっていると指摘する。こういうのを排出するのもオームによっても可能なのではないかと思う。

人は肉体で空気を呼吸し、エーテル体で気を呼吸し、アストラル体で好悪などの感情を呼吸し、メンタル体で想念を呼吸する。こういうのを呼吸法なら同時にできるのではないか。オームの念唱も呼吸法的な効果もある。

※完全呼吸法
①意識を丹田(へそのやや下)において腹をひっこめ、息を十分に吐きだす
②1~2秒息を止めてから、腹の力をゆるめる。すると自然に鼻から息が入り、腹が少しふくれる。)
③胸を広げ、まず胸の下部分に息を入れ、次に真ん中とだんだん上方に息を入れていき、最後に肩を上げ、胸の上部にまで一杯に息を入れる。息が胸に滿ちるにつれ、腹は自然に少し引っ込む。意識は、息で膨らむ部位とともに上へ上へと位置を変えていく)
④しばらく息を止め、やがてゆっくり息を吐く。まず腹がすぼまり、次に胸の下部、中部、上部とすぼまりながら、完全に吐く。 意識をすぼまる部分にそって移動させる。
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正受慧端の母、旅の雲水をやりこめる

2016-12-17 06:27:40 | 丹田禅(冥想法8)
◎現代人ならここまで簡単にはやられまい

正受慧端は、江戸時代の禅僧で、至道無難の弟子にして白隠の師である。

至道無難と正受慧端のやり取りを見ると、もったいなくも無難手書きの修行メモをもらったとたんに、正受慧端は火にくべて無難をあわてさせるなど、時に師匠を上回る徹底ぶりをみせている。

正受慧端は、幼少のときから悟りの兆候は見えており、その母の機根も相当なものであったことがうかがわれる。

さてある時、水戸の大岳祖清和尚の弟子で回首座という僧が、正受の噂を聞いて信州飯山にやってきた。

この僧は、各地の師家たちをチェックして回ってきた実績から自信満々だった。たまたま正受は不在で、留守の母に対し、「庵主はどこへ行ったと」と不遜な熊度で訊ねた。

この母は、「庵主は貴殿のお肚(なか)の中に居ます。草鞋をはいてあちこち行脚しても、なぜ貴殿にはそれが解らないのですか」


回首座は、「婆さんもその位の古い公案は分るのか 」。

母、「古い公案かどうかはともかく、古人は一念を明らかにしなくては万境に対して迷いが多い」と言っています。これはどういう意味ですか」と逆襲に転じた。

回首座は、あふんとして黙ったところ、老母は杖を振り上げて彼を追い出しましたとさ。

これだけスピリチュアル情報のあふれている時代だから、ちょっとスピ好きの女性であってもここまで簡単に、田舎のお婆さんにやり込められることはないだろう。

パワースポット巡りや高僧や人気教祖を訪問するのが目的ではなく、自分の肚の中を確かめるのが先だろうということ。ブランド品も外にあり、アイドルも外にあり、パワースポット巡りや高僧や人気教祖も外にある。
内に目を向けるのが初手だが、向け方はある。
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