アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

寥(しず)かなる天一に入る

2016-05-31 05:32:00 | 道教
◎「排」という冥想

孟孫才はその母の死に際して、大げさに哭いたり、心も痛まず、葬式で哀しみもしなかったのにもかかわらず、魯国での彼の評判が落ちないのはおかしいと顔回が孔子に問う場面から始まる荘子の大宗師篇の一節がある。

その最後に、欠点を告げて暴くのは、笑うには及ばない。笑いを楽しむのは、物事を推移に任せるには及ばない。
物事の推移にまかせることに安んじて、造化の変化を去ったら、寥(しず)かなる天一に入る。

『造適不及笑、献笑不及排、安排而去化、乃入於寥天一』

化すなわち造化の変化とは、時々刻々転変する物質と精神の事象の展開のことであり、有である。これを止め去れば、天一と合一する。

「排」を「物事の推移にまかせること」と訳したが、「排」はそういうタイプの冥想を指すように思う。観想法でなく、マントラでなく、只管打坐かただ坐るタイプの冥想か。
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上薬、中薬、下薬

2016-05-30 05:33:16 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎不老不死と仙人

古代中国では、薬を上薬、中薬、下薬の三分類した。
上薬とは、不老不死を実現し、仙人になる薬であり、中薬とは、性を養い健康を維持するための薬である。下薬とは病気を治す薬である。

道教的冥想体系では、呼吸法、柔軟体操があり、坐忘などの冥想体験が語られているので、その体系の中の一部として、服薬=外丹があったということになる。

外丹の3分類が上薬、中薬、下薬であって、ヤキ・インディアンの冥想マスターであるドン・ファン・マトゥスが、ペヨーテ・サボテンを用いて人を別の世界での修行(ソーマ・ヨーガ)にいざなったが、ペヨーテ・サボテンのようなものが、上薬に該当する。

不老不死を実現し、仙人になるなどというのは、いわば客寄せの看板のキャッチ・コピーのようなものであって、文字通りの不老不死実現や仙人になることではない。魏伯陽のようにすべての世俗的なものを捨て去った者が初めて入れる道であって、その道の途中で望見するもの一つが、不老不死や仙人ということになるのだろう。

中国では世俗には王道があるが、世俗を問題にしない者にとっては、別の「道」がある。
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『道』が鼓動する

2016-05-29 06:46:09 | 道教
◎光り輝く炎のエネルギー

ジョン・ブロフェルドは、ケンブリッジ大学を出て、昭和8年から14年にかけて日中戦争の時期に7年間中国を放浪し、その間中国道教を体感した。

以下の文は、彼の質問に対する道教の師の回答だが、道についての見解と、日課を見るに相当な修行者であったことがわかる。ジョン・ブロフェルドも師にここまで語らせるほど準備ができていたということ。

『「行動そのものは有害ではない。だがそれは、目前の必要性に対する本能的な反応でなくてはならぬ。穏やかで深い静止の淵とも言うべき心の状態から発する行動のみが、望ましからざる結果を招来しないですむ。」

「だから、わしは日の出の二時間前に起きて静座、瞑想し、内なる心の完全な静止を体得するための修行を行う。
念慮の動かざる時、わしは『道』が鼓動するのを感じる。こうしてわしは、葉を通して活動が鼓動する樹木と一になり、光り輝く炎のエネルギーで鼓動する星と一になる。」

「わが念慮が静止しているがゆえに、『道』がわしの中を流れ、この流れは決して止められることはない。わが言葉と行為は、現下の状況に対する、自然のたくまざる反応である。

壁の陰に生える木は「生きるため、葉を太陽の方向に傾かせ、根で水を飲もう』などとは考えない。ただ自然発生的にそうするのである。清静なる状態から発した自然な行動は、それだけで十分に必要をみたすのである。」』
(道教の神秘と魔術/ジョン・ブロフェルド/P74から引用)

こうした道士はなぜか午前3時頃を使う。そこで想念停止し、そこで道の鼓動を感ずる。『道』が道士の中を流れる。光り輝く炎のエネルギーとはクンダリーニのことだろう。とても秘教的表現だが、このようなものだろう。

自然のたくまざる反応とは、本能と訳すと間違えるが、「覚者は道を生きる」ということをかみ砕くと、ただ自然発生的にそうするというような表現をとる。

日中戦争の後、赤禍が中国を覆い、現在に至る。中国の観光地のほとんどの道観や塑像が破壊され、残っている像は最近置かれた金塗りのものばかりであることは、観光宣伝の映像でよくみるところである。当時はまだ本物の道士が生きていたのだ。

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オバマ大統領広島演説

2016-05-28 06:25:11 | 時代のおわり
◎アメリカの宗派なき冥想道の結実

オバマ大統領の広島演説は、リンカーンのゲティスバーグ演説と並ぶ米大統領の歴史的名演説の一つとなった。

人種差別をなくそうとするリンカーンのゲティスバーグ演説が、1世紀半を経て黒人のオバマ大統領を打ち出した。

そしてそのオバマ大統領が、1945年の広島の惨劇の跡に立ち、その核兵器によって今や文明の大破壊を迎えようとする世界に向かって、「核保有国は、恐怖の理論から逃れ核兵器のない世界を目指す勇気を持たなければならない。」と叫んだのだ。

文明の進歩発展とは、兵器の革新や軍事力の強化や社会全体を軍隊へ奉仕する体制に変えていくことではない。オバマ大統領は、「軍事力によってではなく、何を築き上げるかで国家を評価すべきだ。そして何にも増して、同じ人類として、互いのつながりを再び考えるべきだ。それが、人間が人間たるゆえんだ。」とそれを否定し、相互の侵略を戒める。

そしてオバマ大統領は「言葉だけではそのような苦しみに声を与えることはできない。歴史を真っすぐに見つめ、再び苦しみを生まないために何を変えなければいけないのかを問う共通の責任がある。」と云うけれど、貪欲と打算に曇った頭脳では、外面を糊塗し、体裁を繕うことしかできない。

よって、真にこの世界から悲しみと苦悩の叫びをなくすためには、かなりの人が冥想により神を知っている社会にならなければならない。

20世紀初めから、アメリカは宗教の坩堝であった。日本からも東西本願寺が入り、禅宗が入り、日蓮宗が入り、ダライラマが入り、パラマンサ・ヨガナンダが入り、OSHOバグワンが入り、クリシュナムルティが入って、アメリカの清新な空気を揺り動かし続けてきた。

何よりも特筆すべきなのは、特に1960年代以降若者の間で、本物の大悟覚醒を求めるモチベーションが数人の小集団、あるいは数百人の集団の中で、維持され続けてきたことである。いわば宗派なき冥想道がアメリカで芽吹き、その成果の一つがZENブームだけでなく、オバマ大統領の広島演説であったと見ることができる。
これに比して、いかにも日本は求道的に後進国ではないか。

ここに、カルトも、ドラッグも、暴力も、強欲も、テロも、イデオロギーも、宗派の別も振り捨てて、真の平和を実現する第一歩が踏み出された。

しかしそれは、オバマ大統領一人の力で成るものでなく、我々ひとりひとりが冥想に生きることができるかどうかにかかっている。

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禅に生きる日本?と禅が盛んなアメリカ

2016-05-27 05:37:11 | 只管打坐
◎器はあるが魂入らず

アメリカでの仏教伝道は、最初は西本願寺が隆盛だったが、後に臨済、曹洞の禅宗が盛り返し、1980年代には、大きい禅道場は会員に入るのも難しいほどで、小さい3、4人のグループあちこちにあって、そういうのが百日とか二百日の参籠をやっていて、さながら中国の唐代が禅の黄金時代だったが、それと同じような禅フィーヴァーになっていたらしい。

アメリカには何万人も日本人がいたが、師家によれば、当時も禅堂を訪れる日本人はほとんどいなくて、外人だけだったという。

そうしたアメリカのZENムーブメントの結実の一つがケン・ウィルバーだが、それだけの社会的うねりになっていれば、大悟徹底した者も相当数出ているのではないか。ケン・ウィルバーだって、結構な年だし、若い人の中にも当然覚者が出ているだろう。そういうのがほとんど日本に伝わってこないのは私の不勉強のせいだろうか、日本の禅宗の姿勢の問題なのか。

いずれにしても、アメリカで相当フランクに、どの師家は本物偽物から始まって、悟りそのものの点検と議論が行われていたからには、日本より、相当に禅そのものの研究が進んでいるのだろう思う。

1980年代は、日本では、禅ブームのぜの字もなく、いわゆるOSHOバグワンなどのニューエイジ系の宗教が盛んになっていた時代。

日本人は社会全体として禅に生きているから、その器はあるが、それに冥想という命を吹き込むことができていない。そうして2016年になっている。
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洗脳を成功させるには

2016-05-26 05:35:19 | 冥想アヴァンギャルド
◎ころりと無意識のうちに洗脳

エドワード・バーネイズは、1891年ウィーン生まれで、広告・宣伝の父と呼ばれるアメリカ人広報マン。

彼は、1955年に発表した『合意の製造』という本の中で、宣伝を成功させる8つのポイントを挙げている。

1.目的を明確化せよ。
2.徹底的に調査を行え
3.調査で得られた結果に基づいて目標に修正を加えよ
4.戦略を立案せよ
5.テーマ、シンボル、宣伝文句(キャッチフレーズ)を決めよ
6.その戦略を実行するための(第三者による)組織を立ち上げよ
7.タイミングと具体的なやり方を考えよ
8.プランを実行に移せ』
(プロパガンダ教本 こんなにチョろい大衆の騙し方/エドワード・バーネイズ/成甲書房P245から引用)

まず宣伝、洗脳の対象となるグループを、年齢、性別、趣味ややっている社会運動の種類等で細分化する。次にそのグル-プに理解しやすく、印象的なテーマ・アイドル(人物)、シンボルを定め、タイミングを見て、宣伝を開始するということ。

これにより大衆の頭の中には、宣伝・洗脳したい事項に関するステレオ・タイプができあがり、大衆はころりと無意識のうちに洗脳されているというわけ。

こうして我々は、崩落する世界貿易センターの映像をテレビで見て、テロとの戦いをしなければならないなどと思い込んできたのだ。

ただ3.11後に毎日余震がある中、「直ちに人体、健康に害はない」という政府発表は、日本の伝統であるお上への信頼を揺るがしたかもしれない。これは、失敗した宣伝の例であり、なんだかその失敗の自覚もないようではある。
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毒湛遺訓

2016-05-25 00:01:05 | 丹田禅(冥想法8)
◎禅は何よりも真参実悟が大切

毒湛は、明治42年から大正3年まで妙心寺派管長だった老師。勿論印可を得ていたが、中年になってから2~3週間の法華懺三昧を修したというから、南無妙法蓮華経のマントラ・ヨーガの修行をやったのだろう。

七か条ある彼の遺訓の第一は、
「禅は何よりも真参実悟が大切である。文字禅や口頭禅であってはならぬ。」
文字禅は文字により実相を求める禅。口頭禅とは、公案解釈などの学問や理屈の禅。

彼の経歴には、地震で崩壊したお寺の再建の話が多いが、それは本質とはあまり関係ない。
唐代の禅僧薬山は、牛小屋を改造したところで50人も坐禅していたという。二人、数人であっても、集団で求道する勢いがあれば、環境はなんのそのというところはある。
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良寛とスーパー・リッチ

2016-05-24 05:54:22 | 丹田禅(冥想法8)
◎貧すれば鈍す

スーパー・リッチとくれば、何かよいことのように宣伝されているものだ。

良寛は平素から、人を批評することはなかった。しかしそういう彼でも時には一言あった。

江戸時代の越後のスーパー・リッチたる、ある村の庄屋が非常に立派な邸宅をこしらえた。

これを見て良寛は、「貧すれば鈍す」と言った。


何が貧なのか。イエスは愛に飢えている者を「心の貧しき者」と呼んだが、ここの貧は、愛の不足を感じない者のこと。

スーパー・リッチは、愛のスーパー・プアであり、しばしば鈍す。


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寂室の遺誡

2016-05-23 05:40:41 | 丹田禅(冥想法8)
◎一人あるいは小グループでの修行

寂室は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。

寂室は、入寂に際して、弟子たちを集めて、山の中や人気のない沢に閑居して修行を続けなさいと命じた。

枯禅は、禅寺では独り坐禅と読み、忌むべきものだったが、白隠盤珪なども一人坐禅を相当にやってきている。そもそもネットのない唐代とかであっても、有力禅マスターのところには、口コミで何百人も真剣な求道の修行者が集まって来るもの。こうした専門道場での集団修行は、薪や水、食物の便は良いが、それがゆえに失うものも多いのだろう。

そこで独りあるいは数名での修行を勧めた寂室は一つの見解ではある。

唐代は、破仏があって、禅は禁教だった。今は宗教の自由こそあれ、駅や繁華街にいけば、カルトの勧誘が待ちかまえ、ネットでは、ネットワークビジネス(しばしばカルトの集金手段なのだが)や自己啓発セミナーのワンクリック勧誘がはびこり、まともな宗教者に出会いたいという志を持った人が、真正のマスターに出会うのも困難な時代に成り下がった。そういう点では、環境こそ異なれ、唐代の中国や宗教禁止の現代中国と現代日本の状況は大差ないとも言える。

それでもまともな求道の志さえ持ち続けて、正師に出会うことを期待して冥想修行する人は終わりの時代には貴重である。
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臨済が坐禅中に居眠りする

2016-05-22 06:29:56 | 丹田禅(冥想法8)
◎只管打睡してなにができる

「参禅は身心脱落であるべき、只管打睡してなにができる」とは、天童如浄が、道元の隣席の修行僧に言った言葉。

さて臨済が、僧堂の自分の席で居眠りをしていた。臨済の師匠の黄檗は、これを見つけて杖で臨済の席をたたいた。臨済は顔を挙げて黄檗であることを見たが、そのまま眠り続けた。

そこで黄檗は、坐禅している上座の首座のところへ行き、「下座の後輩がちゃんと坐禅しているのに、お前はここで妄想してどうするのか」と言った。すると首座は「このじいさんは何をやっているんだ。」となじった。すると黄檗は、首座の席を一回叩いて行ってしまった。


坐禅する者が叱られて、眠っている者が認められるということではない。大悟に近い者は眠っていても認められるということ。
只管打睡は、天童如浄も道元も戒めたところだが、こういうのもある。
禅匠は一生をかけて一人でも半人でも覚者を出すことに命を懸けているからである。

御簾を巻き上げても一人は認められ、一人は叱られるのと同じ。不平等とか言ってもしょうがない。形式、儀礼、手順、教義などの形は論じやすいが、それは本質ではないことがある。
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南泉の猫を斬った後

2016-05-21 06:21:20 | 丹田禅(冥想法8)
◎やり過ぎた咎め

南泉が猫を斬ったのは、猫好きにとってはありえない話である。ところが、傑僧趙州の師たる南泉は猫を斬ってからは、そのことを負い目に感じていたようだ。というのは、猫を斬ってから利他行=カルマ・ヨーガのことでもある異類中行を、南泉は言い出したからである。猫も異類である。

そこで、趙州は、南泉さん本気でそんなことを主張するのですかと言わんばかりに以下の問答を仕掛ける。

趙州は、南泉に問う。「(異類中行)の異についてはお尋ねしません。では、その(異類中行の)類とは、どんなものですか?」

南泉は、四つんばいになってみせた。

趙州は、その南泉を踏み倒した。それから自室の涅槃堂に帰って「残念だ、残念だ」と大声で叫んだ。

それを聞いた南泉は、人をやって何が残念か尋ねさせると、趙州は「もう二踏みしなかったのが残念だ」と答えた。


また別の日、南泉は、自室の戸の前にぐるりと灰をまいて、弟子たちに「諸君らがちゃんとした一言を言えたら戸を開けよう」と宣言し、多くの雲水の言葉を聞いたが、どれも気に入らず、結局「がっかりだ、がっかりだ」と嘆き、自分で戸を開けた。

このように猫を斬ってからの南泉は、昔日の平常心是道で颯爽としていた南泉ではなく、勢いを失ってしまった。趙州を大悟させるような力量ある人物でも一回の修羅業をきっかけに、迷いの世界に戻る。

本来、弟子たちがダメだからといってやる気を失う老師は、禅ではありえない。OSHOバグワンは、冥想コミューンを立ち上げたが、途中で弟子の指導に飽きたふしがある。長い一生のうちには、大悟したといっても行動が大きく振れることがあるのだろう。




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一休の自殺未遂

2016-05-20 05:38:21 | 丹田禅(冥想法8)
◎繊細で虚無をかかえた青年期

一休は、破道無慙にして豪放磊落にも見えるが、その実、繊細で虚無をかかえて青年期を生きていた。

彼は16歳の頃から5年間、謙翁宗為の下で修行した。謙翁は、妙心寺開山関山慧玄(大徳寺開山大燈国師の弟子)の弟子無因の印可を謙遜して辞退したので、謙翁と称せられる。食事は托鉢だけ。

一休は、宗純という道名までもらい、更に謙翁から「あなたには何もかも上げた、これ以上上げるものはない。印可を出したいが、私にはその資格がない」とまで言ってもらったという。

ところがこの謙翁が、一休21歳の時に突然死去する。一休は、金がなくて謙翁の葬儀もだせないまま、裏の山に師謙翁の亡骸を埋めた。絶望した一休はその足で、厳冬の瀬田の唐橋から投身自殺を図った。

胸騒ぎを覚えた母の伊予局の侍女玉江が一休を救助したという。

この広汎にメンヘラな時代に、精神病が自殺の前駆となることは広く知られているので、自殺そのものは、かつてのようなひたすらネガティブなイメージはないかもしれない。悟る前の人は誰でも生きづらいものだ。一休であってさえも。 
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主を畏れ、彼を信ずる

2016-05-19 05:35:28 | 究極というものの可能性
◎永遠の喜びと恵み

ベン・シラの言葉から。

『子よ、主の僕たらんと欲するならば 試錬を覚悟せよ。
気持ちをととのえてじっとこらえよ。 災難にあってもあわてるな。

最後に勝利を得るためには 彼に鎚りついて離れるな。
身にふりかかることはすべて甘受せよ。 運が傾いて落ちぶれても忍耐せよ。

金は火で試され 人はみじめというかまどを経て一人前になる。

彼を信じ、彼の助けを得よ。きみの道を正して彼に望みを置け。
主を畏れる者たちよ、彼の恵みを待ち望め。転ばぬためには脇道にそれるな。

主を畏れる者たちよ、彼を信ぜよ。そうすれば報いにもれることはけっしてない。

主を畏れる者たちよ、幸福を期待せよ、永遠の喜びと恵みを。』
(聖書外典偽典2 教文館/P88-89から引用)

永遠の喜びと恵みは、人間の側に属するものではないが、それでも、主を畏れ、主を信じ続けるならば、報いにもれることはない。
最後の勝利も人間側に属していない以上は、昔期待していた自分勝手な勝利の姿ではないかもしれない。それでも主を信じ、己の道、己れの生き方を正して待ち望めと説く。

すらすらと読むことができるが、一句一句の蘊奥は深い。
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見る、聞く、知る

2016-05-18 05:33:18 | 丹田禅(冥想法8)
◎達磨も老子も無為にして為さざるなし

達磨の二入四行論は、1900年に発見された敦煌本の一つ。二入とは、理入、行入。
四行とは、報冤行、随縁行、無所求行、称法行。

以下は達磨の二入四行論の一節。

『法身(永遠なる仏体)は身体を持たぬ。それゆえに見ないという見方で、はじめて法身を見る。

正法は、音声をもたない。それゆえに聞かぬという聞き方で、はじめて正法を聞く。

般若は、分別知をもたない。それゆえに分別知を使わないで、はじめて般若を知る。』
(人類の知的遺産 第16巻 ダルマ P167から引用)

見ないという見方、聞かぬという聞き方、分別知を使わないという方法論こそが禅である。

これにより、
見たものも見ないものも見ることができる。
聞いたものも聞かないものも聞くことができる。
知っているものも知らないものも知ることができる。

老子も無為にして為さざるなし、と同じことを説く。

それが起こるのはZEN Meditationである。


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巌頭の最期

2016-05-17 06:42:17 | 丹田禅(冥想法8)
◎寺を出て冥想するスタイル

875年から884年まで唐では、黄巣の乱が吹き荒れた。880年には黄巣は長安を陥れ、国号を斉とし帝位に就くなど、唐の威令は地に落ちた。
885年から光啓帝の時代が始まるが、唐は実質的に長安付近を支配しているにすぎず、諸国は群盗割拠し、治安は乱れに乱れていた。

修行者たちは難を逃れて地方に散ったが、巌頭だけは坐禅を続けて悠然としていた。巌頭は洞庭の臥龍山に初住し、後、湖北省の鄂州唐年山の巌頭院に住した。

887年4月8日大群、小群の盗賊が入り込んできて、食料を要求してきたが、それが叶わないことがわかるや、刀で切りつけてきた。巌頭は顔色一つ変えずに大声を出して果てた。
その声は数十里に聞こえた。
巌頭は60歳であった。会昌の破仏は845年だから彼の修行生活のスタート時から既に破仏の環境だった。

破仏は不幸なことだが、この時代から寺を出て冥想するのが始まったと見ることもできる。昼は船頭(巌頭)をしながら余暇で坐禅するスタイルだから、これは現代人の冥想スタイルでもある。

でも冥想が深まってくれば働けなくなることがあるので、専門道場、修道院、メディテーションセンターは、あることが望ましい。

それと正師。ただし未悟者には、誰が正師か見分ける目はない。よって正師に出会って、その下で冥想を修行するというのは、まことに縁であると思う。いつかどこかで正師に出会っているかもしれないが、そのチャンスを生かすかどうかも縁である。
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